05「転生者観察1日目」
転生者は少し首を右側へ傾け、右顎を支えるように右手を当てた姿勢で立っていた。
左手を右肘の下に支えるように沿え、目を閉じている。
しばらくして目を開けるとこの体勢のまま、ゆっくりと呟いた。
「んー、うまくできたかしらー。」
まだ角のことを気にしているようだ。
手探りでしか確認できないため、気になってしまうのは仕方が無いかもしれない。
だが今気にするべきは角ではなく身の安全だろうと、私は思った。
「えーとー、わたしー、ここで待った方がいいのかしらー。
でもー、あの人ー、どこにいても連絡できるって言ってたのよねー、んー。」
あの人とは誰だろう、ジュニアのことだろうか?
ジュニアでなかった場合、元の世界の誰かということになる。その場合、他世界からの干渉なので越権行為と判定される。
越権行為は許可があればできないこともないが、許可無き場合は侵略行為とも看做され賠償責任へと発展しかねない問題だ。
元の世界の神やあの来客者の可能性もあるが、たぶんジュニアではないかと私は推定した。
この世界のどこに居ても連絡できるのは、この世界では主神だけと設定されているからだ。
ちなみに主神以外の神が信託を下すのは教会の中だけと制限されている。特に不自由さを感じないので問題視したことはない。
もし転生者の言うあの人がジュニアであるならば、連絡を待つのは無駄である。
ジュニアの『後で連絡する』という台詞は、その場凌ぎの出任せだ。本当に連絡したことなど一度も無い。
もし主神としての盟約を結んでいたとしても転生時の記録は残っていないので無かったことにするはずだ。
念のため、外部干渉の許可が出されていないか確認したが、該当無しと表示された。もちろん修復空間以外の外部干渉の形跡は見当たらなかった。
「あの人ー、この世界は魔法が使えるって、それしか教えてくれなかったのよねー。
なーにも知らないからー、どこに何があるのかー。」
転生者の呟いた内容に私は困惑した。
魔法が使える以外、さすがにそれだけの情報で転生者を降ろすなどということは...ジュニアなら有りうる。
これだけぞんざいに手を抜きまくっているのだ、説明だけまともにやるはずがない。
魔法に関しても『使える』の一言で済まし、発動方法などは教えなかったに違いない。
だから転生者は元の世界の魔法を使っているのだろう。私はこう推察し納得した。
「あらあらー、どうしましょう。」
転生者はこう呟くと姿勢を正し、その場で体をゆっくりと右回りで一回転させた。
そして上を見上げ、次に足元を見てから正面に向き直した。
風はそれほど吹いていないようなのに、映像の木々の葉や下草などが音を立てて揺れ始めた。
遠くから地鳴りのような、唸り声のような低い音が響いてきた。
私は可動生物の分布表示を悩ましく眺めた。
転生者が居る地点を目掛けるように、無数の点が移動していた。
群れなのか点が集まったまま移動している箇所もある。
「えーと、できるだけー、んーと、それからー。」
ものんびり呟いているが、転生者も迫り来るモノ達に気付いたらしい。
だが何を言っているのか今ひとつ要領が得ない。何か策でもあるのだろうか。
何の対策も干渉もできない私にとって、今は転生者自身の魔法だけが頼りだ。
私も神であるというのに何とも情けない現実に苛立ちを抑えきれず、転生者を訝しく見つめた。
転生者は口の周りを囲うように両手を配置し、少し斜め上を向いて大声を発した。
「みなさーん、敵対するなら容赦しませんよー。」
私は転生者が何をやっているのか理解できず、思考が纏まらなくなった。
転生者は右回りで反転して後ろへと向きを変え、また大声で言った。
「敵対するならー、容赦しませーん。」
そんなことを言ったところで止まるようなモノでは無いのに、本当に何をしているのだろうか。
緊迫感が感じられず平静に見えるが、もしかすると錯乱しているのかもしれない。
足音と地響きと鳴き声は益々大きくなり、騒然とした雰囲気が漂い始めた。
「えーと、確認しまーす、大きさー、順番ー、イヤな感じー。」
転生者は両手両腕を真横へ広げるように伸ばし、目を閉じてゆっくりとした口調で呟き始めた。
警告音が鳴り始め、歪みの急激な増大の報告が平面映像にも表示された。
「せーのっ、フリーズドラーイ《凍結乾燥》」
画像の端で何かが動いたように見えた瞬間、転生者の声と共に平面映像が真っ白になった。
それは今までのようなただの白さではなく、眩く光る白さだった。
何も見えなくなった映像から近く遠くで悲鳴のような鳴き声や何かが倒れるような音が次々と鳴り響いた。
可動生物の分布表示では移動していた点が次々と消滅し、空白部分が広がっていく。
魔力数値の急激な上昇と局地的な気温低下の報告が一覧表示に追加された。
「えーと、ぐるりーっと、せーのっ、バーラーケーイドゥ《防壁》」
静かになった白い映像の中から転生者の声が聞こえた。痛みなどを訴えていないので一応無事らしい。
呪文と共にゴゴーっザザーっといった風が吹き抜けたような、木々のざわめき音が鳴り響いた。
その音は次第に遠ざかり、また静かになった。
映像からは輝きが消えたが、白い靄はまだ濃いままである。
「それでは、いただきます、せーのっ、カートゥ《切断》」
また転生者の声が聞こえ、ドサドサっと何かが落ちたような音が響いた。
状況がよく判らないが、転生者が何か作業をしているらしい。
魔力数値は徐々に下がり始めたが、歪みは増大したまま一定値に留まり警報を鳴らし続けている。
歪みが減少に転じるまでは油断はできないと、私は警戒を続けた。
「よいしょっ、よいしょっと。んー、このままはちょっとー、あっ、そうそう。
すっきりー、クリーア《奇麗》、さっぱりー、クリーン《清潔》」
平面映像はまだ白くぼやけていてはっきりと様子が伺えない。
すっきりだの、さっぱりだの、衣服の付着物でも落としているのだろうか。
可動生物の分布表示には、丸く空白部分ができていた。
空白円の外周付近には満遍なく点表示が集まっていた。遠くから移動してきた点もその外周付近で移動を停止している。
私はあの防壁魔法が何らかの作用を施し外周で足止めしているようだと推測した。
とりあえず接近して来た一群はやり過ごせたようだ。
無数の点に囲まれてはいるが空白円内部に侵入してくる点は無く、外周が多数の点で色濃く縁取られている。
この空白円の中心に転生者が居るのだ。
「おやすみなさーい。」
「はあ?!」
私はまったく予測していなかった転生者の言葉に思わず声を発してしまった。
もちろん転生者には聞こえていないので、私に対する返事は無い。
平面映像を注視するとだいぶ靄が薄まり、木々の根元が見えるようになっていた。
だが、そこに居るはずの転生者の姿はどこにも見当たらず、歪みの存在を知らせる表示だけが点灯している。
もしや残党に襲われたのではと思い、視点を変更するよう操作した。
視点を変えるも歪みの表示は同じモノを指し示したままで、転生者の姿はどこにも見当たらなかった。
木の根元には壷状のものが横たわり積み重なっている。
歪みの表示はその積み重なった一番上の壷状のものを指し示していた。
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語り手 私、この世界の一柱(干渉禁止の現場で苦悩、転生者の観察記録実況中)
ジュニア 現在の主神、たぶん連絡のあの人(その場凌ぎ&手抜き上等、逃走中)
壷状のもの ウツボカズラ型植物系生物(垂れ下がり後地面に横積み、使用中?)
転生者 とりあえずこの場で連絡待ち、魔法で一掃、休眠中(たぶんあの中)
フリーズドラーイ《凍結乾燥》気温低下、靄発生、植物系以外にも有効(未確認)
バーラーケーイドゥ《防壁》 材料不明、足止め効果、設置は外周(全て未確認)
カートゥ 《切断》 何かを切断、ドサドサっと(未確認)
クリーア 《奇麗》 何かを、すっきりー (未確認)
クリーン 《清潔》 どこかを、さっぱりー (未確認)
お読みくださり ありがとうございました!
くれぐれも体調には気をつけてご自愛ください