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「あそこのバスケ(じょう)、まぁた鍵が開いてたんだな。誰か立ち入ってたぞ。まあOBかもしんねぇけど」


警察署(うち)のすぐ近くなんだから、そう変な輩も来ないでしょう。夜中に溜まってるのもみたことないし。あまり無用心なようなら、生活課を通して高校に注意してもらえばいいんじゃないですか」



 新島有紗が渡した名刺を見るともなしに見ていると、昼休みを終えた同僚が話しながら部屋へ入ってきた。


「北高のあそこか?」


 鷹宮の問いかけに同僚二人はふり向き、頷いた。


「なんかボールまで忘れてたみたいでしたよ。誰かそのボール使って遊んでたんですけど、ドリブルすっげぇ巧くてビビりました」


「俺も詳しくねぇけど、あれプロでもいけんじゃねぇ? あー、でもそのあと知り合いらしき奴が来て、あれ以上みれなかったのが惜しい」


「遠目だったけど、結構美人な感じでしたね?」


「そういや鷹宮のところに聴取に来てた女もモデルみたいな顔してたな」


「おい、遺族をそんなふうに言うんじゃない」


 軽口を叩く同僚を鷹宮は()めつけた。


「へーへー、おまえは堅いんだか不真面目なんだかわかんねぇよ」


「あのバスケ場の鍵は俺も注意して見ておく」



 自分から話しかけたが、鷹宮は会話を切り上げた。県立北高校の校舎から少し離れたところに、フェンスで囲われたバスケット場があった。とはいえ、コートのラインはなく土の上にバスケットゴールが二つ立つだけのごく簡易的なものだった。バスケットでは強豪のうちに入る北高校には、専用の練習場がもうひとつある。話にのぼった場所が頻繁に使われることはなかった。ただ、稀というわけでもないので、コートの鍵を施錠し忘れるか、あるいは部員がわざとかけずに放っておくかして開いていることがあるらしい。明らかに関係者以外の人間が入り込むことがある。警察署の近くという場所柄からか、事件があったためしはなく、手間を増やすことはこちらとしても避けたいので、害はないと判断して関与していなかった。


「北高……」


 そうつぶやいたときには、鷹宮は署を飛び出していた。同僚が話していた人物は、新島姉弟で間違いないだろう。弟は署の近くにいたのか。なぜ姉と同行しなかったのか。疑問はあれど、衝動のままに足を動かしていた。

 そこに行ってどうするのか、会ったとしてなにを言いたいのかもわからないのに。

 署庁舎を挟むようにして、北高校の校舎とバスケットコートはあった。バスケットコートは、大通りからは見えない位置にある、地元の人間しか知らないような場所だった。コートを囲むフェンスが見えてきたとき、ボールをつく音が聞こえてきた。


 現れた人物とその様子に、新島泰暁は怪訝な顔をした。制服姿の警官が息を切らせて彼を見ているのだ、無理もないだろう。自分の滑稽なありさまに、知らず失笑が洩れた。鷹宮を観察していたらしい新島泰暁が「もしかして、あのときの刑事さん?」と訊いた。


「ええ、病院で少しお話ししたものです」


 ああ、と新島泰暁はぞんざいに頷いた。あのとき――――、新島姉弟の父親の事故の捜査が粗方終わり、加害者の車に轢かれた被害者の容体が思わしくないと署から鷹宮へ連絡が入り、現場から病院へ駆けつけたとき。手術室近くのベンチで、新島有紗を抱きしめていた男。


「今日はスーツじゃないんですね」


 新島泰暁は意味ありげに鷹宮をみて、手にしていたバスケットボールを弾ませた。あのときは、捜査服から着替えたのだと言いかけて、生々しくなりそうなやりとりに口をつぐんだ。


「――なにか用ですか。姉なら少し前に帰りましたよ」


「お姉さんはなにか言っていましたか」


「聞きましたよ。今後のこと、俺たち姉弟でちゃんと話し合えって言ったんでしょう? わざわざアドバイスしてくれて、ありがとうございます」


「アドバイスって、きみな……。お父さんは轢かれて亡くなったんだぞ。そんな言い方はやめるんだ」


 姉の新島有紗の投げやりな様子といい、この弟のぞんざいな態度といい、鷹宮には承服しかねた。新島泰暁は、またボールを地面についた。


「もっと取り乱して、あんたたちに縋りついたら、なにか変わるんですかね」


「……どういう意味だ?」


 彼は二度ボールをついて、バックボードに放った。綺麗な放物線をえがいて、ボールはリングに吸いこまれた。


「スリーポイントシュート」新島泰暁はちいさく笑った。


「おい」


「悲しいですよ。親が死んだことは。ただあまり実感が湧かないだけで。姉も……、悲しんでますよ」


 姉、という言葉を口にしたとき、新島泰暁の瞳はわずかに揺れた。地面に転がったバスケットボールをみて、彼はとても静かに言った。


「姉貴が決めたならそれが俺の意見ですよ」



 ザアッという早春の冷たい風が二人の男のうえに吹いた。






 

 新聞記事の写真にあった、若木のように伸びやかではにかんだ笑顔の少年は、その面影を残した輪郭を凛々しいものにさせていた。ユニフォームを着て仲間と写る男子高校生――姉に似た二重瞼の線。



「……どうするのも最終的にはきみたち遺族の自由だが、供述調書くらいは確認しに来てもよかったんじゃないのか。……せめてお父さんが亡くなったときの状況くらい知っておくべきだろう…………遺族なら」


 遺族ならという言葉を、(ふる)えずに言えただろうか。鷹宮は口を手で覆っていた。

 ――――動揺しているのか、この遺族をまえにして。


「鷹宮さん、だっけ? こだわりますね。警察って仕事柄そうなんですか? それとも、理由は別のところにあるんですかね」


 鷹宮はギクリとした。

 風がまた吹いた。あの日の――――雨の音のようだ――――視界は黒いアスファルトに覆われる。雨粒が跳ね返る部分が白くみえる。暗い雨のなかで手が濡れていた。


 あの日の朝、夜に雨が降るという天気予報を気にすることもなく傘を持たずに家を出た。夕方、両親は互いの出先でばったり会ったらしく食事をして帰ることになった。それが鷹宮の通う大学の近くで、俊樹もどうだと誘われた。行くつもりで返事をしたものの、試合を間近にひかえ練習があった。そのうえ、他のバスケ部員の誕生日会と重なっていてどうしてもと請われ、そちらに先に顔を出してから向かうと電話で話した。雨は降りだしていた。

 練習が長引き、その影響で退席が思いの外遅くなってしまった。間に合いそうもないから先に帰っていてくれと連絡したが、雨脚がはげしくなっていたので、両親は傘を持たない彼を車で駅まで迎えにいくと言った。別にいいのに、濡れて帰っても――――そう答えて、それが最後だった。

 視界が悪いなか、両親の乗った車はセンターラインをはみ出してきた対向車を避けようとして運悪くスリップ、速度をゆるめることのないまま道路脇の電柱に激突――――凄まじい救急車のサイレンと交通事故があったらしいことを駅の改札口で耳にした鷹宮は、虫の知らせとばかりにその方向へ走った。

 救急車や警察車両のランプが明滅するなか、視界はまぶしいはずであるのに、思い出す景色はいつも黒いアスファルトに叩きつける雨だった。



 鷹宮警察官の顔がみるみる蒼白になっていくのを、新島泰暁は不審げな面持ちでみていた。


「…………鷹宮サン、あんた警察官に向いてないんじゃないですか?」


 彼は皮肉げに言った。


「なんだ。俺はてっきり……有紗を追いかけてきたものだと」


 速くなっていく動悸と滲んできた冷や汗とで冷静さを欠いていた鷹宮は、新島泰暁の鋭い指摘にふたたび息を呑んだ。


「どうして…………」


 新島泰暁は鷹宮を嘲笑した。


「図星だったのか。……そこまで勘は鋭くないはずだけど、走ってここに来たあんたをみてまずそう思ったんだよ。そうか……、あんたは気づいてなかったんだな」


「なんのことだ」


「あの日、病院であんたと話したとき。自分がどんな顔で有紗をみてたか知ってるか。俺は、よくわかるよ。俺にはわかる。有紗を――――、姉を、好きだから」






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