第四十五話「辞めることにします……」
フラフラとした足つきで二人に支えられ、自室のベッドに寝かされたボクは、一時間近く経って目覚めてもまだ目眩がしていた。
肉体に影響があるというよりは、精神に直接攻撃を食らったような、そんな感じがする……。
「ごめんなさいバロネッサさん……。そこまで強く使ったつもりはなかったんですけど……」
心配そうな顔でボクの顔を覗くデアさんは、さっきまでとは違って張りつめていた緊張が緩んでいるように見えた。
「デアの生い立ちは聞いた、能力も聞いた、あとは坊やが何をしたかだけだよ、説明しな」
一方でルナさんは明らかに怒っていた。本来なら使う気のない能力を使った上で、説明もなく妙な事をされたのだから無理もない。
「えぇーっと……。物凄く漠然と、ボクの中での感覚で言うと『世界を創り変えた』という感じです」
「『世界』を?」
セフィロトでアルカナについて知識のあるルナさんからしたら『世界』という言葉には少し引っかかる部分があるのだろう。
「ただ、実際に起こった内容で言うと、デアさんの『気の持ちようを変えた』だけみたいですけど」
「欲望を意味する『悪魔』の『正位置』を『逆位置』に変えた――つまり束縛されていた欲望を解き放った、ってことかい?」
「そう言うことです。だから、二重人格がなくなったかまではわかりませんが、恐らく制御はできると思います……」
確証がないからルナさんには言えないけど、恐らくルナさんの能力によって示されるアルカナは、その人に与えられた『役割』だ。
ボクの『愚者の正位置』は『旅立ち』、様々な人と出会って成長すること。
ルナさんの『月の逆位置』は『不安の解消』、人の相談に乗ったり占いで答えを示すこと。
そのアルカナ自体が変わることは人生そのものが変わるようなものだ。
でも、正位置と逆位置は気の持ちようでどれだけでも変わる。
例えばボクの『愚者』の正位置は『旅立ち』という希望に溢れた意味を持っているけど、ボク自身にやる気がなければ逆位置の『無計画』というような内容に反転して現れるのだろう。
「でも、どうしてアルカナを逆転させたらわたしの能力まで変わったんでしょうか……?」
「正位置だった頃は抑圧されて溢れ出すようにしか使えなかった能力が、逆位置になって能力を正しく解放できるようになった――とかですかね?」
「なんだい、位置を反転させた本人もよく分からないのかい?」
「うーん……。わたしの感覚的な話になってしまうんですけど、今までは『吠える』って感じだったのが、今は『話しかける』っていう感じに変わりました……。これが本来のわたしの能力だった――と言われると、何となく納得はいきます……」
「実際アタシも能力は感覚でどうなるかわかる事があるし、同じようなことをカルロも言っていた。こういうのは感覚だってさ、だからきっと自分の感覚ってのは合ってると思うよ」
「それなんですけど、実はボクはその感覚というのがよくわかってなくて、さっきまで『世界を創り変える』という感覚はあったんですが、何が出来るのか分からないし、今は能力が使える感覚自体もなくなってしまいました」
ボクの中で何かが起こって、漠然と『世界を創り変える』ことができると思った。
でも、その感覚も今はもうない。
ボクはまだ未完成という自覚がある。きっとこの能力も片鱗として見えただけの力なんだろう……。
「それで、どうするんだい?」
「どうするとは……?」
「デア、あんたの進退だよ。ヴェローチェはデアに束縛する首輪だって坊やが言ってただろ?」
真面目な顔をしたルナさんがデアさんに問う。それはボクが示した道ではあるけど、ルナさんはそれを否定はしなかった。
「……この場ですぐに答えが出せる話ではありません。でも、バロネッサさんの言うことはわたしの中にスッと入ってきました……」
デアさんは目を瞑って両手を胸に当てる。
「なんて言えばいいのかわかりませんが『心の中の欠片』が埋まったような気がしました……」
その言葉……! ボクがいつも感じているものと同じ感覚だ……!
「ルナさん、アルカナは自分に影響を与えた人物っていう話をしたの前に覚えていますか?」
「あぁ……それが?」
「多分、今デアさんが感じた想いで新しいアルカナを得たと思います……。その感情は、ボクがいつも人から大切なものを貰った時に感じていて、双子のアルカナが増えたと言った根拠です」
「うーむ……。そこまで言われたら、流石に試してみる必要があるか……」
「よく分からないけど、ご協力できるのなら……!」
ルナさんが山札を作り、デアさんが最初に引いたカードはやはり『悪魔』だった。ただ、その位置は『逆位置』になっていた。
「本当にアルカナの位置を変えちまったんだね、とんでもない坊やだよ……。運命そのものに干渉したようなものじゃないか……」
そのままデアさんがカードを引き続けると、現れたのは『星』のアルカナ、そして――
「……『愚者』のアルカナ。確かに坊やのアルカナだね……」
「やっぱり……」
ボクがデアさんに影響を与えた、ボクがデアさんの中で生きているという事が示された。
それは即ち、ボクの中には数多くの人がいるということでもある。
「これって、バロネッサさんの言葉に影響を受けて、わたしの中にバロネッサさんがいるってことですよね……?」
「まぁ、そういう事になるんじゃないかね?」
「それじゃあ、わたし辞めることにします……」
「えっ!?」
デアさんは静かに、しかしきっぱりと言い放った。
辞めたほうが良いと思うと言ったのはボクだけど、まさかこんなに即決すると思っていなかったので驚いてしまった。
「ヴェローチェから退院したらどうなるのか分からないし、ステラ様に拾っていただいた恩は返せていないですけど……。でも、わたしのいる場所はここじゃないかなって……。あ、別にバロネッサさんに言われたからとかってわけではないですよ……!」
ルナさんが目配せをしてくる。孤児院ヴェローチェを出るということについて教えろということだろうか。それとも止めろということなのだろうか、それとも……。
いずれにせよ、それをボクの口からいま語って良いものはないだろう……。
「ボクが言うのもなんですが、今日はここまでにしませんか? もしここを辞めるのであればヴェローチェの方に相談する必要があると思いますし、ボクが勢いでここまで連れてきてしまったので、一度落ち着いて考えた方が良いでしょうし」
「それはアタシも賛成だね、ちょっと今日の坊やは暴走気味だからね。デアもそれに飲まれて冷静に判断できていないかもしれない、心は決まっていても時間は取ったほうが良いと思うよ」
「そ、そうですね、わかりました……。人生がかかった選択ですからね……!」
照れながら頭をかくデアさんだったけど、その目はもう覚悟が決まっているように感じた。
唯一、ステラ様への恩義について気にしているのだろう。
本来なら、辞めた後がどうなるのか、生きて出れたのならどうやって生活していくのか心配しそうなものだけど、デアさんからはそんな些末な悩みは感じられなかった。
それよりも、ボクが他人に影響を与えられた瞬間を目の当たりにできたのが何より嬉しかった。




