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第53話 『一樹の願望』

 ジャジャーーン♪

「ふぅ…、いい感じじゃない?」

「流石沙耶ね、新曲もいい感じに仕上がってる」

「うんうん、弾いてて凄く気持ちよかった。やっぱ沙耶の曲は私達の演奏に合ってるんだよ」

「流石沙耶先輩です!」

「そう? 皆からそう言ってもらえると、なんだか嬉しいわ」


 6月初旬、Kne music本社にある練習用のスタジオ。

 本来ならGirlishは立ち入れないエリアではあるが、そこはSASHYAのバックバンドとして、一時的にKne musicと契約を結んでおり、今回は夏のコンサートに向けて、私の名前で使用申請が降りている。


「ちょっと休憩しよう」

 発売前の曲と言う事もあり、聖羅達の練度はどうかと心配していたが、終わってみれば何のその、私自身もいつも以上に気持ちよく歌えたとすら感じられる。


「それにしても凄いわね。ビルの中にこんな場所があるなんて」

「さっきちらっと見たけど、同じようなスタジオがいっぱい並んでたよ」

 どうやら聖羅達が所属していたDean musicには、会社としての練習用スタジオは無かったらしく、個々で借りたスタジオの費用を、後日領収書と共に経費として申請することで、翌月に返ってくるというシステムだったらしい。


「じゃ、今はスタジオ代とか結構かかるんじゃないの?」

 Dean musicを辞めた今、聖羅達の収入はほぼゼロに近いだろう。

 楽器も使っていれば色々消耗もしてくるし、練習用のスタジオ代だってバカにならない。

 そう思っていたのだけれど…


「実はそうでもないのよ」

 聞けばGirlishの人気も徐々に増えて来ており、最近では単独ライブを開けるほどファンが集まってくれるんだそうだ。

「合同ライブと違って、場所の準備やポスターなんかの印刷物も、自分達で用意しないといけないけど、自作したCDなんかも売ったり出来るから、スタジオ代ぐらいは何とかなっているのよ」

 聖羅はSnow rain時代の報酬もまだ残っているしね、と笑いながら教えてくれる。


「もしかしてそのライブで私の曲を?」

「そう、Girlishのオリジナル曲ってまだ2曲しかないのよ。単独ライブで歌うには全然足りないから、それじゃSASHYAの曲でも歌う? って事になって」

「これでもSASHYAのコピーは結構評判がいいのよ? 曲調をすこしアレンジしたり、歌い方をロック調に変えたりしてね」

「そうそう、最近じゃせーらんのMCも板に着いてきたしね」

「へぇー、聖羅のMCね…」

 聖羅はどこかお堅いイメージがあるので、どんな風にMCを入れているのかは気になるところ。

 若干照れているのか、聖羅は聞こえないフリをしているが、前にGirlishのライブを見に行ってからは随分ご無沙汰なので、今度こっそり見に行ってみるのもいいかもしれない。


「そういえばさーやん、聖羅から聞いたんだけど、引っ越ししたの?」

「したよ。同時に銀行から借り入れもしたけど…」

 やや後半、声のトーンが沈んだのはぜひとも見逃してほしい。

 LINEのやり取りの中で聖羅にだけには伝えたが、引っ越しした理由に関しては、佐伯さんからセキュリティ面を指摘されたからだと誤魔化している。


「借り入れって…、怖いからその当たりは聞かないでおく」

「うん、その方がお互い平和に過ごせると思う」

 流石に借金が5億円近いとは言いにくい。

「沙耶、聞かない方が平和に過ごせる程の借金って…、いえ、やっぱり私も辞めておくわ」

 あ、聖羅も逃げた。

 まぁ、いつか皆を招いてホームパーティーを開きたいとも思っていたので、その時にマンションの豪華さを感じて貰えればいいだろう。

 なんといっても1階のロビーに、常にコンシェルジュさんがおられるというスペシャルなマンションだ。私はまだお会いしたことがないが、有名な芸能人さんや、人気アーティストの方も住まわれているとも聞いているので、驚いて貰うこと憂いなしだ。(若干ヤケクソ)


「それで、私の引っ越しがどうかしたの?」

「えっと、実はね、いっくんがさーやんの家に行ったらしいの」

「えっ? 一樹が私の家に?」

 綾乃の話では、誰から聞いたのかまでは分からないが、一樹が私の家を突き止め、ノンアポでマンションまで押しかけて来たらしい。

 だけどその時は既に引っ越しを終えた後だったようで、インターフォンを押しても応答なし。1階に据え付けられたポストには、ネームプレートが剥がされた跡があり、無造作に突っ込まれた怪しいチラシが、溢れんばかりに貯まっていたんだとか。


「いっくんって行動力だけは無駄にあるでしょ? さーやんの家は同じ学区内だったし、前から会わせろって会わせろってってうるさかったから、中学時代の誰かに家の場所を教えて貰って、会いに行ったんじゃないかなぁ」

 そういえば前にも似た様な事で、綾乃が待ち合わせ時間に遅れて来た事があったわね。

 確か昨年のゴールデンウィークの時に、みちる達を聖羅達に紹介するとかで、行きつけの喫茶店で女子会を開いたんだっけ?

 今の綾乃の口ぶりから察するに、私が知らないだけでその後もしつこく迫られていたんじゃないだろうか。


「沙耶、何か心当たりが…あるわけないわよね」

 聖羅が尋ねて来るも、私の表情を見るなり何かを悟ったように、問いかけた質問の内容を途中で変えてしまう。

 ぶっちゃけ、もう2年も前の話だ。

 今更一樹の事を恨んでもいないし、街中で偶然出会ったとしても普通に会話を返せる自信もある。だけどそれは偶然の出会いであって、ストーカーの様に自宅まで押しかけてくるのとでは訳が違う。


「どうせまた沙耶に曲を作れとか言うんじゃない?」

「でしょうね」

 皐月の言うとおり、一樹が私に会いたい理由はその一点だけだろう。

 向こうは私がSASHYAだとは気づいていないようだし、人気に陰りが見えるSnow rainにとっては、この辺りで一発逆転を望むのも分からなくもない。

 だけど…


「ねぇ、Snow rainって活動再開するって聞いてるんだけど」

「そうなの?」

「うん、佐伯さんから聞いたんだけど、メンバーの補充も終えて、来月だったかなぁ、新曲も出すとかって話よ」

 私も佐伯さんから聞かされただけで、詳細はほとんど不明。補充されたというメンバーも知らなければ、誰が作った歌なのかも分からない。

 それにしても聖羅達が誰も知らなかったというのは、それだけSnow rainとは距離を取っていると言う事なのだろう。


「だから私に曲を作れって話じゃない気がするんだけど」

 既に新曲の発売日が設定されているのなら、今頃はレコーディングに向けて練習をしている頃だろう。

 流石に新曲のあてもないまま発売日が設定されるわけもないので、3枚目のシングルが出る事はほぼ間違い無い。

 すると私に曲を作って欲しいと言うのも、何だか怪しい感じもしてしまう。


「つまり沙耶は、Snow rainが新曲を出すから、自分に曲作りを頼むのは違う気がすると、そう考えてるのね?」

「その通り」

 聖羅は答え合わせをするかのように、少し考えた素ぶりを見せた後にこう続ける。

「沙耶は一樹の夢…って言うか、願望? みたいなのは知っている?」

「願望?」

 夢って事ならば当然知っているが、わざわざ願望と言い直したところに違和感を感じてしまう。


「一樹の夢ならメジャーデビューでしょ? でも願望って?」

 仮にも中学時代は交際関係にあったのだ、直接本人の口から聞いた事はなかったが、会話の節々で『メジャーデビューを果たして注目を浴びたい』、てきのような事は何度も聞いていた。

 そしてそれは既に叶えてしまった夢であると言う事も知っている。


「さーやん、それはいっくんの通過点だよ。もちろんメジャーデビューって目標もあったとは思うけど、別にそこが終着点って訳じゃないの」

「そうなの?」

 メジャーデビューが通過点って、全然知らなかったわ。

 中学時代を思い返しても、一樹が他の事に執着していた記憶がほとんどない。勿論中学生らしく、いろんな事に興味を示していたが、バンド活動ほど長続きしたものはなかったと記憶している。


「一樹の夢…って言うのもバカらしいけど、アイツの願望はただ有名になってチヤホヤされたいだけなの。知ってる? アイツが沙耶と別れてから何人の女性と付き合っていたか。私たちが知ってるだけで五人よ五人、それもSnow rainの名前を出しての入れ食い状態。お金の使い方も荒かったし」

「そのあと人気が低迷したら、全部失っていたわね。流石にあれは笑ってやったわ」

「はぁ???」

 なにその馬鹿げた行動。

 別にお金の為だとか、有名になりたいからだとか、そんな人の夢をバカにするつもりはないが、Snow rainの名前を利用して女性をはべらせるだなんて言語道断。

 聖羅達が一樹と関係を持っていたのは、昨年の夏頃までだろうから、約1年間で複数の女性をもて遊ぶような事をしていたとは、考えもしてなかった。


「じゃ一樹が私に会いたい理由って…」

「十中八九、沙耶の曲でしょうね」

「friend'sで随分おいしい思いをしていたようだから、またゴーストライターでもさせようと思ってるんじゃないか?」

「いっくん、お金が無いとかよく言ってたし」

「うわ、その一樹って人、最低のクズですね」

 年下の卯月ちゃんにまでクズ扱いされるとは…

 だけど聞けば聞くほど、私が描いていた一樹のイメージが崩れていく。

 心の奥底では、正式に手続きを済ませてくるなら曲の提供ぐらい、とも考えてはいたのだが、今の様子を聞けばただお金欲しさに利用されるだけ。

 friend'sは一樹が作詞作曲をした事になっているので、その時の美味しさをもう一度、とでも考えているのだろう。


「ねぇ、一樹って私がSASHYAだと気づいていると思う?」

「どうかしらね、少なくとも昨年の夏頃までは気づいていなかった筈よ」

 一樹もプロの立場にいる身、他のレコード会社に所属しているアーティストから、曲を作れという意味くらいは理解しているはず。

 もし私がSASHYAだと告げれば、そんな馬鹿げた発想など考え直してくれるんじゃないかと思いたいが…


「沙耶はどうしたいの? 今まで通り一樹に隠しておきたい? それとも正体をバラしてすっきりしたい?」

 うーん、そうハッキリ聞かれるとなぁ。

「私が素顔を隠していたのって、聖羅達が一樹に何か言われるんじゃないかって部分が多いのよ。勿論私の覚悟が足りなかったって言うのもあるから、全部が全部聖羅達が理由って訳でも無いんだけれど…」

 あの頃の一樹は、friend'sに続く新曲が出せないって事で、バンドメンバー達にも当たり散らしていたと聞いている。

 今思えば知名度も、入ってくる収入も下がってきた事に、苛立ちを見せていたと考えれば辻褄も合う。

 もしそんな中で私が密かにデビューしており、しかもSnow rainの遥か上を行っていると知れば、一樹はまず聖羅達に怒りをぶつけていた事だろう。


「どうせそんな事だろうと思っていたわ」

 流石親友、話さずとも大方の予想はついていたのだろう。

 隣で綾乃が、「てっきり人見知りを誤魔化す為に素顔をかくしているんだと思ってたよ」とか言っているが、そっちも本命の一つなので、サラリと聞かなかったふりをしておく。


「じゃ、別に一樹に沙耶の正体がバレたところで問題ないのよね?」

「まぁ、一応そうだけど。バレないに越したことはないわよ? だって今の話を聞いただけでも、面倒くさいことになりそうじゃない?」

「それは言えるわね」

 無駄にプライドだけは高い一樹の事だ。当たり散らす対象が変わるかもしれないし、私に文句を言いに学校まで押しかける可能性も十分考えられる。

 佐伯さんも言っていたが、スキャンダルの大半は、昔付き合っていた彼氏彼女からの嫌がらせなんだと言う。


「まぁ、考えても仕方ないわね」

「でも沙耶、注意した方がいいわよ」

「そうそう、いっくんあれでもしつこいから」

「偶然だとは思うけれど、沙耶の新曲がSnow rainの曲の発売日に近いのも気になるわね」

「「「うーん…」」」

 Snow rainの新曲の発売日は来月。そして私達が今練習しているSASHYAの新曲、『Happy(ハッピー) Summer(サマー) Time(タイム)』の発売も来月。

 こちらの曲は既に完成しているのだが、CM放送の関係で発売日が7月初旬まで延びている。こればかりはスポンサー様の都合なので、こちらとしてはCMの放送に合わせる必要があるのだ。


「まさかMステとかでバッタリなんて事は…」

「ないない。だって私Mステ出ないもの」

「だ、だよねぇー」

「「「あははは…」」」


 この日より数日後、この浅はかな考えが打ち砕かれる事になる。

 SASHY with Girlishと、新生Snow rainのMステ共演が発表されるのだった。

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