第72話 『忍び寄る影』
季節は冬から春を迎え、私は高校生活最後となる3年生を迎えていた。
「蓮也、来たよー」
「悪い、急に呼び出して」
昨日の夜に蓮也から会って話したいことがあると連絡を受けた。
流石に校内で会うのは気が引けたので、私がよく佐伯さんと待ち合わせをする、学校近くの小さな公園を指定。
芸放は私学という事もあり、ほとんどの学生が通学に電車を使うため、真逆にあるこの公園は、立地的にも距離的にも穴場だったりするのだ。
「それで話って?」
これで愛の告白だったら私は今頃平常心を保てなかっただろうが、生憎と蓮也の性格では呼び出しからの告白はまずあり得ない。
もともと女性に苦手意識を持つ蓮也は、積極的に女性へと近づこうともしないし、深く関わりを持とうともしない。そういった点では私は特別な存在なのかもしれないが、今も本人を目の前にしても、恋愛云々の雰囲気は一切感じられない。
恐らく前に出会った際に、晃さんのせいで話せなかった内容だろう。
うん、お互い平常心を保てているのだ、クリスマスの事はなかったことにしよう。
「実は前に話してただろ? 誰かに後をつけられているとか、視線を感じるとか言ってた件、あれからどうなった?」
「!?」
「やっぱりまだ続いているのか」
蓮也に心配させたくない思いで黙っていたが、例の視線はまだ続いている。
一時は気の迷いだったと思っていたのだが、今年に入り自宅での作曲作業が増えると、例の不穏な気配が再び戻ってきた。
どうして一時の間だけ平穏な時を過ごせたのかは分からないが、佐伯さんの迎えがない日には、誰かに後を付けられている気がしてならないのだ。
「ごめんなさい、相談するように言われてたのに」
「いや、話しにくい内容だからな。俺も確証がなければこんな話もしないさ」
蓮也はそう言うと一度辺りを見渡し、私にだけ聞こえるような小さな声で囁いてくる。
「学校の近くで京極の姿をみた」
「えっ、学校の近くって芸放の? なんで一樹が!?」
どういうこと? なんで一樹が芸放の近くにいるの!?
一樹が通う学校はこことは真逆の方向。電車が向かう先も違えば、路線すら異なるような場所。
一応彼も高校受験の時に芸放を受けているので、学校の場所ぐらいは知っているだろうが、遊ぶ場所も無ければ大きなショッピングモールもないこの辺りに、一樹が来る理由が思い浮かばない。
「見間違いって可能性はないの?」
「俺も見間違いかと思ったんだ。相手は帽子を深くかぶっていたし、平日にも拘わらず私服姿だったから、最初の頃はやり過ごしていたんだが、流石に何度も同じ姿を見かけたらな。一度声を掛けようとしたんだが、向こうに気づかれてしまい逃げられてしまった」
蓮也がそこまで言うのなら一樹で間違いないだろう。
蓮也は一度一樹と会っているし、お互いテレビに映る程の有名人、顔ぐらいは見れば分かるし、声を掛けて逃げ出したと言うのなら間違いないだろう。
「じゃ私が感じてた視線って…」
「確証はないが、あの一件のことを考えると、京極の可能性が高いんじゃないか?」
私が視線を感じ始めたのは昨年11月ごろ。SASHYAの活動再開が10月半ばで、同時期に一樹はDean musicから契約解除を宣告されている。
もし一樹が私に恨みを抱いているとすれば、時期的には一致してしまう。
「蓮也はどう思う? もし一樹が私を付け纏う犯人だとして、その目的はやっぱり私への復讐だと思う?」
結果的に私が一樹に引導を渡したようなものだから、恨まれるのは当然といえば当然。
こちらから言わせて貰えば、喧嘩を売ってきて、負けたから復讐というのはどうかと思うが、それが分からないからつけ回すような真似をするのだろう。
「どうかな。復讐と言うより、今はまだ嫌がらせに近い気もするが、案外よりを戻したいって可能性もあるんじゃないか?」
「よりを戻したいって、もう一度付き合えってこと?」
「相手はあのSASHYAだ、恋人だってだけで自慢も出来るし、見栄も張れる。聞けばあまり褒められた性格でもないらしいから、全くハズレとは言い切れないさ」
「………」
うーん、一樹に限ってそんな事ってあり得る?
私に仕返しをしたい、って言うのなら何となく納得も出来てしまうが、よりを戻したいと言われても正直疑問符が付いてしまう。
一樹が以前私に求めていたのは自分達が歌うオリジナル曲のみ。私自身本当に恋愛関係にあったのかと問われると、こちらも返事に困るのだが、少なくとも彼は私の事など何とも思っていなかったはずだ。
それが今更よりを戻せなんて。
「それは流石にないんじゃないの? 前にも言ったかもしれないけど、一樹の方から私をふっているのよ?」
「SASHYAをふるとか、ファンに知られたら殺されそうだな」
「もう、冗談言ってないで」
「悪い悪い。だけど今になって考えが変わった、ってこともありえるだろ? 出会った頃の沙耶と今の沙耶は随分変わっているし」
「うーん、まぁ、それはないとは言えないけれど…」
蓮也の言うとおり、高校生になってから私も蓮也も大きく成長した。
勿論プロとしてメジャーデビューしたと言うことも大きいが、服装から流行のコスメ、髪の色も少し染めるようになったし、雰囲気的にも少し大人になった気がしている。
それにSASHYAの姿だって、間違いなく私自身なのだ。プロのメイクさんと、SASHYAを可愛く見せる衣装の効果もあるが、変身している私はぶっちゃけめっちゃ可愛いとも自負している。
でもねぇ…あの一樹よ? ホントに私とよりを戻したいって思うかなぁ。
「まぁ、ここで考えたって仕方がないか」
一樹の目的が復讐であれ、よりを戻したいであれ、私はもう一樹のことを何とも思っていないし、気にもとめていない。
「ありがとう蓮也、わざわざ教えてくれて」
「いや、大したことじゃない。それより気をつけろよ、出来れば一人で帰らない方がいい」
「うん、わかった」
蓮也にはホント感謝しなくちゃいけないわね。
向こうも忙しいと言うのに、わざわざ時間を作って教えてくれたのだ。
一樹の事はどう対処していいのか、今はまだわからないが、相手の正体が分かっただけでも不安要素が減ったというもの。
朝の登校は流石に無理だが、帰りは鈴華かみちると一緒に帰ればいいだろう。
ちょうど話がまとまったタイミングで、佐伯さんのお迎えがやって来たので、蓮也とはここでお別れ。向こうは自宅での作曲だというので、私はそのまま佐伯さんの車に乗り込み、蓮也は駅の方へと向かう。
公園の茂みからスマホのカメラを向けられているとも知らずに…。
ーーー 翌日 ーーー
「お兄ちゃんお帰り。ポストに手紙が入ってたよ」
久々のスタジオ練習を終え、春先に新しく契約したばかりの自宅へと帰る。
ここ2年間は真っ暗な家へと帰る事に慣れてしまっていたが、明かりの付いた家というのも案外いいものだと思えてしまう。
ただ兄は仕事帰りだというのに、Tシャツ姿に短パンという姿で、ソファーに寝そべりながら、スマホを弄る様子は一言文句を言いたくなる。
「お前、何て姿をしてるんだ。ちゃんと服を着ろ」
「えー、この部屋暖かいんだもん。どんなかっこしてても別にいいでしょ」
「お前なぁ」
俺だって男なんだぞ、妹を襲う気など全くないが、Tシャツの隙間から見え隠れする素肌に、若干目眩を覚える。
「なになに、私の姿に興奮した?」
「するか!」
まったく、少し前まではあんなにも懐いていたというのに、しばらく会わないうちにすっかり性格まで変わってしまった。
今もワザとらしく、俺の腕にしがみつきながら二つの膨らみを押しつけてくる始末。
見えてる、俺の角度からだと、大きく開いた首元から、生々しい素肌が見えてしまうんだって。
まるで兄の反応を楽しむように、凪咲が笑顔を向けてくる。
「お前ワザとだろう」
「嬉しいでしょ? 可愛い妹に寄り添われて」
「自分で可愛いとか言うな」
こいつ、実家じゃもう少しおとなしかったというのに、親の目が届かないからすっかりダレきってしまっている。
一度両親に連絡を取り、抜き打ちで呼んでやろうかと本気で考えてしまう。
「ほら、お前の好きなケーキだ」
「やったー、お兄ちゃん大好き」
「ちゃんと机の上を片付けろよ」
ホント現金な妹だ。
凪咲が好きなケーキ屋が、最寄りの駅前にもオープンしたので、時折こうして買って帰るのだが、こういう甘やかしが妹をダメにしているのかもしれない。
「それにしても沙耶さんって凄いよね。引っ越し祝いにって、ポンとソファーを買ってくれるんだもん」
「お前がこれがいいって言うからだろうが」
少し前、凪咲が会いたい会いたいと言うので、沙耶と顔合わせをした事があったのだが、その際引っ越しと凪咲の入学祝いにと、いま本人が使っているソファーをポンとプレゼントされてしまった。
流石に10万越えは、高校生のプレゼント範囲を逸脱していると断ったのだが、最終的に凪咲のためだと押し切られてしまった。
「私、沙耶さんならお兄ちゃんをあげてもいいと思ってるよ」
「ぶふっ、お前何を言って…」
完全に不意を突かれ、思わず口に入れたお茶を吹き出しそうになる。
「顔良し、性格良し、おまけにお金もある。その辺の女の人なら反対するけど、沙耶さんならお兄ちゃんに釣り合うと思うのよ」
「釣り合うって、どう考えたって逆だろ?」
俺もこの2年で随分有名にはなったが、それでもSASHYAの人気には叶わない。
こっちはやっと全国ツアーが出来ると言うのに、向こうはデビューから1年も経たないうちに、ドーム公演を成功させた大物なのだ。
どう考えたって、俺の方が沙耶とは釣り合わない。
「そこよ! お兄ちゃん」
「なにが『そこ』なんだ」
「私の見た限りじゃ沙耶さんはお兄ちゃんに気があると思うの。お兄ちゃんだって沙耶さんのこと好きでしょ?」
我が妹ながら、人が一番言いにくいことを。
好きか嫌いかと問われると、間違いなく好きだと言えるだろう。
一度SASHYAの人気を上回れば、自信をもって告白をしようと考えた事もあったが、俺たちが実力を伸ばし続けても、沙耶はそれを上回る速さで今の地位にまで辿り着いた。
もちろん会社がSASHYAを売りだそうとしている部分も大きいだろうが、彼女はそれに応えるだけの実力とセンスを持ち合わせている。
「お兄ちゃん、もしかして自分じゃSASHYAと釣り合わないとか思っていないよね?」
「どう考えたって釣り合わないだろうが」
「あーもうー、だからダメダメだって言ってるの!」
凪咲は机をバン! っと叩くように叱ってくる。
「いい? 沙耶さんは沙耶さんなの! SASHYAが凄い歌姫だってことは私も知ってるよ、だけどお兄ちゃんが好きになったのはSASHYAじゃないでしょ?」
「!?」
「沙耶さん、多分お兄ちゃんの事を待ってくれているんだと思う。SASHYAじゃなく、素顔の自分を見てくれることを」
「……」
凪咲の言うとおりだ。
俺は沙耶を見ているようで、その後ろに控えるSASHYAをいつも見つめていた。
本人は不慣れなキスまでして、頑張ってくれていたというのに…
「そうだな、沙耶は沙耶だ。SASHYAとは違う」
俺はいったい沙耶の何を見て来たというのか。
ステージから降りた彼女は、笑いもするし泣いたりもする普通の女性。
初めて彼女に会ったときは、全身に雷が落ちた様な衝撃が駆け巡った。
2度目の再会には京極に嫉妬し、3度目の再会は運命的なものすら感じてしまった。
流石に沙耶がSASHYAだと聞かされた時には驚いたが、俺が好きになったのはSASHYAではなく、素顔の沙耶だ。
まさか妹にそんな当たり前の事を教えられるなんてな。
「それにしてもお前が沙耶の事を気に入るとはな」
お兄ちゃんお兄ちゃんといつも俺の後を追いかけ、近寄る女性を寄せ付けようともしなかった妹が、まさか沙耶を認めるとは正直意外だ。
「だってお兄ちゃん、沙耶さんには全然苦手意識を見せないんだもの」
「それはまぁ、そうなんだが」
そう改まって他人から言われると何だか恥ずかしくも思えてしまう。
「それに沙耶さんがお兄ちゃんの彼女だったら、来年のお年玉は期待できるでしょ?」
「おま…、それが目的か!」
「えへへ、ちょっとぐらいいいじゃない」
「コラ! 逃げるな!」
こっちは真剣に話を聞いていたと言うのに、結局は自分の為か。
リビングを逃げ回る妹を追いかけ、捕まえたところで軽くげんこつを頭に落とす。
「もう、ちょっとした冗談だったのに、たんこぶ出来たらどうするのよ」
大げさに頭をさすっているが、それほど強く落とした覚えはない。
凪咲は文句を言いながら再びソファーに座ろうとして、思い出したかの様にテレビの横に置かれた一通の封書を渡してくる。
「なんだこれ?」
「知らない、ポストに入ってたから持って帰ってきた」
そういえば帰って来た時に手紙がどうの言ってたな。
凪咲から受け取った白い封筒。切手も貼られていなければ、宛名すら見当たらない不思議な封筒。
「お兄ちゃんのファンからじゃないの?」
凪咲がそう判断するのも仕方がないこと。
俺がAinselとしてメジャーデビューしてから、実家にはコレと同じような手紙や封筒が、時折投函される事があった。
当初こそ、不気味に思い両親が先に開封していたのだが、それがファンから俺に宛てた手紙と分かってからは、未開封のまま、まとめてこちらの自宅に送られてくる。
ファンならばちゃんと会社を通してくれと文句を言いたいが、それが出来ないファンもいるのだと今では半ば諦めている。
「それにしてもよくここが分かったな」
ここに引っ越ししてまだ1ヶ月ほど。以前住んでいたワンルームのアパートですら、こんな手紙が投函された事がないと言うのに。
ストーカーか?
俺が通う学校は既に特定されているのだ。校門前から後を付ければ、自宅ぐらい特定出来るだろうが、正直気味が悪いことには違いない。
沙耶に注意しろと言っておきながら、まさか俺自身も被害に遭うとはな。
一瞬中身を見ずにそのまま捨てようかとも思うも、何か嫌な予感が浮かんでしまい、慎重にハサミを使って中身を確認する。
以前封筒にカミソリが入っており、開封の際に手を怪我したスタッフがいたらしいが、幸いにも刃物は入っていない様子。
その代わり封筒内に入っていたものを取り出すと、そこには見覚えのある写真とメモらしき紙が1枚。
「!?」
なんで、なんでこんな写真が…
そこには公園のベンチで俺と沙耶が並んで写る写真と、まるでノートを破ったかのような紙にこう書かれていた。
『沙耶と別れろ』と




