刀(上)
「━━━━始めましょう?」
その言葉が耳に届くのと同時に、少女の刀は一樹の眼前に迫っていた。先ほどまでの両者の距離はほぼ7メートル。その距離を、少女は一瞬で詰めた。
疾い。だけど……!
振るわれた刀の位置を見極め、逆手に持ち替えたナイフを動かす。
互いの手に握られた得物がぶつかり合い、金属音が響き渡る。
「防げるんですね」
「ちっ……!」
一樹は後ろに飛び退いて、ナイフを構えた。
━━━次の一手がどう来るか分からない。 だけど考えてたって何も始まらない
左手を地面に付いて姿勢を低くする。
弓に番えられ引き絞られる矢のように、身体を縮ませ、両足に力を込めた。
そして、放つ。
間合いを一気に詰め、その速度で以てナイフを振るった。
右手に痺れが走る。当たったという感覚はあった。だが彼女は傷一つ負っていない。
防がれたか……。一樹は冷静に、ナイフを構え直し強く握った。
攻撃は防いだけど、あまりの衝撃に体は吹き飛ばされた。なんてでたらめな攻撃。正直、あの子を見くびっていたかもしれない。
次はちゃんとしなくては。
あぁ、でもどうして。
━━どうして一撃目を外した時、すぐに二撃目を振 るわなかったのだろう?
二撃目で確実に彼の首を切れたはずだ。なのに私は、こうして姿を見せて彼と殺しあっている。
「……どうしてかしら?」
手に持つ相棒に問いかけたが、何も答えてくれなかった。
━━今の私には、貴方の声を聞く資格すら無いのね
それでもすべき事は変わらない。
下された命令は殺すこと。
それ以上でもそれ以下でも無いのだ。
落ち着いて。方法は違うがいつもと同じなのだから
少女が走り出した。それに反応して一樹も駆け出す。理念と願いを持って、両者は再び激突した。
斬り合いながら、一樹は刀の動きを視ていた。
彼女の剣さばきはまるで、筆で絵を描くみたいに綺麗で、見惚れるほど美しい。けれど時には、力強く荒々しい。
一樹はそれを、防ぐ事しか出来なかった。
焦るな、動きを良く視ろ。何でも良い、攻撃できる隙を作るんだ。
そしてそれは、唐突に訪れた。
少女が水平に振った刀を持ち上げる。
一樹は、その後の攻撃を予測していた。
━━━今だ!
斜め下へと振るわれる刀を、防ぐのではなくずらすように受け流す。
少女の姿が横を通り抜ける。一樹はその隙を見逃さず、後ろを振り向きながらナイフで薙ぎ払う。
だが手応えは無く、彼女の姿も消えていた。
━━どこに消えた?
辺りを見回す。けれど見つからない。
音が微かに聞こえる。これは、風を切る音?
どんどん近づいてくる。音のする方向は━━━
「上か!?」
見上げると、彼女の姿があった。少女が空から落ちてくる。ただ、落ちているだけではない。彼女はそのまま、次の攻撃に移行していた。
刀が思い切り振り下ろされる。とっさに防いだが、全体重を乗せた攻撃に耐えられず体勢が崩れた。
後ろ向きに倒れ、背中を地面に打ち付ける。
「ぐっ!」
痛がっている暇は無かった。目の前にもう一度刀が振り下ろされる。少女の追い打ちを、横に転がりながら回避して彼女の間合いから離れた。
少女は、静かに一樹を見据えている。あれだけ動いていたのに、息一つ乱していない。
一樹は荒い息を繰り返して、震える足に活を入れて立ち上がる。
そしてゆっくりと瞼を閉じた。
身体中の全神経を眼に注ぎ込む。
焼けるように熱くて痛い。
眼を開ければそこは、モノクロの世界。
眼前全てが白く塗り潰され、黒い線があらゆる物体の輪郭を描く。
それらの内側には形は違えど必ずある灰色の歪み。
これこそ、彼の持つ異端の眼の力。
一樹は少女を視る。
歪みの位置は左足、右腕、脇腹。
体の中央からやや左側の場所、即ち心臓であろう部分。
「視えた…!」