第十七話「エレノア=サンドリオン」
「――エレノアはな、元々俺の妹だったんだ」
「い、妹さんですか!?」
最初にカルロ様の口から出た言葉は、思っていたよりも衝撃的だった。
「あぁ、血の繋がりはないけどな、俺たちは昔ヴェローチェとは違う孤児院にいたんだ。俺が十歳位で、エレノアが五歳くらいだっただろうか。お互い親に捨てられてな、俺がエレノアの面倒を見てやっていたから兄のように慕われたのがキッカケだった」
「その頃からエラさんは『忘却』の能力が使えたんですか?」
「そうだ、孤児院に預けられる前から既に使えたらしい。ただ、その孤児院に来る前の事は何も覚えてなかった」
「そんなに昔から……。それにその時もう過去のことを忘れていただなんて……」
「驚くことではありませんよ。僕たちの能力もですがこの力は想いの力、秘めたる力と発した感情が一致した時に発現する――らしいです」
つまり、エラさんは元々『忘却』の能力の才能があって、五歳より前の時点で『忘れたい』と強く願った事で能力が使えるようになった……ということなのだろうか……?
「世に命あるもの全員何かの天才です。エラが『忘却』の天才であれば僕は『空』の天才。バロネッサ、君も『何か』の天才です。それが何かは、君も含めてまだ誰も分かりませんが」
「ボクも何かの……」
「そうです。ただし、これは誰にでも手に入れることの出来る力ですが、誰もが手に入れることの出来る力ではありません。そうでなければこの世界は能力者で溢れていますからね」
た、確かに簡単に手に入るものなら至るところ能力者だらけになってしまう。そうなっていないということは――そういうことなのだろう。
「とりあえず、エレノアには忘れたい何かが俺と出会う前に既にあって能力が使えるようになった。そして、嫌なことや困ったことがあった人を見かけては『忘却』を使って身近な人々を苦悩から解放していたんだ」
「自分にも使っていたけど、元々は誰かを救うために使っていたんですね……」
「だから、俺も当時はそれを良しとしていた。特に口出しすることは無かったし、俺自身もエレノアの能力に救われた事は何度もあった」
「試練とは何も立ち向かう事が全てではありません。時には逃げることも大事ですし、僕たちみたいな人間が密かに処理する事があってもおかしくはありません」
「確かにそうかも知れませんけど……」
なんだろう。別に間違った事はしていないし、人の為を思って助けようとしている。でも、上手く言語化できない違和感がある……。
「そのあと、まぁ色々とあってな……。わざわざ終わった話を掘り返したくないから割愛するが、今回と似たような事が起こった……それだけだ。その時にエレノアはその孤児院での記憶を全て『忘却』して能力自体も忘れて全てを封印することにしたんだ」
「あれ、でもその孤児院の頃の記憶を消してしまったら……」
「そう、もちろん俺のことも全て忘れる」
「それが分かっていてどうして……!?」
「言っただろ、同じような事が起こったんだよ……。孤児院に来る前に嫌だと思って封じ込めていた記憶が蘇り、精神が耐えられなくなったんだ。その時だよ、記憶は消していたんじゃなくて封じ込めていたと知ったのは」
「だから原因となっている『忘却』自体を封じ込めたというわけですか。でも、それもいずれは蘇ってしまうのは分かっていたはずですよね? それなのにどうして……?」
「いずれは蘇るってのは分かってた、だがこれ以上辛い現実から逃げるのをやめて欲しかったんだ……。蘇るその時までに少しでも心を強くなって欲しかったしな」
「なるほど……。それで『忘却』を忘れてからはどうなったんですか?」
「父様がカルロを拾い、エラとは離れることになりました」
「最初はエレノアと一緒にヴェローチェへ入れてくれと懇願したが駄目だった。父様に言われたよ『ならば、お前がヴェローチェになって拾えば良い』ってな。だから、本当にそうしてやったよ……」
ボクが苦しむ人々を助けたいがためにヴェローチェを目指しているように、カルロ様はエラさんを守るためにヴェローチェに……。そして、それを現実にした……。
自分のことを覚えていないし、血の繋がりもない、言ってしまえば今は赤の他人のためにここまでできるのか……。
ボクも見知らぬ誰かのために上を目指そうとした。でも、改めてそれを実現させた人を前にして、自分の甘さと覚悟が足りなかったことを恥じた……。
「俺は死に物狂いで上を目指し、五年前――十三歳のときにヴェローチェになった。だが、エレノアをヴェローチェに連れてきた時、やはり以前のことは覚えていなかった。頭の中がすっきりしてたからか、給仕、彫金、暗殺、どれもどんどん吸収していった。暗殺に関してはイマイチだったが、総合的には今一番ヴェローチェに近かったのはエレノアだった」
「だからこそ、今回カルロはエラに難易度も高く、精神的負荷の大きい指令を命じました。言い方を変えれば、エラをヴェローチェにするための試験でした」
「これが贔屓と言われたらその通りだ。だが、上手くいかないどころか逆に精神に負荷を掛けすぎて、中途半端に記憶が蘇ってしまった……」
「この辺りからはボクもわかります。ここ数日、エラさんの様子がおかしかったですし」
「原因は全て俺にある……。これが俺の罪の告白だ……。俺には辛い記憶以外も蘇って欲しくて『エレノア』と呼びかけることしか出来なかった。だが、その『エレノア』という名前すら最初に『忘却』を手に入れた時の記憶に触れてしまったのかもしれない……」
「実際、僕もあの場でカルロが出来たのは精々呼びかけ程度だったと思います。手荒な真似はしたくなかったですからね」
「……エレノアは何度も記憶を全て失くしたと言ったが、実際には絶対に忘れないものが一つだけある」
「忘れないもの……?」
「あぁ、名前だよ……。エレノア=サンドリオン、これがあいつの本当の名だ。いい思い出の無い名前なんだろうが、ずっとこれだけは忘れないようだ」
エレノア=サンドリオン……。綺麗な名前だ……。
まるで宝石の原石のような、いずれ美しくなり、素敵な人生が待っている姿が目に浮かぶ名前だ。
でも、実際には灰にまみれた辛く苦しい人生……。その辛さから逃げ出して、先送りにした結果がこれなのか……。
「だからその名前を呼び続けた――と、まぁ、俺から話せる内容はこれくらいだ。気にするなと言うのは無理かもしれないが、エレノアの事は俺に任せてくれ」
「はい……。エラさんをどうかよろしくお願いします、カルロ様」
「エラは今気を失っていますが『忘却』で自分の記憶をひたすら消したことから、恐らく目が覚めても元通りではなく寝たきりの赤子と変わらない状態になるでしょう」
「そんな、それじゃあまるで生きた屍じゃないですか……」
「だから俺に任せろって言っただろ、全く元通りにはならねぇかもしれないが、何年かけてでもまたちゃんとした人間に戻すつもりだ。今度こそ記憶が戻っても現実から逃げないようにエレノアに受け止められるようにしてみせる。もちろん、俺もな」
「――というわけで、今この時を以てエラは孤児院を『卒業』することとなります。院の皆さんには僕の方から適当な理由で説明をしておきますので、バロネッサもこの事は他言無用でお願いします」
「は、はい! もちろん!」
たった今、ボクの仲間が一人減ることとなった。でも、いつか必ず帰ってくると信じている。
それに、エラさんはボクに大きな物を残していった……。
明確に見た『能力』のスゴさ、そしてヴェローチェという大きな壁。
そして何より、いつも余裕と自信を持っていて明るかったエラさんが、まるで反転したかのように情緒不安定で感情が丸出しになって豹変した姿。
人はナイフを刺せば血を流して死ぬのは知っていた。
でも、人はナイフを刺さなくても壊れてしまうということに実感はなかった。
現実のエラさんは壊れてしまったけど、ボクの心の中には優しく包みこむようにまだ残っていて、まるで『心の中の欠片』が埋まったような気持ちを感じた……。
エラさん、早く帰ってきて「おかえりなさい」って言わせてくださいね。
こうして、長くて短い一日が幕を閉じた……。




