第二十一話「ボクは私、私はボク」
初潮から数カ月が経ち、外には雪がちらつく季節になってきた。この孤児院に来てもう一年が経とうとしている。
セリオさんの時間測定は恐ろしいほど正確だった。
月経が始まって間もない『私』の不安定な生理周期を狂うこと無く正確に教えてくれた。
「私はねぇ、昔は数をかぞえられなかったのよぉー」
「そう……だったんですか?」
昼食の食事当番で一緒になったセリオさんと、食堂の台所で雑談をしているとセリオさんは身の上話を始めた。
孤児院では相手の過去の生い立ちを聞かないという暗黙の了解がある。自分の事を聞かれたくない人が多いし、ボクもその一人だ。
だから、身の上話をされるというのは心を許した相手だと認められた――というと大げさかもしれないけど、一定の仲になった証とも言えるのではないだろうか。
実際、既に数度の月経を迎え、セリオさんと接する時間は増え、初潮の一件からかなり親しくなっていた。
「頭も悪かったから仕事もできなくてぇ、バロネッサちゃんよりも若い頃に身売りされそうになったのぉ。それまで何となくで生きてきたけど、流石に子供ながらに色んな事を察して『頭が良くなりたい』って強く願ったの」
「強く願った……んですか?」
「そしたらね、色んなものが『数字』として感覚でわかるようになったのぉ」
「それが『測定』なんですか?」
「そう、名前はあった方が便利だからってオロ様がつけてくださったのぉ。数もね、例えばそこにあるパンの山?」
セリオさんが指差す先にはカゴに入ったパンの山があった。これから配膳されるそれは、いくつ入っているのか一目では全く分からない。
「パンの数は――毎朝百個届いて、今朝食用のカゴに入っているのは三十六個、そのうち昨日の余りが四個あるわぁ。このパンだったら種類と個数が見えるのぉ」
気のせいか、個数を数えるセリオさんの眼が僅かに白く光っているように見えた。
この光……エラさんが指から放った弾丸の光に似ている気がする……。
どうして光っている気がする程度なのに同じと思ってしまうのだろうか……。
「でも私はねぇ、三十六個のうち四個が昨日ので、今日のが三十二個っていう個数は数えられるんだけど、三十六から四を引いた数は? 三十二に四を足した数は? ――って聞かれるとわからないのよねぇ……」
「つまり、測定で理解しているのであって、実際に頭の中で計算しているわけではないと……?」
「そうなぉ……結局頭が良くなったわけでも計算ができるようになったわけでもないのよねぇ……。でも、事情を知らなければ計算できるって思うでしょ? だから、何とか自分が『使える人間』だって振る舞って今まで生きてきたのぉ」
すごいというか、意外というか。ボクはセリオさんの性格からノラリクラリと生きてきたと勝手に思っていたけど、きっといくつもの修羅場をハッタリで乗り切ってきたに違いない……。ボクとは度胸がまるで違いすぎる……。
「セリオさんは……その、わからないものをわかったフリして生きている事が怖くないんですか……? 『わからない』という状況が常に存在する状況で自分を常に大きく見せ続けるなんて……」
「それはもちろん怖いよぉ! でも、私は『ウソ』をつかなきゃ生きていけないし、だからこそ生きていくためにはこれからだって怖くても『ウソ』をつき続けなきゃいけないんだもの!」
生きていくためにか……。駄目だ、ボクとは考えている次元が違っていた。
ボクはこの与えられた環境が当然だと思っていたけど、セリオさんはこの環境は勝ち取ったものだと認識している。
貪欲さと度胸がボクとは格が違う……。
「セリオさんは強いですね」
「そおぅ?」
「セリオさんは自分の劣っている部分を自力で乗り越えているのに、ボクはどこかで女であることを言い訳にしていたと思います……。訓練で上手く動けないこととか、それこそ初潮のことも。その上、セリオさんやルナさんに力添えまで貰って……」
「それがわかったのならぁ、これから補えばいいんじゃないのぉ? 別に何か手遅れになったわけでもないしぃ?」
「確かに、迷惑は掛けていますが手遅れにはなっていませんね。そう言って貰えると嬉しいです……」
「それにぃ? 良いことだってあったよぉ?」
「良いこと?」
「だってぇ、バロネッサちゃんが女の子じゃなかったら、多分私とここまで深く話すことってなかったと思うしぃ。私は嬉しいよぉ?」
「セリオさん……。ありがとうございます……! 『私』、こんなに女で良かったって思ったの初めてかもしれません……!」
そうだ、ボクは自分が女だっていうことから逃げていた……。『男』でなければならない、だから『女』であってはならない。
――それは違う。
男になるのは手段であって目的ではない。ボクの目的はあくまで『困っている人を助ける』ことだ。そして、その近道として『男』になるのであって『女』であることを封じ込めたり捨てたりする必要はない。
『ボク』は『私』、『私』は『ボク』。それがバロネッサだ。
不思議だ……セリオさんのお陰で『心の中の欠片』が一つ埋まったような気がする……。
自分の中に――意識の中に大事な人たちの欠片がある気がする。
この欠片が全部埋まったら、ボクは一体どうなるんだろうか……。




