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第三十七話「善と悪を見極めること」

 ホーダー兄さんが帰ってすぐ、ボクは事のすべてをオロ様に話した。


 客室に戻ると、オロ様は何も聞かずに、改めて温かい紅茶を淹れてくださった。立ち上る湯気の向こうで、琥珀色こはくいろの液体が静かに揺れている。ボクはそれを一口飲み込み、一息をつく。


 それでも、突然与えられた情報が多すぎて、頭の中は渦を巻くような混乱に陥っていた。何を信じればいいのか、全く分からない状態だった。


 オロ様が先程までホーダー兄さんの座っていた席に静かに腰を下ろす。いつもならその雰囲気に緊張してしまっているけど、今日はその落ち着いた姿が混乱した頭のボクをまるで導いてくれるような安心感を与えてくれた。


「概ね話は理解しました。それで、君はどうしたいのですか?」


 穏やかでありつつ、全てを見通すような声だった。


「わかりません……。もしホーダー兄さんの言う通り、ボクがカナロアという家の生まれだったとしたら、それを壊したドゥラ家と――ヴェローチェは憎いです。でも、一体何を信じればいいのか……。ただ、困った人を助けられる機会が与えられるというのなら、力を持ちたいという気持ちもあります」


 言葉にしてみても、考えがまとまっているようで、答えはどこにも見つからない。このままだと、どうすればいいのか延々と悩み続けることになるだろう。


「……悩んだ時は自分の考えを言葉にして一度整理すると良いでしょう。まず、君は人生で何を成し得たいと思っていますか?」


「えぇっと……。困っている人を助けたいと思っています」


「それは『悪』と呼ばれる手段を使ってでも、ですか?」


 その問いに、少しだけ胸が苦しくなった。


「悪いことは――出来ればしたくありません……」


「では、君の思う『悪』とはなんでしょうか?」


 既に暗殺者として人の命を奪っている自分が『悪』を語る資格なんてあるのだろうか……?


 言葉に詰まっていたボクを見かねてか、オロ様の方から言葉を紡いでくれた。


「……僕らの仕事をするうえで『善』と『悪』は切り離せない問題です」


「誰かにとっての『善』は誰かにとっての『悪』になる……というところまでは分かっています。でも、その先は……」


 俯くボクに対し、オロ様は静かに右手の人差し指を顔の前に出し、諭すよう優しく話し始めた。


「一つは『善悪の彼岸ひがん』。それは既にある道徳観で価値観を決めるのではなく、君自身が価値観を作り上げること」


「何ですか、それは……?」


「一つは『力への意志』。現状に満足せず、常に自己を超越し、成長させること」


 その欲求はボクの中に常に存在している……。強くなりたい、成長したい、その想いは初めて人を殺した時から変わらない。


「そして『超人』へ。人間には無限の可能性があり、困難な運命をも受け入れる強さを持つこと」


 困難な運命を受け入れられるほどボクはまだ強くない……。ボクはまだ、その遥か手前の最初の段階で足踏みしている……。


「ヴェローチェとは『目標』を持たせて成長を促し『壁』に向かって立ち向かい、その力をもって『望むこと』を実現する場所です。……ちょうど少し前に出版された書籍に、ヴェローチェの信念と似たような事が分かりやすくまとめてありましてね、少し真似てみました」


 オロ様が微笑みながら指を下ろし、ティーカップを持って口元へ運ぶ。


 無言で確認するようにボクの眼を見てくる。


「えぇっと……『目標』とはヴェローチェや父様とうさまになること。『壁』とは大勢と競い合ってその枠を奪い合うこと。『望むこと』――えっと、ボクの場合は父様とうさまとなって困っている人を助ける……そういうことですか?」


「うむ、及第点です。よく整理できました」


「あ、ありがとうごさいます……!」


 思いがけず褒められ、少しだけ頬が熱くなる。


「君は既に、自分自身を高めたいという願い、それを実行している。あと乗り越えるべきは『善』と『悪』が何か『自分の価値観を生み出すこと』です」


「既にある価値観ではなくて、自分の価値観を生み出す……。すみません、まだよくわかりません」


「今の君はまだ確固たる芯を持てずにいます。例えば人殺しは『悪』ですか?」


「それは――世間一般には『悪』だと思います。そうすると、既に人を何度も殺めているボクも……『悪』なのでしょうか?」


 自分の口から出た言葉が、自分に突き刺さる。


「……では、少し手助けしましょう。汚職に塗れ、人々を苦しめている悪人がいます。その人物を殺せば、多くの人々が救われます。その人物を殺すのは『悪』ですか?」


「それは――『悪』ではないと思います。ボクは困っている人を助けたいので」


「つまり、人殺しは『善』だと言うことですか?」


「うぅ……」


 言葉に詰まる。どうしても自分の答えに矛盾が生まれてしまう。


「……少し意地が悪い言い方でしたね。正解なんてものはありません、善悪の基準は人の数だけ存在します。しかし、それを確固たるものとして確立することは、ホーダー卿と共に行くせよ、ヴェローチェとして生きるにせよ、いずれにせよ必要なものです」


「はい……何をしなければいけないのかは分かりました。人の意見に左右されるのではなく、自分にとっての『善』と『悪』を決めること……ですね。それが出来なければ困難な運命に立ち向かうこともできない。本当は自分で気づかなきゃいけないことなのに、ありがとうございます……」


「気にしないでください、僕の役割は『人を導くこと』、言うなれば道路を敷くことですから」


「失礼かもしれないですけど、オロ様はどうしてボクを拾って――導いてくれたんですか……?」


「そうですね。僕はある日、どんなものでも建てられる広大な平原を見つけました。そこは全く何も無い更地で、それを見て価値を見出さない人もいるでしょう。でも、僕はそこに一体何が建つのか非常に気になってしまったのです」


「それが……ボクということですか? ボクはそんな大層なものじゃありませんよ」


「そうですね、今はまだ。だから、早く僕に『完成』した姿を見せてください。以前は何もなかった平原に基礎ができ、少しずつ形が見え始めています。そのすべてを完成した時、君は『世界』をも支配する力を得るでしょう」


「ボクが……『世界』を?」


「もちろん、贔屓ひいきするつもりはありません。途中で挫けるのであれば、そこまでと思っています。僕は、僕が拾ってきた子たち全員に等しく可能性を感じ、等しく扱います」


「あはは……手厳しいですね」


 ボクとオロ様はお互いに少しだけ微笑みあった。


 オロ様の言葉で『心の中の欠片』が一つ埋まったような気がする……そうか、これが成長することか……。


「さて、少しは『善』と『悪』について理解が深まったでしょうか?」


「はいっ……! 誰かの基準に合わせるのではなく、ボク自身が結論を出して、決めなきゃいけないんだと!」


「そうですね。では、今日はこの辺りでお開きにしましょう」


 そう言ってオロ様は椅子から立ち上がると、流れるような所作でボクとご自身の分のティーカップを手に取った。


「あ! ボクがやります!」


 慌てて立ち上がろうとしたボクを、オロ様は穏やかに片手で制した。


「あぁ、そうでした。君が『善』と『悪』を考えるうえで、参考になることを一つお伝えしておくと――」


「えっ、あ、はい!」 



「君の実の父親を暗殺したのは、この僕です」



「――!?」


 背筋を冷たい手が触るようなそんな絶対的な恐怖を感じた。


 怒りよりも先に理解のできない恐怖を感じてしまった……。


 どうして……どうしてこの人は微笑んでいるのだろうか……。


 声が出ない。指一本動かせずに立ち尽くすボクを尻目に、オロ様はティーカップを二つ持って部屋をあとにした……。


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