第48話 『いざ、決戦の場に』
「沙耶ちゃんもユキちゃんも準備はいいね?」
「はい」
「それじゃ行こうか」
5月の始め、大型連休も後半に差し掛かろうとする日に、私達姉妹は叔父さん夫婦に連れられ、開業したばかりの都内のホテルへとやって来た。
今日の私達の服装は、学生のド定番とも言える学生服。沙雪は中学のセーラー服姿に、私は芸放のブレザーを身につけている。
ホントはパーティー用にワンピースでも用意しようかと思ったが、どうせどこの学校に通っているかもバレているだろうし、何より贅沢している姿を見せるのはよくないと言う事で、学生服が選ばれた。
「お疲れ様です社長、実はお伝えしておきたい事が一つございまして」
ロビーに入るなり、声を掛けて来られたのはホテルの従業員とおぼしき人物。恐らく支配人とかそういった役職の人だろう。
それにしても叔父さんは本当に社長なんだ。こうして部下の人から報告を受けたり、指示を出したりしている姿をみていると、改めて凄い人なんだと実感してしまう。
「分かった、君はそのまま遅れて来られる来賓を迎え入れてくれ」
報告を受けた叔父さんがこちらの方に戻ってこられる。
「どうかしたの? あなた」
「すまない、問題が起こった。どうやら父さんと母さんが会場に来ているらしい」
「!?」
当初の予定では祖父の体調を考慮して、お二人は欠席するのだと聞いていた。
それがどうやら医師の指示を無視して、すでに会場に居られるのだという。
「どうする沙耶ちゃん、引き返すなら今だよ」
叔父さんの提案に一瞬心が揺らいでしまう。出来る事なら二度と会いたくないし、向こうも私達姉妹の事など、忌むべき男の子供としか認識がないだろう。
だけど今日ここに来た理由は、祖父母と対立するのが目的ではなく、あくまで平穏な日常を取り戻すのが目的。ここで引き下がってはいろいろ準備をしてくださった人達に申し訳が立たない。
「大丈夫です。このまま行きます」
隣にいる沙雪の手を握り締めながら、まるで自分自身に言い聞かせるように返事を返す。
「沙耶ちゃん、私達が近くにいるから一人で全部背負わないで。私も大輝さんも貴女達の味方だから」
「ありがとうございます、叔母様」
大丈夫、私にならやれる。
この日の為に両親から預かった大切な物まで手放したのだ。隣には沙雪、目の前には叔父さんと叔母さんが守ってくださっている。ここで引き下がっては女が廃るというもの。
「じゃ、行こう」
決意を新たに4人でエレベーターに乗り、最上階にあるラウンジへと向かう。
入り口で簡単な手続きを済ませ、待っていてくださった叔父さんの顧問弁護士と合流し、いざ決戦の場に突入する。
ざわざわざわ。
叔父さん夫婦の登場にざわめく会場。予定では若干時間をずらして来ているので、既に会場内では人で溢れかえっていた。
「おい、何故あの姉妹がここにいる。誰か何か聞いているか?」
「ちょっとあなた、あの娘がここに居るって、マズいんじゃないの?」
「まさかこの前の仕返しか? 全く馬鹿げた事を。身の程を知るにはいい機会だ」
私達の姿を見た大人達から、不愉快な会話が流れてくる。
本当にこの人達はどうしようもない人間だ。私の前に現れた時には必死に媚びを売っていたというのに、状況と場所が変わればたちまち陰口まで呟いてくる。
もしかしてお母さんも、こんな醜い世界から抜け出したかったのかもしれない。
「父さん、今日は欠席すると聞いていましたが?」
当初の予定では司会者の案内で、叔父さんの挨拶に続いて私が紹介されるはずだったが、会長である祖父が現れたからには、まずは顔合わせをしないわけにもいかないだろう。
叔父さん夫婦の後に続き、私も祖父母がいるテーブルへと足を運ぶ。
「お前がよからぬ事を企てていると、言ってきた者がおったのでな」
そう口にしながら、祖父はある夫婦の方へと視線を送る。
そうか、あの二人が美羽の両親か。
視線の先に居たのは、最初に私のところへ来た例の夫婦。その隣には知らない男性と一緒に美羽の姿も確認出来る。
あの後も家族になれだとか、両親が残してくれたお金を預けろだとか、執拗にやって来たのでよく覚えている。
だけどその中で一度たりとも私の秘密を匂わす言葉は出なかった。つまり美羽は私がSASHYAであることを両親にも話していないのだろう。
「まぁいい。それで何の用だ」
はぁ…、相変わらず嫌な言い方だ。
祖父は叔父さんには興味がないと言いたげに、私達姉妹の方へと顔を向ける。
「大した事じゃありません。最近やたらとすり寄る人達がいるので、一言言いたくて来ただけです。それが終わればすぐに帰ります」
「何? どういうことだ」
やはり知らなかったか。祖父母は元々私達姉妹に興味が無いだろうし、すり寄って来た人達だって、わざわざ財産目的で近づいていますとも言えないだろう。
祖父は叔父さんに質問を投げかけられ、私達がこの一ヶ月間置かれていた状況を初めて耳にする。
「恥さらし共が…。それでお前達はワシに文句を言いに来たと言うわけじゃな」
まったくこの人は。
誰が好き好んで会いたくもない人間に文句を言いに来ると言うのか。そもそも急遽出席したというのに、どうしてそんな考えに至るのか不思議でたまらない。
「違います。まったくもって違います」
大切な事なので二度言いました。
「なら何が目的だ?」
もういいよね、もう始めちゃってもいいよね?
当初の予定では叔父さんの挨拶の後に行動を起こす予定だったが、祖父の登場で変更を余儀なくされた。それでもこれからやる事には変わりないが、あの時経験した怒りのような感情が湧き上がってしまい、私は自分の気持ちを抑えるのに全力を注いでしまう。
私は一度気持ちを落ち着かせ、叔父さん達の方に視線を送る。
すると私の意図が通じたのか、叔父さんは小さくうなずいてくださった。
さぁ、これが私の復讐だ。
「この場でお伝えしたいことがございます」
私は祖父ではなく、大勢の人達が集まる会場の方へと向く。
やはり彼らも私達の様子が気になっていたのだろう、会場にいるほぼ全ての人達がこちらの方を向いていた。
「私、雨宮 沙耶、並びに妹の沙雪は、亡き母が受け取るはずであろう遺産のすべてを、ここに放棄する事をお伝えします」
ざわざわざわ
突然の私の告白に、会場に集まった人達が一斉に騒ぎ出す。
「おい、何の冗談だ?」
「なんなのあの娘、自分が何を言っているか分かっているのかしら」
「ふざけた事を、たかが子供の戯言だ。誰が信用するものか」
やはりそう来るわよね。
この人たちからすれば私は成人すらしていないただの小娘。この場で宣言したとしても、子供の戯言だと一蹴すれば済むことだろう。
だけど私をただの小娘だと侮ると痛い目を見る。
私は叔父さんの顧問弁護士さんの方に合図を送ると、待ってましたという感じで、スーツにしまっていた証書を取り出す。
「こちらがその証明書です。会長、ご確認ください」
予定にはなかった行動だが、偽物でない事を証明するには一番の方法だろう。
祖父は受け取った証書に目を通し、睨みつけるように私の方を見てくる。
「本気か?」
「冗談でこんな事が出来るとでも? 正直初めから受け取る気もありませんし、そちらも人殺しの娘なんかに渡したくもないでしょうから」
「沙耶ちゃん…」
流石に最後の一言は余計だったか、叔父さんが注意を促すように私の名前を呼ぶ。
はぁ…。ダメダメ、今日は喧嘩をしに来たのではないのだ。
思わず感情があふれ出てしまったが、今の一言は完全に私が悪い。
「申し訳ございません、言いすぎました。訂正させてください」
「………」
素直に謝罪する私に、祖父は一言も返さなかった。
「お集まりの皆様、楽しい歓談の腰を折ってしまい申し訳ない。だが彼女達が置かれた事情を察してほしい。連日押しかける親族たち、この中にも心当たりがある者も多いはずだ。これは彼女たちの決意の証、皆にはもう一度よく考えて欲しい、我ら大人は彼女達を守る立場にあるのだと」
治まるところに収める。叔父さんの立場からすれば親族はいわば味方。この中には仕事で取引先の関係の人もいるだろう。
本音を言えば文句の一言二言は叩きつけてやりたいが、変に恨みを買っても仕方がない。私はただ平穏な日常を取り戻したいだけなのだ。
会場内はいまだざわめきが治まらないが、叔父さんが声を上げた事で大きな混乱は見えない。
このまま何事もなく終わることを祈るも、やはりそう甘くはいかず、一人の…いや、美羽の父親とおぼしき男性が声を上げる。
「失礼、私から一言よろしいでしょうか?」
「無論だ。蟠りが残っていては解決にはならないからな」
「では…」
美羽の父親は叔父さんからの了承を得た事で、会場の人達に言い聞かせるように口を開く。
「先ほどそちらのお嬢さんは、会長の遺産を放棄するとおっしゃいました。ですが、お聞きしたところによると、お嬢さん達が暮らすマンションや亡くなったご両親の葬儀費など、大輝社長が負担されていると伺っています。そのような援助を受けていると言うのに、今更相続を放棄すると言われても、正直どこまで信用してよいのか分からないのですが?」
まるで演説するかのような姿に虫酸が走る。
要は祖父の遺産を放棄しても、既に叔父さんから援助をもらっていれば同じだと言っているのだ。
騒めく会場、彼方此方から『やはり茶番か』『所詮小娘の浅知恵だ』『付き合ってられん』などと、自分勝手な言葉が飛び交う。
そんな様子を見てしまった叔父さんは、悲しい表情のままため息を吐かれる。
「失礼、その件ではございますが、先日雨宮様より全額返済が完了しております」
「何!?」
声を上げられたのは、すっかりお世話になりっぱなしの顧問弁護士さん。
あの日、叔父さんと佐伯さんが顔を合わせた日、本題と言っていたのはこれの事。
私の情報が何処からか漏れていると分かっていたし、何より美羽の両親が直接私に言ったことだ。
そんな弱点、弁護士さん達が見逃すはずもなく、当然事前に対策をしてから挑んでいる。
「此方が返済完了の証明です。社長が出された金額と一致しておりますのでご確認ください」
「よこせ! ………バカな、1億だと!? どこにそんな金が…」
私も聞いて驚いたわよ。
正確には1億2千万ほどなのだが、まさか予想していた金額より、桁が一桁多いとは考えてもいなかった。
思い返せば私達が暮らすマンションは、都内でも暮らしやすい地域で、生活水準も周りと比べるとわりと高い方だった。お父さんもそれなりの役職を貰っていたとも聞いていたし、お母さんはそこそこ名の知れたイラストレーターだと聞いている。
今の私なら、分割にしてもらえれば払えない額ではないのだが、それでは意味が無いという事で、何とかお金を絞り出した。
「どうした…、いや、どうやって1億もの金を用意した!? そんな金があるとは聞いていないぞ!」
もしかしてとは思っていたが、やはり私が受け取った保険金の額まで知られていたのだろう。
叔父さんの身近から、情報が漏れていると知った時から懸念はしていたのだ。
叔父さんは動けない私に代わり、両親が加入していた保険金の手続きをしてくださった。流石に銀行に入ってた預金額までは知られていないと思うが、二人の娘を育てながらそこまでの金額は貯められないだろう。
だからこそ私が2億ものお金を用意できない事を知っているのだ。
私は深いため息をつきつつ、どうやってお金を工面したのかを説明する。
「足りない分は、両親が残してくれたマンションを売りました。流石購入額と同じと言う訳には行かなかったので、多少借り入れはしたけどね」
借り入れ先はSASHYAという人物からだと、心の中で付け足しておく。
「マンションを売っただと!? 正気か貴様は!!」
「勿論正気です。冗談でこんな事が出来るとでも?」
貴方に言われる筋合いはないと叫びたいが、今は現状を認識させる方が先。
例え祖父母の遺産を放棄したからといって、両親が残してくれた預金が狙われないとは限らない。特に美羽の両親は執拗にお金を預けろと言ってきたのだ。そんな人達の事など、だれが信用できると言うのか。
「そんな戯言、私が信用すると思っているのか! どうせ見せかけだけの虚仮威しだろ!!」
「はぁ…、別に信じて欲しいなんて思っていません。私達はもう引っ越しを済ませていますし、両親が残してくれたお金もありません。確認したければどうぞ暮らしていたマンションまでお越し下さい」
事実引っ越しを済ませたのは4日ほど前のこと。売却に関しても叔父さんの知り合いにお願いしたので、ギリギリではあったが金銭の受け渡しはスムーズに終了している。
「ぐぬぬぬ…」
流石にここまで言えば信憑性も高まるだろう。
懸念があるとすれば、美羽がSASHYAの事を話しているかどうかだが、ここまで来ても何も触れないと言うことは、本当に話していない可能性の方が高い。
たとえ正体がバレていても、突っぱねる下地は用意できているのだけれど。
「もういいですか? 明日は両親のお墓参りに行かなければいけないので、これでも忙しいんです」
私はそう言うと、沙雪の手を握り会場の出口に向かって歩き出そうとする。だけど…
「待て」
そう言って私達を止めたのは、今まで口を開かなかった祖父。
私の足は緊張と震えからもう限界だというのに、このうえ何が聞きたいと言うのか。
「マンションを売って、これからどうするつもりだ?」
「えっ? どうする…っていわれましても…」
別にいままで通りですとしか…、そもそも今更何で私達の事を心配する?
「貴女達、これからの生活はどうするつもり? お金はもう残っていないんでしょ? お金を借りているとも言っていたし、大学はどうするつもりなの?」
私が答えを迷っていると、質問を加えてきたのは祖母。
「えっと…」
まさか本当に私達の心配をされるとは思っていなかったので、正直この答えには戸惑ってしまう。
うーん、ここで本当の事を言うわけにもいかないし、まったく生活能力がないと言うのも問題がある気がする。何より私達の事を思って出た言葉だ、例え嫌いな相手でも無視は出来ないだろう。
まぁ、差し支えのない範囲なら別にいいか。
「銀行から借り入れはしていますが、少しずつ返済はしていくつもりです」
ただし叔父さんへの返済で発生した借り入れではなく、新しいマンションを購入する際に組んだ住宅ローンだけど。
「預金の方は少しは残していますし、今は学生をしながら働いてもいますので、やりくりさえ頑張れば何とか生活は送れます。大学の方は…」
一度沙雪の方を見つめ返答に迷うが、どうせいつかはバレる事だ。この際言ってしまっても別にいいだろう。
「私は大学へは行きません。高校を卒業したらそのまま働くつもりですし、妹に関しては私が責任をもって大学まで通わせます」
一瞬繋いだ手から沙雪の動揺が伝わってくる。
前々から考えていたことだ。いつまでも中途半端な状態では、SASHYAの歌を待ってくれているファンに申し訳が立たない。
仮面はすでに私のトレードマークみたいになっているので、今のスタイルはそのまま通すつもりだが、いずれはテレビの方ももっと露出を増やして行きたいし、イベントなんかも積極的に参加してもいいと思っている。
「大学に行かないって…、自分を犠牲にするつもり?」
なんだろうこの気持ちは。少し前までは憎くて怒りの感情しかなかったというのに、今はむしろ心配させたくないという感情しか沸いてこない。
あの日の事を思い返すと、やはりどうしても許せないが、お互い悲しみに溢れていた事は間違いない。だけどたとえ一時の感情だったとしても、祖父母が放った言葉は決して褒められたものではないはずだ。
一体どっちの姿が本当の祖父母なのだろうか?
まぁどっちでもいいか、どうせもう会うことはないんだから……。
私は肩の力を抜き、頑張って使っていた敬語もこの際辞める。
「そんなつもりはありませんよ。義務だとか責任だとか、そんな事を言っても妹は喜びませんし、させてもくれません。これでも妹の方がしっかりしているんです。大学に行かないのは私の意思で、決意の証です。私以外の誰かに、何かを言わすつもりはありません」
だからそんな顔をしなくていいんだよと、沙雪に伝えるために繋いだ手をギュッと握りしめる。
「それではこれで。そうそう、今なら両親が残してくれたお金を預けてもいいですよ? 借金しか残っていませんけど」
「……」
悔しそうな顔で睨み付けられるが、その直後に祖父から鋭い眼光を向けられ、慌てて視線を外してくる。
美羽には申し訳ないが、この位の仕返しは多めに見て貰いたい。この二人には特に執拗につけ回されたのだ、それはもう顔を覚えてしまうほど何度も何度も何度も…。
これで全てを返したとは思っていないが、少しは気分も晴れた。
私はそのまま沙雪の手を握り締めながら出口方面へと足を運ぶ。
何故か数人から拍手を送られたが、全員が全員私の敵と言うわけでもないのだろう。
扉付近で一度軽く頭を下げ、私と沙雪は会場を後にした。。




