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3話

 九龍(クーロン)

 現在の技術では“紳士の国”ですら再現することの出来ない途方もなく大きな遺跡。建造物であるのか自然に形成された地形であるのかすら不明、外から観察する分には人の手が加えられた形跡が見られるものの、光も入らないため地図も作れず、その内部に迫って全てを解明したものはいない、深入りしたら出られないラビリンス。遺跡を壊すことは憚れるのか島田紳助もここを壊しはしないし、命が惜しい学者たちは九龍の探険を諦める。考古学者をかじっていた頃には憧れの対象で、学友たちは男女を問わず誰もが九龍の体の中にある誰も見たことがない心に恋をした。


「しばらくはここに身を隠すことになるのか」


「しばらく?」


「俺はまた戻らなければならない。国宝が売られるのを黙って見過ごすことは出来ない」


 脳に砂糖がまぶされて侵食された女は高級な人参の漢方薬を代わりに振りかけても元に戻らないけどわたしの頭脳は砂糖にやられていた。駆け落ちというには準備が足りなかったけど、わたしは九龍での逃亡生活に何かスウィートなロマンスを期待していたのかもしれない。九龍で生き抜くことが出来る算段もあるしね。


「……とりあえず入ってみよう」


 わたしは遺跡の調査で九龍に来たことがあった。一度見たものは決して忘れない優秀な頭脳の真ん中まではまだ砂糖も漢方薬も来ていない。以前に到達した場所までは記憶を頼りに迷わず行けるし、迷わず帰ることが出来る。わたしがいれば体力の続く限り安全に九龍を探険可能ってこと。九龍を根城に、必要な時だけ町に降りて必需品を調達すればいい。

 九龍までの道のりで入手した食料、刃物、提灯を背負い、真っ暗な九龍の喉の奥へと歩みを進めていった。


「なんだなんだ!?」


「蕃茄、意外とビビりだね。あれは太古のディスクだよ。この遺跡は太古のディスクで溢れていて、あれは光を反射しやすいから提灯が揺れると太古のディスクが瞬くんだ」


「ビビってるんじゃない。俺はお前を守らなければ」


「蕃茄が? わたしを? 百年早いよ」


「結局、太古のディスクってなんなんだ?」


「古い時代の記録媒体であるとされているよ。建物から察せられる遺跡の重要度に限らずよく出てくるし、発見される紙の書物と比較する紙より優れていて、旧時代ではかなり普及された記録手段だったみたい」


「この一枚に? 白蛇拳の極意書より多くの情報が入っているのか?」


 蕃茄が一枚の太古のディスクを手に取って提灯の光を当てた。太古のディスクに空いた指一本が通るくらいの穴を中心に、細かい光の輪がゆらゆらと提灯を映す。蕃茄はくるりと太古のディスクを裏返した。


「こっちの面は鏡じゃないんだな。絵と文字だ」


「そっちは太古のディスクの内容の説明や題名だと言われてる」


「なんだこの文字は……。島田紳助の文字か?」


「見せてごらん。う~ん、ゼット、オー、エム、ビー、アイ、イーか。文字は読めるけど意味はわからない。きっとこっちの朽ちた人間の絵を意味する言葉だと思う」


「クソッ、これを読み取る手段があれば島田紳助と戦う術もわかったかもしれないのに」


「九龍にはまだ未解明の部分が多い。望みは薄いけど解読できなくもないかもねぇ」


「気休めだな」


「ああそう、気休め。よくわかったね。ご褒美に飴玉でもあげようか?」


 急に空気が変わった。気圧やガスじゃない。ひりつくような蕃茄の闘気。手でわたしを制止し、指の筋が一ミリ動くだけで飛沫の音さえ聞こえるような、流水を泳ぐ白蛇の虚像が九龍の廊下に現れる。提灯の光が反射するはずのない場所で小さな光がゆらゆらと揺れている。


「あれ、さっきの太古のディスクの題に描かれていた化け物じゃない?」


「朽ちた人間が動くというのか。島田紳助がかわいく見えるな」


 ボロボロに朽ち果てた虫籠にホタルを入れた異形の何かが提灯に引きつけられるように歩みを進めてくる。ボサボサの長髪に島田紳助とも違う異国の帽子に金属の装飾品、サイケなグラデーションのボロ布を纏っている。骨が折れているのか腱が切れているのか足を引き摺り、生き物の声ではない悍ましい音を喉から発している。


「うああ……おかか……」


「ウォタッ!」


「かはぁ!?」


 蛮危(バキ)ッ! と蕃茄の拳が朽ちた人間の鳩尾を打ち抜いた。チッパー・ラディッシュですら耐えられない白蛇拳の基礎中の基礎だ。だが朽ちた人間は倒れない。ゆらりと一度脱力したのち、ゆっくりと顔を上げる。拳の入った手応えとは違う反応に蕃茄が戸惑っている。わたしでさえそうだ。


「ウォッ!」


「ま、待て待つんじゃ」


「タァッ!」


 蕃茄の拳が朽ちた人間の顔面で寸止めされる。まともに当たってたら今度こそ死が確実な致命的な軌道だった。


「痛い……。少し待て、回復する。お前の育った町ではこれが挨拶か?」


「驚いた。朽ちた人間が喋っている! いや、九龍は無人のはず!」


「そっちのお嬢さんは少し賢いようじゃのう。痛い……。ワシの名は鳳梨(ファンリィ)。この九龍に住み着いておる、拳精の一人。とある拳法に憑りつかれた亡霊じゃ」


「亡霊? 殴れるの?」


「ああ、殴れる。だから殴られるとワシはダメージを負い、痛いのでもうやめてもらおう。ワシは君らの味方だ。鳳老師と呼んでくれ。ぐはぁ」


 やはり初撃がまともに臓腑に入っていたようで鳳老師が血を吐いた。本人はあまり気にしていないようだけど、こっちには大きな問題だ。こんな朽ちた人間が生活を送れるほど、九龍って住める場所なの?


「亡霊というのはものの喩えじゃ。文学を理解できんやつにはシャレが通じぬ。一応説明するが、ワシは屍でもない。屍の格好をしているだけじゃ」


「殴って済まなかった。俺は蕃茄。こっちは青菜。俺たちの味方というのはどういう事だ?」


「君らは今、大きな力を求めている。そして今、入門の権利を手に入れた。抗えないはずの死さえ“使う”ことが可能な最強の拳法。“屍拳(シカバネケン)”に興味はないか?」


 死。誰もが避けては通れない、全人類最大の難敵。この鳳老師はそれを“使う”だって? 年寄りが死を恐れるあまりに死について深く考えすぎてバグっちゃうなんて角刈りの魚屋よりありがちぃ。


「狂人の真似とて大路を走らば即ち狂人なり。俺には不要。白蛇拳がある」


「だからいいんじゃ。君ならワシの宿願である屍拳を完成させることが出来る。それともアレか? 老い先短いジジイの頼みを断るか? それとも島田紳助の名門カントリークラブの会員を除籍されるのかね?」


 わたしは蕃茄の肩を叩いて体を翻し、鳳老師に聞こえないように言葉をかけた。


「話だけ聞いてあげよう。本当に鳳老師が九龍で生活できてるなら、逃亡生活が明るい。新しい拳法を習ったって減るもんじゃないでしょう?」


「気は進まない。白蛇拳の型が狂う」


「まぁそう言うなって」


 わたしには万事OKだ。ここで蕃茄がその屍拳とやらを習得したせいで白蛇拳に乱れが生じれば、蕃茄は戦うことをやめる。蕃茄まで動員しようとしていたほどの国宝売買の大きな取引に殴り込みをかけようなんて馬鹿げたことは諦めるだろうし、屍拳の訓練に時間がかかって国宝売買を防ぐことが出来なければ蕃茄ももうどうでもよくなってしまうだろう。困難な選択を迫られている時は機が過ぎるのを待つしかないことだってある。わたしたちはずっとそうだったって話したよね? 嵐が過ぎるまで身を低くして去ってくれるのを待つだけ。去ってくれたら「この程度で済ませてくれてありがとう」って感謝する。わたしは諦めるのが早かったから困難にあまり殴られずに済んだ。蕃茄もそろそろそうすべきだ。

 それに九龍の遺跡に囲まれてお気楽ライフを過ごすなんて最高だぁ。変なジジイがいることだって問題じゃない。町にだって変なジジイはいた。変なジジイ(あるいはババア)がもう一人いれば麻雀もできる。

「しょうがない。鳳老師。少しだけ習いますよ」


「ほほう、それはいい。さっそく修行にかかろう、青菜くん」


「ん?」


 鳳老師も蕃茄の肩を叩き、わたしにシワシワの手を差し出した。そして人差し指をピンと伸ばす。カンフーを教える老師のはずなのに拳ダコのようなものは見られない。


「君が屍拳を完成させるキーマンじゃ。君の持っている太古のディスク。その文字が読めるのだろう? 渡したまえ」


「ああ、わたしはインテリなので! 島田紳助の言語もそれなりにはできますよ」


「その太古のディスクを解明することが屍拳にとって大きなカギになる。そしてゼット、オー、エム、ビー、アイ、イー。それはZOMBIE(ゾンビ)と読む」


「ゾンビ」


「そう、そのディスクの名は『ゾンビ』! 蘇りし生ける屍、ゾンビが人を襲い、ゾンビに殺された者はまたゾンビとなる。その様子が記録されている」


「蘇った生ける屍?  僵尸(キョンシー)とは違うの?」


「似て非なるものじゃな。共通しているのは死への恐れと期待じゃ。どうやって殺せばいいのかわからない。どうすれば死ぬのかわからない! だが死んでいるが故に誰よりも陽気な(Grateful )(Dead)。これが死さえも使用することが出来る屍拳の極意! 白蛇拳が蛇を模したものであるように、屍拳はゾンビの象形拳なのじゃ! この九龍にはその『ゾンビ』以外にもゾンビを記録したディスクが多く眠っている。幸いにも『ゾンビ』はで使われるのは島田紳助の言葉じゃが、他の言語でゾンビを記録したものも多い。言語とは得意なヤツはとことん得意なもんじゃ。それを可能な限り発掘し、青菜くんの頭脳で解読して蕃茄くんが解釈し理解、そして屍拳に落とし込む。君たち二人をワシはずっと待っていた!」


「このジジイ……。全部今考えたでしょう」


「カモン。『ゾンビ』を観せてやるわい」


「どうやってさぁ。この鏡面にそのゾンビとやらが映るっての?」


「その太古のディスクの本当の名はDVDと言う。まだ手付かずの遺跡にのみ残る太古の箱と接続し、雷の力を流し込めばディスクが読み込まれて箱に絵が映り、それが動いて記録された音が奏でられる。太古のディスクと太古の箱は全ての空想を映し出す。それからゾンビを学ぶのじゃ」


「馬鹿な」


 今日はみんな何をしていた? 暇すぎてずっと鳳老師の言う太古の箱を食い入るように観ていたんじゃない? これからわたしが経験する太古の箱、太古のディスク、そして『ゾンビ』は拳の民きってのインテリがオーバーテクノロジーによって腰を抜かす様を学究的かつ的確に描写するはずなんだけど、恥ずかしかったからここでは詳しく話さない。わたしがそのショックから回復するまでに医者ならわたしの全身の骨の名前を一つ一つ口に出して確認しながら折っても余るくらいの時間を要した。医学に関しては門外漢だけど度肝ってやつを抜かれた。でもたった二時間の『ゾンビ』は御大層な文学みたいに作者の意図を理解させるのに五時間も六時間もかけなかった。想像と知識で補う必要もないくらいの恐怖と興奮の原液を砂糖まみれの脳に直接打ち込まれたんだ!

 ゾンビ。これがゾンビ。

 このゾンビ経験が実を結ぶ屍拳の完成形をお伝えするにはもう少し時間がかかるから、みんなが太古の箱とディスクを持っているならそれを使ってカワイイ猫のお昼寝でも見て落ち着いた方がいいかもね。

 この物語の名前は“拳禍”。完成した屍拳はあまりにも型破りで破天荒で、全世界の拳法を根底から揺るがすことになる。それはきっと伝統の中にある拳法界にとっては禍にだって見える。

 そしてもちろん、ヤツらにとってもね。

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