第三十九話「今は一人の人間として」
ボクの中に確固たるものが見つかった翌日、早速宝石店にいるオロ様の所に向かいホーダー兄さんに会いたい旨を伝えた。昨夜までの迷いは消え去り、ボクの歩むべき道は明確になっている。
「思ったより早かったですね。君が見つけたかったものは見つかりましたか?」
「はい、オロ様に敷いてもらった道を進み、双子からきっかけを貰いました。年下の子たちから教わるとは思っていませんでしたが」
年下から、それも今年で十歳になる二人から人生の根本になるようなことを教わったのはどこか恥ずかしい部分があったが。
「恥ずかしがることはありません。僕も君たちから教わることは沢山あります、自分に持っていないものは必ずしも年上が持っているとは限りません」
「確かにボクは双子に教え、双子はボクに教えてくれました。この出会いを産んでくれたオロ様には感謝しかありません」
「人の出会いは不思議なものです。さて、君の方針が決まったのなら早速ホーダー卿に連絡を取りましょうか」
そう言うとオロ様は、休憩室に設置してある電話機という機械を使って喋りだした。数年前に設置された機械らしく、触れるのはヴェローチェの方々のみでボクはまだ触らせてもらえない。
電報ですらまだ触れたことがないのに、もう新しい通信手段が普及し始めているのだから、時代の移り変わりの早さに全く追いつけていない。知識だけではなく、実体験したいという欲が高まってしまう。
「連絡は取れました。追ってまた連絡があるそうですが、早くても来週になるそうです」
「も、もう連絡が取れたんですね、すごいなぁ……。わかりました、それまで心の準備をしておきます」
「そうですね、ゆっくりと話すことを頭の中でまとめておきましょう」
◇ ◇ ◇
翌週、ドゥラ家へ向かう当日にボクは貴族の家を訪ねても恥ずかしくない服をいただいた。黒の燕尾服で、貸し出しではなくオロ様からの贈り物だそうだ。
ドゥラ家の石造りの建物は、建築年こそ古いが飲み込まれてしまいそうなくらい大きい。建物だけでなく庭も広く、普段即売会をしているヴェローチェの宮殿よりも倍近くは大きいだろう。ドゥラ家の富と勢力を、この巨大な石造りの建物が雄弁に物語っている。
部屋も何部屋あるのか……。薄っすらとした記憶だけど、私と母が暮らしていた部屋は孤児院の食堂よりも少し小さいくらいの部屋で、とても二人で過ごすには大きすぎる部屋だった。
「ようこそいらっしゃいました、バロネッサ様」
ドゥラ家の正門へ近づくと、既に給仕服を着た白髪の老齢の女性が待ち構えていた。今は昼過ぎだけど、この人は何時から待っていたのだろうか……?
「あぁ、いえ……。こちらこそよろしくお願いします」
いつもはもてなす側だから、もてなされるのには慣れていない。元貴族というのは名ばかりの勲章だ。
「お手荷物をお預かりいたします」
別に今日はナイフが入っているわけでもない。入っているのは小物と手土産だけだ。戸惑う必要はないけど、やはり人に荷物を預けるという行為は違和感がある。
「本日はよろしくお願いします。あと、こちらはホーダー卿への贈り物です」
カバンから小さな化粧箱を取り出し、老齢の給仕さんへ渡した。
「かしこまりました。後ほど主へお渡しいたします。では、こちらへ」
言われるがまま邸宅の中へ案内されると、その荘厳さに目を奪われた。本当に私はこの屋敷にいたのだろうか?
床、天井、壁、あらゆるものが芸術的な構造や模様で溢れている。彫金師となった今だからこの建物の凄さを理解できる。細部に宿る職人の技、ヴェローチェの中ばかり見ていたボクには学びを得ると同時に、ドゥラ家の財力の高さに直面した。
「……お久しぶりの屋敷はいかがですか?」
長い長い廊下を共に歩いていると、老齢の給仕さんが尋ねてきた。そうか、この人には『私』のことを伝えてあるのか。
「わかりません。正直、久しぶり過ぎて初めて来た気分です」
「この屋敷も随分と古くなりました。私はドゥラ家が男爵の位に就く前から、それこそ亡き男爵様の会社が軌道に乗った頃からお仕えしております。その頃に建てたのがこの屋敷で、もう既に三十年以上も前になりますでしょうか」
「そ、そんなに昔から……。兄さ――ホーダー卿とは産まれる前からの付き合いということになりますか?」
「はい。ついにホーダー様もお父上が爵位を得た年齢に近づき二十一歳になられ、今から八年前に――バロネッサ様が五歳の時に屋敷を去られた事もつい先日のように感じます……」
「ボクの昔の事を知っているんですか!?」
驚きのあまり、廊下に響くような大きな声を出してしまった。
「えぇ、毎日寝室を整え、入浴後の髪の手入れも行っておりました。あの頃は背中ほどの長髪でございましたね。八年も前の五歳の時のことです、覚えておいででないのも当然でございます」
一歩先を歩いていた老齢の給仕さんを追い抜き、振り返って顔を見ると――全然記憶に無い顔だった……。
「……ごめんなさい。恩があるはずなのに、何も覚えてなくて……」
「気になさらないでください。私たちは目立たぬようドゥラ家の方を支えるのが役目です。大勢いる給仕の一人にすぎません」
「そうかもしれませんけど……」
確かに言うことはわかる。ボクたちも即売会では可能な限り個性を消して、お客様に併せてやりとりをしている。
あくまで主役はお客様であって、ボクたちは裏方の人間にすぎない。裏方が出張るような演劇があってはならない。
だから、この人は既にボクが目指すべき頂点の一つを極めているのだろう。
「あの……失礼ですがお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
老齢の給仕さんは少し驚いた顔をした。雑談をしていた程度のつもりで、まさか名前まで聞かれるとは思っていなかったのだろう。
名前を聞かれるということは、裏方から表に顔を出してしまうということでもある。ボクはそれを知っていて名前を聞いた。
「……グルヴェイグと申します。ただ、ドゥラ家に勤めるしがない給仕でございます、頭の片隅にでも留めておいていただければ幸いです……」
老齢の給仕――グルヴェイグさんは毅然とした顔でこちらを向いた。彼女も名前を問う事の意味を理解したうえで対応してくれている。
「私がこの屋敷にいた頃、何も困ったことがなかったという記憶はあります。正しく言えば、ドゥラ家を離れてからは毎日が大変だったと……」
「………………」
「だから、この屋敷にいた頃の私はグルヴェイグさんたちのお陰で生活できていたのだと思います」
「そう言っていただけるのは、何よりの誉れでございます」
グルヴェイグさんは深々と頭を下げた。ただの礼ではなく、ただただ感謝を伝えるための行為だった。
ただ、ここまで誠心誠意を持った礼は受けたことがなくて動揺してしまった。
「今のボクは孤児院ヴェローチェに預けられているただの孤児です。ドゥラ家の者でもなければ、その血も混じっていないようです。だから、頭を上げてください」
「ですので、今は一人の人間として。デュラ家の給仕ではなく、グルヴェイグ個人として頭を下げたのです」
かつての『私』はこの人に頭を下げるに値する人間だったのかもしれないけど『ボク』はまだその域には達していない。
「グルヴェイグさん、ボクも給仕をする者の端くれです。だから、あなたがどれだけ優秀な給仕かもわかりますし、ようやく分かる領域まで磨けたのだと自分の位置を把握できました」
「お役に立てたのであれば光栄です……」
頭を上げてにっこりと微笑むと、この人の本当の顔が見えた気がした。普段、感情を表にださない役割のその顔には、深い喜びが滲んでいるように感じた。
顔にはシワがあって、髪は白髪交じりで、手もシワシワで痩せている。
でも、背筋は真っ直ぐで身体の重心がブレずに動かず、地面をがっしりと掴むように立っている。
そうか、給仕をするということは単にお客様に尽くすだけでなく、無駄のない動きが出来るようになるということなのか。グルヴェイグさんのような優雅で無駄のない動きや瞬時に判断する冷静さは暗殺にも通じるし、相乗効果を生むだろう。
その程度のことは孤児院に入ってすぐの段階で教わってはいた。ただ、舞うように鮮やかな所作を見て改めて実感しただけだ。
ほんの数分程度のやりとりだけど、ボクの心を大きく動かされた気がする。これが感動というものなのかもしれない。
まただ、この感覚か――ボクの『心の中の欠片』が一つ埋まったように感じがする……。
グルヴェイグさんは一体何のアルカナなのだろう……? でも、ルナさんはもう占ってくれないだろうな……。




