炎の魔導士 1
上沢町では、雨が降っていた。
夏特有のじめじめとした暑さと、肌に纏わりつく湿気が不快な気持ちにさせる。
空を覆い尽くす黒い雲によって、夜道はより暗く濃くなっている。
揺らめく姿が一際目立って見えるのは、そのせいだろう。
「........」
視界を染める暗闇の道に異常な光景があった。
獅子の姿を象った紫の炎が、そこに佇んでいた。
獅子の目線の先には家があった。
高級そうでもなければ、ボロボロなほど古いわけでもない、ただの普通の家。
獅子にとって、家の価値などどうだっていい。
重要なのは、中身だ。
カーテンから光が漏れ、大人数で笑い合う声が聞こえてくる。
━━人の声。営みの音。
低く唸れば、炎は激しく燃え始める。
本能のままに大地を蹴り、家へと駆け出す。
「随分とまぁ、派手な色だね」
「.......!」
獅子の進路を断つように、半透明の壁は現れた。
声の聞こえた方向へと振り返る。
道の先に、どこか見覚えのある女がいた。
夜風に靡く赤色の髪は、白衣姿に良く映える。
彼女は咥えていた煙草を吐き捨て、近づいていった。
「民家から辿って来たら、こんな大物がいたとはね。あの火事は、君が元凶で間違いないだろう?」
「━━━!」
━━よくも邪魔を...!
そう言っているかのように睨み付け、彼女に襲い掛かった。
「手荒い歓迎だ。少しは加減してくれよっ...と!」
彼女の真横ギリギリを、炎が通り過ぎる。
獅子は即座に方向を変え、爆発音と共に突っ込んでくる。
彼女の背後に回り込み、上半身を起こして、体重を乗せた右腕を一気に振り下ろした。
地面にヒビが入る程の衝撃。
だが当たった感触は無く、彼女は既に間合いから離れていた。
「思っていたより早く動けるみたいだね。でも、まだこんなものではないだろう?」
「..........!」
彼女の挑発が癇に障ったのか、獅子は咆哮を上げ、怒涛の連撃で追い詰めようとする。
近づきながらの噛みつき。
巨大な身体を生かしたタックル。
後ろ足で立ちながら、鋭い爪を引き出した前足で眼前を薙ぎ払う。
息をつく暇も与えないとばかりに、結界内を縦横無尽に駆け回りながら攻撃を仕掛ける。
━━なるほど。噴き出す炎で推進力を得て、加速しているのか。
「確かに速い。けれど、コレぐらいならまだ目で追える」
彼女は冷静に、繰り出されていく攻撃を避けていく。
何度狙っても当たらない。
幾度この腕を、牙を、身体を振るっても振るっても避けられる。
その事実だけが延々と続き、遂に獅子の怒りは頂点に達した。
「⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎ァァァァ━━━!」
言葉では表せられない、獣の咆哮。
彼を形作る炎が、どんどん膨れ上がっていく。
「━━━来る...!」
足が一歩、踏み出される。
それは一瞬。
爆発音さえ置き去りにして、銃弾のように突っ込んでくる。
「無理やりにでもっ...」
ガーナは、後ろに隠した右手を前に突き出した。
「止まってもらう!」
掌から、野球ボール程の球体が放たれる。
圧縮された炎の球が、すぐ手前まで来ていた獅子の顔面にぶつかり.....爆ぜた。
数分ぶりの静寂が戻ったと思われた。
「.....これで終われば楽だったんだけどね」
獅子は蹲っている。
けれど。
「どうやら、そう簡単にはいかないみたいだ」
けれど獅子は、未だに彼女を睨めつけていた。
━━やはり、炎に対して炎をぶつけるのは相性が良くなかったか?
身体の炎の勢いは弱まったが、目立った外傷は見受けられない。
彼はフラフラしながら立ち上がる。
━━さて、どう動く?
彼女が警戒する中、くぐもった声が聞こえてきた。
「ア、ァ...ア、ツイ。アツイ...」
「! 喋った.....?」
獅子の炎が、消えていく。
それと同時に、響く声は鮮明に、人の言語に近くなっていく。
「熱い、こレハ本物の炎だ。私は、知っている!」
炎は完全に消えた。
そこには、ガーナと同じような白衣を着た男がいた。
胸ポケットには、ライオンを象ったバッジが炎に照らされて妖しく光っている。
「この炎を操れるのは、お前しかいない。クリスティアル・ガーナ。いや、クリス・リリィ」
「.....とうの昔に捨てた名前を知っているなんて、私にも熱心なファンが居たものだね」
魔術ではない本物の炎を操る事を知り、本名さえも知っている目の前の男に対して、警戒心がどんどん膨らんでいく。
「あなたは私を知っているみたいだが、私はどうしてもあなたの事が分からない。もしかして、どこかで会った事があるかい?」
「...顔や声で分からないのは無理もない。私はずっと指示をしていただけだからな。だが生憎と、私はお前を赤子の頃から見ている。そしてお前は、私の名前だけは知っているはずだ。忘れられる訳がないのだから」
赤子。
その言葉だけで、彼女は男の正体を1つだけ見出した。
━━まだそうと決まった訳では。
━━いや、もしそうだとしたら。
━━もしも、彼なのだとしたら。
「リュネ・オウラ。これが私の名だ」
「.....おいおい、何かの冗談だろう?」
「いいや、冗談ではない。魔法研究所リュネの所長であり、龍人計画の発案者。そして.....」
━━あぁ。これは、最悪な出会いだ。
「...お前を造った、生みの親だ」