駅、東口にて同志を思う
バスの発着が盛んで人通りも多い西口と違い、東口は静かで閑散としている。
洒落た店もない。有名チェーンはいくつかあるが、駅前だからという理由「だけ」という感じがする。
駅からほんの少し離れればあとはもう地元の花屋や古びたスーパーくらいしかないのである。
並べれれば並べるほどろくでもない感じがするが、この東口の空気を僕は愛している。
「ずっとここで暮らしたいよね」
かつて、僕のことを同志と呼んだあの人はそう言った。
「『士』ではなくて『志』のほうだよ」
そう言っていたあの人。
小説を読むことが好きで、書くことも好きだったあの人。
『志を共にするということは友情よりも身近で、愛情よりも深い』あなたはそう言っていたけれど、僕は恥ずかしくて「親友」と呼んでいた。けれど、間違いなくあなたは同志だった。
あれから数十年が経った。
僕は今もこの町にいて、あなたが好きだった安いコッペパンを東口の店で買い、あの頃と同じように公園でそれを食べ、図書館へ通っている。
あなたがこの町を出て、ずいぶんになる。
最後に食事をしたあと、交換した連絡先にメッセージを送り何度かやり取りはしたが、それもなくなった。
「あの頃は楽しかったよね」
……あなたは最後にそう言った。
僕にとって、「あの頃」は過去ではない。
今も続いているのだ。だって、僕らは煌びやかな世界が苦手で、あの駅の東口のような閑散とした、けれど静かで寂しい美しさの中でしか生きられないと知ったから。
あなたは東京へ出た。
最初の頃、あなたは「東京はまさに『東京』という感じで馴染めない」と言っていたけれど、しばらくしたら「この町には面白いことがたくさんある」と言うようになった。
面白さより刺激がほしいという言葉を思い出した。それは、東京へ出る前にあなたが言っていたことだ。刺激は見つかったのかい? 口から発しそうになった危うい問いを僕は無理やり飲み込んだ。
それからさらに日が経った。
あなたには恋人ができたという。
あなたはビジネス書の面白さに気付いたという。
それを否定するつもりはない。だって、それが正しいと僕も気付いているから。
けれど、僕はいまもこの町に生きている。生きたいと思っている。
あの時、あなたが僕を同志と呼んでくれたから、僕は僕の生きたい道を肯定して歩むことができている。
感謝の方が大きい。だから、あなたのことを変わったとは言わない。「成長」したのだと言いたい。
栄えた西口でバスを降り、地下通路を通って東口に出る。
外へと続く階段に、いまでもあなたの幻を見ることがある。
今日もまた、東口はもの悲しく、静かで美しい。
かつての同志よ。僕はいまも、この町にいる。
あなたが愛して「いた」この町を、変わらず僕は愛して「いく」。
ありがとう、同志よ。
幸せに暮らしてください。




