第三十五話「貴族に戻ってきてほしい」
その時は突然やってきた。
月に一度の展示即売会、きらびやかな装飾品に富豪たちのざわめきに満ちた会場。ボクはどうしてその可能性に気づかなかったのだろう。
「バロネッサ、君宛てにお客様がお待ちしています」
「ボク宛てにですか……?」
給仕をして右へ左へと慌ただしく動いていると、オロ様から声をかけられた。
「えぇ、君と話をしたいという方がいらっしゃいました」
「かしこまりました、すぐに伺います!」
◇ ◇ ◇
オロ様に連れられて早足で向かった先には、見覚えがあり、最近新聞で見かけたその人の姿があった。
「やぁ、君がバロネッサかい? 久しいね、随分見ない間に大きくなって」
「ホーダー……兄さん……?」
――ホーダー=ドゥラ、その人だった。
黒い燕尾服を着た、薄い茶色の短髪の男性が立っていた。穏やかで少し垂れ目だから優しい印象があるけど、背丈はオロ様と同じくらい高くて、気品のある出で立ちだった。
年齢はボクの八歳ほど上の二十一歳だったか――確かオロ様と同じ年齢だったはず。
「私の事を覚えていてくれたか、とても嬉しいよ」
「あ、いえ……。最近、ご活躍なさっているのを新聞で見かけて……」
「なるほど、そういうことか。まぁ、小さいころの話だからね、覚えていないのも無理はないか」
どうしてホーダー兄さんがここに……? 確かにこの即売会は富豪の方々がいらっしゃる場所ではあるけど、それなら何故ボクがここにいることを知っている……。
「オロさん――だったか、即売会が終わったら『彼』と話がしたい。都合が悪ければ別日でも構わない」
「かしこまりました。今晩こちらの建物でお部屋をご用意いたします」
オロさまが深々と礼をして、ちらりとこちらを見る。
慌ててボクも頭を下げると、ホーダー兄さんは優しそうに微笑んでいた。
この後、ホーダー兄さんから離れて別のお客様の接客をして、ボクの作った指輪が売れたはずだけど、全く記憶に残っていない。残っていたのはホーダー兄さんから何を聞かされるのかという不安だけだった。
◇ ◇ ◇
午後九時ごろ、オロ様に連れられて客室へ向かうと、四人がけの机にホーダー兄さんが座っていた。
温かそうな紅茶が二つ置かれていて、良い匂いが部屋に立ち込めていた。
「ホーダー卿、大変お待たせいたしました。バロネッサでございます」
「た、大変お待たせいたしました……!」
片付けは免除してもらったけれど、それでも最後まで対応していたお客様が時間を過ぎてもなかなかお帰りにならないので、オロ様の手をわずらわせてしまった……。
「構わないよ、お願いしているのはこちらですので」
「ありがとうございます。それでは、何かありましたらお呼びください」
その言葉と共にオロ様は扉を閉めて去っていった。
部屋にはボクとホーダー兄さんの二人きりになってしまった……。
「さぁ、座ってバロネッサ。縁は切れてしまったが兄妹でゆっくり話をしよう」
「は、はい……!」
ボクは言われるがまま緊張した面持ちで席につき、ホーダー兄さんの顔を覗く。
「ふふっ、そんなに緊張しなくてもいいよ。立場は男爵と孤児だが元は兄妹だ、別に取って食ったりはしない」
「それは――そうですが……」
その言葉の端々から、ボクのことを気遣ってくれているということを感じる。ただ、それ以上にこれから何を言われるのかという不安の方が大きかった。
「この半年くらい、バロネッサの事を探させていた。しかし、まさか男として生きているとは思わなかったよ。道理でなかなか見つからなかったわけだ、それに大きくなった」
ホーダー兄さんがボクの顔を優しく見つめてくる。薄っすらとしか覚えていないけど、昔もこうして優しい笑顔を見せてくれていた記憶がある。
「その……どうしてボクを――『私』を探していたんですか? もうドゥラとは縁が切れて何年も経ちますし……」
一瞬、重苦しい雰囲気が流れる。
「単刀直入に言うと、貴族に戻ってきてほしい」
「――えっ!?」
「新聞で私のことは知っていると言っていたね、それなら私が今イタリア南部の貧困問題に介入しようとしているのは知っているだろう? 見方は人によって違うと思うが、困っている人たちを救うという社会的貢献と、開拓という商機の両方が目当てだ」
困っている人たちを救う――か……。ボクがやろうとしている事を、ホーダー兄さんは既にやろうと動き出しているのか……。
「しかし、当然ながら現地では反対派の方が強い。北部から南部へ介入するということは政治的にも経済的にも『支配』という印象が強い。実際にそういった側面がないわけではないしね」
誰かの『善』は誰かに取って『悪』だ、ヴェローチェで人を殺してきてそれは嫌と言うほど分かっている。
「それと『私』を探していた事とどう繋がるんですか……?」
「バロネッサを探してはいたが『男』になっていたのは好都合だった。バロネッサ、君はドゥラの家に育っただろ?」
「はい、幼い頃だったのでもう記憶は曖昧ですが、自分がドゥラの生まれという事は今でも忘れていません」
「……やはり『生まれ』と認識していたか」
「……? どういうことですか?」
「父が亡くなった時、バロネッサは五歳だったか。その様子だと、お母様からも何も聞いてなさそうだね」
「はい、特には……」
何だかとても大きなものに飲み込まれそうな、そんな漠然とした嫌な予感がした。
ホーダー兄さんがこれから話すことは、ボクの存在をひっくり返すような――そんな予感がした。
「バロネッサ、君に『ドゥラ』の血は入っていない」
「えっ……」
その一言は『私』の全てを否定するような言葉だった。
ボクには彫金師、暗殺者、給仕と複数の人格を枠で区切って持っているけど、その一つが『私』だった。いまこの瞬間『私』は殺されてしまった。
「君のお母様は父の妾だった。しかし、何故妾をしていたのか考えた事はあったかい?」
そんな事は……考えたこともなかった。
『私』は元ドゥラ男爵家の娘で、父が亡くなって市井に落ちて、母が死ぬ物狂いで『私』を育て……。
「君は元々別の貴族の娘だ、南部の保守派の大地主でね。しかし、その貴族は『暗殺』され、残された妻と子供は遺産こそ相続したが男子がいなかったから爵位は失った」
……暗殺……だって?
「莫大な財産を持った母子なんて格好の餌だ。だから、父が妾として君とお母様は庇護下に置いて、その見返りとして土地と財産を得たわけだ……」
「そ、そんな話! 初めて聞きました!」
机を叩き、自分でも驚くくらい大きな声を出して立ち上がってしまった。
「君の本当のお父上が亡くなったとき、君はまだ一歳だった。お母様は君を守るために手段を選んでいる余裕はなかったのだろう」
「わ、『私』を守るために……そんな大きなものを……」
「父が亡くなった時、私は今のバロネッサと同じ十三歳だった。何も分からないまま周りの大人に言われた通りの事をこなしたら、君や他の妾や兄弟は全員いなくなっていたよ。元々家の拡大のために集めた妾ばかりだった、物さえ残ればあとは不要だったのだろう」
「一度捨てておいて……それなのに『私』を貴族に戻したいという話が繋がりません……!」
「そうだね……それじゃあ、次はその話をしようか……」




