第三十六話「人殺しが何を言っているんだ」
ホーダー兄さんがゆっくりと紅茶を飲む。
動作一つ一つに気品を感じる。
「イタリア南部に広大な土地を持つ侯爵『カナロア家』、それがバロネッサの本当の生まれた家だ。嘘だと思うなら別に信じなくてもいい、私が話す内容すべて信じたい部分だけ信じてくれて構わない」
「カナロア……?」
ホーダー兄さんの言葉は『私』の存在を全て否定する言葉が出てくるだろう。
この場でわざわざ兄さんが嘘をつく理由はない……と思う。
「階級制度を重んじた古い家柄だった。しかし、当代の侯爵は長年子宝に恵まれず、ようやく生まれた子供も女の子だった」
「それが『私』だとということですか……?」
「あぁ、当主は昔ながらの考え方の持ち主で、農業を主体としていた。産業化が進めばその農業だって飛躍的に進歩するのに、新興勢力の介入について反対していたんだ」
確かに急激な改革は必ず反対が生まれるし、昔ながらのやり方に重きを置く人がいるのは当然だ。特に現状に満足している人であるならなおさらだ。
「だから、南部地方への進出を考えていた私の父はカナロアの当主の暗殺を依頼した――ヴェローチェに……」
「ヴェローチェ……ですって……?」
「バロネッサがヴェローチにいると知って因果を感じたよ。養父が依頼をし、実父を殺した場所で刃を研いでいるのだから……。ヴェローチェも貴族からの依頼で別の貴族を暗殺するのだ、重い選択のうえで選んだのがドゥラだったのだろう」
どうしてここでヴェローチェの名前が……?
いや、ボクたちはそうやって何人もの人たちを殺してきたじゃないか。ボクたちはいつも下っ端の始末ばかりだから忘れていたけれど、当然大物の暗殺だって行われていて当然だ……。
「貴族というものは男子にしか爵位は継承されない。だから、女子のバロネッサには爵位は継承されず爵位を失った。しかし、爵位は失われても遺産は相続できる。大きな遺産を持った君とお母様は父の妾として迎え入れられた。父は自作自演で南部に大きな土地を持つことに成功したが、それに対して地元での反発もまた大きいものだった」
頭が痛い……。どうしてこんな……。
「新興勢力の介入は『救い』ではなく『支配』と感じたのだろう。父という従前の当主が亡くなった今でもそれはまだ続いている」
目眩がして、全身の血の気が引いて寒気がする……。
「だから『カナロアには男子の血統が残っていた』として、バロネッサを御旗にカナロア家を再興する。侵略してきたドゥラ家より元のカナロア家が勃興して、ドゥラ家に抵抗するという物語を作りたい。そのためにカナロア家が持っていた土地や財産は譲渡するが、実質的にはドゥラ家の管理下に置かせてもらう」
吐き気がする……。
「そして、内外から協力して共にイタリア南部で生活に困っている人たちを助けるのを手伝って欲しい――というのが、私個人の想いだ」
困っている人を助けるだって……?
「もちろん、政治的にも意図はある。南部での票数を集められる事はドゥラ家においても重要なことだし、カナロア家との協力によって産業革命の影響を南部に広められる。経済面での重要度も高い政策だ」
「ホーダー兄さんはそれが正しいと思っているんですか……?」
「私は正しい行いだと思っているし、正しいと信じていないものなどやろうと思わない。ただ、それを誤っていると思う人がいることは否定しない。バロネッサはどう思う?」
「『私』は――バロネッサ=ドゥラとしてはとても受け入れられる話ではありません……。一度奪った物を返すから手伝ってくれだなんて、都合が良過ぎます……。ただ『ボク』としては困っている人を救う力にはなりたい……というのが本心です」
「なるほど、立場ごとで考えをまとめるのは上手い飲み込み方だ。ヴェローチェで多くを学んでいるようだね」
「……ありがとうございます」
「答えは急いでいないけど早いに越したことはない。また連絡してほしい、連絡先は先ほどオロさんに渡しておいたから彼を経由してくれ」
ホーダー兄さんが席を立つ。まるで他人のようだ――いや、他人か……。
「ホーダー兄さんは変わりましたね……」
ドアに向かって行く兄さんに対して声を掛ける。
「私は変わっていないよ。昔から困っている人を助けたいという気持ちしかない。そのために使えるものは使う――というだけだよ」
「そうですか……」
ボクだって困っている人を助けたいという気持ちはある。そのためにヴェローチェの頂点を目指している。それをボクは『善』だと思って歩んでいる。
それなのに何故だろう、同じ道を歩もうとしているホーダー兄さんの行いが『悪』に感じてしまう。人殺しが何を言っているんだという話だけど……。
ボクは――私は、どうするのが『善』なのだろう。自分の『善』すら分からなくなってしまった……。




