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2話

 わたしは大金持ちだから惑わされないけど、島田紳助から仕事、或いは金をもらってる人たちってのは、衣食住以外のお金の使い方に飢えてる。

 “CACCの誇る英雄 チッパー・ラディッシュ”

 看板の絵に偽りがなければ二メートルはありそうな“紳士”でシルクハットに「まだ着てんの?」ってくらいの胸毛だ。でも残念。この看板は欺瞞だ。やられ役の蕃茄も隅っこの方に描かれているけど、看板の蕃茄はわたしよりも小さい。

 “チッパー・ラディッシュ 麻雀牌”

 “チッパー・ラディッシュ 扇”

 “チッパー・ラディッシュ お箸”

 “チッパー・ラディッシュ 自転車”

 “チッパー・ラディッシュと一緒に……姿見”

 会場はこんなのばっかりだ。でもお金の使い道に困る民は、せめてものお土産にこういうものを買っていくしかない。 “紳士”を称えるバカげたグッズを作ることで賃金を得てる人もいるしね。


「蕃茄」


 蕃茄は控室すら与えられず、武道会館の隅っこで禅をしていた。スタッフたちはこの後の試合の準備で忙しく駆け回り、誰も蕃茄を気にしたりしなかった。まるで見殺すことに負い目を感じるように。


「試合前は何も食べない方がいいの? 差し入れに愚龍軒(グロンケン)のカニチャーハンを持ってきたよ」


「美味い。島田紳助の魚の揚げ物にはもう飽き飽きしてたんだ」


 食は心と体を癒す。美味しい食べ物は心に安らぎを与え、食物は血肉となる。みんなのために傷ついてくれている蕃茄だけど、こんな傷を癒すためにこんなにおいしいカニチャーハンを使うのは不憫だ。


「力が湧いてくる」


「よかった。頑張ってね、蕃茄」


「おう」


 蕃茄がツギハギだらけのカンフー服に着替えた。やられ役は悪だから必要以上に醜くしなきゃいけないってことかい。さぞかしご立派な“紳士”が相手なんだろう。


「Oh、ナマイキですね。女、連れ込んでますよ」


「これはこれはミスター・ラディッシュ! この女は青菜っていうちょっとした僕の友人ですよぉ。今日は試合を観に来てくれたんで、お手柔らかにお願いしますよぉ」


 看板はやはり欺瞞だった。本物のチッパー・ラディッシュは看板以上の巨体の持ち主で、下品なぐらい真っ白なガウンに身を包んでパイプをふかしていた。それを見て蕃茄はハエくらい手をすり合わせてご機嫌をとった。


「ナマイキですね。ちょっといい女ですよ。ミーの館にお招きしたいくらいです」


 チッパー・ラディッシュがわたしの頬を掴んで顔を近づける。目じりの皺や毛穴、スカスカの頭髪、ヤニだらけの薄汚い歯、毛むくじゃらの指までよく見える。少なくとも、この“紳士”はよく見りゃ醜いみたいだ。


「そんなチンケな女はミスター・ラディッシュには似合いませんって。もっといい女を抱かないと!」


「そんなコトありませーん。アナタは食べるタンタンメンのヌードル一本一本まで良し悪しに拘りますか?」


「ならもっといい女、紹介しますよ」


「フフッ、アナタのその必死な態度がとっても愉快でーす。この女に俄然興味湧きました」


「ミスター・ラディッシュ……」


「オーノー。ちょっとからかっただけでこんなに凹まれたんじゃあなたは立派な紳士にはなれませんよ。アヘンやってる女で遊ぶ趣味はありませーん」


「あぁりがとうございます! さぁ青菜! ミスター・ラディッシュの気が変わらないうちに帰った帰った」


「ダイジョーブでーす。ミーはマッサージを受けに行きまーす。そのカニチャーハンはもらっていきますけどね」


 舞台はこの国の縮図だった! だってここでもそうなんだもん。まだ試合は始まっていないのに、人の顔色を窺ったり、おだてるなんて大の苦手なはずの蕃茄が虫みたいになってるんだもん。本来なら白蛇拳の使い手はそうされる側の立場なのに! 蕃茄は不器用なカタブツなんかじゃなかった。わたしなんかよりもずっと前線で、気持ちを押し殺して柔軟に島田紳助と戦ってたんだ。


「悪かったな青菜。全部の島田紳助がああなんじゃない」


「全部はそうかもね。でもあいつは?」


「あいつは……」


「わたしが蕃茄の立場じゃ言えないけど、あいつはクズだよ。友達を呼ぶくらいのことをナマイキなんて言うなんて」


「フッ、今の俺は何を言われても傷つく。お前が俺を慰めれば、せっかく慰めてもらったのに俺はこの後の試合で噛ませ犬だ。お前が島田紳助を貶しても、そんなやつらにこの後すぐ俺は負ける」


「でも蕃茄、わたしにはわかったよ。あんなやつにいいようにされても、蕃茄はちゃんとやってる。カニチャーハンの力を使って、この一発で地獄へ行け、だよ」


「慰めるな。……カニチャーハンはありがとう。俺は禅を組みなおす。一人にしてくれ」


 それから一時間後のことだった。


「ワーイ、オイラは脱税大好き拳法家だよぉー! 脱税した米って別格の味だよねぇー!」


 蕃茄は舞台の上で、粗末な米を頬張ってセリフを読み上げていた。


「こらこら、村で取れた米はキチンと申告しなければならないよ。税はみんなが豊かになるための制度だからね」


「イヤアル! これはオイラのお米アル!」


「こらこら。あんまりおイタをするとミーのブリティッシュ・スティール・スープレックスが火を噴くぞ。おとなしくしよう」


 そしてチッパー・ラディッシュは相変わらず「まだ着てんの?」ってくらいの胸毛を大胸筋と一緒にピクピク動かしていた。そして蕃茄から米を取り上げて、逆上した蕃茄をCACCの技で床に叩きつけた。蕃茄は虫みたいにのたうち回って、悶え苦しんで、転げまわっていた。この無様な姿こそが蕃茄の誇りであるとわかる人間がここに何人いるのだろう? チッパー・ラディッシュは見栄えだけいいCACCの技で蕃茄に制裁を加えていく。誰も蕃茄を応援しない。チッパー・ラディッシュの技に歓声を送るだけだ。これがこの国の本音なのか?


「女の子もきれいだし、この国はいい国だよ。ミーにも女の子を紹介してほしいくらいさ。君の知り合いにも一人いたじゃないか」


「……あぁん?」


 前後と噛み合わないチッパー・ラディッシュのセリフで蕃茄の顔色が変わる。アドリブってやつだ。それが白蛇拳正統伝承者の逆鱗に触れた。セリフとは思えない蕃茄の唸りで次第に舞台袖の焦りが伝わってくる。次にわたしのいる観客席まで不穏な空気が広がった。

 今まではみんなチッパー・ラディッシュを観ていた。やつが中心だった。でも今は違う。負け役には見えない芯の通った動きで蕃茄が立ち上がり、両腕が流水に揺れる天女の羽衣が如き天衣無縫の動きを見せる。インテリのわたしのボキャブラリーでも表現出来ない美しい型だ。チッパー・ラディッシュが気圧され、薄ら笑いが消える。


「ウォタァッ!」


「オープ!?」


 見間違うはずもない! あれはまだわたしが「将来は蕃茄のお嫁さんになるもん」とか言ってた頃から蕃茄が修行していた白蛇拳! 神の使いに喩えられる聖なる蛇が宿った蕃茄の右腕はチッパー・ラディッシュの胸毛に肘まで潜って臓腑に致命的な一撃を加えた! その肘がカニチャーハンにまみれる。チッパー・ラディッシュの胃は白蛇拳の基礎中の基礎にすら耐えられなかった! デカブツの“紳士”は演技じゃないって一目でわかるほど苦しみながら、象が倒れるような音で床に転がった。


「うぉっふ」


 体のどこかの穴から汁が出そうだ。こう表現すると下品になるから正しく表現すると目から涙、口からよだれが出そうだった。約二十年生きてきて一番痛快だった場面だね。まぁ、そう遠くない未来にもっと痛快なことが起きるけど、この一瞬はこの時点では最高だった。白蛇拳がちょっとやる気を出せば“紳士”の一人や二人は一撃のもとに沈む。島田紳助にビビってヘソ曲げたわたしでさえこうだったんだ! ずっと抗い続けた蕃茄の気分はそりゃ愉快痛快だっただろう! でもそう上手くはいかなかった。


「……」


「……」


 観客はみんな拳の民だってのに誰一人興奮しなかったんだ。事前に試合内容が決まってるCACC。蕃茄がその筋書きを破って“紳士”をガチで倒してしまったことで伝播したどよめきは興奮じゃなかった。


「ゴメンナサイ……」


「ヒエェ……。俺は無関係だ。悪いのは俺じゃない……」


「ゴメンナサイ」


「ゴメンナサイ」


 恐れだった。蕃茄は“紳士”に立ち向かった英雄じゃなく、勝ち目のないケンカを売った反逆者だった。あまりの恐れに、頼まれてもいないのに蕃茄に代わって謝罪の合唱が始まった。蕃茄が本気でキレちゃったんならチッパー・ラディッシュでも止められない。つまり島田紳助の息がかかったスタッフも白蛇拳の餌食になるだけだ。だった一人舞台に残され、蕃茄は震えていた。


「蕃茄!」


「青菜」


「逃げよう!」


 怯えて謝罪する人たちを体当たりでどかし、蕃茄の服を掴むと震えは止まり、島田紳助が用意したカンフー服のツギハギが裂けてしまった。


「逃げるってどこに」


「それをここで言っちゃあ島田紳助に逃亡先がバレる」


 わたしも震えていたんだ。蕃茄みたいに“何か”が欲しくて、それが来るのを待っていた。

 そろそろ本題に移ろうか。白蛇拳は全然不思議な拳法じゃないもんね。難しいけど美しくありふれた拳法だ。

 わたしが最初に言った不思議な拳法……“屍拳”が全容を表すのは、わたしの回想の時系列ではもう少し後になる。あと三分から五分くらい、愚かな若者の逃避行に付き合って。


「どこに行きやがったあの蛇野郎」


「見つけ次第ミスター・ラディッシュからお仕置きだな」


「蕃茄くぅーん。出ておいで。大丈夫だよ。起きたら軽い頭痛がして牢にブチこまれているだけだから大丈夫だよ!」


 編み笠を被ったパシリと島田紳助の憲兵たちが大通りを歩いている。わたしと蕃茄はほんの少しのお金を持って路地裏で息をひそめていた。


「バカなことをしてしまった……。親父たちがやられる」


「ウチはこの程度じゃビクともしないほど“紳士”にお金を払ってるから大丈夫だけど、蕃茄の家はやばいかもね。でもやったのは蕃茄だよ」


「蛮!」


「でもチッパー・ラディッシュは“紳士”の中でも強い方でしょう? 白蛇拳の門下全員でかかれば、この町くらいは奪還できるんじゃない?」


「チッパーは三下だ。あいつは“六福星(ヘキサゴン)”と呼ばれる威力部隊の一員に過ぎない。それも体の大きさとCACCの腕と愛想だけで“六福星”になんとか入れた。CACCなど実戦ではクズだ」


「おじさんに頼んでみようよ」


「望みは薄いが、無事は伝えなければ」


 蕃茄の家は名門のカンフー道場で、ご近所だったから場所を忘れたことはないけど今日は頭の中の地図を開くまでもなかった。編み笠パシリと憲兵たちの密度の濃い方向を辿っていけば自然と道場につける。……はずだった。蕃茄の実家がその時もまだ道場、だったならね。


「ッ!」


 “白蛇拳之王”。

 そんなふんどしだけを締められた蕃茄の父親が、全身に傷を負い、虫の息で道場の門に吊るされて晒し者にされていた。老いても蕃茄の父も白蛇拳のマスター。彼も“紳士”の……暴力か金の力か知らないが、リンチを受けて敗北してしまった。門下生たちも誰も蕃茄の父を助けようとはしない。むしろ安堵してさえいたんだ。蕃茄の罪をおじさんが被ってくれたって……。少しは許されて、自分たちに怒りの矛先は向けられないって。わたしたちに気付いているのはまだ蕃茄の父だけだ。


「ブンブンシャカシャカブブンシャカ!」


「逃げろ! 蕃茄! 父はお前を誇りに思う! グハァ」


 派手な衣装を着た島田紳助かぶれの拳の民が、奇妙な拳法で蕃茄の父親に暴行を加える。あれも“六福星”の一員だろうか。


「許さん……許さんぞ島田紳助ッ」


「蕃茄、抑えて。ダメだ。やっぱり逃げよう」


「どこに?」


「忘れられた遺跡、九龍(クーロン)に行こう。あそこなら遺跡が複雑に入り組んでるから島田紳助も追ってこられないよ」


 三分もかからなかったかな? そろそろ“紳士”への鬱憤ポイントが溜まってきた? 島田紳助、白蛇拳、そしてこれから出会う屍拳。これらはたった一人のヒステリックなガールフレンドに匹敵するほど厄介なシロモノだけど蕃茄の物語には全部出る。

 次回はいよいよ、遺跡・九龍へ!

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