第52話 『Happy 愛ランド』
「うん、やっぱり楽器の音源が入ると随分よくなるわね」
本格的にアルバム製作へ取りかかる前、依頼を受けているShu♡Shuの曲を仕上げておこうと思い、完成させたこの『虹色ぱすてる』。
間もなくやってくる梅雨の季節を、お気に入りのパステルカラーの傘で気分を上げようとする思いと、女の子の恋心を描いたかわいらしい歌に仕上げた。
「歌い方は別ファイルに私の声で吹き込んでいますので、そちらを参考にしてくださいとお伝えください」
「わかったわ。先方にはこのまま渡しておくわね」
そう言いながらタブレットから抜き出したUSBメモリを、カバンにしまい込む佐伯さん。
Shu♡Shuの歌はSASHYAと同様、デジタル音源に生身の声を乗せるカラオケスタイル。実際はそこから編集やら音の調整やらが加わるのだが、バンドの様に生演奏が必要ないので、実質これで納品完了となる。
「レコーディングの方はどうする? 立ち会うならスケジュールは調整するけど?」
「出来ればお願いします。中途半端なお仕事ではShu♡Shuのファンに失礼ですから」
「相変わらずプロ意識が強いわね。日程は先方と調整してみるわ」
本当なら練習の時から立ち合いたいが、流石にすべての練習を見る事もできないので、基本は彼方のボイストレーナーさんにお任せしている。
「それで沙耶ちゃん、実はCMのお仕事が入って来てるんだけど、どうする?」
「CMですか? 製作期間はどれくらいです?」
「詳しくはまだ決まっていないそうなんだけど、夏に向けてのイメージソングをお願いしたいそうよ」
夏に向けてか…
すると放送は7月あたりといったところか。
今はまだ5月の中旬、私が今抱えているお仕事は、7月発売予定の自分のアルバムだけなので、仕事の量的には問題ない。むしろマンションの支払いを抱えている身としては願ってもないお仕事。
少々やらしい話にはなるが、CMのお仕事はスポンサー料もよく、一定期間のイメージソングとして流れるため、期間が長ければ長いほど契約料も高くなる。
つまり、すごく儲かるのだ。
「分かりました。お受けしたいと思いますが、何の商品ですか?」
「今回は商品じゃないのよ、埼玉にあるHappy Dream 愛ランドって知ってる?」
「遊園地ですよね? 温泉とかプールとかがある」
お隣の県にある『Happy Dream 愛ランド』。都内からも比較的近く、各種アトラクションから温泉施設まで併設されており、お泊まりあり、宴会ありのホテルと、夏の期間に開放される巨大プールでも有名な遊園地。
私も両親に連れられて何度か遊びに行ったことがあり、かけがえのない思い出の場所でもある。
「今回クライアントからの依頼は、この夏にリニューアルされるプールのPRなの」
あぁ、なるほど。だからこの時期なのね。
それじゃイメージはポップで明るい曲調の方がいいだろう、名前にハッピーとドリームが付いているなら、それにちなんだ歌詞を付けるのもいい。
最近すっかりご無沙汰にはなっているが、あの頃連れて行ってもらった思い出はしっかりと心に刻まれている。
「少しはイメージが沸いたかしら?」
「はい、いい曲が書けそうです」
「じゃ先方にはそう伝えておくね。打ち合わせの日程が決まれば連絡するわね」
「よろしくおねがいします」
こうしてCMのお仕事を受けることになるのだが、これが佐伯さんが仕組んだ罠だと気づくのはずっと後のことだった。
「初めまして、Happy Dream 愛ランドの副園長をしております、周防 楓といいます。こちらは広報の担当をしております加藤です」
自らそう名のられたのは、30代後半と覚しき一人の女性。そのお隣には加藤と紹介された女性のスタッフさんが、資料とおぼしき書類を持ちながら名前を名乗られた。
「Kne musicの佐伯 香です」
「SASHYAこと、雨宮 沙耶です。本日はよろしくお願いします」
まずはお互い名前を名乗り合い、佐伯さん達は名刺を交換しながら挨拶を交わす。
「沙耶さん、そんなに警戒なさらなくても大丈夫ですよ。信じてもらえるかわからないけれど、心情的には大輝社長に近いですから」
やはりそうか、打ち合わせの為にやって来たこのオフィスビル。その入り口には周防グループに所属していると思われる、企業名が幾つも看板に刻まれていた。
するとこの周防と名乗った女性は、私の祖父母の親族にあたる方なのだろう。
「すみません、そんなつもりはなかったのですが、周防と聞くとどうしても…」
「それは仕方ないわね。知らなかったとは言え、親族が酷いことをしていたんですもの。まったく沙紀さんのお嬢さんに何て事をしてくれたのか」
どうやらこの楓さん、お母さんや叔父さんとは従兄弟に当たるらしく、先日行われたパーティーにも参加されていたのだという。
「お母さんをご存じなので?」
「えぇ、知っているって言っても、随分前の話よ。私は一人っ子だったから、当時の大輝さんと沙紀さんは、私にとっては兄姉のような存在だったの」
楓さんが言うには、祖父の弟にあたる方の娘さんらしく、父親は数年前にご病気で亡くなられており、本人は結婚して苗字が変わっているものの、お仕事の時だけ周防と名乗っているんだそうだ。
因みに沙紀と言うのは私と沙雪のお母さんである。
「改めて沙紀さんの事、それに親族達が行った非礼の数々、なんてお詫びをしていいのか分からないけれど、私個人としては沙耶さんの力になりたいと思っているわ」
「いえ、お心遣いだけで十分です。叔父さんにもよくしていただいておりますので、それほど苦労はしていないんです」
「ふふ、知っているわ。大輝さんが大学を卒業するまで見守るつもりだったのに、知らない間に自立していたって、嘆いていたもの」
それは何というか、すみません叔父さん。
「それにしてもまさか沙耶さんがあのSASHYAだったなんてね。大輝さんから聞かされた時には凄く驚いたわ」
そういえば叔父さんに、私がSASHYAだって事は内緒にしていてとは言ってなかったっけ?
でもまぁ、他人の秘密をペラペラ話される方ではないので、今回の事もお仕事を依頼するにあたり伝えられたのだろう。
「沙耶さん、沙紀さんには随分お世話になったから、困った事があったらいつでも相談してね」
「ありがとうございます」
まさかこんな所でお母さんを知る人と出会うとは。
この巡り会いは偶然ではないのだろうが、お膳立てしてくださった叔父さんには感謝せねばなるまい。
「それじゃ私的な会話はここまで、早速お仕事の話をしましょ」
そう言いながら、楓さんはいくつかの資料を机に並べる。
「まず最初に、最終的にSASHYAさんにお願いすることを決めたのは、社長からの後押しがあったからなのですが、それ以前から社内アンケートで、SASHYAさんをイメージキャラクターにとの声が多かったからです。ですので贔屓や特別扱いでないことはご理解ください」
楓さんが説明する途中で、加藤さんが社内アンケートを集計したと思われる資料を見せてくださる。
「ほんとだ、私が1位になっている」
見せていただいた資料には、有名な俳優さんの名前がズラリと並んでいるが、そのトップに記載されているのはSASHYAの名前。
さらに二枚目の資料には、『今若者で一番人気のアーティスト』『あの歌声でCMソングの作成を』『SASHYAとコラボ出来たら来場数が増える』などといった、私を推したと思われるコメントが多数書かれている。
「だから沙耶さん、これは昨年一年間、貴方が残した結果なの。そうでなければ、社長の姪っ子だからといって優遇はしないわ」
たぶんこの言葉を伝える為に、このアンケートの集計表を用意してくださったのだ。
もしこのお仕事が、親族だから貰えましたでは、私は後ろめたさを抱いていた事だろう。
「何から何までありがとうございます。このお礼は、結果にてお返しさせていただきます」
「期待しているわ」
自画自賛ではないが、これでも昨年の新人賞を取れたぐらいなので、それなりのネームバリューはあると自負している。
私のファンは年齢層も10代から30代と比較的低く、ターゲットとして十分ヒットするので、上手くコラボのような事が出来れば客層も増えてくれるだろう。
「それでイメージなんですが、今回はリニューアルされたプールをPRしたいとの事ですので、やはり爽やかな曲がいいと思うのですけど」
「えぇ、こちらとしてもその方向性でお願いしたいと思っております」
「歌詞の方で何かお伝えしたい事とかはございますか?」
「そうですね、今回リニューアルしたプールには、ドリームプールという名称が付けられるので、夢にちなんだ歌詞を入れていただけると」
「夢…ですね」
そういえば遊園地の方もドリームって名前が付いているのよね。
子供の頃に何度か連れていってもらった事があるが、あの一時は楽しすぎて夢の中にいる様にも感じられた。
夢…ドリーム、楽しい夢…。
ぶつぶつぶつ…
「すみません、彼女は曲の事を考え出すとこうなってしまうんです」
「いえ、イメージが沸いているようで安心致しました。本当は半信半疑だったのですが、こうして見ると、本当に沙耶さんはSASHYAなんですね」
「えぇ、彼女は正真正銘、本物の歌姫なんです」
急に湧いた曲のイメージに、私は打ち合わせの途中だという事を忘れ、両手で自分の耳を塞ぎながらぶつぶつと、スマホに自分の声を吹き込んで行く。
幼い頃に両親と共に来た想い出、沙雪と一緒にアトラクションを駆け回った記憶、夏はプールに入り、冬には温泉に漬かりながら一時の幸せな空間。
幸福、夏、想い出…。
「沙耶ちゃん、いい曲が出来そう?」
「…へ?」
ようやくイメージが出尽くし、現実へと戻ってくることが出来たのだが、何故か生暖かく見つめられる視線が約3名…。
あ、私またやっちゃった?
「すみませんすみませんすみません」
打ち合わせの途中だったというのに、私は何て事をしているのだ。
普段から曲のイメージが沸いたら、授業中だろうが電車の中だろうが、スマホに残すようにしていたのが、まさかその癖がこんなところで出てしまうなんて。
取り敢えず平謝りをする私。
「構いませんよ。沙耶さんの…、いえ、SASHYAさんの曲に対する姿をみて改めて思いました。どうか我が社のCMソング、よい曲に仕上げてください」
「はい」
楓さんから差し出された右手を強く握り返す。
私の曲を楽しみにしてくれている人達に、なんて偉そうな事を言うつもりはないが、このプロジェクトに関わった全ての人。そしてこれから訪れるであろう多くの人達を笑顔に変えるため、最高の一曲に仕上げるのが私の役目。
それから数週間後、私の7枚目のシングルとなる『Happy Summer Time』が完成する。




