第8話 『ライブ当日』
店の外にまで溢れる観客、建物の中に入ると既にライブが始まっているのか、扉を挟んだフロントにまで、賑やかな声とともに軽やかな曲が聞こえてくる。
ライブハウスへとやってきた私達は、お店の方へ挨拶を済ませて楽屋の方へと向かう。
「それじゃ行ってくるね」
【出演者以外立ち入り禁止】と書かれた看板の前で、一旦綾乃達と分かれる。
緊張感を漂わせている彼女達を見送り、近くに張り出されている出演グループを確認。どうやら今日は複数のグループが集まる総合ライブの様で、一樹達の順番は今演奏しているグループから5組目のようだ。
「まだ少し時間があるわね」
一樹達の番まで会場の外で待っていてもいいが、どうせならと会場の方へと足を運ぶ。
ワァーーーッ!!
扉を開けるとちょうど演奏が終わったようで、女性のみので構成されたガールズバンドが、挨拶をしながらステージ横へと下がっていく。
あと4グループ。
そう考えながら悲鳴を上げている体に鞭を打ち、新しくステージへ上がったグループが演奏を始まる。
ライブハウスへ来るのは何も初めてではなく、綾乃達が出演する時には毎回足を運んでいるし、時には無理矢理連れ回された事もあるほど馴染みは深い。
いつもなら目の前の観客と共に歓声を上げたいところだが、生憎と疲れ切った今の状態で同じようにすれば、間違いなく数分も待たずに倒れる自信がある。
やがて2つのグルーブが演奏を終え、一樹達の一つ前のバンドがステージへと上がる。
「蓮也ー!!」
「雪兎様ーー!!」
各々ファンでも付いているのか、ステージ上の男性5人組が、手を振りながら声援に応える。
「それでは一曲、『Orion』」
ボーカルの男性がそう口にしたのを合図に、各楽器が演奏を始める。
流れてくる曲は私の知らない歌なので、恐らく彼らのオリジナル曲なのだろう。
流れてくるメロディー、リズミカルな歌声はどこか心地よく、気づけば聞き入っている自分に驚いてしまう。
やがて1曲目が終わり、2曲目も演奏が終わろうとしているとき、偶然にもボーカルの男性と目が合った気がした。
「ではこれが最後の曲、『Aquarius』」
全ての曲が終わり、入れ替わりに一樹達がステージへと立つと、一つ前のグループほどではないが、熱い声援が送られる。
今回各バンドは3曲まで演奏することが決められている。生憎とオリジナル曲は1つしか用意出来なかったので、最初の2曲はいままで練習をしてきたコピー曲。そしていよいよラストという場面で一樹のMCがはいる。
「ラストの曲は俺たちが作ったオリジナル曲、『friend's』!」
ステージ上の聖羅が合図を送るように視線を向け、手元にあるであろうプレイヤーの再生ボタンを押す。
最初に流れるのはキーボードのソロ。そして曲がフェードアウトすると同時に一斉に各楽器が唸りをあげる。
会場内はこの演出に一気に盛り上がりを見せる。
「ちょっとミキ、何泣いてるのよ」
「カナだって泣いてるじゃない」
盛り上がりの中、所々ですすり泣きの声が聞こえてくる。
私は気になり観客の方を見てみると、全体を通して極々一部だが、泣いている女性、友達同士で抱き合う女性、目に涙を浮かべながらも盛り上がる人達と、各々何か感じるところがあるのか、概ね一樹達の演奏は成功したようにも見える。
なんとか上手くいったようだ。
やがて無事演奏を終えた一樹達は、大声援に見送られる中、ステージの横へと捌けていく。
これでようやく役目を終えた、後は帰って寝るだけ。
一樹達の事だから打ち上げと称してカラオケでも行くのだろうが、今日ばかりは辞退しようと考えながら、その場から動こうとして私は前のみりに倒れた。
ドンッ
自分でも『あっ、倒れる』と分かっていても、体がいう事をきかず、踏ん張ろうとしても足が動かない。
半ば諦め気味にやってくるであろう痛みを覚悟するも、次に感じたのは力強い抱擁感。
あれ? いま私どうなった?
微かに漂うラベンダーの香りに、目の前に広がる真っ白なシャツ。すぐに誰かに支えられたんだと理解するも、相手は明らかに知らない男性。
これが一樹ならまだ安心できるのだが、生憎と今日の彼は黒色のジャケットスタイル。女性ならば胸のあたりに膨らみを感じるし、着ぐるみを着たスタッフなら、今頃私は夢の中だ。ライブハウスにゆるキャラなんていないけど。
私はそろりと頭だけを上げると、そこにはやはりと言うべきか知らない男性。
ん? この人どこかで見たことがある…が、思い出せない。
「大丈夫か?」
「あっ、ハイ。きゃっ」
声を掛けられたことで、朦朧としていた意識が一気に覚醒。
慌てて離れようとして、今度は後ろの方へと倒れかける。
「おっと」
両腕をつかまれ、再び男性の胸へと逆戻り。余りの恥ずかしさに、私の顔は真っ赤になっていることだろう。
「あの、ホントすみません」
恥ずかしくて相手の顔がみれないとは良くいったもので、今の私がまさにその状態。
おまけに彼の友人なのか、「蓮也が珍しくナンパしてるぜ」などと冷やかしてくる。
「ナンパじゃねぇよ。ステージ上から見ていたら、この子がフラついていたから気になっただけだ」
彼の口から出てきた単語と、友人らしき人から出てきた彼の名前、そこまで聞いてハッっと彼の正体を思い出す。
「さっきまでステージで歌ってた人!」
ついつい思っていたことを口にしてしまい、彼の友人からは更にからかわれる。
「蓮也、案外知られてないな」
「ナンパしといて、彼女は実は別のバンドが目的だったとか、流石は蓮也だ」
「まぁ、次頑張れ」
「だからナンパじゃねぇって」
余程仲のいいグループなのだろう。4人が楽しそうに蓮也と呼ばれている男性をからかい、蓮也さんもそれに返すように言い返す。
やがて落ち着きを取り戻した私はなんとか自分の力で立ち、改めて謝罪の言葉を口にする。
「その、すみませんでした」
「いや、気になくていい。俺が勝手にしたことだから」
それにしても何という失態。蓮也さんがもし支えてくださなければ、今頃会場内は大騒ぎのうえ、この後のライブが台無しになっていたかもしれない。
いくら一樹達のライブが見たかったとは言え、これは反省しなければいけないだろう。
そんなやり取りをしていると、ステージを終えた一樹達が私達の元へとやってきた。
「さーやんどうかした?」
女の子一人が男性5人に囲まれていれば、やはり何かあったのではと気になることだろう。
私は誤解が無いように、蓮也さん達の事を説明する。
「ちょっと沙耶、だから無理しないで休んでっていったでしょ」
「ゴメン聖羅、どうしても皆のライブが見たくって」
聖羅に心配されると言うのもなんだか新鮮だが、今はその言葉が身にしみる。
若干一樹の鋭い視線が蓮也さんに向けられいるので、ここは早々に切り上げた方がいいのかもしれない。
「どうやらお友達も来たようだから、俺たちはこれで行くね」
「その、ありがとうございました」
やはりあちらも一樹の視線が気になっていたのか、簡単な挨拶だけ交わして別れを告げる。
結局お互い名乗り合う事もしなかったのだが、下手に下心があると思われるのも困るし、一樹がいる手前、変な誤解を抱かれても気まずいだけ。
さっさと話題を変えるために会場の外へと移動する。
「皆かっこよかったよ」
「えへへ、ステージ裏でも皆に褒められたよ」
余程好評だったのか、全員の表情はとても明るい。
「ねぇさーやん、さっきの人って『Ainsel』のボーカルの人だよね?」
「Ainsel? バンドの名前までは知らないけど、一樹達の前に歌ってた人達ちよね?」
「さーやんの中ではそんな認識なんだ」
「認識もなにも、今日初めて会っただけで、名前すら知らないわよ」
いったい何を確認しているのかは知らないが、実際それだけの関係だし、会話らしい会話すら交わしていない。唯一訂正するならば、彼の名前が蓮也だと知っているという点。
だけどお互い名乗り合った分けでは無いのだから、わざわざ訂正する必要もないだろう。
「ふーん、そうらしいよ。よかったねいっくん」
「別に関係ねぇよ」
ん? もしかして一樹が焼き餅でも焼いてくれた?
そんな風に考えていたとき、見知らぬ男性がやってくる。
「おぅ一樹、なんだよあの曲。自慢するだけはあるわ」
「ありがとうございます先輩」
先輩…、すると彼が前に言っていた例の先輩なのだろう。
言葉の内容だけは軽いが、見た目は誠実そうだし、着ている服も普通におしゃれ。
正直もうちょっとチャラいイメージがあったのだが、わりと常識人ではないかと想像できる。
「その子が前に言っていた彼女か?」
「えっと、雨宮 沙耶です」
いきなり振られ、とっさに挨拶を返す。
「可愛い子じゃないか、大事にしろよ」
そう言いながら一樹にじゃれ合う先輩。この先輩のせいで新曲を急ぐ羽目になったので、あまりいい印象は持っていなかったが、どうやら原因は一樹の方にあるのだろう。一樹はときどき見栄を張るし、自分の方が優れていると知れば大げさに自慢だってする。
いまもほら、先輩相手にこの曲は自分が作詞をしたんだと、自慢げに話している。
「ちょっと沙耶、一樹があんな事をいっているけどいいの?」
「別にいいわよ、一樹が歌詞に関わっていたのも確かだし」
まぁ全体の99.8%ほど書き直したのだが、一樹の歌詞をほんのちょっぴりベースにしたことには違いない。
納得ができないという顔を向けてくる聖羅だが、このあたりの発言は予め想定済み。それに今の雰囲気に水をさすのも野暮ってものだろう。
「そうだ沙耶ちゃん、この後一樹達と俺たちのグループで打ち上げするんだけど、一緒にどう? あ、心配しなくても俺たちのバンドも男女混合だし、遅くなる前には解散するから」
さりげなく安全だからと教えてくれるこの人は、やはりいい人なんだろう。
正直徹夜明けでなければご一緒したいところだが、これ以上は流石に限界をこえてしまう。
今も眠気と戦っているし、足下も正直ふらふらな状態なので、ここは丁重にお断りさせてもらう。
「その、お誘いは凄く嬉しいのですが、ちょっと体の方が調子悪くって、さっきも倒れかけたところを助けて頂いたところなんです」
「体調って、大丈夫かい? 一人で帰れる?」
「大丈夫です、電車で駅2つぐらいですし、無理そうだったら駅までお父さんに迎えに来てもらうので」
盛り上がっているところに水をさすのはよくないだろう。
電車にさえ乗れれば、駅まで迎えに来てもらっても構わない。
綾乃達も最後まで心配してくれたが、帰ったら連絡するからと無理矢理納得させ、その日は自宅へと帰った。