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第三十八話「これが僕の善と悪だ」

 ボクは――私は――悩み続けた。


 きっとこれは答えのない問題だ。


 オロ様と別れたあと、孤児院に帰って自室で寝ようと思っても眠れず、朝が来た。肉体的な疲労よりも、精神的な衝撃がボクを蝕んでいる。


 フラフラと食堂へ行くと世界が歪むように視界が曲がり、耐えきれずに目眩で倒れてしまった。


 気がつくと自室のベッドで寝ていて、ペンナとセリオさんが近くにいた。


「何だか分かんねぇけど無理すんなよ」


「お食事は机に置いておきますねぇー」


 二人はボクが目を覚ますと、顔を緩めて安心した様子で静かに帰っていった。


◇ ◇ ◇


 朝食は喉を通らず、今日は訓練も休めとルナさんに言われ、昼食を持ってきたヴィスマールにも顔色が悪いと心配をかけてしまった。


 何とか食事を摂ろうとしたけど、牛乳とスープを飲みこむのがやっとで、固形物は喉を通らなかった。


 『善』と『悪』、それはわかった。わかったつもりだ。


 でも、ドゥラ家はボクと母をおとしめ、その実行犯はオロ=ヴェローチェだった。


 オロ様のことは尊敬しているけど、尊敬しているからこそ実の父を殺した人物だと言うことは簡単に飲み込める内容ではない。


 ――気がつけばもう夕方になっていた。西日が長く影を落としている。


 夕食を持ってきてくれたのはアルマとアルテだった。


「二人はさ、どちらかが誰かに殺されたらその相手を殺してやりたいって思う?」


 自分でも唐突だと思ったけど、二人はボクの言葉を聞くとお互いに顔を見合わせた。


「どういうことかしら?」

「何かあったのかい?」


 今日の体調のこともあってか、心配をかけてしまったのかもしれない。


「いや、ボクにはそう言う人がいないからさ……ちょっと気になってね」


 二人は改めてお互いの顔を見ると、すぐにこちらを向いて即答した。


「復讐なんてしないわ」

「僕も姉さんと同じだよ」


「えっ、そうなの?」


 意外だった。生まれたときからずっと一緒にいる相手なのだから、時が二人を分かつまで一緒にいるのが当然で、それを引き裂く相手は憎くて仕方がないものだと思ったからだ。


「もし私がその相手を殺したら、その復讐で私を殺しにくる人が現れるかもしれないわ」

「復讐は連鎖するものだしね。僕は姉さんが殺されるのは嫌だし、姉さんは僕が殺されるのは嫌だよ」

「兄さんが死んだら私は悲しいし、私が死んだら兄さんは悲しむわ」

「例え自分が死んでしまっていたとしても、残された姉さんを悲しませたくないからね」


 その言葉はまるで突然後頭部を殴られたのではないかというような衝撃だった。ボクが悩んでいた憎悪による復讐という浅い思考を一瞬で断ち切ってしまった。感情から導き出された二人にとっての絶対的な哲学。そんな『善』と『悪』もあるのか。


 二人にとっては『相手が悲しむことは悪』という絶対的な価値観があるんだ。


 知らなかっただけで、二人はもうボクよりも一歩先を歩んでいた。単純な復讐や憎悪なんて大した理由ではなかった。


 オロ様が皆に等しく可能性を感じているという理由がよくわかった。揺らいでいる自分がバカみたいじゃないか……。


「……ありがとう二人とも、勉強になったよ」


「明確に気づかせてくれたのはバロネッサじゃないか。僕と姉さんは共に高め合っているんだって」

「私と兄さんが高め合うのが倍なら、悲しみや虚しさも倍になるのよ」

「僕は殺されないし、姉さんは殺させない」

「殺すことを学ぶのは、殺されないことを学ぶことでもあるわ」

「僕と姉さんは同じ時に生まれ、死ぬ時も同じと誓っているんだ」


「なんか格好いいね、ボクもそういうの一度で良いから言ってみたいよ」


「格好良くなんてないわ、物心がついたときからずっとあるものがなくなってしまうのが怖いだけよ。バロネッサも眼が見えなくなるのは怖いでしょ?」

「それに見えているものこそ同じだけど、考えることまで共有はしていないから、どこまでいっても僕と姉さんは一つにはならないしね」

「結局、私も兄さんも失うのが怖くて臆病なだけよ」

「違いない、僕も姉さんもお互いを引き離すものは『悪』として排除しているだけさ」


 二人は年相応に無邪気に笑っている。いつもどこか不思議な雰囲気があるけど、これが本当の二人の姿なのか……。


 二人は世界を敵に回してもお互いを守り続ける。


 それが二人にとっての『善』であり、二人を引き離すものは『悪』となる。時が二人を分かつまで――いや、二人の考えからすればきっと有限である『時間』ですら敵なのだろう。


 ボクには二人ほどの私的な理由での『善』と『悪』はないだろう。


 二人と話していて頭の中で絡まっていた糸が少しだけまとまった気がする。


◇ ◇ ◇


 ボクはオロ様が『私』の実の父親であるカナロア侯爵を暗殺したことを『悪』だとは思っていない。オロ様はあくまで『道具』だ。


 人殺しに使ったナイフは裁かれるべきか? そんなわけはない、道具に善悪なんてない。善悪は道具を使う人間に与えられるものだ。


 他人のために物を作り、他人のために奉仕し、他人のために殺す。ヴェローチェとは優秀な道具であって『善』でも『悪』でもない。


 ヴェローチェで唯一『悪』になりえるのは、売人である『父様とうさま』だけだ。


 それでも、父様とうさまは『売らない』を選んでいるだけだ。秩序の崩壊を招くような案件に対して、未必みひつの故意を避けているにすぎない。

 

 この行為は『善』だろう。


 オロ様は言った「悪人を殺して多くの人が助かるのは『悪』か?」と。


 短絡的かもしれないけど、ボクはこれを『善』だと思いたい。


 でも、ただの殺人は『悪』だと思っている。


 この違いはなんだろうか?


 答えは――双子のお陰で気がついた。


 二人はお互いに害をなすもの――あくまで私的な理由で『善』と『悪』を決めていた。


 それと比べて、ボクは『私的』な理由での行為は『悪』で『公的』な理由での行為は『善』だと思っているのだろう。


 今回のことで言えば私的な理由でカナロア侯爵を暗殺させたドゥラ家は『悪』だ。例えば、これがカナロア侯爵が圧政を敷いていて、民を救うために暗殺したのであれば『善』だろう。


 結局、ボクは自分の感情ではなく、他人の価値観に左右される理由を『善』としているに過ぎない。しかし、今までボクの中にあった「殺人は『悪』である」と言う漠然とした価値観を捨て、双子と対話したことで確固たる『自分自身の価値観』が生まれた。


 私的な感情は憎悪を生み、公的な大義は救済を生む。


 ボクはこれを『芯』にしていく。


 ボクの根本は『困った人を助けること』。これが僕の絶対的な『善』と『悪』だ。


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