第43話 『ドーム公演(前半)』
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〇登場人物紹介 その10
★月城さん(つきしろ)
Kne music に所属しているメイクアップアーティスト
佐伯さんとは同期で、最近はSASHYAの担当を多く熟している。
※思いの他よく出てくるので、急遽名前を付けました。
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「こうして見ると壮観ね」
東京ドームのグラウンドに設営された特設ステージ。2日間を掛け、すっかり様変わりした野球場を、ホーム側の観客席から眺める。
現在東京ドームのグラウンドには一面シートが敷かれ、アリーナ席が固定させるように設置されており、野球で言うセンター側の奥に、巨大なステージが設営されている。
私はてっきりホーム側からセンター側に向け、ステージが組まれるのだと思っていたが、どうやら真逆だったようで、私が今いる場所からだと、会場全てが見渡せるように作られている。
それにしても未だに信じられないわね。
あと数時間後、この場所で自分が歌う事になるのだが、目の前の光景が凄すぎて、実は夢なんじゃないかとすら思えてしまう。
もともと私が目指していたのは、楽曲提供などを行うの裏方仕事。それがどうしてメインアーティストになったのか、不思議でたまらないが、案外今のお仕事も悪くはないと感じ始めている。
「沙耶、ここにいたのか」
一人鑑賞に浸っていると、声を掛けて来たのは最近親しくなりつつある蓮也。その後方にはAinselのメンバーでもある、雪兎さんと次郞さんの姿も見える。
「見学の方はもういいの?」
「正直何処を見て良いのかさっぱりだ」
今後の参考と励みの意味を込め、Kne musicは新人アーティスト向けに、ドーム公演の見学を推奨しており、蓮也達Ainselのメンバーもこちらへと足を運んでいる。
「だよね。私も全体を見たくてここに来たんだけど、会場が大きすぎてどこから見ていいのか全然分からないもの」
会場の設営自体は完了しているが、今も運営のスタッフさん達が最終確認の為に、彼方こちらで動かれている。
そんなところに私が無闇に動き回れば邪魔になるだけだろうし、最悪観客が紛れ込んだと勘違いをされ、追い出されかねない。
「すげぇ! すげぇよ! あの人数はマジやべぇ!!」
「ドームの外を見てきたんだが、辺り一面来場を待つ客であふれかえっている」
そう言いながら走って来たのは、Ainselメンバーでもある晃さんと凍夜さん。どうやら窓から会場の外の様子を見てきたそうで、開場を待つ観客であふれかえっているんだとか。
今回入場の祭の混乱を避けるために、物販の販売を別にしているらしいので、早めに足を運んだ来場客が多いのだろう。
「俺たちがやってきたライブハウスじゃないんだ。そりゃあふれかえりもするさ」
Ainselがメジャーデビュー後にライブをしたのはたった1度のみ。それも合同のサマーロックだけなので、純粋な単独ライブは経験がない。
流石に小さなライブハウスと比べると、8万人という規模は相当なものだろう。
「しかし凄いよな沙耶ちゃんは。追いつこうとしても全然追いつけねぇ」
「だな。正直悔しいって気持ちも無くは無いが、ここまで離されたら敬意すら感じてしまう」
誰だって負けたくないという気持ちはあるだろう。私と蓮也達は同じ歳なんだし、デビューのタイミングだってそう変わるものでもない。
勿論会社が私を売り出そうと、積極的にPRをしてくださったという経緯はあるが、出している曲数も売り上げの総数も随分差がひらいているので、来年度以降に期待するしかないだろう。
「もう、ここに居たの? お姉ちゃん。探したんだからね!」
呼ばれて振り返ると、そこに居たのはややお怒り気味の可愛い妹。
今日が終業式だった事もあり、午後から私のお手伝いとしてこちらに来ている。
「どうしたの?」
「佐伯さんがそろそろ支度した方がいいから、お姉ちゃんを呼んで来てって」
「もうそんな時間?」
スマホで時間を確認すると、もう少しで15時になろうかとしているところ。
コンサート自体の開始が19時からなので、準備をするには早い気もするのだが、私のメイクは少々特殊だし、リハーサルの時間を考えれば確かにそろそろ始めないといけないのだろう。
私は蓮也達に挨拶を済ませ、沙雪と一緒にメイクの為に用意された控え室へと向かう。
「おねえちゃんを連れて来ました」
「ありがとうユキちゃん。少し早いけどそろそろ準備を始めましょ」
「はい」
佐伯さんと一緒に待っておられらたメイクの月城さんに挨拶をし、私は着ていたジャケットとセーターを脱ぎ、専用のアンダーシャツを羽織ってからメイク台へと座る。
これは以前失敗した話になるのだが、首からすっぽり着るタイプの服だと、お化粧の後の着替えがしにくくなるという罠がある。
私は普段お化粧などはほとんどしないし、やったとしても服に着替えてからするのが一般的なので、なかなかこの罠に気づけないのだ。
「ねぇ、佐伯さん。なんでこんなにいっぱい衣装があるの?」
私がメイクをしているので手持ちぶさたになったのだろう、控え室に用意されている衣装を見つけ、沙雪が不思議そうに尋ねている。
「それは全部、沙耶ちゃんが今日着るステージ衣装よ」
「でもメイド服もあるよ?」
うん、知ってる。
メイド服といっても定番のデザインではなく、お仕事着を3割増しに可愛く作られた特別製。フリルやレースなども勿論使われているが、どれも華美にならない程度に抑えられており、可愛さを残したまま上品さを兼ね備えたすぺしゃるなメイド服。
「それはホワイト・ブリムの時に着る服ね」
「あぁ、だからこの衣装なんだ」
ホワイト・ブリムというタイトルを付けたのは、私でなく沙雪。もとは紗々のCMソング用に書いた曲だったが、女の子の永遠の味方とも言えるお菓子作りがテーマな為、そんなタイトルを付けたんだそうだ。
それにしてもまさかメイド服を着る日が来ようとは思わなかったわ。
「でも3回も着替えてたら大変なんじゃ?」
私も最初はそう思っていたのだが、どうやら私の体力を気にしての事らしく、一旦後ろに下がって休憩を入れつつ、実は着替えていたんです、という体を演出するのが本来の目的らしい。
一応ドーム公演に向けて体力は付けてきたつもりだが、休憩無しで3時間近くも立っていられるかと問われると、正直気力で持たすしかないと答えるだろう。
佐伯さんの気遣いに感謝しつつ、コスプレショーを披露する羽目となり、何とも嬉しいやら恥ずかしいやらで複雑な気分になってしまう。
「はい、おしまい。気になるところはある?」
「…大丈夫です、いつもありがとうございます」
メイクが終わり、鏡に映る姿を左右に首を振りながら確かめる。
いつもながらに完璧なメイクだ。
今回が3回目となるメイクだが、毎回月城さんが担当してくださっており、今じゃすっかり顔見知り。
以前お会いしたときにスキンケアのやり方なんかも教えて下さり、最近お肌のつやがよくなったのではと感じている。
「うん、順調ね。ちょっと早いけどリハーサルを始める?」
着替えが終わり、佐伯さんが時計を確認しながら尋ねてくる。
「そうですね。バタバタするよりゆっくりとしたいので、出来るのなら前倒しでやってしまう方が助かります」
私は時間にルーズな方ではないので、早めに出来るならそれに越したことは無い。
それに私にとっては全てが初めての経験なので、時間を掛けてリハーサルをしたいというのも本音だ。
私が賛同したので佐伯さんは一旦部屋から出て、バックバンドの方がおられる控え室の方へと向かわれる。
「それじゃちょっと行ってくるけど、ユキはこの後どうする?」
軽く背伸びをしつつ、衣装に不備が無いことを確かめながら沙雪に尋ねる。
今日の沙雪は私のお手伝い兼、大切なお客様。首からさげているスタッフ用のカードも、ランクが一番上の関係者用だし、ホーム側の最上階に用意されたVIP席にも、入れるように手配してある。
「始まるまでお姉ちゃんの近くにいる」
なにそれ、妹がめっちゃ可愛い。
シスコンだとか言うなかれ、こんな言葉を聞けば誰だって同じ感情を抱くことだろう。
「やっぱりお姉ちゃんの側にいるのが一番良いよね」
うんうん、分かるよ。だって私だって同じだもの。
「違うって、お姉ちゃんが失敗しないか心配だからだよ」
感極まって、沙雪にハグして姉妹愛を確かめてみるものの、返って来た言葉はなんとも残念な内容。
うん、実は分かってた、分かっていたんだよぉ。
最近ちょっと沙雪が頼りがいがありすぎて、私のへっぽこぶりに気づき始めていたところ。
私が忙しいとはいえ、知らないうちに一人で家事をこなしていたり、疲れて朝起きられない時に起こされたりと、最近じゃ私の体型を気にして、カロリー計算された食事が出てきたりもするのだ。これじゃどっちがお姉ちゃんなのか分からなくなってしまう。
「沙耶ちゃん、準備が出来たわよって、どうしたの?」
「ちょっとお姉ちゃんの威厳が失墜して、落ち込んでいるだけです」
「いつものことじゃない。ほら行くわよ」
ひどい!
まさか佐伯さんまで同じような認識だったなんて。
私達の様子をクスクス笑う月城さんに見送られ、悲しさいっぱいでリハーサルへと向かう。
ここはリハーサルで私の凄さを見せつけ、姉の威厳を取り戻すしか無いだろう。
私は沙雪に背中を押される形でステージへとむかう。これから始まる伝説の序曲の為に…。




