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今代の魔王による聖女捕獲劇の結末は

作者: 御雪

 

 いきなり見知らぬガタイのいい、というよりかは背が高い細マッチョ的な成人男性が現れて、自分の目の前に跪いたとしたら、どうする?

 慌てるか、呆けるか、はたまた踏みつけるか。それとも何故こんな事をするのか理由を聞く?

 選択肢は無限にあり、どういった行動をとるのかも三者三様だろう。


 そしてどこにでもいる普通の町娘である私、エマ・クレイズは────逃げるを選択した。オプションで猛ダッシュを追加して。


 3秒ほどその場で固まったあと、なんとも形容しがたい奇声を上げつつ回れ右した私は混乱していた。いや今の状況でするなという方が無理な話だ。もはや恐怖しか感じない。そもそも意味が分からない。つまり逃げた私は悪くない、むしろ正常である。


 背後から追ってくる気配を感じつつもただひたすらに逃げた。



「お待ちください聖女様」

「いやあああああ!」


 いい歳した青年が戯言ほざいてくるうううう!

 ヤバいやつ、これは絶対ヤバいやつ!!


 まず意味がわからないよね聖女ってなに聞いたこともないんだけど恐怖しか感じないしそもそも誰だよって突っ込みたいし私に男を侍らす趣味はないし面倒事の匂いがヤバイしなんなら一生関わりたくない部類の人間だよあれこのまま全力で見なかったことにしたい!!


 私は生まれてから一番全力を出して、死にものぐるいで走った。これだけ必死で走るのは後にも先にもこれきりにしたい。明日は絶対筋肉痛である。





 ゼェゼェ言いつつ過呼吸気味になりながら、私はなんとか家まで逃げ切る事ができた。体力では適わないが地の利はこちらにあると踏んで小さな道をちょこまかと走ったのがよかったんだろう。ヤツをこの辺で見かけたことはないし服装も綺麗だったからおそらくあれは都会に棲息する生き物だ。


 こんなに疲れたのは小さい頃田舎の実家で魔獣に追いかけられて以来である。あれは怖かった。食べられると思って死に物狂いで逃げていたのに、周りの大人たちは微笑ましげに見ているだけだった。「それはタイニードッグゆうてな、害のない人懐っこい種だから安心せいや」なんて言われても安心出来る訳がない。小さな子供からしたらヒュージキングベアと同じサイズ感なんだぞ。

 その後助けてくれなかった近所の老人(おじいちゃん)にドロップキックをかましたのはいい思い出である。親には怒られたが、その人は今も田舎で戦斧(バトルアックス)片手に魔獣狩りをしているので反省していない。


 私は何度も振り返ってヤツが追ってきていなのいのを確認し、扉に手を伸ばす。一刻も早く鍵を閉めたい。一息つきたい。ソファーが私を呼んでいる。



























 ぬっ。



「みゃあっあああああああ!!」



 なんかいる!!なんかいるんですけどーー!!


 なんでいんの!?恐怖でしかない!家の裏側から出てくるなんてストーカーもびっくりだよ!


「お待ちしておりました聖女様」

「寄るな変態!」


 泣いていい?泣いていいよね?もう泣くよ?さっき振り切ったじゃん。後ろ振り返ってもいなかったじゃん。あれか?私がちょこまか逃げ回ってるうちに直行で私の家を目指したの?


 住所まで調べるとかなんて計画的な犯行(ストーキング)。いい歳した成人済みの青年っていうのがまた恐怖倍増。


「……聞いていらっしゃいますか?聖女様?」

「もうやだなんで私がこんな目にあわなきゃいけないんだろう今日はちょっと贅沢してデザートにプリンを食べるって決めてたのにあっもしかしてそのちょっとの贅沢を神様に咎められたのかななんて心が狭いのかしら」

「話を聞いて下さい聖女様」

「生きて夕食を迎えられたらプリンじゃなくてゼリーにするわ」

「聖女様、戻って来てください聖女様逃げないで」



 現実逃避?ええ、わかってる。でもちょっと意識を飛ばすくらい許されると思わない?なんなら大声で泣きわめいて飛び蹴りを食らわすくらい許されると思う。

 変態に慈悲はいらない。これ常識。



「変態に出くわして逃げない女性がいたらそれはとんでもないドえむさんだと思うの」

「私は変態ではありません。例えそうだとしても常識のある変態です」

「常識のある変態なんてこの世にいると思ってるの?ヤツらは他の人と趣向が違うのは認めていても理性より己の欲求に勝てないから常識を無視してあんな愚行に走るのよ。滅べばいいと思う」

「……何か恨みでも」

「小さい頃露出狂に少々」

「……それは心中お察しいたします」


 ちがう。露出狂について語ってる場合じゃない。お気遣いありがとうとか言いかけたけど今大事なのは露出狂じゃないんだ。


「あなたのジャンルは付き纏い(ストーカー)でいいかしら?」

「違います」



 とりあえず、休憩したい。



 **



 その後、出来たら直ぐにお引き取り願いたかったのだが話を聞くまで帰らないというなんとも迷惑な方法で居座り続けようとしたので、仕方なく彼を連れて街の広場まで戻った。家に入れるなんて絶対にお断りである。家の近くも何となく嫌だ。


 そして渋々ながら話を聞いたところによると、彼はなんと王都の守護騎士だという。

 守護騎士というのはだいたい百年に一度現れるという『聖女様』を守る役割を担う人たちで、国ではなく教会に属しており、それに選ばれるのは数多くいる騎士たちでもトップに君臨するエリート。つまり、超偉い人。雲の上の存在。ぶっちゃけ王族を守る近衛騎士より狭き門。騎士たちの永遠の憧れ。

 言われてみれば目の前の青年が着ている服は確かに騎士の隊服で、守護騎士だけが持つことを許される襟元の銀のバッジには聖女の象徴である月とそれを守る剣の紋章が描かれており、そのデザインはこの国の民ならば誰でも知っているものだ。見間違えようがない。

 ちなみに近衛騎士の隊服には金、守護騎士の隊服には銀、一般騎士の隊服には紺で刺繍が施されており、一目で違いが分かる作りとなっている。バッチリ銀の刺繍もあった。

 そして逃げる時は必死すぎて気が付かなかったが、この青年、顔が良い。さっきから主に女性陣のチラチラとした視線を感じてはいたが、改めて見るとものすごく顔が整っていた。


 超エリートで、偉くて、みんなの憧れで、顔が良い。


 そしてそんな輝かしい人を変態呼ばわりした私。


 故に私は謝罪した。そう、心からのお詫びを表す最高級の謝罪、土・下・座、である。

 私のハートは結構チキンの上に何の権限も持たないただの町娘なので、いくら変態だろうと権力は怖い。いくら変態だろうとも。私は悪くないと思っていてもな!体裁って大事だと思うの。


「すみませんでした」

「顔をお上げください聖女様。本部にバレたら殺されます」

「そんな馬鹿な」

「事実です。私にも婚約者がいますので彼女に悲しい思いをさせたくありません」


 婚約者、いるんだ。


「……超エリートの守護騎士でさらに彼女さんまでいる人の仕事が街で小娘を追いかけ回すことって、字面だけ見ると結構ヤバくないですか」

「聖女様を追いかけ回すことができる仕事なら喜んで承りますよ」

「ねえそれ婚約者の方、怒りません?」

「私の話を快く聞いて下さる心の広い方ですので、きっと許してくれます」

「優しさの権化」


 私だったら嫌だわそんな人。いくら仕事とはいえほかの女を追っかけ回すなんて。

 ……まあ愛の形は色々あるっていうしね。きっとそんな優しい人もいるんだろう。

 私は恋人いたことないけどな!……やめよう、虚しくなってくる。


 あと守護騎士って変態の集まりなんじゃないかっていう疑問も思い浮かばなかったことにしよう。



「それで、聖女様には是非とも教会本部までお越しいただきたく」

「今の流れで何故!?」

「快適な生活をお約束しますよ。ご入用の物は直ぐに用意させますし、何かを強要される事もありません。あなたはただ頷いて下さるだけでいいのです」

「新手の宗教勧誘?」

「教会のコネを使えば王都内のどんなスイーツでも取り寄せが可能ですよ」

「えっ欲し……だから何で?」

「ご自宅から持ち出したい物は後日指示していただければ直ぐにお届け致します」

「話聞かないなこの人!」


 笑顔って圧がすごいんだね。今まで生きてきて初めて知ったよ。押しが強い!


「だ、だからどうして行く必要が!?言っておきますけど、私にすごい力なんてないですよ。むしろその辺の石ころと張り合えるくらいの使えなさですよ。変態を撃退するのもまだ棒切れの方が役に立ちますよ?」

「聖女様に戦力としての役割を求めている訳ではありませんので安心してください。むしろそれは守護騎士(わたしたち)の仕事です。それらについてやこれからの説明は道中でお話させて頂きますがそれで問題ございませんか?」


 問題しかないのでは?


 私、行くって一言も言ってないんだけどな。

 この人、言語変換能力が狂ってるんじゃないかな。



「い、嫌ですって。私権力とは無縁の場所で生きていきたいんです!」

「教会ではあなたが最高権力者となりますので権力など(そんなもの)有って無いようなものです」

「そういう事じゃないんですけど!?」

「そもそも教会は不可侵の機関であり国政に対して無干渉が定められていますので、政治に利用される事もありません」

「さっきコネがどうたらって……」

「それはそれ、これはこれです」

「黒じゃん!!」


 はいダウトー!舌の根も乾かぬうちに!

 騎士のみなさーん、これが守護騎士ですよー!え、ほんとにこんな人に憧れてるの?かっこいい人は何をしてもかっこいいって思っちゃう心理的な?

 是非とも目を覚まして欲しい、世界はもっと広いはずだから。


「さらっと嘘をつくのは人としてどうかと思うんですけど」


 思わず睨んでしまった私は悪くない。

 せめてちょっとくらい罪悪感持とう?仕事をしようよ倫理観。家出中なら帰ってきて。


 転職すれば立派な詐欺師になれるだろう目の前の人はその笑みを崩さないまま、全く悪びれもせずにのたまった。


「所詮この世は地位と財力がものを言うのです」

「おい守護騎士」

「そんな世の中を思いのままに操れる権力……手に入れてみませんか?」

「いらないって言ってんでしょーが!!」



 油断も隙もないな!!

 しつこいしお断りしてるんだからそろそろ帰るべきじゃない!?しかもなんかありそうな謳い文句だし!


 私は絶対行かないからな!!































 ……はい。


 何故でしょうか、私は今、超高級な馬車にちょこんと座っております。


 なんでや。



 ……ええ分かってます、私が彼の脅しに負けたことくらい。

 でもさ、あの後さ、『家は覚えた』『明日からずっと休みを取ろうかな』『あなたと話すのは楽しいですね』なんて言われてみて?恐怖でしかなくない?私がOKするまでずっと押しかけるってことでしょ?


 ひっじょーに不本意ながら屈するしかないよね。


 もう一度言うけど、わたしは結構なチキンハートの上にただの町娘なので権力は怖い。


 あと聖女様っていう割に彼から敬いが微塵も感じられない。別に敬って欲しい訳ではないけど。

 しかも何が腹立たしいかってまあ当然ながら全てが腹立たしいけど、とくにイラッとしたのは既に馬車を用意してたってことだよね。


「最高級のものをご用意致しましたのでどうぞごゆっくりお寛ぎください」なんて言われた時は思わず手が出そうになった。後が怖そうだからやめておいたけど。

 さらに今までの押し問答に意味あった?とか思っている所に放たれたこの一言。


「必死にお断りしている聖女様も大変可愛らしかったです」


 ………いつか殴ると決心した。








 静かに揺れる馬車の中は、確かに超高級だった。クッションはふかふかで座り心地は最高だし、いつも乗る馬車に比べて揺れが格段に少なくスムーズに進んでいく。内装もとても綺麗な飾りやら彫刻やらがあってすごく豪華。

 けれどぶっちゃけ、めっちゃ怖い。こんな豪華なものに触れる機会がない身としては、色々と汚してしまわないか不安で落ち着かない。



「……とりあえずこの誘拐騒動(仮)について聞きたいことがありすぎるんですけど、質問してもいいですか?」

「何なりと」

「じゃあ、そもそも聖女様ってあのおとぎ話の聖女様の事ですよね?勇者と一緒に魔王を倒しに行くっていう……。確か戦いのお話だったと思うんですけど、この平和な時代に聖女様なんて必要なんですか?」


 これは当たり前の疑問だと思う。私が聖女……では無いと信じたいけど、別に聖女がいなくても国は回っているし、他国との争いもなく日々のほほんと暮らしている私たちにしてみれば本当に聖女が必要なのか分からない。

 ぶっちゃけいらないんじゃない?とか思ってる。



「だから別に私が行かなくてもいいんじゃないかなー、なんて」

「いいえ、平和な時代だからこそ必要なのです。魔王の精神安定剤として」

「……魔王の、精神安定剤、ですか?」

「はい」

「魔王の精神安定剤」

「はい」

「魔王の……」





 ……ふう。




「……オーケーオーケー落ち着くんだ私。そうだ私はやればできる子。なんかもう色々麻痺してるかもしれないけどあんまり驚かなくなってきた」



 なんかもう末期な気がする。


  何がって言われても分からないけど。

 強いて言うなら突っ込みが追いつかなくなってきたってことかな?


 やばいわ、私無事に明日を迎えられるんだろうか。主に精神的な意味で。




「まず、あなたは魔王と聖女様についてどれ程ご存知でいらっしゃいますか?」

「えっと、昔絵本で呼んだ簡単な内容くらいです。たしか勇者と聖女が魔王を倒そうとしたけど負けて、聖女が命と引き換えに勇者を魔王城から逃がした、みたいな内容でしたよね?」

「一般的にはその様に伝わっているのですが、城の禁書に記されている内容は少し違うのです」

「えっそれ私が聞いていいやつですか」

「先程から私があなたを何と呼んでいるのか頑なに聞こえないふりをするのは諦めてはいかがでしょうか」

「あっ、私の名前はエマ・クレイズです」

「このタイミングでの自己紹介にも固い意思を感じますね」


 ではエマ様と呼ばせていただきます、と守護騎士は言った。様はいらないんだけど、と答えたら本部に殺され(以下略)と返されたので諦めた。まだ殺人犯にはなりたくない。婚約者さんを悲しませたくもないし。会ったことないけど。

 あと教会ブラック企業説浮上。


「あっ、そういえばあなたのお名前は?」

「これは大変失礼致しました、私はオリヴァー・ライリエと申します」

「オリヴァーさん」

「どうぞオリヴァーとお呼びください」

「……それ、呼ばなきゃ教会に(以下略)ですか」

「いえ、ただ私が嬉しいだけです」

「あなたふてぶてしいって言われません!?」

「よくご存知で」



 もうヤダこの人。

 なんかこう、なんでか分かんないけど、ものすごく腹が立つ。

 人をおちょくるのも大概にしろって言いたい。


「話の続きをお願いしますオリヴァーさん」

「意固地なあなたも素敵ですね」


 ……ああもう腹立つな!!



「さっさと話してくれますか!?」

「承知しました」


 なんだか釈然としないながらも、彼は城に伝わるという史実を教えてくれた。そしてそれは、聖女のその後の事についても書かれていた。







 むかしむかし、とある国に悪辣非道な魔王がいた。彼は多くの手下を使って、人間に対し嗜虐の限りを尽くしていた。魔王の手下たちは強く凶暴で、人間たちはもはや魔王に支配される他ないと諦めていたが、そこで勇気ある1人の男が立ち上がった。後に勇者と呼ばれる青年である。

 彼は己を鍛え、剣を極め、かの魔王を倒そうと努力した。それに触発された職人は立派な武器と防具を与え、料理人は力のつく食事を提供し、貴族は知識を伝え、裕福な人々は財を捧げ、彼に希望を託した。

 彼は共に戦う仲間を揃え、魔王を弑する準備を整えた。


 そしていざ行かんと国を発とうとした時、人間の王より一人の少女が与えられた。

 これが聖女である。

 彼女は人を癒すことの出来る魔法が使える、唯一の人間だった。勇者は危険な旅になるから連れて行けないと言ったが、聖女は自衛はできます、きっと皆様のお役に立ちます、どうか連れて行って下さいと懇願した。

 勇者たちはしぶしぶながら、了承した。いくら癒しの魔法が使えるからと言って、まだ年若い少女を戦場に連れていくことは気が引けたのだ。けれど世話になった王の好意を無駄には出来ず、何より本人がそれを望んでいた為勇者たちは聖女を連れていくことに決めた。


 そして彼らは、旅に出た。



 多くの手下を倒し、時に深手を負いながら彼らはただひたすらに魔王城を目指した。傷を癒せる聖女は言葉通り皆の役に立った。勇者たちの心配とは裏腹に、彼女はとても強い心を持っていた。

 彼らは立ち止まりそうになりながらも一丸となって魔の道を切り開き、ついに魔王のいる玉座の間へと辿り着いた。


 だが、かの魔王の力は圧倒的だった。幾ばくもの敵を屠ってきたはずの勇者たちなどものともせず、彼らをまるで虫を払うかのように追い詰めた。傷を受ける度に聖女が癒すが、やがて聖女の魔力も底をついた。勇者たちはついに玉座から一歩も動かなかった魔王の前で膝をついた。彼らの闘志は衰えてこそいなかったものの、誰一人として立ち上がれるものはいない。最早これまでかと覚悟した時、非道なる魔王は言った。


 “そこの女を差し出せば、お前らの命は助けてやろう”


 もちろんそこの女とは、魔力が底をついて倒れている聖女のことである。癒しの魔法が使える人間が珍しかったのか、魔王は聖女の身柄を要求してきたのだ。

 聖女と勇者たちは、これまでの道程でお互いを支え合い、助け合い、守り合ってきた。彼らの間には、切っても切れない強い絆が育まれていた。

 ゆえに勇者たちは魔王の言葉を聞き、かつてない程憤る。決して冷酷なる魔王に渡してなるものかと、今にも気を失いそうな体に鞭打って、再び敵うはずのない戦いに挑もうとした、その時。


 “その言葉がまことであるならば、私は喜んで従います”


 小さな、けれど澄んだ声で聖女が応えた。

 いつの間にか立ち上がっていた彼女は服も体もボロボロだったが、その姿勢は凛としてまだ誇りが失われていないことを示していた。

 勇者たちは驚き、咄嗟に聖女を止めようとしたが、勇者が聖女に触れる前に彼らは皆、姿を消した。魔王が国へ還したのである。

 そしてこの場に残ったのは2人だけ。聖女は魔王に対する恐怖を必死で押し殺し、真っ直ぐ魔王を見上げて言った。


 “彼らを見逃してくださったこと、感謝致します。私に可能なことなればどんなことでも致します。死も甘んじて受け入れましょう。何卒、彼らに御慈悲を”


 少し震える声で魔王に告げる。魔王は玉座に座ったまま、凍てつくような眼差しで彼女を見下ろすのみだった。














 そしてその数年後──魔王と聖女の結婚式が盛大に行われた。



「まってさいごなんかおかしい」


「?」


 いや首かしげるとこじゃないから。



「いやいやいやおかしくないですか!?そこは普通囚われの聖女を勇者が救い出す物語になるんじゃないの!?なんで結婚しちゃったの!?何そのエピローグ、脅されたとかじゃなくて!?」

「はい、恋愛結婚だと伺っていますね」

「常識が迷子!!」


 いや何でだよ!!まってほんとに何で!?


「勇者は故郷に恋人がおりましたので、旅が終わり聖女様の無事が確認された後結婚なされました。お二人の式には魔王と聖女様も参加され、大変華やかだったと記されています。あ、ちょうどあちらが式を挙げた会場になりますね。……ご覧にならないのですか?」


 いや見るよ。ご覧になるよ。気になるし私にだってミーハー心はあるからね。

 ただ今ちょっといっぱいいっぱいっていうか。詰め込まれた内容が私の小さなキャパシティを超えたっていうか?


 ノロノロとした動きで馬車の窓から覗き見る。


 ……ああ、素敵な教会ですね。ええ、心が洗われるようです。そうかあ、あそこに魔王様も参加したのかあ……。かつての敵同士がねえ……。わー、素敵ー。



「綺麗ですね……」

「エマ様はああいった外装がお好みですか?ではそのように伝えておきますね」

「まって下さい何の為に?」

「…………」

「……なんか言えや!!」


 不安になるようなことだけ言わないで!



 ていうか全部が分からなさすぎる。何で結婚しちゃったの聖女様。人間滅ぼそうとしてた奴ですよ?勇者ボロボロにした奴ですよ?


 聖女が惚れたか、魔王が惚れたか。それが問題だ。


「魔王ですね」

「そっちかい」

「一目惚れだそうで。元々人間を滅ぼすのも暇つぶしだったようですし、聖女様が人間である為これ以上国を荒らせば嫌われると考えた魔王は直ぐに侵略を中止。この世界とは別の次元にある魔界という所に魔族を連れて引っ込んだとか。今いる魔獣はその時に取りこぼされた獣型の魔物が繁殖したものだとされています」


 もう1回言っていい?

 常識が迷子なんですけど。


 話の最後で聖女のこと睨んでたのは何で?


「ああ、あれは聖女様が他の男のことを気にかけていたのが気に食わなかったそうです。ご自分の命と引き換えに勇者たちを逃がした訳ですからね。可愛らしい嫉妬と思っていただければ」

「心狭っ」


 いや全然可愛らしくないよ。むしろドン引きレベルだから。初めて会った敵よりずっと一緒にいた仲間を優先するのは当たり前じゃない?


 もしかして魔王様、………重いんだろうか。


 そして真実を知っていく度に嫌な予感が募っていくのは気のせいだろうか。



「二人はその後、紆余曲折ありながら心を通わせ結婚なさいました。魔王が押し切ったとも言いますが。そして聖女様が寿命を迎えられ輪廻の輪に入る時、魔王は聖女様に対の魔法をかけました。

 魂は巡ります。そして魔族は魂を何より重要視します。聖女様が再びこの世に巡るとき魔王もまた同時に巡るよう、魔法をかけたのです。まあ、聖女様の魂を誰にも取られたくないという可愛らしい独占欲ですね。どちらも記憶は継承されないようですが」



 だからドン引きレベルですってば。可愛さの欠片もないです。

 薄々、いやだいぶ思ってたけどオリヴァーさんちょっとおかしいよね?


「何故記憶が継承されないのかという事については専門家の中でも意見が分かれるところですね」


 専門家、いるんだ。


「特に年に一度行われる『魔王と聖女の愛を読み解く会』、通称『魔聖会』では毎年専門家による白熱したディベートが繰り広げられます。今の所、新たな気持ちで恋をしたかったから、もしくはそもそも記憶を継承する技術がなかったから、という二つの説が有力で拮抗していますね。あまりの熱の入り具合に拳での語り合いが勃発し怪我人が多数出た為、数年前から自分の解釈を伝える表現方法について肉体言語は禁止となりました。ちなみに熱演を繰り広げる方々は我が国が誇る最高位の学者たちですので、とても聴きごたえがあります」


 この国が少々心配になる事案を聞いた気がした。



 そしていよいよ嫌な予感しかしない。

 魂は巡る。それは聞いた事がある。全然いいよ、OKだよ。思う存分巡って欲しい。

 百年に一度現れる聖女様っていうのはきっとそういう事なんだろう。


 ……問題は、この人が私を何と呼んでいるかだ。


「はい、エマ様。あなたは初代聖女様の魂を受け継ぐ方。平和な世界に魔という厄災をもたらさないよう、魔王のそばに居て頂きたく存じます」




 イコール生贄!!




 ………あああーー!!

 知らないでいたかったよおおお!!分かってたけど!!散々呼ばれてたから分かってたけどさあああ!!


 待って待って、じゃあ何か、いま私が向かっているのは魔王城だとでも言いたいのか?魔王って教会に住んでるの?ていうか話に出てきた癒しの魔法とか使えませんけど?なんなら恋に落ちる予定もありませんけど!?


 即ち死!!


「いっ、嫌だあああ!おり、降ります!降りるから停めてッ!!」


 無理じゃない!?いや無理じゃない!?

 百歩譲って癒しの魔法は関係なかったとしよう。魂が大事だというなら顔の美醜にも目をつぶってくれるだろう。

 でも一目惚れして貰える自信なんてこれっぽっちもないんですけど!?あったとしたらそいつはただのナルシストだよ!

 だって向こうも記憶がないんでしょ?対面したはいいけど向こうに『ええー……何かこれじゃない』的なことをいわれたらダメージ半端じゃなくない?


 それとも初代聖女様の魂さえあれば他はどうでもいいっていうこと?それって主に地獄じゃない?私が。


 だから私は必死で訴えた。お願いします見逃してくださいと。


 しかし私の一世一代の懇願を、血も涙もない魔王の手先(しゅごきし)はにこやかに一刀両断して言ったのだ。


「歓迎しますよ」


「降ろしてええええ!!」



 私は今日、売られていく仔牛の気持ちを心の底から理解した。




















「「「お帰りなさいませ聖女様」」」



 ──そこ、聖女様をご主人様に変えてもう1回言って欲しい。

 出来たら可愛い女の子に。



 遠い目でそんなことを思ったのはきっと、現実逃避の一種だろう。



 本当に教会かと疑いたくなるようなバカでかい白亜の城に到着したと思ったら、その玄関前に並ぶ守護騎士たちに迎えられた。

 銀の刺繍とバッジが輝く隊服に身を包んだ騎士たちがずらっと並ぶ光景は荘厳である。一糸乱れぬ整列を披露してくれるのはありがたいし眼福だけど、出来たら私に関係ないところでやって欲しかったなあ。どっかのセレモニーとかで見たかったなあ。そしたらもっと楽しめたと思うんだけどなあ。


 私が逃げ出さないように馬車をおりた時から魔王の手先(オリヴァーさん)にがっちり掴まれた手を外そうと四苦八苦しながらそんなことを考えていると、列の先頭にいた守護騎士が進み出た。


「お待ちしておりました聖女様。我々守護騎士一同、心より歓迎申し上げます。我らの代に聖女様が現れるとは思ってもおらず、団長と共に馬車でこちらに向かっておられると聞いた時はまさに天にも昇るような気持ちでございました。聖女様にお仕え出来ることこそ至上の喜び。何でもお申し付けください」



 おっっも。


 既に手に負えない。

 頭突きしてでも逃げたいけど多分手は外れないだろうけど逃げたい。おじいちゃんを戦斧(バトルアックス)付きで召喚したい。

 あと素敵なおじさまに頭を下げられる居た堪れなさがすごい。何も悪いことをしていなくても『あっすみません』みたいな感じになるの誰かわかってくれるかな。





 というかさっき団長と共にって言ったこの人?



「……団長?」

「はい」

「聞いてないんですけど……」

「言ってませんからね」


 ……えっこれが?世も末じゃない?

 魔王の手先かと思ってたらまさかの右腕だと!?


「ええ、僭越ながら教会より守護騎士団団長の任を賜っております。まあだからといって特に他の騎士たちとやる事は変わらないのですが」

「我らがライリエ守護騎士団長は最年少にしてその地位に就任し、これまでにも様々な功績を残しておられます」

「すごいんですね……」

「それはもう。団長に憧れて守護騎士を目指す方も多いですから。特に先日、長年尻尾が掴めなかった王都に拠点を構える人身売買を生業とした組織を壊滅に追い込んでからというもの、ますます守護騎士団を目指す若者が増えました。さらにライリエ団長は今代の魔王でもあらせられますので尚更かと」

「そんなに偉い人だったんですね……」


 結構わたし失礼なこと言ってたような気がす嘘でしょなんて言った今この人?





 えっ。



 えっ?







 ばっと隣を振り返る。


 にっこり笑顔が返ってくる。













「なッにゃんだってええええええぇぇ!?」

「噛んだあなたも可愛らしいですね」


 うるさいそこ!私が今噛んだかどうかなんてどうでもいいんだよ!


 うっそでしょ!?えっ待って嘘でしょ!?


 魔王?魔王って何?ねえ魔王って何!?


 魔王(ほんにん)かよ!


 ていうかそんなことひと言も言ってなかったよね!?手先でも右腕でもなく本人!?

 つまりこいつは自分が魔王の生まれ変わりだということを隠して一般騎士のように振る舞い私の反応を楽しんでいたということか!?


「ころころと表情の変わる様子も大変可愛らしかったです」





 ……さ、詐欺だ。


 詐欺だー!!



 もうこの人詐欺師に転職すべきじゃない!?



「なんで言ってくれなかったんですか!?」

「いきなり現れた男が魔王だの聖女だの言って求婚したらただの頭のおかしい人でしょう」


 いや十分変態だから!!

『私は常識的な行動に収まるよう我慢しました』みたいな態度やめてくれない!?

 ていうかやっぱりジャンル付き纏い(ストーカー)で合ってたじゃん!筋金入りじゃん!多分この世で一番長い付き纏い(ストーカー)歴じゃない!?


 でもまあ確かにね?いきなり『前世で好きだった人と同じ魂だから結婚してくれ』って言われるより『聖女なので教会に来てください』って言われて騙される方がまだ納得でき………でき………いや出来ないわ。



 いや出来ないわ。


 大事な事だから2度言った。


 三度言おう。


 出来ない。




「モラルってなんだっけ……」

「道徳や倫理、また社会に対する精神的態度ですね。そもそも馬車の中で散々『愛が重い』『怖い』等と魔王の性格を理解しておきながら、あなたを迎えに来るという権利を他の人間に譲るとでも思いましたか?」


 おもいません。はい。



「……婚約者がいるって」

「私には生まれた時から聖女(あなた)という婚約者がいます」

「えッ。……私知らぬ間に婚約してた?何で!?記憶にないんですけど!?」

「一瞬でもあなたが他の誰かのものになるなんて想像しただけでも腸が煮えくり返ります。過去の私がうっかりそのお相手を惨殺してしまいそうな事があったらしく、聖女は生まれた時から魔王の婚約者という形だけの制度が出来ました。名前も分からないので明確な書類として残すことは出来ませんが一定の効果はあります。もちろん破棄は可能ですよ」


 させる気はありませんが、という副音声が聞こえた気がしたんですけど?



「魔法というものは便利ですね。魂に付随する魔力を感じ取って、たかだか紙っぺら1枚でもそこに書かれた者の粘膜接触を阻止するんですから」


 ねんまくせっしょく。


 お綺麗な顔してなんて事を宣うのか。

 つまりキスとか、その………そういうことも、って事よね?


 ……えっ怖。呪いじゃん。



「じゃあ恋人が出来ても触れられないってことですか!?」

「いいえ、魔王(わたし)と出会った後に話し合いの末婚約が破棄されたならば、効果は無効となります。ああ、勿論私には破棄しようがしまいが関係ないので安心してください」


 安心できる要素がどこに?皆無じゃない?


「うわあ……引く……。あっ、じゃあ私が土下座したとき本部に殺されるって言ったやつは……」

「嘘ではありませんよ。私以外の守護騎士なら、という事です」

「婚約者を悲しませたくないって言ったのは」

「私がその者を手にかければあなたは悲しむでしょう?」

「……魔王ってもっと傍若無人なんじゃないの?何この爽やか腹黒系騎士。敬語キャラ!イメージの崩壊甚だしいんですけど!?創造神とかいるなら訴えたい!」

「それは前世の私の話です。あなたもお淑やかで国に尽くす聖女様とは別物でしょう?けれども私はそんなあなたを愛しているので」

「ひっ」


 イケメンこあい。

 さらっと言っちゃうイケメンこあい。


 というかそんな出会って一瞬で愛とか分かるものなの?気のせいじゃない?先入観が多分に含まれてると思うんだけど?

 ナチュラルに一緒にいる流れになってるけど『なんか違う』感を出されなくて良かったと喜ぶべきなの?それとも人違いじゃなかったと悲しむべきなの?


 そもそも魔王だから聖女と一緒にならなきゃいけないという使命感に支配されてこれが恋だと勘違いしているという可能性が

「ないです。酷いですね、私はいつでも本気なのに」


 心を読まないで頂けますか。


「私の純情を疑うなんて酷い人ですね。私は今、とても傷ついています」


 全くそうは見えませんけど。

 純情って何だっけ?


「責任をとってください」

「雑いな!!」


 色々酷い。何でもいいから言質を取ろうみたいな思惑が滲み出てる。すごいね、人間って思ってもいないことをこんなにも淀みなく言える生き物なんだね。


「でもそんな、魂がどうとか言われても私には分からないと言いますか……」

「往生際が悪いですね、さっさと諦めてしまえば楽になれますよ?」

「勧誘の仕方がもはや悪党」

「そもそも私にも魂など分かりませんしどうでもいいので」

「えっいいの!?」

「覚えていないものをどうしろと?魂云々言ってあなたに逃げる口実を与える方が困りますし、生まれも育ちも違えばいくら魂が同じだろうとそれは最早別の人間です。私も今は人間ですので魂が見える力はありませんし。

 加えて魔王やら聖女やらもどうでもいいです。言ってしまえばただの称号のようなもので私に魔王のようにこの国を滅ぼす意思は無く、あなたも聖女のようにこの国のために命を捨ててまで尽くそうという意思はないでしょう?ですのでただの1人の男があなたに一目惚れしたとでも思って頂ければ。

 それに私にとって重要なのはあなたをどうやって捕まえるかですので過去に興味はありません。……ああ、けれども婚約に関しては過去の私にお礼を言ってもいいですね、おかげであなたを誰にも渡さずに済んだのですから」


 怒涛の攻め。

 ポ、ポジティブというか無頓着というか……。


「でもそれって、結局は初代魔王の意志なんじゃ……。呪いだとか思ったことは無いんですか?」

「ありません」

「即答」

「私の人生は私のものです。あなたを見つけるきっかけが魔王としての意志だったとしても全てを譲る気は微塵もありません。そもそも初代魔王の記憶がない以上彼が私の中にいるのかどうかも定かではありません。

 今を生きて言葉を交わしあなたを見ている私、オリヴァー・ライリエが、エマ・クレイズに、一目惚れをしたのです」


 この気持ちは初代魔王にも渡しません、と言いきった彼はすごいと思う。

 そこまで傲慢に、尊大に自分を認められるということは彼は彼なりの信念を持って生きてきたのだろう。


 ……その信念が立派なものだとは限らないけれど。




「色んな意味で強いですね……」

「惚れ直してくれましたか?」

「直すも何も惚れてませんけど」

「まあそうでしょうね。急な事で混乱しているのも当然だと思います。そんな中で、私を愛してくれとは言いません────まだ」

「まだ!?」

「今はただ、私に溺れてくれればいいのです」

「重いわ」


 はいそこ、きょとんとしない。私が言っているのは至極真っ当な事だからね?

『何かおかしいですか?』みたいな雰囲気を出すのはやめようか。

 おかしさしか感じないから。


「私、泳げるので大丈夫です」

「押し寄せるのは濁流ですよ」

「濁ってますけど!?」

「愛とは綺麗なものばかりでは無いのです」

「いやそうだろうけど宣言されると嫌だわ。いつまで経っても自立出来なさそうなのでお断りの方向で」

「そんなことはありません、エマ様の意思はなるべく尊重したいと思っています。が、ああ……私なしでは生きられない、というのはとても甘美な響きですね。そうなって頂いても構いませんよ?むしろ大歓迎です。私の腕の中で溶けるあなたはさぞ美しいでしょう」


 これほど信頼のないなるべくは初めてである。

 どこか恍惚とした表情で語るこの男は、傍から見るとただのヤバい奴だということに気が付いているのだろうか。いや気が付いていても躊躇しなさそうだと思ったわたしはもう既にこの男に毒されているんだろうか。


 い、いや、まだいける。私はまだそっち側には行かない、理解なんてしたくない!変態の思考になんて染まりたくない!!


「……け、警備隊ー!変態が、変態がいます!耳と頭がやられた変態がいまーす!」

「はっ、彼らに守護騎士(わたし)が捕えられるとでも?」

「職権乱用!」


 鼻で笑ったぞこの守護騎士!?

 じゃあ同じ守護騎士ならと思って当たりを見回してみるも、彼らは何食わぬ顔で私たちから目を逸らし続けていた。姿勢は崩さないけど決してこちらを見ようとしない。

 その姿、まさに空気。


 なんて完成度の高い擬態……!


「ちょっ、あなた達の団長がご乱心ですけど!?」

「ベルトラン」

「はっ」


 ベルトランと呼ばれた初めに挨拶をしてくれたあのおじさまがさっと片手をあげると、玄関前に整列していた守護騎士たちが一瞬にして消えた、ように見えたくらい高速でその場からいなくなった。白亜の城の、だだっ広い場所に私たちだけが取り残される。


 ……う、裏切り者ー!

 何でもお申し付けくださいって言ったのに!

 所詮騎士団は縦社会ってことか!


「エマ様」

「なんですか!?」

「好きです」




 ………ッ。



「いやいやいや騙されない。騙されない!いくら顔がよかろうと私は決して騙されない!!」

「これはいいことを聞きました。私の顔が好みであればそちらから攻めるのも良さそうですね」


 ねえ待って私ほんとに慣れてないのこういうの。自慢なんて全く出来ないけど恋愛経験ゼロだからね?

 切実に思う、突っ込める第三者が欲しい。

 2人きりはキツイ!!


「ベっ、ベルトラン?さん!戻ってきてお願いします助けてくださいいい!」


「エマ様」



 ひっ。





 ……目を合わせた彼は、笑っていなかった。


 口は弧を描いてるよ?でもね、目がね、冷たいの。凍えそう。オリヴァーさんの周りだけ極寒の地。


 寒い。


「この状況で他の男の名前を出すなんて感心しませんね。あなたは散々ご存知でしょう?魔王が過去にやらかした事の数々を。今は、私を見て下さい。私を見て、私の事を考えて下さい。あまりアレに構うとどうなるか分かりませんよ?アレが」


 アレ呼ばわり。結構酷い。ベルトランさん、あなたこんな上司でいいの?蔑ろにされすぎじゃない?


「エマ様」


 はいすみません。






 ……正直に言うとね、ぶっちゃけ、拒否の仕方が分からない。色んな意味で。


 だって再三言ったけど、私に恋愛スキルは無いに等しい。世の中の一般女性がどんな返し方をするかなんて知らない。こんなことがそうそうあるとは思わないけれど。世の中の恋愛事情が全部こんなのだったら嫌だけど。怖いけど。


 でもそういうことに人並みに興味はあったから、今、濁流に押されて流されかけているのも事実で。


 どうしたらいい?


「流されて下さい」

「ちょっと黙ってて貰えますか」


 私ってこんなにチョロかったっけ?いやまだ落ちてはいない、はず。


「落ちてきていいんですよ。むしろそうするべきです」

「黙って下さい」

「命令口調も素敵ですね」


 ドえむさんか。


 ……えーと、なんだっけ。

 ああそうだ、彼は出会ってからずっと、私を怖いくらいまっすぐに見る。たしか彼の方から視線を逸らした事なんて1度もない。

 こんなにまっすぐ私のことを見てくれる人が、この先一体何人現れるだろうか、なんて。

 彼は絶対に私を裏切らない。何故かそう感じられる。これを流されているって言うんだろうか?じゃあ別に悪くないかも、なんて考えてて……。


 ……ああやばい、これは本格的にやばいやつだ。

 はっ、これが洗脳……?



 しっかりしろ私。鋼の意思をもて私。


 こんな奴のどこがいいんだ、変態でジャンル付き纏い(ストーカー)で強引で詐欺師で性悪で魔王で部下をアレ呼ばわりする上司で重くて重くて重くて……。


 ………うん。



「血迷ってました」

「ちっ」

「おい守護騎士」


 舌打ち。舌打ちしたぞ。


「何故そこまで拒むのですか?優良物件ですよ?その辺の男よりお買い得だという自信があるのに」

「うっ……」


 確かにまとめてしまえばそうですよ?そうなんですけどね?

 お忘れですか、まだ出会って数時間しか経っていないことを。なんなら辻馬車に乗り合わせた人より一緒に過ごす時が少ないということを。

 そんな相手に人生を左右する選択を迫るのは酷じゃないかと思うんだ。


「でも、今日初めて会ったんですし……。仮にも好きだと言ってくれているのに私は同じ気持ちを返せないし……付き合うとかそういうのって両思いになってからがいいというか……。あと教会から出られなさそうでなんか怖い」

「最後が本音ですね」


 いくら前世越しの欲求だとしてもせめてもう少しソフトになって欲しい。そう思う私は我儘だろうか、いや違う。


 それに彼に明確に好きだと言えないこの状況で生活を全て頼りきるのは申し訳ないし何だかもやっとして嫌だ。


「なのでもう少しお互いを知ってからにし」

「私から与えられることに対して罪悪感があるのなら大歓迎です、あなたはその分私から離れられなくなるでしょうから。けれど必要以上に気に病むというのならそうですね、打算から始まる恋、なんていかがでしょうか。万人受けする題材ですね」

「………」

「エマ様、愛はいつからでも育めるものですよ」

「……すみませんほんと黙ってくれますか」



 そろそろ何に悩んでたのか分からなくなってきそうだから。そうなると本当にヤバいから。例え彼がそれを狙っているんだとしても違和感を抱かなくなったらなし崩しに囲われる未来しか見えない。それは嫌だ。


 悪くないかも、なんて思いが一瞬頭をよぎったとしても。


 あああもう腹が立つ。

 その態度も強引な手口も、訳の分からない脅しまで使うやり方も。なんかもう全部が腹立たしい。


「エマ様、あなたが好きです」


 彼はまるで底なし沼のようだと思う。気が付けばずぶすぶと沈みこんでしまうような。

 いつまで私はこの男への言い訳を唱え続けられるのだろう。


 彼は私をじっと見る。

 私の心に突き刺すように、自分の存在を植え付けるように。


「どうかずっと、私の傍に」


 その瞳に、どろりとした熱を乗せて。










 いきなり現れて私を騙して拉致した挙句訳の分からない事を言う顔のいいめちゃくちゃな食えない男性が求婚してきたとしたら、どうする?


 ただの町娘である私、エマ・クレイズは─────
























「………うッうみゅあああああああああっ!!」




 戦略的撤退、を選択した。

 ダッシュで。


 そう、あくまで戦略的撤退である。


 戦略的撤退である。


 もう全部面倒くさくなって逃げ出したとかでは決してない。



 魔王(オリヴァーさん)の手を振り払って私は走り出した。世の中には受け流せる事とそうでない事があるということを今日知りました。私の頭はもう限界です。

 ちらっと見えた彼の唖然とした顔に対して少し胸のすいたように思う私は性格が悪い訳では無い。そう、彼の今までの態度が悪すぎたのだ。ヒュージキングベアに追いかけられればいい。


 彼はすぐに決めろイエスと言えまさか断るなんてありえないというスタンスを地で行くが、そうやって即決即断ができる女性がこの世に何割いるというのか。恐らく1割にも満たないだろう。もう一度言うが出会ってまだ数時間しか経ってないのだ。


 けれど彼が決して嫌いじゃない私も人のことを言えないのかもしれない。


 なんにせよ仕事や家もあって直ぐに決められるわけじゃないしノリと雰囲気に頼るのは危険すぎる。

 一旦落ち着いて考えさせて下さいお願いします。


 だからいまは逃げることを許して欲しい。

 いつか絶対、返事はするから。




 ……多分。


























 駆け出して3秒で捕まった。




 **












「とりあえず今後の守護騎士団の方針として露出狂の殲滅を第一優先事項に設定し、可及的速やかに執行します」

「何で突然露出狂が出現したの?」


 いや国としては大歓迎だろうけど。私もすごく嬉しいけど。

 じっと見つめていると彼はふっと笑って宣った。



「魔王の愛は重いので」


「……子供の時の露出狂!!」





 **




「聖女様」

「何かご用ですか何でもお申し付けくださいとか言いつつ団長の一声で私を裏切って変態と一緒に放置した挙句呼んでも戻ってこなかった守護騎士団副団長ベルトラン様?言い訳は聞きません」

「いいですよエマ。私以外の全ての方にはその調子で接してください」

「言い訳なら聞きます」

「はっ、大変申し訳こざいませんでした。守護騎士はどんな立場にも縛られず聖女様の味方をして良いという特権を持ちますが、それとは別に魔王と聖女様の出会いを邪魔してはならないという教会の規定があります。故にあの場で私が口を挟む事は叶いませんでした」

「……じゃあこれからは違うってことですか?」

「はい」

「この変態(ひと)から逃げたいっていうことでも?」

「もちろ」

「ベルトラン」

「ケースバイケースです」





誤字直しました。報告ありがとうございます。

感想も頂きまして、めちゃくちゃ嬉しいです。


ちなみにこの話は「変態って色んなジャンルがあるよな」という妹の一言から始まりました。

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[良い点] お相手を傷つけないヤンデレ好きです。お相手を傷つけなければ、ジワジワ囲っても、第三者を傷つけるヤンデレもOKな私にとって好みなヤンデレでした。 創作ありがとうございました
[良い点] おもしろかった! 一気に読んでしまいました。 [気になる点] タイトルでネタバレ 秒ですらない [一言] 短編は「是非続きを!」と思う/思わせるうちが花なので、続編無しでこのまま終わって…
[一言] 相手の性格心情も、生き方考え方も、好きも嫌いも何も知らないまま偏執的な愛情を向けてしまうのは一目惚れというよりメンタルクリニック案件では。 魔王サイドは転生しても粘着的ですけど、聖女サイドは…
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