第46話 『周防の陰(前半)』
「ユキ!」
真っ暗な自宅へ帰るなり、急いで妹の姿を探す。
「お姉ちゃん…」
「よかった、帰るのが遅くなってごめんね」
私の姿を見るなり、飛びついてくる沙雪をぎゅっと両腕で受け止める。
こんなに震えて今まで一人で頑張っていたのかと思うと、帰宅が遅れたことを悔やむばかり。まさかこんな事態になっているとは思いもしなかった。
「家族になるって、どういうことですか?」
突然目の前に現れた見知らぬ夫婦。
未だにどこの誰だかは思い出せないが、こんなバカげた事を言ってくるのは一つしか心当たりがない。
「言葉通りの意味よ。今まで二人でよく頑張ったわね、でももう心配しなくていいのよ。これからは私たちが貴女達の保護者になるんだから」
保護者と来たか。
内心怒りでどうにかなりそうだが、暴れたところで二人が諦めるとは思えない。最悪それを理由に、やっぱり保護者が必要だとでも言いかねないだろう。
「何方かは知りませんが、人違いじゃありませんか? 保護者なら既におりますし、赤の他人に心配されるような生活も過ごしておりません」
この夫婦が一体どこまで知っているのかは知らないが、暮らしていくうえで、困るような生活は送っていないし、保護者だって大輝さん夫婦が名乗り出てくださっている。
つまり現時点で困るような事は何一つ存在していないのだ。
「あら、そんな見栄を張らなくてもいいのよ。これから先、大学へ行ったり、妹さんの高校受験もあるんでしょ? 金銭面でも不安でしょうし、何より保護者は必要よ」
言葉だけ聞けば、私たちの事を憂いてだと勘違いしそうだが、会話の節々から見える嫌な感じ。
間違いない、この夫婦は周防家の関係者だ。
私はこの夫婦の事は覚えていない。恐らく沙雪も知らないだろう。
あの日…あの頃の私は病院のベットの上だった。沙雪の意識はまだ戻っておらず、連日押しかけてくる自称周防の関係者に、私の心はズタボロの状態。
最後は見かねた病院の方が、面会謝絶にしてくださったことで、ようやく安寧を取り戻せたが、そのすべてがいずれお母さんが受け取ることになる財産だと知ったのは、私が退院したあとだった。
「先ほどもいいましたが、生活面では両親が残してれた預金もありますし、私も働いたりしているので問題ありません。保護者の件も名義を貸していくださる方もおられますので、見ず知らずの人に心配される必要もございません」
叔父さんの名前を出せばすぐにでも解決しそうだが、生憎私達姉妹は祖父母に嫌われている。もし私達姉妹を援助してくださっていると伝われば、叔父さんにも何かしらのご迷惑がかかるかもしれない。ならばあえて濁らす程度にとどめておく方がいいだろう。
「そんな強がらなくてもいいのよ。両親が残した預金があると言っても無限にあるわけじゃないんだし、最近は詐欺まがいのこともいっぱいあるのよ?」
「そうだな、この際その預金を私たちに預けてみるというのはどうだ? 私達は家族になるんだし、一括で管理する方が何かと安心だろ?」
「そうね、それがいいわ。そうしなさい」
この人たちは…!!
私がなぜ『知らない人』で通しているのかまるで理解していない。一体どこの世界で、知らない人に大切な両親のお金を預けるというのか。
「お引き取りください。これ以上邪魔をするなら警察を呼びますよ」
こちらとしては、話す意思がない事をひたすら示すのが一番。
私はワザとらしくスマホを取り出し、画面に110番の番号を表示させる。
「ま、待ちなさい!」
焦る男性、だけど私の行動がただのハッタリだと思ったのか、女性の方はただニヤニヤと私に嫌な笑みを向けてくる。
「…もしもし、警察ですか? えっと、はい、事件の方です」
「ちょ、貴女!!」
焦る女性をを無視し、スマホを耳に当てながら話を進める。
「はい、そうです。知らない人にお金を預けろとか言われて…、今も目の前にいます。住所は…」
ようやく私が本気だと思ったのだろう。逃げるか止めるかで一瞬迷いを見せるも、最後は「どうやら今日は話せる雰囲気ではないようだから、話はまた改めるとしよう」と言いながら、慌てて車に乗って立ち去っていく。
ここ2年程、まったく姿を見せないから完全に油断していた。
あの二人がマンションの入口で待ち伏せしていたという事は、恐らく沙雪が入れないように頑張っていたのだろう。そうでなければこんな場所で偶然出会うなんてことはないはずだ。
私はいまだ待機状態のスマホ画面を消し、急いで沙雪が待つ自宅へと急いだ。
「ユキ、絶対インターフォンが鳴っても出ちゃだめよ。夕飯は私が何か買ってくるから、しばらくは自宅に籠っていなさい」
昨日の今日で沙雪を一人にするのは不安だが、私も打ち合わせの予定があるので、どうしても出かけなくてはならない。
今はまだ春休みという事で、家に籠っていればいいが、新学期が始まるまでには何とかしなければいけないだろう。
「お姉ちゃん心配しすぎ。お仕事頑張って」
気丈夫に振る舞う沙雪だが、昨日の姿を見てしまえば不安にもなると言うもの。
本人は少し驚いただけだと言っていたが、家中の電気をすべて消して、ずっと私の部屋で息を潜めていたのだ。
インターフォンのログを調べても、あの夫婦が執拗にコールしていたことも分かっているので、ずいぶん怖い思いをさせてしまったと後悔している。
「私が出たらちゃんとカギを締めてね。知らない番号からの電話も出ちゃダメだからね」
流石に電話番号までは調べられないと思いたいが、前例があるからたちが悪い。前は病院の関係者や、私の友人達に言葉巧みに近づき、親族だからといって連絡先や住所まで聞き出していたのだ。
私がこの事を知ったのは退院したあとだったが、知らない場所で大切な友人達にまで近づいていたのだ、この事実を知った時の心境がわかるだろうか?
心配すればするほど不安になるが、私も家計を支えるためにも出かけなくてはならない。
「それじゃ行ってくるね」
「いってらっしゃい」
見送る沙雪に挨拶を済ませ、一人でマンションの外に出る。
一応警戒しながら辺りを確認するも、怪しい車も人影も見当たらない。
昨日の今日で再びあの夫婦がやってくるとも思えないが、相手は一組みではないので、警戒するに越したことはないだろう。
「もうすぐ2年か…」
この2年、中学から高校へと進学した事もそうだが、私達の生活環境が大きく変わった事は間違い無い。
それでも姉妹で力を合わせながら、何とか今日まで過ごしてきたと言うのに、再び周防の陰に怯える日が来るとは思ってもいなかった。
ただ一点、気がかりなのが何故今なのかという事。両親が亡くなってそろそろ2年が経とうとしているが、今まで一度たりとも自宅に現れた事がないのだ。
何事もなければいいのに…
しかし私の不安をあざ笑うかのように、その日も、そのよく日も、変わる変わる周防の関係者だと名乗る人達がやってくる。
「すまない沙耶ちゃん、こんな事になっていただなんて」
連日と言っていいほどやってくる、自称周防の関係者と名乗る人達。
スーパーで買い物をしていたら声を掛けられ、マンションに入ろうとしたら声を掛けられ、酷いときには部屋の入り口で待ち伏せされた事すらあったのだ。
このマンション、常時管理人さんこそ居られないが、一階はオートロックで関係者以外ロビーを抜けられないのだ。それなのに自宅前で待ち伏せとかあり得ないでしょ。
生まれて初めて警察に電話したわよ。
結局私達じゃ解決できる未来が見えなかったので、仕方なく叔父さんに連絡を取ることになった。
「こちらこそすみません、お忙しいと言うにこんな事を相談してしまって」
私からの連絡を受け、叔父さんはすぐに自宅まで駆けつけてくださった。
「沙耶ちゃんが気にすることではないよ。これは私達の責任だ」
叔父さんが言うには、私達の生活に迷惑を掛けまいと、親族の人達には近づくなとは注意していたらしく、この2年間はその約束は守られてきた。
だけど数日前、周防グループの会長を務める祖父が倒れた事で事態が急変。叔父さん達はただの疲労だと説明されたらしいが、今まで我慢していた人達が急にざわめきだし、一人が抜け駆けした事で歯止めが効かなくなったらしい。
「そうだったんですか…」
一番疑問に思っていた理由が判明したが、まさかそんな事になっているとは…。
それにしてもなんて醜くて、わかりやすい人達なのだろうか。
「それで沙耶ちゃん、これからの話なんだけど」
叔父さんからの提案は、私達に顧問弁護士さんを張り付かせ、近づく一人一人に注意喚起を促し、余りに酷い人達には、容赦なく警察へ通報すると内容提示してくださった。
「顧問弁護士さん…ですか…」
提案してくださった内容はありがたいが、正直私は叔父さん夫婦以外の周防関係者は信用していない。
例え親族ではないとはいえ、顧問弁護士ともなれば祖父母とも関係はあるだろう。最悪沙雪に罵詈雑言でも吐かれたら、私は理性を保てるかもわからない。
そんな迷いが叔父さんに伝わってしまったのだろう。
「安心してほしい、信用できる人だ」
聞けば叔父さんの古い友人だそうで、祖父母とも面識はあるが、心情的にはこちら側の人達だという。
「分かりました、それでお願いします」
これで取り敢えずの対策はとった。だけどこれでは根本的な解決にはならないだろう。
「あの…叔父さん、こんな事を言うのは心苦しいのですが…」
私は一旦言葉を止め、叔父さんの様子を伺う。
これから口にするのは大変失礼な内容、だけど大元の部分を正さなければ紺本的な解決にはならないだろう。
私は一度気持ちを落ち尽かせるように息を吐き、考えていた内容を口にする。
「母が受け取る事になる財産を放棄したいんです」
あの人達の目的は私達に入るであろう、祖父母の財産。
仮に祖父が無くなった場合、保有する財産の50%祖母に行き、残り50%を叔父さんと亡くなった母が継ことになる。
だけど母は既に亡くなっているので、50%の半分…つまり25%が私と沙雪に入ってくるんだそうだ。
実際は遺言書や、保有している家なんかの関係もあるので、どれだけの遺産が手に入るのかは知らないが、周防グループの会長と呼ばれる人なので、何百万円とかの単位ではないだろう。
「でも沙耶ちゃん、それだと二人の生活が」
「お気持ちは大変嬉しいんです。いろいろよくして頂いていますし、私個人としてはもう一人の両親だとも思っています。ですが私は祖父母の事が嫌いです。正直憎いとすら感じています。そんな人達のお金なんて受け取りたくありません」
あの時、祖父母から掛けられた言葉は未だ心に刻まれたまま。
たった一度、それも初対面であの人達は私にこう言ったのだ、人殺しの娘だと…、私達家族のせいでお母さんは死んだのだと。
許せるはずがない。あの人達は私だけじゃなく、沙雪とお父さんまで侮辱したのだ、許せるはずがないじゃないか。
「…わかった。だけどこの話はもう少しだけ待って欲しい。放棄するにも準備は必要だし、もしかすると他に解決方法が見つかるかもしれない」
私の心は既に決まっているが、叔父さんに迷惑を掛けたくないという思いもある。
その日は一旦持ち帰る事となり、後日改めて話し合うと言う事に留まった。
叔父さんにあんな顔をさせたくはなかったのだけれど。
申し訳なさと力不足に苦しむ苦痛の表情。
叔父さんにとってはかけがえのない両親が、敬愛するお姉さんの忘れ形見に、憎いと告げられたのだ。その心境は穏やかなものではないだろう。
叔父さんには申し訳ないが、私は私で準備を進めた方がいいかもしれない。
敢えて言わなかったが、この家の事や両親の葬儀の事など、叔父さんが援助してくださっている事が知られていた。たぶん何処からか情報が漏れているのだろう。思い返せば美羽が私の出願書の内容を知っていた事も解決していない。
私はもう、2年前の無力で弱い人間ではないのだ。
その日の夜、私は沙雪と共に今後の事を相談する。
叔父さんに迷惑を掛けず、その上で祖父母と完全に縁を切れるような方法を思案しながら。




