自白剤を飲んだら溺愛されました
〈婚約発表30日前〉
「リリー様、紅茶をお持ちいたしました」
「ありがとう、いただくわ」
リリーは王家のメイドが持ってきた紅茶に手を伸ばす。
「——お代わりをいただくよりもさっさと帰りたいのだけれどね」
「えっ?」
扉の前に控えていた騎士が驚いて声をだす。
「えっ?」
これはリリーの声だ。
「?」
先程まで興味なさげにお茶菓子を見つめていたこの国の第一王子、ルークも顔をあげる。
「ちょ、ちょっと私体調が!しっ、失礼いたします!」
リリーは逃げるように応接間を飛び出した。
〈婚約発表29日前〉
「昨日のあれは、なんだったのかしら」
リリーは自室でひとりごちる。
「あんなこと、言うつもりなかったのに、口から勝手に言葉が……」
ルークと会った日、いつものように滞りなくお茶の時間を終わらせる予定だったのに、本音が口から出てしまったのだ。
あんな失敗するはずないのに、気が緩んでいたのかしら?と考えていると部屋の扉がノックされた。
「お嬢様、殿下からお手紙が届いております」
「ルーク様から?」
いつも私から出しても返事をなかなかいただけないのに?
急いで封を開ける。
そこには2日後のお茶会へ招待する旨が綴られていた。
〈婚約発表27日前〉
「お呼びいただきありがとうございますっ、ルーク様!」
リリーは3日前と同じ応接間にいた。
「やあ、会ったばかりなのに、呼び立ててすまない。お前の顔が見たくなってな」
「いいええ、私もルーク様とお会いしたかったので嬉しいですっ!——どうせ顔が見たいなんて嘘ですよね?あ、あれっ?」
慌てふためくリリーを前に、ルークがふはっと吹き出す。そして首を振って真剣な顔になる。
「今日はお前に謝らなければならないことがある。呼んでこい」
ルークは扉の前にいる騎士に指示を出す。
すると先日お茶を運んできたメイドがやってきた。
「リリー様、大変申し訳ありません!」
入ってくるなり、額を床に擦り付ける勢いで土下座をされる。
「なっ、何事ですか?」
「申し訳ございません、私どもの手違いで、先日お淹れした紅茶にその……」
「その?」
「じっ……」
「じ?」
「自白剤がっ……!」
リリーは絶句する。
「俺からもすまない」
ルークが僅かに頭を下げる。
「ル、ルーク様、頭を下げるなど」
慌てるリリーに、ルークはそのままの姿勢で言葉を続ける。
「お前とのお茶会が終わった後に来客の予定があってな、そいつに飲ませる指示を出していたんだが、手違いでお前の紅茶に入ってしまったらしい」
「そんな」
「効果は一ヶ月、飲んだ時にお前の視界に入っていた俺相手に有効」
「……」
「だが、いつも笑顔で擦り寄ってくるお前が、あんな本音を隠していたとは」
ゆっくりと顔をあげたルークは満面の笑みだった。
〈婚約発表26日前〉
リリーは昨日と同じ応接間にいた。
2日連続でルークに呼び出されたのだ。
「昨日に引き続きすまんな」
「いえいえっ!こんなに頻繁にお呼びいただけるのは初めてではないですかぁ?——意外に殿下もお暇なのかしら?うっ」
「ぶはっ……本音が出ているんだから、取り繕うのはやめたらどうだ?」
ルークは肩を振るわせる。
後ろからも笑いを堪える音が聞こえて、振り返ると騎士まで手で顔を覆っている。
リリーはむすっとした顔で前に置かれた紅茶を飲み干す。すかさずメイドが震える手でおかわりを淹れる。申し訳なさからだと思いたい。
「月に2度の俺とのお茶の時間を楽しみにしていると思っていたが、違ったのか?」
ルークが楽しそうに問いかける。
こんな笑顔を向けられたのは、幼少期の頃以来かもしれない。
「そんなことっ!な——ええ、面倒だと思っていましたわ。誰が仏頂面で、話しかけても上の空、手紙を出しても返事をくれない婚約者との時間を楽しみにできて?はっ」
リリーはぱっと口を覆う。
こんなの不敬罪と言われても仕方ない。
恐る恐るルークを見ると、楽しそうに笑ったままだ。
「そうか、それはそうだな。すまなかった。学園でもいつも笑顔でくっついてくるものだから、気が付かなかった」
「いえ、良いのですっ!ルーク様もお忙しいでしょうし、全然——家から殿下のご機嫌をとれとうるさく言われていますし、生徒の中にお目付役もいますの。嫌がられていると分かっていても、私にはそうするしかありませんのよ、ひいっ」
ついに涙目になったリリーに、ルークは優しく声をかける。
「そうだな、悪かった。これからは気をつけよう」
〈婚約発表22日前〉
この数日間、リリーはルークを避けていた。これ以上本音を晒してしまっては困る。
ただルークから1日置きに手紙がくるようになったので、その返事はだしている。
このまま自白剤の効果が切れるまでやり過ごそうと思ったが、そうはいかなかった。
「リリー、ここ数日殿下のところに行ってないみたいだけど、どうしてなの?」
あいつ、早速ちくりやがったわね……とリリーは思う。同い年の従兄弟がお目付役として、リリーの動向を見張っては母に報告しているのだ。
「申し訳ありません、ここ数日体調が優れなくて。殿下に元気のない姿をお見せするわけにはいきませんから」
「あら?変ねえ。ジョージからの報告では、ランチのデザートを3回お代わりするくらい元気だったみたいだけれど」
ジョージのやつ……どっから見てるのよ……
「まあいいわ、明日から頑張りなさい。もうすぐ婚約発表なのだから、それまで自分をアピールするのよ。間違っても白紙に戻されないように」
「……ええ、分かっておりますお母様」
またあれをしないといけないのかと、リリーは溜息をついた。
〈婚約発表21日前〉
「ルーク様ぁ」
学園でルークを見かけたリリーは、いつものように猫撫で声でルークに擦り寄る。
ルークを取り巻いていた生徒達は、またかと言う目をして少し距離をあける。
自分をアピール、精一杯笑顔で、可愛くあざとく……!をモットーに毎日頑張っているが(母と侍女から叩き込まれた)、あざとすぎるため一部の生徒からは白い目で見られている。男子生徒からは概ね好評だが。
「ああ、ここ数日顔を見せにこなかったな」
「そうなんですぅ、ちょっと体調が悪くてっ……お会いできず寂しかったっ……」
そう言って腕を取ると、ルークを取り巻いていた令嬢達がすごい顔でこちらを見ているのが目に入った。気持ちはよく分かる。
ルークは一瞬考え込んだ後、耳元で囁いてきた。
「……で?」
すぐ近くで聞こえる良すぎる低音ボイスに、体が震える。
「本音は?」
「——お母様に注意されたから来ました。でも顔が見たかったのは本当です……って、私何を……」
ぼっと耳まで赤くなったリリーに、ルークは目を見開く。
「でっ、では、私はこれで!」
そそくさと退散するリリーの背中を見ながら、ルークは手を口に当ててひとりごちる。
「あれは反則だろ……」
〈婚約発表14日前〉
ルークの執務が立て込んでいたようで、お茶会までに間が空いた。これまで月に2回の開催だったので、今月が異常なのだが。
手紙は変わらず1日置きにもらっていたので、久々な感じはあまりしない。
応接間に通されたリリーは、騎士が扉から出ていくのに気がついた。
「ルーク様、本日は騎士様はお部屋にいらっしゃらないのですか?」
未婚の、しかも婚約発表前の男女が2人きりになるのはよろしくない。
「大丈夫だ、扉は開けてある」
そう言われ扉を見ると、確かに1センチ程開いているようだ。あれを開いているというのかは甚だ怪しいが。
「今日はお前に聞きたいことがある」
いつになくルークが真剣な顔をしている。
「あと2週間で俺とお前の婚約が発表されるが、念のため確認しておく。俺との婚約に、異存はないか?」
「そんなものっ、あるわけないですっ!——もし嫌だと言っても、今から覆せるわけないじゃないですか。んんっ」
最後は咳払いで誤魔化す。
「まあ、そうだな。今更婚約者を変えることはしない。だが、お前の言動と本音があまりにも違っているのが気になってな……お前は俺を好いてはいないのか?」
「もちろん、す——分からないんです。」
「分からない、とは?」
リリーは諦めて話し出す。
「——私は確かにルーク様を好いておりました。だけど月日が経つにつれて、私に笑顔を向けることが無くなって、学園でもお茶会でもつまらなさそうにしていて……私の目を見てお話しされることも無くなってしまいました。ここ最近はお前と呼ばれるばかりで、最後に名前を呼ばれたのもいつだったか思い出せません……もう疲れたのです」
話しているうちに涙が止まらなくなる。
「——学園の皆さんとは楽しそうにお話しされているのに、私が近づくと面倒そうなお顔をされていてっ……確かに鬱陶しいと自分でも思いましたが、私だって家から言われていて……嫌われてもどうすることもっ」
ルークが突然立ち上がり、どかっと隣に座ったので、リリーは驚いて口をつぐむ。
やはり言い過ぎてしまったのだろうか?
「リリー、すまない」
ルークが困ったようにリリーの頭を撫でる。
「ある日突然リリーが、他の令嬢と同じように俺に媚びてくるようになってがっかりしたんだ。俺の好きなリリーはいなくなってしまったのかと。だが、リリーの中身は変わっていなかったな。話の内容に耳を傾けず、思い続けてくれたリリーを追い詰めてしまったのは俺の責任だ」
「俺の好きな……リリー?ルーク様、私のことを好いてくださっていたのですか?」
ルークは困ったように笑う。
「すまない、俺は感情表現が下手なんだ。表に出さないよう、そう教わってきたから。リリー、自然体で良いから……、もう頑張らなくて良いから。もう一度ちゃんと好きになってもらえるよう、今度は俺が頑張るから」
そのまま床に跪く。
「俺と結婚してくれ」
「——っ!え、ええ」
リリーは涙で濡れた顔で笑った。
〈婚約発表7日前〉
あれからルークの、リリーに対する態度はがらりと変わった。
学園では、ルークからリリーに会いにくるようになった。
自然体で良いと言われたリリーは、媚びるような態度と猫撫で声をやめた。
本音で笑い合う2人を見て、ルークを取り巻いていた令嬢達はため息をついた。
ルークは昔のように笑顔を向けてくれ、リリーと呼んでくれるようになった。
ずっとお前と呼んでいたのは、最近のリリーを別人のように感じてしまい名前を呼ぶのが躊躇われたからだということ。
リリーも、周りの意見を鵜呑みにして媚びへつらうような態度を取っていたことを反省した。ルークの性格を考えれば、にこにこと隣にいるだけの女性より、対等に言いたいことを言える自立した女性を好むことは明らかだったのに。
〈婚約発表1日前〉
「——遂に明日ね」
「ああ。この日を待ち焦がれたよ」
「——ルーク様の周りにいたご令嬢が、婚約者の座を得るために動いていたという話を聞いて驚いたわ」
「そんな話は全部捻り潰したけどな。付け入る隙があると思っていたみたいだ。最後は俺とリリーの仲の良さを見て諦めたみたいだけれど」
「——ええ、もしかしたら離れる未来もあったのかもしれないわね。自白剤は困ったものだけど、今回は感謝しないといけないわね」
リリーはふふっと笑う。
婚約者がリリーではなくなったことを考え、ルークは身震いするのだった。
〈婚約発表当日〉
「これにて、ルーク第一王子とリリー・ウィンザー公爵令嬢の婚約式を執り行います」
盛大な拍手と共に、幸せそうな2人が手を組んで步いていく。
一ヶ月前からは想像も出来ない姿に、感極まって涙を流す友人達、2人の関係の修復を噂でしか聞いておらず驚く貴族達、婚約者の座を奪えなかった悔しそうな令嬢達。色々な感情が渦巻く中、ルークはしっかりとリリーを抱き寄せる。
「リリーとここまで来れて本当に良かった。リリー、改めて君を愛している。この先一生守ると誓おう。俺は今世界一の幸せ者だ」
「——あら、私が世界一よ?私もルークを愛しているわ。私も隣でルークを守ると誓うわ」
顔を見合わせ、どちらからともなくふふっと笑い合う。きっと幸せな夫婦になれる、2人ならきっと幸せな国にできる。そんな予感がした。
〜婚約発表会場の片隅で〜
「あの自白剤、結構良かったですよね」
「ええ、あの2人、明らかに思い合っているのに盛大にすれ違っているんだもの」
「今回は俺たちお手柄ですね」
「ルーク様、わざと入れたの気が付いているんじゃないかしら?あの臨時ボーナス、もらったの私達だけらしいわよ?」




