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第四十一話「嬉しいと楽しいの違い」

 ホーダー兄さんと対面してから一ヶ月が経った。毎日新聞を読んでいるけど、まだホーダー兄さんの名前は出てこない。


 きっと今もまだ仲間を集め、力を溜めているのだろう。


 かつて私が父と呼んでいたドゥラ家の父は、瞬発力というべきか一瞬で爆発的な力を発揮する人だった――らしい。


 東洋には『へい神速しんそくたっとぶ』ということわざがあるようだけど、まさにそんな人なんだろう。


 ホーダー兄さんから聞いた話によると『私』の実父であるカナロア侯爵を暗殺して、遺産とともに母と私を迎え入れる。この行動は全て計画的で最速かつ最短で行われたようだ。


 他にも出し抜く――というと言い方は悪いかもしれないけど、一瞬の隙を見て他人から利益を得ていた。決して悪いわけではない、負ける方が悪いのだから。


 様々なものを奪ったドゥラ家という存在に対してはやはり快く思ってはいない。ただ、ホーダー兄さん個人は尊敬しているし、かつて父と呼んでいた人物の技量には感服するものがある。


 ――やめだやめだ、ドゥラ家を恨むのは『私』に任せよう。『ボク』はドゥラ家を恨んでいないし、みんな尊敬する技量の持ち主たちだから。


 立場によって人格を分けるのは楽だけど、過去の記憶に囚われている『私』と、未来を目指すための『ボク』という存在の境界線を意識して、どれが本当の自分なのかしっかりと考え――


「――ねぇ、聞いてるー?」


 ハッとして意識が現実に戻された。隣を見るとステラ様の青い瞳がこちらをじっと睨んでいた。慌ててキョロキョロと辺りを見ると、宝石店の方のヴェローチェの店内には人は誰もいなかった。


「もぅ、今日はワタシと店番なんだからしっかりとしてよねぇ?」


「す、すみません……。ちょっと考え事をしてました」


「バロネッサって時々そういう事あるよね、頭がぼーっとして固まってるのか、頭が回りすぎて固まってるのかわかんないけど」


「ボクってそんなに固まってます……?」


「もうガチガチだよ!」


 ステラ様が両手の拳を頭にガンガンと叩いて楽しそうに笑っている。本当にヴィスマールを拾ってきただけあって、ヴィスマールによく似て無邪気な方だ。


 じゃあ、ボクがオロ様に似ているかと言われると全く似ていない。多分、双子の方がよっぽど似ているだろう。


 最近、双子たちとよく交流するようになってわかった。二人はボクよりも遥かに才能があるし努力家だ。


 もちろん双子だけじゃない、ペンナは馬鹿だけどとにかく前へ前へと進もうとする、セリオさんはどこかぽややんと不思議な雰囲気があるけど観察眼と直感がスゴい、ルナさんと話していると不安や悩みが解決するから安心する、エラさんは――お姉さんというか母親というか、とにかく温かさを感じていた。


 みんなそれぞれの特徴があって、みんな凄くて、みんな進むべき方向に向かって歩んでいるのだと思う。


「――ステラ様」


「ん? なぁに?」


「ステラ様はご自身の事をどれくらい理解していますか?」


「自分のこと?」


「はい、自分が何に向かって進んでいるのとか、どんな役割なのかとか、どうあるべきなのか――とかなんですけど?」


「えぇ……」


 ひそめ眉にしかめ顔にとがり口、人はこんなにも気持ちを表情に出せるのかというくらい嫌そうな顔をされてしまった……。

 

「バロネッサっていつもそんな難しいこと考えて生活してるの……?」


「難しいですか……?」


「難しいというか面倒くさいというか……」


「そうでしょうか……」


「そうだよぉ……」


 確かにいつもこういう事ばかり考えているから気にもしなかった。確かにペンナにもよく難しいとか面倒くさい事ばかり云々とよく言われる気がする。


「拾ってきたのが兄様にいさまだから、やっぱり拾った人に似るのかなぁ」


「ボクがオロ様に似ているってことですか?」


「そうだよぉ! 兄様もいっつも難しい事ばかり考えててさぁ。一応、ワタシにはわかりやすく教えてくれるけど、ワタシはもっとこうスパーッて感じが好き!」


「スパーッ……とは?」


「スパーッは、スパーッだよ! わからない?」


「すみません……」


「うーん、ヴィスには伝わるんだけどなぁ……」


「やっぱり拾った人に似るんですね……」 


 ステラ様は感覚で生きている人なので、人に物を教えるのが苦手――というのはみんなの総意ではあるのだけど、どうやらヴィスマールだけは例外のようだ。


 きっとお互いに通じるものがあるのだろう。


「その、ステラ様は彫金とか、ヴェローチェになるうえでどうやって学んだのですか?」


「うーん、ワタシは父様とうさまに拾われたけど、基本的なことは全部兄様に教えて貰ったよ。兄様は教えるのが上手だからね、ワタシにも分かりやすく教えてくれるんだ」


 ステラ様の感覚的な行動にどうやって対応していたのだろうか……。


「兄様はね、全部実践で教えてくれたんだ。例えば、肉を切る時はこの筋を切れば切りやすいとか、彫金も『ココを叩くとこうなる』みたいな?」


「えっと……それだけ、ですか?」


「うん、それだけだよ。あとは、まぁなんか自分でこうやったら良さそうっていうのを何となくやってただけ」


「な、なんとなくだけで……」


 そんなことを思っていたら、いつの間にかステラ様は奥の休憩室の方へ行っており、何かを何かを探している様子だった。


「あぁ、あったあった」


「何があったんですか?」


「これこれ、見て見て」


 渡されたのは小さなダイヤモンドだった。既に完璧なカットがされていて、ボクたちのような腕前では決して作ることのできない代物だった。


「これ……すごい……」


「結構前に思いつきで作った方法でダイヤモンドを加工したら結構良い感じになったんだよね」


「思いつき……良い感じ……」


 駄目だ、めまいがする……。ただの思いつきでこんな――直径に高さのバランス、蓋部分にあたるテーブル大きさに対する上面部のクラウンの高さに角度、下面部のパビリオンの深さと角度、そして最も重要な対称性、あらゆる面において芸術的な比率で一体どれだけ訓練すればこんなに綺麗な宝石が作れるんだ……。これはもう技術という領域を超えた天賦の才といった領域だ……。


「どう? キレイでしょ?」


「えぇ……控えめに言って化物かと……」


「えっ、ひどくない!?」

 

「え、あ、すみません、あまりにもすごすぎて……」


 余りの美しさに見惚れてしまい、ステラ様の話がなかなか頭に入ってこない……。


「でさ、その時に来たお客さんって結婚指輪を作りに来た夫婦だったんだけど、奥さんの方が宝石に詳しいみたいでこの宝石見せたら興奮しだしちゃってさ。その場でワタシと一緒に図面引いて相談し始めちゃったんだよねぇ」


 ゲラゲラと笑いながらステラ様が楽しそうに語っている。いつも明るい方とは思っているけど、毎日こんなに楽しく過ごしているのだろうか。


「それでさぁ、なんか『はーとあんどきゅーぴっど』っていう形を教えてもらっちゃってさ。これなんだけど」


 そう言ってもう一つカットされたダイヤモンドと図面を受け取ったけど、正直違いがわからなかった。


「これをさ、上から見ると矢が八本あって、裏から見るとハートが八個あるんだって。すごいよねぇ、ワタシが作ったものを少し改造したらこうなったんだ、まだまだ知らないことばかりだなって思ったよぉ」


 確かにダイヤモンドを上から見ると矢の模様があり、底面から見るとハートの形が八つ左右対称に並んでいる。


 ハートアンドキューピッドってことは、天使が愛の矢を撃っているってことなのかな? 天才が驚くものがまだこの世の中に存在する……世界はまだまだ広いんだなぁ……。


「バロネッサはなんかこういう楽しいことってないの?」


「楽しいことですか?」


 うーん、確かに楽しいことと言われると難しい。


 訓練は大変だし、毎日疲れて寝てしまって、月に一度の即売会に向けて商品を作ったり、忙しいけど充実はしている。


「なーんか、あんまり楽しそうじゃなさそうだねぇ」


「すみません、楽しいっていうのが何かパッと何か分からなくて……」


「ワタシはね、楽しいことがしたいの」


「うーん、例えばどういうことですか?」


「見つからずに人をあんさ――始末のは楽しいし、色んな物を作れるのは楽しい、給仕は……難しいから苦手だなぁ、いつかは上手くならなきゃとは思ってるけど、楽しさがまだわからない」


 ステラ様が目を閉じて考え込んでいる。本当に給仕は苦手なんだろう。


「楽しいかぁ……確かに嬉しくは思いますけど、楽しいと思ったことは……」


「うーん……バロネッサはさ、人を上手く始末できたら嬉しいんだよね?」


「そうですね、上手くできれば他のことでも何でも嬉しいです」


「それそれ! バロネッサは『上手くできた』から嬉しいんでしょ!?」


「そ、そうですね。上手くできたら」


「多分そこが違うんだよ! ワタシは『上手くいかなくても』楽しいんだもん!」


「上手くいかなくても?」


「そう! きっとバロネッサは失敗したら嬉しくないし、落ち込んじゃったりするんだよね?」


「そうですね。その代わり、次は上手くやろうと頑張ります!」


「偉い!」


「あ、ありがとうございます!」


「ちがう、偉いけどちがう! ワタシはさ、上手くできなくても楽しいの、どんなこともやるだけで楽しいの! あ、給仕は……楽しくないけど……」


 なるほど、ステラ様はボクと根本的に違っていて、行為そのものを楽しんでいるのか。だから失敗しても前向きだし、訓練も楽しんで取り組むから辛くもないし、むしろ楽しいのか。給仕以外は……。


「嬉しいと楽しいの違いが何となくわかりました。その点で言えばボクはまだ何も行為そのものを楽しめていませんね、ただ一つあるとしたら毎日が楽しいです」


「だよねー!? ワタシも毎日が楽しくて仕方ないもん!」


 自分の思考が理解して貰えたからか、ステラ様はこれ以上ないくらいの満面の笑みを浮かべている。


「きっといつか、時間が経てば終わってしまうのかもしれないですけど、それまでは毎日楽しんで行きたいと思います」


「いいねぇ、何か顔つきが良くなった気がするよぉ!」


「そうですか? ありがとうございます!」


 思わず顔が緩んでしまった。楽しんでやる――か。


 ステラ様は何を考えているのか分からないとか、何も考えていないとか言われることがあるけど、それは違う。ステラ様は常に目の前のことを全力で楽しんでいるんだ。


 また一つ『心の中の欠片』が埋まったような気がする……。


 あ、でも、高い所から飛び降りる訓練は楽しんでいなかったな……。他にもきっと楽しめない物があるに違いない……。


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