第11話 『砕け散る友情』
退院してから約一週間ほどたった。
私は綾乃から貰ったスケジュールメモをもとに、事前に今日病院の帰りに行くと伝えてから、バンドメンバーが借りているスタジオの前までやってきた。
「ふぅ」
扉の前で一呼吸、そういえばライブから今日まで一樹とは全く会えていなかった。
綾乃の話ではライブだなんだと忙しかったとい話なので、ある程度は納得しているのだが、これが久々の再会なんだと思うと、彼女を放り出して何をしてたんだと、文句を言ってやりたい気分にもなる。
私はもう一度深呼吸をし、扉のノブしを回したところで、室内から聞こえてく言葉に固まる。
「また沙耶に頼めばいいだろう?」
「だけど雨宮さんはまだ怪我も完治していないって」
「それにあんな事故のあとだぜ、しばらくは無理だって」
「コラコラ男ども、あまり沙耶に無理をさせない」
「でもさっきー、私達がスカウトされたのはさーやんの曲があってこそだよ? 頼めばまた作ってくれるよ」
「それはそうだけど、全部が全部、沙耶に頼るのは違うんじゃ無いか?」
ほんの僅かに空いた扉の先から、聞こえてくるのは一樹達の声。
その言葉の内容を聞いた瞬間、私は聞いてはいけないもの聞いてしまったと、開けかけのドアを引き戻す。
何よ『頼めばいい』って。
話の全容を聞いたわけではないが、その言葉が何を指しているぐらいは想像がつく。
今の私に作れるわけがないじゃない。5月の始から未だに立ち上げることすらできないお父さんのパソコン、沙雪もまだ病院のベットの上だと言うのに、今の状態で曲を作れだなんて無理に決まっている。
私は自分に向けられる過大な期待に恐怖し、ノブから手を離し後ずさる。
そんな時だった。
「沙耶?」
振り向くとそこにいたのは聖羅。「どうしたの? 中に入らないの?」という言葉に、私はただ顔を横に振りながらその場から逃げ出す。
「まって沙耶、どうしたのよ」
逃げ出すと言っても、所詮は松葉杖が無ければまともに歩けない状態。
私はあっさり聖羅に捕まり、何があったのかと尋ねられる。
「ごめん、なんでもないの…」
答えられる訳が無い、皆が怖い、私に向けられる過大な期待が怖い。もう曲が作れないと言ったときの皆の反応が怖い。
私の様子がおかしいと感じたのか、聖羅は何も言わずに私の隣で寄り添ってくれる。
「今日はもう帰る? 綾乃達には私が上手く言っておくから」
聖羅は何も言わず、何も聞かず、ただ暖かな感情を向けてくるだけ。
私はただ俯くだけで、その日はスタジオを後にする。
そしてその翌日。
昨日の後ろめたさのせいで朝から憂鬱な私は、授業が終わるなり沙雪が入院している病院へと向かうため、帰り支度を急ぐ。
そこへやってきたのは、別の学校に通う皐月を除いた『Snow rain』のメンバー達。
恐らく昨日の様子がおかしかった私を気遣い、聖羅が皆に話をしてくれたのだろう。
「さーやん昨日はどうしたの?」
「ゴメン綾乃、なんでもないの」
「なんでもないって、昨日は皆で待ってたんだよ」
「それはその…約束を破ってゴメンなさい」
「そんな答えじゃわかんないよ、ねぇどうしたの? 私達さーやんに伝えたいことがあって、ずっと待ってたんだから」
綾乃にすれば何か伝えたいことがあるのに、理由も分からないまま逃げ出した私に、憤りを感じてしまうのも仕方が無い。
だけど私はその理由を答えられない、嫌われるのが怖いから。
「綾乃、そんなに沙耶を責めてあげないで」
「でも聖羅…」
綾乃は聖羅に止められ、少し気持ちを落ち着かせてから再び私に話しかける。
「さーやん、実は私達にメジャーデビューしないかって話が来ているの」
「えっ?」
メジャーデビュー、それは綾乃や一樹達がずっと夢にみていた憧れのステージ。それが手の届きそうな場所まで来ているとなれば、だれだって掴み取りたいと思うだろう。
私だって二人が頑張ってきた姿も見ている、素直に応援しておめでとうと声も掛けてあげたい。
「少し前にちょっと大きめの野外ライブがあってね、そこに来ていた『Dean music』の関係者だって人に声をかけられて、今デビューの話が進んでいるの、それを昨日伝えたかった」
Dean music、近年のネット事情から、若手の歌手やバンドが多く所属しているレコード会社。
私でも知っている有名な会社で、そんな所からデビューの話が来ているとなれば、伝えたくて仕方なかったことだろう。
「そう、なんだ。おめでと…」
「それでさーやんにまた曲を頼もうとおもって」
えっ? その言葉は今一番聞きたくなかった言葉。それも大の親友でもある綾乃からは絶対に。
「だからね、さーやん。また私達と一緒にバンドを…」
「…いや」
「えっ?」
「…いや…」
「いやって、でも…」
「嫌だっていったの!」
私から突然はっせられた大声に、周りにいた生徒達が何事かと振り向く。
私は一瞬「はっ!」っとなるも、時既に遅し。
周りの生徒は『何だ何だ』と遠巻きに見られており、綾乃は私が拒否した事に、戸惑いの表情を向けてくる。
「で、でもさーやん、私達の夢を応援してくれるって…、出来ることは手伝ってくれるって…」
言った、確かに私はそう伝えた。その思いは今も変わっていないが、今の私はもう曲が書けない。
「ごめん」
「ごめんってさーやん、ごめんってなによ。せめて理由を教えて!」
綾乃にすれば今が一番大事な時。せっかく長年描いていた夢が、手の届くところまで来ているのだ。
私だって応援したいし手伝いたい、だけど今は無理、無理なんだ。
「私はもう…曲が書けないの、他の…人に頼んで…」
かろうじて出る弱々しい声。親友を絶望させると分かっていても、ここまで来れば言わざるをえない。
曲なんて私が作らなくても別の人が作ればいい。メンバー内で難しければ外に頼んでもいいのだ。
「なにそれ…他の人にって…、あの約束は嘘だったの? 私が何かしたのなら謝るから、ねぇさーやん、もう一度考えてよ」
違う、そんなことを言わせたいわけじゃない。そんな悲しい顔をさせたいわけじゃない。だけど同時に、なんで私の事も考えてくれないのかという思いが沸き上がってくる。
そんな時だった。
「おい沙耶、お前どういうつもりだ? 綾乃がこんなに頼んでんだろうが、それとも何か? 俺たちがメジャーデビューするの嫌なのか?」
今まで沈黙を保ってきた一樹の一言が私の心を貫く。
「ちょっと一樹、それは幾ら何でも言い過ぎよ」
「うっせい、俺たちだって暇じぇねぇんだ。そもそも聖羅が沙耶の様子がおかしいからって言うから来てやったのに、曲はもう作りたくないだ? 俺たちに対しての嫌がらせじゃねぇか」
嫌がらせ? 来てやった? 何を言ってるのよこの男は…
はぁ………もういい、どうでもいい。
私の置かれた状況を考えてくれない親友、曲が作れない事を嫌がらせと批判してくる恋人、誰一人として私の事を思ってくれない人達なんて、もうどうでもいい!!!!
私の中で何かが悲鳴を上げ、心にたまっていたものがあふれ出る。
「曲曲曲って何よ! 私よりそんなに曲の方が大事なの!? 私が今どんな思いで過ごしているか、どんな苦しい状況にいるかも知らないで!!」
「ちょっと沙耶、落ち着いて」
私の急変に驚いた聖羅が、落ち着かせようと私を諫めるが、あふれ出してしまった感情はもう止められない。
「嫌がらせ? ふざけないで! 嫌がらせをしているのはそっちでしょ!! 私はもう曲が作れないの! 作っちゃダメなの! お母さんもお父さんももういない、ユキはまだ病院のベットの上! 希望していた学校にもう行けない! それなのにまだ私に曲を作れって言うの! 出来るわけないでしょ!」
みっともなく大泣きしながら私は叫んだ。ずっと心の奥底に溜め込んでいた感情を全て吐き出す程に。
「ご、ごめんさーやん。私そんなつもりじゃ…」
ここに来てようやく私の心に触れてしまった綾乃は、先ほどまでの様子を一変させ、私に苦しそうな感情を向けてくる。
綾乃達からすれば、メジャーデビューは夢の到達点。そこから次から次へと歌を出し続けて行くことになるんだから、一度成功の姿を見せた私の曲は余程魅力的だったのだろう。だけど私はもう作れない、少なくとも当分の間は怖くて触れない。
「沙耶、その…沙耶が置かれた事情を全くわかってなかった」
聖羅が気を遣って間に入ってくれる。私だってこんなことは言いたくなかった。だけどどうしても抑えきれなかった。
心に貯まっていた感情を吐き出したお陰か、すこし頭の方が冷静さを取り戻す。
「ありがとう聖羅、綾乃もごめん。でももう私は…」
もうここまでにしておこう、これ以上親友にひびが入れば、取り戻しが出来ない所まで行き着いてしまう。それは聖羅も綾乃も同じようで、この話はこれ以上進めないとお互いの顔で示し合わす……が。
「で、結局曲は作るのか作れないのかどっちなんだ?」
一樹の心ない一言が辺りを凍り付かせる。
「ちょっといっくん!」
「まって一樹、沙耶は今…」
二人が慌てて止めるまもなく、一樹は更に続ける。
「あぁうぜぃ! 曲がつくれないんだったらもういらねぇじゃねぇか。大体綾乃が沙耶の作る曲がいいからつって、頼まれて無理やり付き合ったんじゃねぇか。それなのに一番大事な時に作れねぇんだったら、役に立つどころがお荷物じゃねぇか!」
………えっ?
一瞬鈍器のようなもので、頭をガツンと叩かれたように、考えが一切まとまらない。
アヤノニタノマレテ、ムリヤリツキアッタ? アヤノニタノマレテ?
「あやの…?」
それは私がはっした言葉なのか、ただ何かに反応してしまっただけなのか、まるで壊れた機械のように、大の親友だったと思われる人物にむけられる。
「まって、違うのさーやん。これはその…」
綾乃が激しく動揺する姿を目の辺りにして、びびだらけだった心が粉々に砕け散っていく。
私が友達だと思っていたのはただの幻で、目の前にいる彼女は、私をただ都合のいい道具としか見ていなかった。
私はこんな彼女の夢を応援してたいた? 一樹を紹介し、私を彼女達のバンドに近づけた理由がこれ?
友達だと思っていたのは私だけだったの?
「さーやんお願い、話を聞いて」
「きく? きくってなにを? あれ、なんで? なみだがとめられない」
もうやめよう、考えることはもうやめよう。
私は崩れ落ちるかのようにその場で座り込む。聖羅が慌てて支えようとするが、そんな彼女を巻き添えながら崩れおちる。
その様子をあざ笑うかのように一樹は…。
「くそっ、とんだ無駄足だったわ」
「まっていっくん、さーやんをこのままにしておけない」
「放っておけばいいだろう」
「だけど一樹、あの曲は雨宮のだろ? いいのかよこのまま」
「うるせぇ、あの曲は俺達のものだ。沙耶には関係ねぇよ」
やがて遠くなっていく、かつて彼氏だった男性の声を聞きながら、私はただただ泣き続けた。




