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第68話 『星空のクリスマス(後編)』

 小さな頃の思い出は、ただ苦しかったことしか覚えていない。


 父親はろくに働こうともせず、昼間から酒を飲んでは私や母に暴力を振るい、金をむしり取ってはギャンブルにつぎ込む、典型的なクズ人間だった。

 それでも結婚した当時は優しい人だったのだと、母は懐かしそうに教えてくれたのを覚えている。


 そんな優しい母親だったが、私が中学生になった頃、娘の私が父親に襲われる姿を目の当たりにして、ようやく決心がついたのだろう。

 長年積もり積もった感情が爆発してしまい、温厚だった母親が大激怒し、母はその日のうちに私を連れて家を飛び出した。

 その後弁護士を通して離婚が成立したと知ったのは、その数日後のこと。


 家を飛び出したあと、私達親子は千葉にある母の実家で過ごしていたが、私が高校へと入学する頃、母はたまたま仕事で知り合った一人の男性と恋に落ちた。

 二人ともいい年齢ではあったが、お互いバツイチということもあり、急激に二人の仲が進展していく。

 やがて交際から1年足らずで二人は結婚。幸いな事に義父側には子供がおらず、私は二人の子としてすんなりと受け入れられた。


 新しくできた父親は、絵に描いたような立派な人だった。

 母と再婚した当時はまだレコード会社に勤める社員だったが、結婚をきっかけに事業を興し、Dean musicを立ち上げた。


 ちょうどその頃、音楽ブームの襲来と言われる事もあり、義父の会社は順調にその業績を伸ばしていった。

 その影響を受けたのだろう、当時わたしが通う高校でもバンドブームが来ており、私は親友達と一緒に一つのバンドを立ち上げた。


 それがただのお遊びだったのか、ブームに乗っただけの勢い任せだったのかは分からないが、次第に私達のバンドは実力を伸ばしていった。

 そんなある日、ついにメジャーデビューの話が舞い込んだのだ。


「やっぱり葵の歌声は最高よ! 私達のバンドはこのまま頂点をめざすの!」

 当時の香は明るくムードメーカー的な存在だった。

 自ら手掛けた曲が、街中から流れてくるのが夢だといつも嬉しそうに語っていた。


 だけどそんな淡い夢は一瞬のうちに崩れ去る。


「どういう事だよ葵! なんなんだこの記事は!!」

 メジャーデビュー間近というタイミングで、私の義父がレコード会社の社長だと、誰かが週刊誌へと持ち込んだ。

 私達がデビューするレーベルは義父の会社とは異なる会社、当然親のコネでスカウトされたわけでもなく、やましいことなど何一つなかった。

 けれど何も知らない人達からはそうは思われず、弁解しようにも弁解する場所もない。

 そうこうしているうちにSNSでは大炎上してしまい、決まりかけていたメジャーデビューが白紙に戻った。


 いくら地元では人気のバンドだったとはいえ、所詮は県内どまりの無名のバンド。世間には私達と同じレベルのアーティストは山のように溢れており、レコード会社も無理をして私達をデビューさせる必要もない。


 私個人の責任で、みんなの夢を台無しにしてしまった。

 結局そのことがきっかけでバンドは解散、私は親友の夢であった、手掛けた曲が街中から聞こえるという未来を潰してしまったのだ。




「じゃ、佐伯さんが五十嵐さんに怒りのようなものを向けているのは、そのせいなんですか?」

 思わず疑問に思っていたことが出てしまい、私は初めて自分の喉が渇いていたことに気づく。

 前々からずっと感じていた事、佐伯さんが五十嵐さんに向ける表情には、怒りのような感情が含まれていた。

 だけど…


「違うわ、香のアレは私を気遣っての演技なの」

「えっ、演技?」

「全く不器用な子よね。でもそんな彼女に私は救われた」

 五十嵐さんはそう言うと、少し悲しそうな表情をしながら、佐伯さんの裏に隠れた秘密を教えてくれる。

「香はね、私に罪悪感を感じさせることで、最後の一歩をとどめさせてくれたの。もしあのとき許しの言葉なんて掛けられたら、今頃私はここにはいなかったでしょうね」

 大切な友人の夢を壊し、皆の憧れだったステージを台無しにした大悪女。

 母親にも心配させたし、義父親にも嫌な思いをさせてしまった。

 この一件で義父親との仲が悪くなったということはないが、それでも責任を感じさせてしまった事を教えてくれる。


「雨宮さんにも経験はないかしら? 全てが嫌になって死んでしまいたいって思った事は」

「!?」

「香は…、香だけは私が置かれた家庭事情を知っていたから、余計に苦しかったでしょうね。親友を慰めたいけど、慰めると罪悪感で押しつぶされてしまう。だから心を鬼にして、嫌な役を演じた。ホントあの子らしいわ」

 五十嵐さんはまるで当時を懐かしむよう、ほんの少し微笑んだ。


 何も言わず、心が通じ合える大切な親友。

 私や聖羅達がその領域に達しているのかはわからないが、それでも五十嵐さんと佐伯さんの気持ちは十分に理解できる。


「信じ合っているんですね」

「えぇ。……ただあの子の夢を、永遠に叶えさせてあげることは出来なくなったけれどね」

 夢…、佐伯さんの夢…か…

「それなら多分叶ってますよ」

「えっ?」

 私から出た言葉を聞いた五十嵐さんが、驚いた表情でこちらを見てくる。

 

 佐伯さんの夢。

 過去の佐伯さんは自分が手掛けた曲が、街中から流れてくるのが夢だと五十嵐さんは教えてくれた。

 だけど今の佐伯さんは、自分が手掛けたアーティストの曲が、街中から聞こえてくるのが最高のご褒美だと言っている。

 バンド解散から徐々に環境が変わり、佐伯さんが抱く夢は変わって行ったんだと思う。


「そう、香がそんなことを…」

 五十嵐さんはそう言うと、大粒の涙を流しながら…

「あの子の夢は叶えられたのね、SASHYAという歌姫のお陰で…」

 恐らく心の奥にたまっていた感情が溢れ出てしまったのだろう。

 私自身もそうだけど、この二人もホント不器用な星の元に生まれてしまったようだ。


「それじゃ私は部屋に戻りますね」

 たぶん今は一人になりたいだろう。

 泣いてしまった顔なんて佐伯さんに見せられないだろうし、Snow rainのメンバーだった聖羅達にも見られたくないはず。

 私は羽織っていたファーのジャケットを五十嵐さんに渡し、一人リビングの方へと戻った。




「大人を泣かすもんじゃないわよ」

 リビングへと戻ると、待ち構えていたかのように佐伯さんに声を掛けられる。

 どうやら部屋の中から私達を見ていたのか、五十嵐さんが泣いてしまった状況がバレている様子。


「別に私が泣かせた訳じゃありませんよ?」

「わかっているわよ。まったく、あいつは昔から不器用なのよ」

 なんとなくカッコイイ事を言った感じがするが、右手に持ったワインの瓶が、それらを全部台無しにしている。


「あの犯人はね、葵の父親なのよ」

「えっ!? 犯人って…、えっ! 聞こえてたんですか!?」

 唐突な暴露に戸惑う様子を見せるも、佐伯さんは「聞こえなくても分かるわよ」と、五十嵐さんから聞けなかった事を教えてくれる。


「妬ましかったんでしょうね。別れた当時は平穏だったみたいだけど、どこで知ったか母親の再婚を聞きつけ、葵も度々嫌がらせを受けていたのよ」

 それはよくあるドラマのような物語。

 五十嵐さんのお父さんは離婚した後、その自堕落な生活から戻ることはなかったらしい。

 日雇いの仕事を繰り返しては、お酒やギャンブルに費やす日々。自分はこんなにも惨めな生活をしているのに、誰一人として救いの手を差し伸べてもくれない。

 そんなある日、どこで聞きつけたか知らないが元妻の再婚の話を聞いたらしい。


 突然目の前に現れる元旦那。当然相手にもされないし、救いの手も差し伸べてくれない。

 やがて救いを求める感情が悪意へと変わっていき、些細な嫌がらせが徐々にエスカレートしていく。


「あの男はね、娘のスキャンダルをネタに、雑誌社に情報を売りつけたのよ。それが分かったのは私達のデビューが白紙に戻った後だったわ」

「それは…」

 当時の状況がまるで手に取るように見えてしまう。

 その事実を知ったとき、五十嵐さんはどういう感情を抱いたことだろう。

 新しい家族へ向ける感情、バンド仲間へと向ける思い。佐伯さんはこれらの事を全て知っていたらしいので、五十嵐さんへの向き合い方をすごく悩まれたはずだ。


「結局、娘の悲壮な姿に満足したのか、それとも罪悪の念に駆られたのかは分からないけど、それ以来葵たちの前には姿を現していないらしいわ」

「じゃ五十嵐さんが私に協力的だったのって…」

「過去の自分と照らし合わせたんでしょうね」

 私はDean musicへと謝罪に伺った際、ネット上に出回った音源の出所を説明している。

 ハッキリとは伝えなかったが、一樹が怪しいとは感じたはずだ。

 父親と元恋人の違いはあれど、状況はきわめて近いと言っても差し支えない。たぶん五十嵐さんは過去の自分達を見ているようで、理不尽な理由で私が苦しむ姿を見たくなかったのかもしれない。


「…どうしよう、私こんな深い理由があっただなんて知らなくて…」

 さっき私は何気ない気持ちで二人の仲を尋ねてしまった。

 五十嵐さんにしてみれば、触れられたくない過去だっただろうし、佐伯さんにしても、土足で二人の仲に踏み入ってほしくはないだろう。

 私はなんて浅はかな人間なのだろう、ただ気になるというだけで二人の過去に触れてしまった。

 あれだけ助けられたと言うのに…


「気にする必要はないわよ、もう昔の話。それに言っちゃったんでしょ? 私の趣味の話」

「えっと、その…、言っちゃいました」

 こちらも五十嵐さんが喜んでくれたら嬉しいな、程度で話してしまったが、佐伯さんからすれば隠しておきたかった事実かもしれない。


「まぁいいわ、そろそろ頃合いだと思っていたしね」

 佐伯さんはそう言うと、右手にワインの入った瓶を持ち、左手にワイングラスを2つ持って、笑顔で五十嵐さんがいるテラスへと向かった。


 その数分後、リビングから見えた二人の姿は、見たこともない笑顔と、かすかに聞こえる笑い声だった。




「沙耶、何か良いことでもあったか?」

 テラスの様子を見ていると、声を掛けて来たのは蓮也。自分では気づいていなかったが、どうやら笑顔があふれ出していたらしい。

「ふふ、ちょっとね♪」

「?」

 二人の過去は簡単に踏み入れていいものではない。

 私はたまたま知ってしまったが、気安く話していい内容でもないだろう。

 私は少し意地悪っぽく、蓮也に微笑み掛けながら返事を返す。


「そう言えば例の視線を感じるってアレ、その後はどうなんだ?」

 私が笑顔の理由を話す気がないと伝わったのか、蓮也は話題を変えてくる。

 前に少し話しただけなのに、今も心配してくれていた事が妙に嬉しい。


「それが最近はあまり気にならなくなっちゃって。多分私の気のせいだったんじゃないかなぁ?」

 自分から相談しておいてなんだが、ずっと感じていた視線が、最近はまったく感じられなくなった。

 ただここ数ヶ月は仕事が忙しかった事もあり、朝の登校以外は佐伯さんの送り迎えがあったので、単純に隙がなかっただけなのかもしれないが。


「そうか、それならいいが」

「ごめんね、変に心配をかけちゃって」

「いや、些細なことでも相談してもらえるのは嬉しいもんだ。また気になる事があれば教えてくれ」

「うん、ありがと」

 あぁ、こんなにも蓮也に想われるんだったら、ストーカーの件もそこまで悪いもんじゃないと感じてしまう。

 そういえば2年前のクリスマスイブも、蓮也の言葉にキュンキュンしてたんだっけ。

 あの時は一樹のバカと偶然街中で出くわし、蓮也が庇ってくれた事を思い出す。


「どうした? またニコニコして」

「えっ、私またニコニコしてた?」

「あぁ、なんか嬉しそうな顔をしてた」

 無自覚って怖い!

 私はそこまで感情が表情にでるタイプではなかったはずだが、どうやらクリスマスということもあり、ずいぶん気が緩んでいるのだろう。


「ちょっとね、2年前の事を思い出していたの」

「2年前? あぁ、あの時の事か…」

 蓮也にもまだ記憶に残っているのだろう。少し照れたように、人差し指で桃色に染まった頬をごまかすようにポリポリしている。


「今思えば、あの日が私の運命の日だったのよね」

「運命の日?」

「そう。蓮也との再会もそうだけど、その日の夜に私は佐伯さんと繋がったの」

 思いもしなかった蓮也との再会、私をただのVTuberから、リアルのアーティストへと導いてくれた佐伯さんとの出会い。そして敢えて口には出さなかったが、春先から疎遠となっていた一樹と、ようやく正面から決別出来たんじゃないかと思っている。


「そうか、クリスマスイブは沙耶にとって()思い深い日だったんだな」

 も? それって蓮也にとっても、私との再会は運命的だったと感じてくれてるってこと?

「あの蓮也、それってどう言う…」

「はいはい、そろそろいい時間よ。いい子の皆は後片付けをして帰り支度を始めなさい」

 聖羅と雪兎さんとの事もあり、思い切って踏み入ろうとしたとき、テラスから戻ってきた佐伯さんの言葉に遮られてしまう。


「いい時間って、まだ22時ですよ?」

「コラ未成年。まだ、じゃなくて、もう、22時でしょ」

 せっかくのいいチャンスを台無しにされ、少々不貞腐れた感じで文句を言うも、返って来たのはお叱りの言葉。

 テレビの収録やレコーディングなんかで、日付が回る事もあると言うのに、こんな時だけ未成年扱い。

 だけどよくよく考えてみると、聖羅達はこのあと帰らなければいけないし、華の女子高生を遅い時間に一人で歩かせるわけにもいかない。

 前回は蓮也達のマネージャーさんが車を出してくださったが、生憎今回は不参加なので、お開きするには良い時間なのかもしれない。


「わかりました」

 少し寂しい気持ちもしないではないが、聖羅達に何かあっては申し訳が立たない。

 このあと皆で後片付けを済ませ、玄関口までお見送り。

 私は洗い物を沙雪に任せ、1階のロビーまで降りていった。


「それじゃ沙耶ちゃん、俺たちが皆を送っていくから」

「ありがとうございます」

 この時間、女の子達だけで歩かすわけにはいかないからと、雪兎さん達が送ってくださると言うので甘えておく。

 聖羅を恋人でもある雪兎さんが送り、綾乃を女性が苦手な次郎さんが、皐月と卯月ちゃんを晃さんと凍夜さんがそれぞれ最寄りの駅まで送る事に。

 そして残された蓮也は、現在私の隣で皆が帰って行く様子を見送っている。


「沙耶、その…コレを…」

 恥ずかしそうに差し出してくるのは、可愛く包装された小さな包み。

 先ほど皆が帰り支度をしているとき、私に気づかれないようこっそり話していたのは知っていたが、まさか最後の最後で、サプライズプレゼントが用意されているとは考えもしなかった。


「これって、クリスマスプレゼント?」

「あぁ」

 蓮也がプレゼントを用意してくれていた事には純粋に嬉しいが、生憎とお返し出来るプレゼントが私にはない。

 少し焦っている様子に気づいたのか、蓮也が安心させように大した物じゃないからと、優しく声を掛けてくれる。


「その…、お返しが用意出来てないけど、貰ってもいいの?」

「もちろん」

 そう言いながら差し出された包みを受け取り、断りを入れて中身を取り出す。

 そこには小さな青い石が付いた、ハート型のペンダントが入っていた。


「かわいい♪」

「よかった」

 蓮也は私の様子に安堵したのか、目に見えるように胸をなでおろす。

「でも良かったの? 私だけって」

「あぁ、いつかのお返しをしたいと思っていて」

「いつかのお返し? …あぁ、もしかしてサングラスの?」

「そう」

 思い出すのは春先の頃。蓮也の妹さんの誕生日ということで、一緒にプレゼントを選びに行った事があった。

 その際変装の道具として、蓮也にサングラスをプレゼントした事があったのだが、どうやらお返しの機会をうかがっていたらしい。


「ありがとう、大事にするね」

 そう言いながら貰ったばかりのペンダントを大事そうに両手で包む。

 いままでプレゼントを貰った事は何度かあるが、今ほど嬉しく思えた事は初めてじゃないだろうか。


 うれしい、すごくうれしい。

 私好みのプレゼントというのもあるが、大好きな人からの贈り物というのがなにより嬉しい。

 自分でも心が熱くなるほど、全身が高揚しているのが感じられる。


「気に入って貰えたなら何よりだ、それじゃ俺はこれで…」

「蓮也!」

 蓮也はそれだけ言うと暗闇に向かい歩き出す。

 そんな彼の姿を見て、私は無意識のうちに蓮也の名前を呼んでしまう。

 それが自ら望んだ事なのか、はたまたクリスマスイブの魔法に掛かったのかは分からないが、私は蓮也の名前を呼ぶと同時に彼の頬に唇を近づける。


 チュッ

「!?」

「その…、プレゼントのお返しだから!」


 そのあとの事は恥ずかしさの余りほとんど覚えていない。

 ただ真っ赤に染まった蓮也の顔と、逃げるようにロビーに駆け込んだ記憶、そして冷たくなっていた蓮也の頬の感触が、夢ではないことを物語っていた。




追記:未成年がどうのと語っていた佐伯さんは、その後酔いつぶれて、五十嵐さんと一緒にお泊まりされました。

「ユキ、こんな大人にだけはなるんじゃないわよ」

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