第48.5話 『外伝 心の宝石』
「ちょっとお姉ちゃん!」
エレベーターに乗るなり、足元から崩れ落ちる私。
もう限界を超えていたのだ、ここまで耐えきった私を褒めて欲しい。
「ごめんユキ、緊張しすぎて上手く立てない」
「もう、無理したらダメって叔父さんからも言われてたでしょ」
今頃叔父さんと叔母さんは、会場の雰囲気を直そうと奮闘されているはずだ。
元々今日のパーティーは、このホテルの開業を祝っての祝祭。
私が台無しにしてしまったが、本来の目的を果たさない訳にも行かないので、事前に叔父さんに近しい人達も多く呼ばれている。
たぶん最後の拍手はそんな人達から送られたのだろう。
ピンポン♪
「お、お客様、どうされました!?」
エレベーターが1階に到着するなり、私の様子をみたボーイさんが、慌てて駆け寄ってこられる。
「すみません、たいした事はないんですが、少し疲れが出てしまって」
緊張しすぎて足がガクガクなんです、とは流石に言えない。
「救急車を呼びましょうか?」
「「いえ、結構です!」」
ボーイさんの心遣いに、姉妹揃ってお断りする。
うん、息ピッタリ。沙雪もただの緊張から一時的に立てないだけ、って知っているので、慌ててお断りしたのだろう。
こんな理由で救急車なんて呼んでいたら、いい笑いものになってしまう。
「あの、タクシーを呼んで貰えますか? 車で座っていれば治りますので」
流石に今日は疲れた。
いつもなら貧乏性の私は電車を使うのだが、今日くらい贅沢をしてもいいだろう。
沙雪に支えられながら何とかタクシーまで辿り着き、ようやく一息を付いたところで、一気に体から力が抜ける。
明日は朝から両親のお墓参り、叔父さん達が迎えに来てくれる事になっているので、私達が会場を後にした話の事ぐらいは聞けるだろう。
引っ越しの後片付けもしなきゃいけないし、休みが明けたら美羽にもお礼を言わなければいけない。
あー、本当に疲れた…。昨日は緊張しすぎてよく眠れなかったのよね……。
すぴー、すぴー。
「もうお姉ちゃんはこんなところで寝て…。でもお疲れ様、今日のお姉ちゃんは格好良かったよ」
その日、私は夢を見た。
大好きなお父さんとお母さんがいて、私と沙雪が遊んでいるのを近くで見守ってくれている。
なぜか叔父さん達や、祖父母も姿もあるが、全員が笑顔で笑っているのだ。そんな現実あり得ないと言うのに…。
でもこういう世界も案外悪くはないわね…。
ーーその日の夜、周防邸本宅ーー
「父さん、体調の方はどうですか」
「ふん、この程度のことなど何ともないわ」
あの後、父さんは倒れた。
体調がよくないと言うのにあれほど大声を上げて騒いだのだ、医者に激しい運動を止められていると言うのに、あれでは倒れるのも当然だろう。
「しかし父さんのあれ程怒っている姿を見たのは、姉さんと喧嘩した時以来ですよ」
「あんなもの、怒った内には入らん」
流石の父さんも、昼間のあれはよほど腹に据えかねたのだろう。
沙耶ちゃん達が帰ったあと、原因を作った親族たちに怒りをぶちまけていた。
まさか父さんの遺産だけではなく、姉さん達が残した保険金にまで口を出しているとは知らなかった。
沙耶ちゃんが私達に迷惑を掛けたくないのはわかるけど、せめて事前に教えてもらいたかったよ。知っていればこんな悲しい思いをさせなかったというのに。
「それにしても沙姫の奴は、一体どんな教育をしていたのだ。あれではまるであいつの若い頃と同じではないか」
「姉さんは父さんに似たんですよ。知っているでしょ?」
「ふん」
まったく似た者同士なんだから。
「それで、本当のところはどうなんだ? 沙菜の奴がえらく心配していたぞ」
またそうやって自分を誤魔化す…。
わざわざ母さんの名前を出してまで聞きたいのなら、素直にそう言えばいいと言うのに。
「沙耶ちゃんが言ったことはすべて本当ですよ」
「なに? 前みたいに今回もお前が裏で手を回していたんじゃないのか?」
「前みたいにって…、もしかして以前から知っていたんですか?」
昼間の騒動で父さんには知られてしまったと思っていたが、今の口ぶりからすると、どうやら以前からバレていた様子。
会社の資金を使わず、あくまで個人の資産だけで、沙耶ちゃん達が困らないようマンションなどの費用を支払った。
あの頃は沙耶ちゃんも父さん達のことを警戒していたし、二人も姉さんを連れ去った憎い男の娘と認識していたので、父さんには内緒で動いていたのだ。
ただ父さんの側から言わせてもらうと、十数年会えなかった娘を、ある日突然失ってしまったのだ。しかも事故当初は、加害者の男性が、沙耶ちゃん達が乗る車の方が車線をはみ出してきたとコメントしており、運悪く父さんたちは加害者の言葉を鵜呑みにしてしまった…。
あと一日遅ければ、それらが全て逆だったと分かっていたと言うのに…。
父さんが口にしてしまった言葉を正当化するつもりはないが、本心からくる言葉でなかった事は、いつか沙耶ちゃん達には分かって欲しいと思っている。
「たわけが。ワシが気づいていないとでも思っていたのか? 少ないとはいえ、あれほどの金が動いたのだ。時期的なことを考えると、あの二人の為に使ったと推測するのは当然じゃろ」
「参りました。ですが今回ばかりは違います。正直今回の私は本当に無力でした」
沙耶ちゃんのマネージャーという人がいなければ、今頃どうなっていた事か。
彼方から提案された内容もさることながら、信頼していた部下の裏切りにも気づいていなかったのだ。
もし私が沙耶ちゃんの仕事の事を知っていたらと思うと、今頃違う結末だったのではないだろうか
「ではあの二人はいまどうしている? まさか学校をやめて働くとか言い出さないだろうな」
「ふふ、それは大丈夫だと思いますよ」
何だかんだといって、やはり二人の事が心配なのだろう。
思わず笑みがこぼれてしまったが、本人も少しは自覚があるのだろう。慌ててワインの入ったグラスを傾けている。
「これを。沙耶ちゃんからは止められていませんので」
そういってテーブルに置いたのは1枚の音楽CD。その表紙には可愛らしい少女のイラストが描かれている。
「なんだコレは? ワシは賑やかな歌は好まんぞ」
「違いますよ。いえ、違うこともないんですが…」
「なんだそれは? ハッキリせんな」
うーん、言葉って難しいな。
沙耶ちゃんの仕事を伝えるために用意したが、父さんにも聞いてほしいという気持ちもある。
私も沙耶ちゃんの曲ならばと、何気なく買ってみたが、正直心に響いた。あんな不幸があったというのに、よくここまで立ち直れたものだと感心するほどに。
「父さん、SASHYAって知っていますか? 昨年デビューしたアーティストで、いま若者を中心にすごい人気なんです」
「知らんな。ワシは歌には興味がなくてな」
それがどうしたという風に視線を送ってくるので、まずは聞いてくださいと言いながら、長らく使われていなかったデッキにCDをセットする。
再生ボタンを押すと部屋に柔らかなメロディーが響く。これが私たちの知る沙耶ちゃんの歌だと聞いても、すぐには分からないだろう。
私が調べただけでも、天使の歌声、仮面の歌姫など、賞賛する声が多く聞こえた。
確かに世間を賑わせるのも十分にわかる。彼女が描く曲はどこか優しくて、彼女の口から紡がれる歌詞は、心に語り掛けてくるのだ。
「どうですか? いい歌でしょ」
「ふん、ワシにはよくわからん…、お前にこんな趣味があったとは知らなかったぞ」
「まぁ、私も最近好きになったばかりなんですけどね」
しばらくの間、父さんと一緒に耳を傾ける。
やはりいい曲だ、父さんも文句を言わないところを見ると、それなりには聞き入っているのだろう。
やがて1曲目が終わると再び父さんが語りかけてくる。
「お前が勧めるだけはあって、悪くはないな」
「でしょ? なんでも家族の事を歌った曲らしいですよ」
「ほぅ、だからこの歌詞か。じゃがそんな事をよく知っているな」
「えぇ、本人から聞きましたから」
「本人じゃと? まさか…!?」
ここに来てようやく私が伝えたかった事が分かったのだろう。
目を大きく見開きながら驚く姿をみせてくる。
「この曲を歌っているのは沙耶ちゃんです。あんな酷いことがあったと言うのに、あの子達は必死に前を向いて歩こうとしています。この曲の歌詞だって、姉さんたちと過ごした日々を歌っているんですよ」
心の宝石、タイトルにもそう書かれているように、この歌は沙耶ちゃん達が心に溜め込んだ、想い出の日々が描かれている。
「Jewel the Heart… か、確かにこれ以上の宝石は思いつかんな」
父さんにも何か心に来るものがあったのだろう。
天井を見つめ、涙をこらえている姿が目に映る。
「二人は大丈夫なのだな?」
しばらく天井を向いていた父さんだったが、ようやく気持ちが落ち着いたのか、再び私に問いかけてくる。
「大丈夫です、新しいマンションは今まで以上にセキュリティがしっかりしていますし、保証人もKne musicの代表が名乗り出てくださったので、安心してください」
「わかった、ワシの方からも礼を言っておこう」
「そうしてもらえると助かります」
彼方とはそれほど付き合いがあるわけではないが、お互い知らないという間柄ではない。
沙耶ちゃんが聞けば嫌そうにするだろうが、父さんからすれば孫が世話になったのだ。仕事を抜きにしても、一言お礼を言うぐらいは許されるだろう。
「今回関わった者はどれだけいる?」
「分かっているだけでも12の親族が」
「その中で重要な取引をしているのは何件だ?」
「ゼロです。低いレベルでの取引はいくつかありますが、こちら側の影響は殆どありません」
やはり父さんも今回のことばかりは許せないか…。
もとをたどれば父さんの病気が招いた事態。
彼らも長年周防の成長に力を尽くしてくれた者たちだ、せめて自らの行いを反省してくれればと思い、最後にもう一度だけ期待を向けていたが、結果は散々なものだった。
沙耶ちゃんがどんな思いでマンションを手放したのか、まるで分かっていない。彼女は最後の書類にサインをするとき、泣きながら姉さん達に謝っていたのだ。それなのに彼らは茶番だ、小娘の浅知恵だと笑いながら陰口をたたいていただけ。
自分では怖くて声を上げられないと言うのに…。
「ならば全て変えろ。今回関わった親族たちとは、今後一切付き合う必要はない」
「ですが父さん、温情を与えてやるつもりはありませんが、彼らの中にはこちらと取引をすることで生計を立てている者もおりますし、ただ突き放すだけでは、かえって沙耶ちゃん達を恨む者も出てしまいます」
私だって許せるはずがない。だけど彼らも抱えている社員がいるだろうし、突き放したら突き放しただけ彼らは自暴自棄になり、最悪沙耶ちゃん達に危害を加えるかもしれない。
そんな最悪な未来などあってはならないのだ。
「ふむ、確かにその可能性は考えられるな…。今の時代、やはりワシよりお前の方が経営者に向いているのだろう」
どうやら頭に血が上りかけていた状態から少し冷静に戻れたようで、父さんは少し考えるような素振りを見せ、私にこう告げる。
「では物品で取引している相手には来月分から数を減らし、IT絡みは次のプロジェクトから全て外せ。その上で金輪際あの姉妹に近づくなと伝えておけ、警告を破ったら今度こそ絶縁だともな」
こういう相手には手綱を付けて管理しておくのが一番。
今回調べた中には負債を抱えている者も多くいたし、資金ぐりが回らず倒産寸前の者もいた。
これだけでも相手側にはかなりの痛手だろうし、彼らもこれ以上最悪の事態を想定するなら、二度と刃向かいはしないだろう。
「父さん、もう一つ伝えておかなければならない事があります」
「ワシの病気の事か?」
「えぇ、私が信頼していた部下が情報を流していました」
「はぁ…、やはりそうか。時期的な事を考えると、そうではないかと思っていた」
佐伯というマネージャーから渡された紙にはこう書かれていた。
『会長がかかっている病気の事が漏れていると』
彼らも必死になるわけだ。余命1年と宣告されていれば、親族たちが騒めくのは当然の話。その中でも利用しやすい姉妹に目をつけるのは自然な流れだろう。
「あの姉妹は知っているのか?」
「いいえ、沙耶ちゃんのマネージャーが上手く隠してくれたようです」
彼女には後日何らかのお礼をしなければいけない。ここまで気を利かせてもらい、最後の機会を私達に託してくれたのだ。
「ならば伝えなくていい。あの二人にこれ以上辛い思いをさせるな」
「ですが父さん!」
「人殺しの娘…か、ワシが放った言葉だとは言え、流石にあれはこたえた…。恨まれて当然だ」
沙耶ちゃんも本心ではなかったのだろうが、顔を見てしまうとどうしても感情が抑えきれなかったのだろう。
私が聞いても酷い言葉だ。
「これが最後のチャンスかもしれませんよ?」
「いらん。ワシが居なくなっても、お前が居れば問題なかろう。ただ心残りは沙菜の事だが…」
「母さんの事は私が何とかします。それよりも私は父さんの事が心配です。姉さんと同じことを繰り返すんじゃないのかと」
「沙姫か…。あのバカ娘が、親より先に逝く子がどこにいるのだ」
もともと感情表現が苦手な人だ、付き合いが浅ければ分からない事も多いだろう。
当初は時間が解決してくれるかと思っていたが、突然父さんの余命が告げられた。せめて何かきっかけでも作れればいいのだが…。
「いいな、余計な事はするな。お前は自分の家族とあの姉妹の事だけを考えていればいい。そのついでに沙菜の事も気にしてやれ」
「多いですよ父さん。でも任せてください、私はこれでも姉さんの弟なんです。説得力は十分あるでしょ?」
「バカ者が、そこはワシの血を引いていると言っておけ」
「同じ事です」
ははははは。
父さんと一緒に笑ったのはいつぶりだろうか。
父さんには余計な事をするなと言われたが、姉さんだったら笑いながら全員を笑顔に変えるだろう。
今度彼女に礼をする際、相談してみるのもいいかもしれない。恐らく彼女が一番沙菜ちゃんの事を理解しているだろうから。
その日は父さんと一緒に昔話で華を咲かせた。
姉さんに振り回された日々や、父さんに叱られた苦い思い出。
絵を描くのが好きだった姉さんは、よく家族の絵を描いていたっけ。
そのまま私達は夜が更けるまで飲み明かした。
後日実家を訪れた時には、沙菜ちゃんのCDが全て揃っていたが、どうせ父さんは本音を話さないので、この気持ちはそっと胸の内にしまっておくことにした。




