本編
※注意!!
この作品の主人公は、基本的に思考が結構なクズ(具体的には『女の敵』)です。
そう、気分はまるでハーレムゆうsy――いえ、何でもないです。
ともかく、そういう人間が主人公でも我慢できる方はお進みください。
この前書きで無理だと判断されたら、すぐにブラバしましょう。
お疲れさまでした、また機会があればどうぞよろしく。
……はい、すぐ下から本編になります。
ご新規さん、いらっしゃ~い!
――無音と暗黒に包まれた世界に、横一文字の亀裂が走った。
ゆっくりと、無理やり上下に、こじ開けられていく。
世界の傷口から無遠慮な光がなだれ込み、あまりに強い刺激でとっさに侵入口を再び塞いだ。
すると、今度は世界に音が満ちる。
……泣き声、だろうか? 甲高い悲鳴が四方八方から反響して、とにかくうるさい。
ぼんやりしていた意識が、徐々にはっきりしていく。
まず、体が重い。全身コンクリート詰めにでもされたか?
いやいやまさか……でも、あながち否定はできない。最後に見た『アイツ』の顔は、それくらいやってもおかしくなかった。
……『アイツ』? 誰のことだ?
あ~、くそ、まだうまく頭が働いてないみたいだ。もどかしい。
他に何か……そういえば、心臓がやけに気になる。
鼓動が激しくて、何というか、『生きている痛み』さえ感じる。
ああ、不安だ。心細い。気持ち悪い。
ここまでネガティブな気分になったのは、義務教育の前に寝小便を布団にぶちまけて以来だ。ただ自分の恐怖を振り払うためだけに泣き出してしまう、その一歩手前に近い緊張感が胸を刺す。
久しぶりで思い出したくもなかった不快感が、ようやく『俺』のゆるんだ頭のネジを締め直した。
――どこだ、ここは?
急速に冷めていった自我が、自分の身の安否を気にしだす。
ひとまず、あれだけ酷かった『痛み』はない。体へ侵入してきた『異物』の感触もない。
つられてフラッシュバックする『女』の……『婚約者』の怒り狂った形相に体がふるえる。
確かに、下手を打ったのは俺だ。
その前にも何回か他の女と寝たことがバレて面倒くさいことになったから、何倍も反省して同じ過ちを繰り返さないよう、女遊びには何倍も気をつけるようになった。
二台目以上契約したスマホの取り扱いに細心の注意を払ったし、相手もマッチングアプリから適当に選んだつまみ食いで我慢した。気に入った女がいても、連絡先の交換は泣く泣く断っていた。
徹底的に配慮したはずなのに……まさか口が堅いと信用して関係を続けてた会社の後輩が、直接『婚約者』に暴露するような地雷女だったとは。
仕事はできないが物わかりと体がよかったからかわいがってやったってのに……ふざけやがって。
そもそも、ただの口から出任せを本気にしてんじゃねぇよ。
財力も権力も容姿も『婚約者』と比べたら月とすっぽんなのに、『婚約者』と別れて結婚なんかするわけないだろうが。
後輩が『婚約者』に勝ってるところなんざ、頭の緩さと股の緩さくらいじゃねぇか。俺と釣り合うわけないってことくらい自分で気付けよ、身の程知らずが。
――あぁ~、くそ。
なんか、めちゃくちゃムカついてきた。
いつもならキレる時間と体力を惜しんで怒りを飲み込むよう努めている俺だが、今回ばかりは冷静になれるはずもない。
こっちは刺されたんだぞ。
『婚約者』に、包丁で。
俺がミスった結果ならまだ許せたが、あの後輩のせいだと思うと――はらわたが煮えくり返る。
――あああああぁぁぁぁぁっ!!!!
……気づけば、激情に身を任せて叫んでいた。
後輩に狂わされた人生の汚点をかき消すように。
――あ?
しかし突然、体が浮き上がる感覚に襲われ思わず喉を引っ詰める。
背中に温かいものが触れて支えられていると感じたのは、その後。
状況を確認しようと、反射的に目を開ければ、また強い光に襲われ視界がぼやけた。
『よしよ~し、いい子ね~』
『……はぁ、ようやく泣きやんでくれたか』
『ふふふ、あなたの方が緊張してちゃ頼りないでしょ、パパ?』
『悪かったな、頼りない夫で……』
――巨人!?
ぼやけたシルエットしか見えないが、俺を軽々と持ち上げている頭と、もう一つ別の頭がこちらをのぞき込んでいるのがわかる。
声らしきものも聞こえるが、言葉がわからない。声の高さからして、男と女が一人ずつらしいことはわかった。
なんだ、なにが起こってる?!
二十代も半ばになる男を、赤ん坊を扱うみたいに、軽々、もちあげる、と……か……?
あ、れ?
なんだ?
何か、引っかかって……既視感?
まさか、こんなふざけた状況、身に覚えなんてあるはずが――
『ほ~ら、「ガウス」~。ママとパパですよ~』
『お、おい。今度はぼーっとしてるぞ!? 大丈夫なのか!?』
――あ。
そうだ。
この状況、こき使ってた部下がいつからか読みだした小説の冒頭と、似てるんだ。
あんまり興味なかったから曖昧だが、なんだっけ……もう少しで出てきて、あっ!
そうそう、『異世界転生』ってやつだった!
『パパが大きい声出すからじゃない?』
『う……、すまない』
けど……。
まさか、本当にそれ、なのか?
俺が?
死んで?
……嘘だろ?
~~・~~・~~・~~・~~
「てつだいがおわったから、でかけてもいい?」
「暗くならない内に帰ってきなさいね?」
「わかってる。いってきます」
『今世の母親』に声をかけ、俺は一人で家を出る。
向かう先は、村の周辺を囲む森とのちょうど境界にある、ぽっかりとした空き地。
今の年齢に合わせれば、『秘密基地』ってやつになるか。
精神的にはそろそろ三十路が近いだろうし、四六時中ガキの振りしてるのは意外としんどい。
そもそも、ガキの振る舞いなんて覚えてるわけないだろ。周りの奴らに合わせるといっても、本能で生きてるような生物の真似なんて、役者でもあるまいし無理に決まってる。
ただ、言葉づかいをあからさまな舌足らずに変えなくていいのは助かった……言語教材が今もリスニングオンリーだからか、発音が多少怪しくてもガキなら変に思われない。
とはいえ、どうも言い回しが子供っぽくないって理由で、両親からは『利発な子』と、村の大人からは『妙にマセた子』と思われているようだが。
合わせられるに越したことはないけれど、中身が完全に大人のままである俺がガキの口調を真似たところで、それこそ違和感しかない。
なら、変に取り繕うよりも地のまま会話した方がまだマシだ……まあ、開き直っただけなんだけど。
「あ、ガウスだ!」
「――ちっ」
取り留めのないことを考えながら歩いていると、毎日耳にする幼女の声が背中にぶつけられた。
反射的に小さな舌打ちが漏れ、ゆっくりと振り返る。
「ティリア、おれになんか用?」
「ん~? ようじはないよ? ガウスがいたから、ガウスってよんだの」
「あ、そ」
「ガウスおはよう! ……あれ? ちがうっけ?」
「ひるはもうすぎたから、『こんにちは』だろ」
「そっか! ガウスこんにちは!!」
「あ~、はいはい、こんにちは……」
一応、俺と同い年で幼なじみ、ってことになるんだろうが、コイツの相手はかなり疲れる。
子どもの足でも歩いて一周できる程度の村だと、年の近いガキはみんなまとめて『幼なじみ』であり、前世と違って閉鎖された社会じゃ特別感なんてまるでない。心情的には『近所のガキ』だな。
そんな同世代の中でも、ティリアは俺が生まれるちょっと前に生まれたらしい。
ついでに、俺は今のところ村の最年少。
その結果、ティリアは俺に対して妙にお姉さんぶるところがあって……正直、構おうとしてきてウザい。
年上ぶりたい年頃ってのはわかっていても、中身がおっさんなのに幼女から下に見られるのは……少なからず癪に障るんだよな。
体そのものが幼児だからか、俺も感情のコントロールが下手になってる自覚はある。
だから毎回、大人の理性を働かせて幼児の癇癪に自制をかけている……んだが、こう頻繁に怒りを抑えていたらストレスがたまってしょうがない。
そういえば、前世で順調に出世していた俺に対して、ことあるごとに反発してきた低脳がいたな。
今思えば、入社して割とすぐに昇進した若造に、役職で頭を踏みつけられたのがムカついていたのかもしれないな。
……まさか、俺があの低脳と似たような気分を味わうことになるなんて、人生ってのはわからないもんだ。
「もういいだろ? じゃ、おれはもういくから」
「え~? ティーもいっしょにいきたい~」
「用がないならどっかいけよ。ついてくんな」
「や~だ~! ガウスといっしょにいく~!!」
あーもう、うるさいな!
これだからガキは嫌いなんだよ!
「……ほかのやつさそってあそべばいいだろ。おれにかまうな」
「でもガウスが――」
「とにかく! ついてくんな!!」
はっきり拒絶してるのに食い下がるティリアに嫌気がさし、俺は語気を強めて走り出した。
「あっ!! まってよ、ガウスー!!」
案の定、キーキーうるさい声が背中越しに聞こえたが、徐々に遠ざかれば気にならなくなる。
ようやく諦めたか……ため息をこぼして足を緩める。
ったく、俺が生まれてすぐに不作が続いたから仕方ないけど、そろそろ食糧事情は持ち直したんだから新しくガキが生まれ育ってきてもいいだろうに。
そうしたらティリアの意識がそっちに流れてつきまといも減り、こっちも気楽になるはずなんだけどな。
「とうちゃく――っと」
ぶつくさ文句を垂れ流し、目的の場所に到着して手頃な小石を右手で拾う。
そして、ある時期から印を付けていた木に近づき、三百六十五個目の傷を付けた。
長いようで短く感じた時の流れを確認し、ちょっとした達成感を味わった俺は、木の根に座り大きな幹に背を預けて目を閉じる。
「よし。それじゃあいつもの、やるか――」
赤ん坊として目覚めてから、この世界ではおよそ五年とちょっとが経った――と思われる。
この土地は温帯気候だった日本の本州と違い、どっちかっていうと北海道方面の亜寒帯気候に近い気がする。
年中ずっと空気が冷たく土地も痩せ気味で、四季もはっきりとはわかれていない。前世は関東圏で生まれ育ったからか、日照時間の違いで頭が体内時計に慣れるまで時間がかかった。
それに村のどこにも時計やカレンダーがなく、一日が何時間で一年が何日あるのかすらわからない。両親や他の大人にも聞いたが、誰も詳しく知っている奴はいなかった。
そこで、せめて一年が何日かくらいは計ろうと、一人で行動できるようになったその日から日数を数え始めて……ようやくこの日、グレゴリオ歴でおおよその一年を迎えることができたわけだ。
結果は、細かな誤差に目をつぶれば、時間に関して地球との違いはさほどないと考えていい。
そこから、今まで数えた日数とわずかに感じる季節の巡りを照らし合わせ、さらに赤ん坊からの大まかな経過時間も計算に入れると、俺の年齢も四~五歳くらいになるわけだ。
っていうのも、この村がよほどのド田舎か、はたまたこの世界全体の文明が遅れてんのか、現状だと『生まれた順番』だけが年齢の基準になってるんだよな。
閉じたコミュニティの中じゃよけいに、『最年少のガウス』とか『ティリアの次の子』で話が通じちまうから、個人の年齢をいちいち気にする人間なんてほとんどいない。
もちろん、日本と違って自分の生年月日なんか誰も知らないし、一年ごとに年を取ったことを祝う風習もない。
ガキはちょっとしたことですぐ死ぬから、いちいち祝っていたらキリがない、って側面もあるんだろう。うまく大人になれたらラッキー、って考えじゃないか?
現にこの推定一年の間にも、俺よりやや年上だったガキが五人ほど、怪我やら病気やらが原因で死んでいる。
前世で読んだ小説の主人公は全員、日本の環境と大差ない雰囲気で成長してたから俺もしばらくは安泰だと思ってたが、そんなことはないと気づいた時は焦ったもんだ。
状況が似てても、全部が物語とそっくりそのままなんて甘い考えだったらしい。
とはいえ、すべての状況が小説と違うわけでもなかった。
「すぅ~、……ふぅ~」
数少ない状況との共通点が、今俺の体を巡っている正体不明の力――『魔力』だ。
深呼吸とともに全身へ巡る酸素と血液を強くイメージし、ゾワゾワと肌の内側をなでる独特な感覚にほくそ笑む。
俺に備わっている『力』が確かにあると知れる感覚は、いつ味わっても新鮮で飽きることはない。
ダメもとで下っ腹あたりを意識し、確かに存在した違和感とその正体に気づいた時は、思わず叫び出しそうだった。すでに劣悪な生活環境に絶望していた頃だから、よけいに感情が高ぶったのを覚えている。
主人公が異世界を生き残るために必要不可欠だった、『チート』と呼ばれる謎の舞台装置――これがあるとないとじゃ、今後の生き方に天と地ほどの差が開くのは明らかだ。
中でも『魔力』と呼ばれる、地球にはないが十中八九異世界に存在するらしい謎のエネルギーは、主人公御用達の代表的な『チート』指定項目の一つ。
もしかしたら俺にも『チート』というアドバンテージの芽があるかもしれないと思えるだけで、モチベーションは一気に上がった。
しかし、小説の序盤で現れ一発屋に近い雑な扱われ方をする『神様』みたいな存在――いわゆる『物語の解説役』が俺には現れなかったため、まだ『チート』があると確定したわけじゃない。
あくまで可能性の段階でしかなく、高望みしすぎるのも危険だろう。今は手探りでも、試行錯誤の繰り返しを優先させるべきだ。
それに最悪、俺に『チート』がなくてもそれはそれで構わない。『才能』がある奴を見つけ、近づき、こちらの利になるようそそのかせば、似たような結果は出せるはずだからだ。
どの世界でも、『自分の能力』じゃなく『他人の能力』を上手に利用できる奴の方が、賢く楽に生きられるのは変わらない。
部下の成果を自分の手柄に加えて出世した『前世の俺』と同じように、利用できる物があれば何でも利用するのが『勝利の秘訣』。
まあ、だからといって自分が努力しない理由にはならないから、こうして鍛えようとしているわけだが。
そもそも、前世の記憶と人格を引き継いだ『転生』だけでも運がいい。これだけ早い段階から自分の能力や才能、ひいては将来を明確に意識できるのは強みだ。
今の内にコツコツと積み上げていれば、同年代よりも圧倒的に有利なスタートを切れるし、たとえ才能がすぐに頭打ちしてもある程度『使えるレベル』には達するはず。
『魔力』があればほぼ確実に『魔術・魔法』の類もセットで存在すると考えれば、今のうちから鍛えておいて決して損にはならない。
いざというとき、利用できる『自分の選択肢』が多いに越したことはないからな。
「――ふぅ」
全身に魔力が通った感覚に満足し、目を開けて立ち上がる。
そして頭上を確認しながら深く膝を曲げつつ、先ほど日付を刻んだ時に用いた石の感触を確かめて。
一息に地を蹴り垂直に跳び上がった。
「……っ!」
幹の太さに比例して背も高い木の、およそ中央――地面から二~三メートルくらいの位置を手にした石で傷つけ印を付ける。
同時にこれまでの最高記録を更新したことを確認し、笑みをこぼして再び着地した。
もちろん素の身体能力ではなく、魔力によって補強された結果だ。たいていの小説じゃ、単純に『身体強化』とかって呼ばれていた技術だな。
原理は――正直わからない。『魔法・魔術』の存在がまだ仮説の段階では、この世界で体系化された知識や技術なのかすら、はっきりしないからだ。
魔力を全身に巡らせれば、『何故か』身体能力が前世の認識よりも大幅に向上する――今のところは、それがわかっていれば問題ない。
家電と同じだ。手順と結果がわかっていれば、構造やら原理やらを知らなくても『使うこと』はできる。
そしてもっと深読みすれば、俺が前世で仕入れていた小説の知識がある程度『使える』という判断材料になったと見ていい。
惜しむらくは、元部下と違って異世界転生ジャンルの小説を読むことを途中で挫折したことか。
そもそも、前世の読書は基本的に実用書ばっかりだった上に、もはや紙の無駄遣いでしかない情報量がスカスカな本を何度も読む気力が湧かなかったのだ。
結果、俺の現状と比較できる情報源は数タイトルの数巻分のみ……ないよりマシ程度の情報量だが、とにかく手札が乏しい今は持ってるものでまかなうしかない。
「こどもの体っておもうとすごい……けど、ながい『ため』がひつようなのは、ダメだな」
右手にあった小石をそこらに放り投げ、『身体強化』の成果を見上げながら一人ごちる。
魔力を自覚した後、うんうんうなって体内で動かせるようになるまでは、あまり時間がかからなかったと思う。『身体強化』の効力もすぐ気づき、毎日暇があれば再現実験を行ってきた。
が、今のところ自衛手段としては微妙と言わざるを得ない。
全身へ魔力を循環させるのに、結構な時間がかかるのだ。
それが子供の未発達な体による不器用さからくるのか、はたまた単なる習熟度の問題かはまだわからないが、少しも上達した気がしない。
いずれにせよ、『身体強化』の条件は『一定以上の魔力』を『全身に回し続ける』ことであり、五歳の俺には『それなりの時間を瞑想に費やさなければならない』のは事実だ。
まだ『魔物』や『盗賊』みたいな外敵の出現を聞いたことはなく、遭遇したこともない。が、『いる』と想定して動かなければ生き残れない。
簡単に命を落とすのがこの世界なのだと、たった五年の経験でも身にしみたんだ。
ガキの俺ができることも、備える時間も限られているのだから、与えられた時間は効率よく使わないと。
「もくひょうは、『身体強化』までの時間をみじかくすることと、一回でながくつかえるようになること、一部だけにもつかえるようになること、かな」
当面の課題をあぶり出し、右手で指折り数えながら確認して頭の中を整理する。『身体強化』は便利な技術だが、今はとにかく使って慣れていくしかなさそうだ。
並行して、自分の体を意識して鍛えることも考えないと。力仕事の補助には重宝するが、魔力に頼りっぱなしだと残量切れで使えなくなった時が辛い。地力が高いに越したことはないだろう。
『身体強化』の効果も上がるかもしれないしな。『強化』とはいっても、具体的な補強部分が骨か筋肉か神経か細胞か、はたまたそれ以外にもあるのかわからない。
試さなければならないことはまだまだある――いずれこの村を出るためにも。
「ものがたりのしゅじんこうじゃないけど、あんなたいくつな村でほねをうめるのはゴメンだ」
少し遠目にある村を振り返り、覚悟とともに右の拳をきつく締める。
前世の記憶と照らし合わせても、あの村を『自分に与えられた世界』と呼ぶにはいささか狭すぎた。
だいたいの人間が自分の生まれた村で一生を過ごすといっても、こんなへんぴなところで木こりの真似事や土いじりをするだけの人生なんて考えられない。
ここが定番の剣と魔法の世界なら、冒険しなきゃ嘘だろう。前世では空想でしかなかった世界を目の前にして、辺境民の身分で満足する方がどうかしている。
まあ、夢見がちなガキっぽい考えだって自覚はあるが、元々『魔力』や『魔術・魔法』が非現実な世界の住人だったんだ。
ある程度のリスクを度外視してでも、世界を見て回りたい欲求と好奇心は抑えきれるはずもない。
それに、保守的行動を貫いたとしても死のリスクは高いんだ。自分の可能性を信じて外へ出た後のリスクと比べても、実際は誤差みたいなものだろう。
だったら俺は、未知の世界へ踏み出す方を選ぶ。
そして、前世でやり残した『出世』の続きを……。
「――いたぁー!」
「げ」
自分の声や表情が苦くゆがんだと確信しながら、右拳へ落としていた視線を背後に向ける。
案の定、そこには前かがみで両膝に手を置き、肩を上下させているティリアの姿があった。
「さがしたよ、ガウス。ほら、かえろ? もう、『こんばんは』、だよ?」
「……いつのまに」
言われて頭上を見上げれば、日が傾いたためか確かに薄暗くなりつつある。うっかり考えごとに集中しすぎたらしい。
ただでさえ、ガキの俺が一日に使える時間は少ないのに。これからは気をつけよう。
というのも理由があり、日中の大半を『仕事』に費やさなければならないからだ。
日本と違って村に学校なんてあるはずもなく。自力で歩けて言葉がわかる年齢になれば、ガキでも親の仕事を手伝うのがこの世界での常識だ。
もちろん俺も例外じゃない。いつも日が昇る前くらいに目を覚まし、昼間はほぼ親の指示で仕事をこなして、解放されるのはだいたい夕方くらい。
加えて母親の『暗くならないうちに帰れ』という指示を守ると、俺が得られる自由時間は数時間程度にしかならない。
本当ならもっと時間を確保したいところだが、親の言いつけを破って好き勝手やっちまえば、あとで自分の首を締めることになりかねないんだよな。
なんせ、この世界の子供は最悪の場合、口減らしを理由に奴隷商へ売り飛ばされる可能性があるからだ。家庭では親の権利がずっと大きく、ガキの人権なんて吹けば飛ぶほどの軽さでしかない。
それくらいしなきゃならないほど、一般的な平民の世帯収入が少なく、労働力を遊ばせる余裕がない証拠だ。
よって、『親の庇護下』という環境を守るために、聞き分けのいい『よい子』を演じる必要があった。
たとえ最底辺に近い生活でも、こうしてわずかでも訓練時間があるのとないのとでは大違いだからな。
「しょうがない、かえるか」
「あっ! まって、ガウス!」
ため息をこぼしてティリアの横を通り過ぎようとした時、細っこい腕がこちらへ伸びてきた。
「……なんだよ、その手?」
「おてて、つなぐの! ティーは、ガウスよりおねえちゃんだから!」
相も変わらず年長者面な幼女に、内心でうんざりしてしまう。
とはいえ、ティリアはド田舎らしい野暮ったさはあるが、村の中じゃ愛嬌のある顔立ちをしている。なにが楽しいのか、いっつもニコニコヘラヘラしてるのもあって、村の大人からはマスコットみたいな扱いだ。
改めて視線を顔へ向ければ、三つ編みにまとめた鮮やかなオレンジ色の髪を肩口で揺らし、満面の笑顔でこちらを見つめている。
ついでに額や襟元には大量の汗が浮かび、肩で息をしながら頬も上気している……どんだけ走り回ったんだか。
まあ素材は悪くないし、あと十年くらい経ったら相手してやらんでもないが、俺もコイツもまだガキだし――今はただ面倒くさいだけだ。
「……えいっ!」
そのまま無視しようとした瞬間、ティリアの方から俺の右手を握ってきた。
「しっかりにぎっててね! ティーおねえちゃんがガウスをまもってあげるから!」
「…………」
こちらの返事を待たず、ティリアは俺を先導しようとぐいぐい村へと歩き出した。
まだ『身体強化』が残っているから強引にふりほどくこともできたが、幼女のママゴトに目くじらを立てるのも大人げない。
魔力の循環を意識して止めて『身体強化』の効果を抜きながら、俺はため息をこらえつつご機嫌な背中に無言でついて行った。
~~・~~・~~・~~・~~
「きょうで、二年目……」
空き地で見慣れた傷だらけな木の幹の前に立ち、右手の石で七百三十回目の印を彫り込んだ。
こうして無事、六歳を同じ村で迎えることができた幸運に安堵する。
というのも、三ヶ月ほど前にこの村が盗賊に襲われた事件をきっかけに、俺の中にあった危機意識がより高まったのだ。
幸い、その時は統率など眼中にない野盗崩れだけで、村の成人男性が所属する自警団で対処できた。負傷者以外の被害はなく、ただでさえ乏しい生活物資を守り切れてホッとしたもんだ。
が、だからといってあまり悠長に事を構えてもいられない。
ここは誇張も贔屓目もなしに辺境の寒村だ。自警団とはいったものの、撃退法なんて若さと農具の長さに頼ったごり押ししかない。
素人の俺が言うのもなんだが、特別な戦闘訓練を受けた者が一人もいない『なんちゃって自警団』が防衛戦力の要という現実を前に、不安にならないはずがない。
『前世の俺』の感覚からすれば、他国との安全保障条約や自衛隊がない国にいるみたいなものだ。
『前世』を生きていた間に他国との大きな武力衝突こそ起こさなかったが、今なら防衛組織が無意識下に与えてくれた平穏や安心感――そのありがたみを痛感できる。
あるのが当たり前だった『身の安全』を保証されない恐怖は、日常生活に支障が出かかったほど俺の神経をすり減らした。襲撃後の数日はなかなか眠れなかったし、わずかな物音にも過敏になった。
ようやく落ち着いた頃には、『ガウスも子供らしいところがあって安心した』と両親にからかわれたりもしたが、もはや怖いものを『怖い』と感じることを恥だとは思わない。
むしろ、『今回は大丈夫だったから次も大丈夫だ』なんて根拠のない自信を理由にして、物事を楽観視することの方を恥じるべきだ。
自分の力でどうにもできないことを自覚しておきながら、何の対策もしないなんてあり得ない。台風も地震も津波も人災も、俺たちの都合なんて待ってくれないんだ。
「――ふっ! やっ! はぁっ!!」
だから俺は、自分にできることとして自衛手段を真剣に模索しだした。
今もこうして、少しずつ効果発動までの時間が短くなってきた『身体強化』を行いつつ、そこらで拾った石を的に向かって投げている。
骨格も筋肉も未発達な六歳児が急いで肉体を鍛えたところで、効果は高が知れている。それに幼少期の無理なトレーニングで変な筋肉のつき方をするリスクもあるため、こればかりは成長を待つほかない。
自分の非力さを受け入れ、それでも何かできることはないかと考えた苦肉の策が『石投げ』だった。
非力なガキじゃ、直接の殴り合いだと足手まといにしかならないのは火を見るより明らかと考え、遠距離から敵の攻撃意思を削ぐ方向へ舵を切ったわけだ。
当たれば申し分ないが、当たらなくとも投擲物があるってだけで敵は怯む。さすがに軍隊相手だと弓か魔法は必要そうだが、こんな場所に来る野盗崩れ相手なら効果はあるだろう。
『今世の父親』に頼んで太い木の幹に掘ってもらった、成人男性の頭くらいの高さにある的に向かって何度も石をぶつけようとする。
何かしていないと落ち着かない。何もしていないことが怖い。
『前世』では画面を隔ててしか確認できなかったはずの『死』が、確かな存在感を伴って背後に張り付き背筋をなでる。
油断すれば止まらなくなりそうな体の震えを振り払うように、手の平を痛いくらい刺激してくる石をまた一つ投げ放った。
『痛み』は『生きている実感』を思い出させるが、『死ぬかもしれない不安』を忘れさせてくれる『何か』を俺は知らない。
『身体強化』で弾丸のように飛び出した石は、的から外れて森の暗闇に消えた。村とは逆方向に投げたから、人に当たる可能性は低いだろう。
ここ最近になって、『前世』を持つ自分が恨めしいと思うようになった。この世界では高度だろう知識や成熟した人格と引き替えに、これまでついぞ味わうことのなかった『死の恐怖』が鮮明に意識され精神を蝕む。
……少しの間、自失していたらしい。木々の隙間に飲み込まれた石の行方をぼんやり眺めていた。緑の傘が日を遮る空間はとても暗くて――とっさに目をそらし、新しい石を探そうと地面を見つめる。
何も知らないままでいられたら、あるいは同世代のガキたちみたいに『確かな明日』を無邪気に信じられただろうか?
すっかり笑うことを忘れた唇を真一文字に引き結び、俺は顔を上げたと同時に濃くなっていく暗闇を睨んで石を力一杯ぶん投げる。
「はぁ、はぁ……くそっ!」
無傷の的と静寂が、俺の心をさらに焼いた。
気づけば息が上がっていて、近くの地面から手頃な大きさの小石はなくなっていた。さんざん狙いをはずし続けた右手はぷるぷると震え、肩から先の鈍痛が『下手くそ』と非難を訴えてくる。
「こどもの、体……、よわい、んだよ、っ!」
自身への苛立ちを右手で握りつぶし、それ以上の焦りと弱音を吐き出さないよう目をキツく閉じて深呼吸をしていく。
やっぱりダメだ。このままじゃ、いつ俺の能力が『使える水準』になるのかが不透明すぎる。
そもそもガキの体が貧弱すぎて話にならない。基礎能力が低いんだから、地道に鍛えたところで実感できる成長も雀の涙なんだ。
必要なのは『いつか』じゃない、『今このとき』に使える力だ。悠長に成長を待っているだけでは、間に合うものも間に合わない。
そうなると、『チート』が俺自身の努力を必要とする『才能』らしいのも恨めしい。
どれだけ非現実でもご都合主義でも、即物的に使える『力』があればここまで怯えることも――
「……そうだ、『魔法』っ!」
つらつらと脳内で垂れ流していた愚痴から天啓を得た俺は、固めた右拳をゆっくりとほどいていく。
妄想の域を出ない仮説から『身体強化』を修得できた事実、発動までの時間を短期間で縮めてみせた成長速度から、俺の『魔力』に関する資質は決して低くはないはず。
まだ実用レベルとまではいかないまでも、その手前くらいには『身体強化』も慣れてきた。
なら――もう『魔術や魔法』に手を出しても、いい頃じゃないか?
「本当に、やれるのか? ――いや、よわきになるな。しっぱいなんてこわくない。おれはできる。おれは天才で、かちぐみだ。だいじょうぶ、おれは、『とくべつ』だ……!」
冷静な『俺』が脳内で次々とリスクを提示していくが、感情的な『俺』が弱腰な考えを吹き飛ばすように口を動かしていく。
大学受験や大きなプロジェクトに挑む時など、人生の転機を自覚すると『前世』から無意識にやっていた、不安を押し殺すための自己暗示。
いざというとき、『俺』に牙を剥くのはたいてい『弱気な自分』か『味方面した無能』だった。
前者は早期に不安を吹き飛ばし、後者は元から『いないもの』と構えて期待せず、むしろ『足手まとい』と数えて不備を事前に潰していく……そうだ、対処法もわかってる。
『俺』は確かに焦っている――だが、まだ冷静だ。
自信が崩れていない『俺』なら、やってやれないことはない!
「――っ!」
目を大きく見開き、右手の指を限界まで開いて、体内の魔力を動かした。
『身体強化』はいわば川の流れに勢いをつけて速めるようなものだが、今は右腕に流れる川から水をくみ上げその場にとどめるようなイメージを作る。
『流す』とは違い『取り出す』のは負担が大きく、とたんに全身から汗が吹き出ていくのがわかった。
思ったよりも負担は大きいし制御も難しい……だが、不可能じゃない。
ゆっくりと、着実に肌が波立つ感覚の強まりをこらえながら、体感的に普段の1.5倍くらいの魔力が集まったと思えたところで『取り出し』をやめた。
すかさず、体内で分離できた分の魔力をその場に『とどめる』ため、すべての意識を右腕のみに集中していく。
「ぐ……っ、く、ぅ!?」
だが、徐々に集めた魔力が体の方へと戻っていくのが感覚的に理解できた。
手ですくった水が指の隙間から漏れ出すように、俺が魔力を保持する力は本当に無様で不完全だ。
それでも『とどめる』ことはできた。
つたないだけで、失敗じゃない。
俺のやり方は、間違っていない……っ!
必死にロスを抑えようと一層右腕に力を込め、魔力の存在を確かめ握る。
「あと、は、っ! そとに、だす……だけ、っ!!」
飼い慣らしたとは到底いえない魔力だまりができた右腕を見下ろし、それでも俺はあえて笑った。
端からダメで元々、仮説の検証こそが今回の目的だ。
不格好でも何でも、一つ一つの工程で『成功したという事実』こそが重要になる。
このやり方が『失敗』じゃないのなら、後から別のアプローチで試行を重ねる余地が生まれ、より洗練させた結果を得ることも可能になるはず。
つまり、たとえ失敗に近くとも、『魔術・魔法』の入り口として無駄にはならない――っ!
「でも……、どう、やって、っ!? イメージ、はっ!?」
しかし、ここで感覚のみに頼って魔力操作を行ったツケが襲ってくる。
『肉体の損傷なしに体外へ異物を放出する』という荒唐無稽な結果を、どのようなイメージで補完し実現させるのか?
こればかりは『前世』の知識や経験も役に立たない。『魔力』がこの世界を自覚してからの要素であり、本能的なノウハウもないためすべてが未知数なのだから。
魔力のイメージは『川の水』――厳密には『血管を流れる血液』だったから、体外への排出経路をイメージするのが正解か?
ならどこから? 放出する魔力は今、どこにどうやってたまっている? 液体と気体、どちらのイメージなら肉体への負担が少ない?
それに排出起点は何に設定する?
骨? 血管? 神経? 汗腺? 細胞核? 細胞壁の隙間?
――とりあえず、想像は手っ取り早いがリスクも大きい『流血』だけは思い浮かべるとマズい!
もはや自分の脳内に言葉をとどめおくこともできず、暴れ狂う右腕の魔力を押さえるのに必死だった。
「っ、こう、なったら、てきとう、でも、やってみる、しか――」
うだうだと考える余裕はないと、ゆっくり右手を前方にたたずむ標的へ掲げた直後――
「……ガウス?」
「っ?!」
――耳慣れた小さな声が、反射的に俺の意識を背後へ移させた。
「どうしたの? どこかいたいの? すごいあせだよ?」
「……てぃ、りあ、っ!」
視線の先には、今にもこちらへ近づいてきそうなティリアの心配そうな表情が。
あれから一年経っても過保護が続き、何かと構ってこようとする幼なじみの次なる行動を予測して、自然と血の気が引いた。
――今でも極限状態なのに、集中力を乱されるようなことをされれば、確実に魔力が暴発する!!
「ねぇ、ガウ――」
「――くるなっ!!」
案の定、無防備に近づこうとしたバカを大声で止めた。
めったに、というか初めてティリアへ怒鳴ったせいか。踏みだそうとした二の足は不自然に止まり、反動で揺れた一つ結いの髪が居心地悪そうに跳ねたのが見えた。
一転して顔つきに怯えを混じらせたティリアに、しかし気の利いた言い訳の言葉も出せないまま俺は睨むことしかできない。
「ご、ごめんね? でもティーね、ガウスがしんぱいで――」
この場をどう切り抜けるか結論が出る前に、無情にもティリアはさらに歩を進めだした。
恫喝まがいのことをしたところで、しょせん俺は子ども。大人と比べれば迫力なんてないに等しく、時間稼ぎはたった少しの躊躇しか生まなかった。
ああ、もう、クソッ! 混乱に拍車がかかって、まともに考えることもできない!
これほど俺が焦っているのも、『魔力』という存在の不確定要素が引き起こす現象に予測ができないからだ。
この世界じゃすべての生物にあるだろう魔力は、『ただ流れを速めるだけ』で、子どもの肉体に成人以上の身体能力を発揮させるだけの『エネルギー』を有している。
たとえば、『身体強化』における『川と流水』のイメージを当てはめると、『身体強化で生み出されるエネルギー』は『増水して川縁へ跳ねた水しぶき』に等しい。
『水しぶき』でもかなりのエネルギー量だっていうのに、俺は今その危険な『魔力の塊』を『自分以外の人間がいる場所』で解放しようとしている。
――それも、『わざと川を決壊させようとした寸前』の状態で、だ。
子どもから引き出せる程度の魔力量だから、なんて楽観的な考えはできない。
根拠もないまま安心だと断言するには、『身体強化』で実感してきた『力』があまりに強すぎる。
自分だけがリスクを被ったり、野盗や魔物などの脅威が相手ならまだしも、年端のいかない知り合いを巻き込むなんてさすがにできない。
そしてもう、迷っていられる時間も残されていなかった。
「かえろ? ねぇ、ガウス……っ」
「ぐっ!? ――にげろぉっ!!」
なりふり構わず叫び、俺へ駆け寄ってきたティリアから逃げるように地を蹴る。
『身体強化』で自らを打ち出した瞬間、俺へと伸びていたティリアの指先が、服の生地をわずかにかすめた。
鋭敏になった知覚で、無事にティリアと距離を取れたと安心する暇もなく。
今度は木々によって赤色を喰われた夕闇に視界を奪われていく。
たった一足で広場と森の境界線へたどり着くと。
とっさに的が描かれた大木へ、暴走寸前の右腕と魔力を押しつけた。
時間にしておそらく数秒程度の行動は。
――あっけなく、子どもの限界を突き崩した。
「 ぁ 」
初めに覚えたのは、右腕の皮膚を内側から押し広げる圧迫感。
次いで、自分の間抜けな吐息から漏れた声。
かき消すように、まるで世界が壊れたような音が体内を駆けめぐる。
開いた口へ侵入した、温かい滴。
鉄に似た臭みが鼻に、ほのかな苦みが舌に、突き刺さった。
右半分の視界に、どす黒い紅が覆い被さる。
なぜか、紅の隙間から右腕が見えた。
『魔力』による内圧に負け、何本もの亀裂と紅を広げていく。
脳が認識した時には、すでに遅く。
元の二倍から三倍ほどの大きさへ膨れ上がって。
利き手が――破裂した。
「ぁ っ ぉ !?!?」
わけがわからなかった。
めのまえでせかいがまわる。
かぜのおとがみみをふさぐ。
ちのにおいがはなからきえない。
いきがとまってのどがしまる。
せなかがいたい、むねがいたい。
ぐるぐるまわる――せかいがまわる。
「 が っ !! 」
とまった。
そら。
あかい。
くらい。
いたい。
つめたい。
……ねむい。
「――ガウス!? ガウスッ!!」
いたい。
かお。
くらい。
あかい?
いたい。
あたたかい。
……つめたい?
「がうすぅ……! ねぇ、おぎでよぉ……!!」
うるさい。
いたい。
おもい。
いたい。
ねむい。
いたい。
「ち……! ちが……、いっぱいで……、とまんない、っ! とまんないのっ!!」
いたい。
いたい。
しらない。
いたい。
いたい。
わからない。
「ねぇ! がうずっ!! どうじよぉ!? がうずぅっ!?!?」
いたい。
いたい。
いたい。
いたい。
いたい。
――しってる。
「う゛っ……、う゛う゛うぅ…………っ!」
いたい。
くらい。
つめたい。
おもい。
ねむい。
……しってる。
「うわあああああ――」
お れ は
ま た
死
「――ぁぁぁぁぁんっ!!!!」
え
か お
ふ っ て
~~・~~・~~・~~・~~
――ガツンッ!!
「ぃ……っ!?!?」
鈍く、しびれるような痛みに思わず眉に力が入り、苦い吐息が漏れた。
「~~っ、はぁ。相変わらず固いな……」
拳を握りしめ、違和感が消えてからゆっくりと地面から離して持ち上げた。
「栄養が少なく痩せてる上に、水も少ないからひび割れ放題。挙げ句の果てには大小よりどりみどりの石礫トッピングとは……つくづく農耕に不向きな土だ」
そのまま担いだ鍬で肩を叩きつつ、俺は狭苦しくも広く見える自分の畑を見渡した。
いい条件の土地は、すでにほとんど同世代の男連中に持って行かれた。
親父もお袋も自分たちが担当してた畑は分けてくれなかったし、村の人口が増えて新しく広げた土地の面倒を見てくれる奴は他にいない。
扱いはまさしく村八分、孤軍奮闘の四面楚歌だ。
まったく、誰のおかげで飯に困らず子供が騒がしい生活を送れていると思っているんだか。
「――ま、身から出た錆、なんだけどな」
にっくき畑をにらみつけていた目を、おもむろに下へおろした。
最初は戸惑い、前世より遠く感じた地面との距離に違和感もない。逆に前世の身長を思い出して懐かしさがこみ上げてきた……足下に散らばる石どもには嫌気を通り越して殺意すら湧くが。
衝動的に、肩に乗っていた鍬の背で近くの石を踏みつけた。鉄はおろか錫や銅など金属自体が調達できない辺境にまともな刃などなく、純木製の鍬は先端がボロボロになっている。
柄の末端に手を置き地面を押さえる『左腕』には、固く発達した筋肉の筋が浮かぶ。同世代の男よりも二回りはデカく、視界に映る胸板も太股もそれ相応にゴツくなった。
ただし――反対側についていたはずの『右腕』には、筋肉などまったくない。それどころか、骨も、血管も、神経すらなく……肩から先はきれいさっぱりなくなっている。
「あの『魔力事故』から……そろそろ二十年くらいにはなる、か」
時間が経つのは早いもんだ。
気づけば、右肩から下にあったはずの感覚が消えた空虚感にも慣れてしまった……ああ、ついでにズレた重心に振り回されて、何もない場所でつまづくこともなくなったか。
若かったときは隻腕って障碍に絶望し、派手にやさぐれたこともあったが……まったく、人間の適応力には我ながらあきれるしかない。
せめて義手があればまた違ったんだろうか? ……いや、何もないこの場所で望むものじゃないな。
もし存在したとしても、そんなハイテクな代物が辺境で手に入る見込みはゼロだ。まして、『自分で作る』って選択肢も最初からない。
腕が二本だろうが一本だろうが、前世も含めて死ぬほど手先が不器用だからな、俺。
そう考えると、死んでも直らないのは『馬鹿』だけじゃない、って証明になるのか? ……何とも嬉しくない実証実験だ。
「……しみじみしてても時間の無駄だし、また土や石ころと戯れるか」
盛大にため息を吐き、一瞬で循環させた魔力で『身体強化』を施すと、全身のバネを使って左腕の延長上にある鍬を振り下ろした。
メインの仕事が自警団での警備や食料となる魔物の狩猟とはいえ、貧乏と自給自足がこの村の基本。自生する野草以外にも、作物を育てられるに越したことはない。
貨幣経済から見捨てられた辺境でも、ごくごくまれだが行商人はやってくる。その時に物々交換ができそうなくらい有用な物を用意できれば、貧困生活も多少はマシになるだろう。
野盗の身ぐるみ引っ剥がした小銭稼ぎで得る儲けなんて、二束三文にしかならないからな。
魔物から取れる肉、毛皮、骨などの資源と同じ、あるいはそれ以上の価値がある作物ができることを信じて、ひたすら地面と格闘する。
「…………っ!」
「――ん?」
強引に石ごと砕いた鍬を引っこ抜く寸前、遠くからかすかに声が聞こえた。
「……じ~っ!」
まっすぐ、急速にこちらへ近づく声を聞きながら、うっすら浮かんだ額の汗を手の甲で拭う。
「――おやじぃっ!!」
瞬間、目の前に小さな『かかと』が飛来した。
「おっと」
膝を曲げて身を屈め、サイズに見合うかわいらしさを放棄した風圧を頭上でやり過ごす。
大気をえぐり散らした『かかと』の持ち主はそのまま俺の背後へ飛んでいき、今度こそサイズに見合った軽い足音を立てて笑った。
「また『ウォル』にまけた! れんしゅうにつきあえ!!」
「はぁ、自分の『兄』を呼び捨てにするなと何度言えば――」
「おらぁっ!!」
浮かしかけた鍬を再び地面に突き刺し、俺の頭蓋を砕こうとした足を振り向きざまにつかんだ。
「――わかるんだ? 言葉遣いも、相変わらず汚いまま――」
「しぃっ!!」
片足を掴まれた宙づりの状態で、今度は小さな拳が鳩尾を狙う。
「っ?!」
小柄な襲撃者の恐ろしく精確な突きが入る、その直前。
「――だぞ。いい加減、もう少しおとなしくできないのか?」
独楽のようにその場で素早く一回転――足とつながった矮躯に遠心力も加えて投げ飛ばし、強引に拳から距離を離した。
「――ぃいいぃっ!?」
『身体強化』も施していた腕力は、子どもの体を砲弾のように加速させる。
あわや大木にぶつかろうとしたところで、飛ばされた子どもはか細い四肢で太い幹をつかんだ。
遠くに見える子どもは、本来なら年相応にかわいらしいはずの顔立ちを焦りで崩したが、すぐに言動からにじみ出す通りの野性味を表情筋に乗せて散りばめる。
また、調髪を嫌って伸ばしっぱなしになった金髪が子どもの周囲でぶわっと舞い踊り、隙間から覗く一対の瞳がまるで金貨をイメージさせる鈍い光を放っていた。
その様はさながら、艶のある体毛を逆立たせながら獲物を定める餓えた獣のようで……思わずため息もこぼれるというもの。
「お前は五歳の『女の子』だろう、セシリー?」
「――おせっきょうはもうあきたっ!!」
足場にした木がミシミシとしなり、素早くもたげた顔に幼く獰猛な笑みが浮かび、俺に再び固定される。
そして――当時五歳の俺よりもはるかに優れた『身体強化』と、倒れた姿勢を戻そうとする大木の反動を利用したセシリーが、砲弾以上の速度で戻ってきた。
「まったく、ガキ大将の次は野生児か? 今から将来が心配だぞ……」
「やあっ!! ――ふっ! しゃあっ!!」
半歩ほど体を横へずらして娘の突撃を避け、着地後の衝撃を殺した四つん這いを目で追ったところで再び消える。
感じた気配に従いその場を軽く飛び上がれば、まるでうり坊のように低く迫った我が子の足払いが空を切る。
と思えば、セシリーは瞬時に蹴り足を地面に噛みつかせ、四肢の力を利用し跳躍。
俺の眼前まで飛び上がると 迷わず目か鼻を狙った後ろ回し蹴りを放ってきたため、とっさに鍬の柄を引き寄せ攻撃軌道に差し込み防いだ。
「――父さん!!」
しばらくやんちゃな娘の相手をしていると、今度は同じような背丈の男の子が駆け足で近づいてきた。
見た目は俺に似た十人並みの平凡顔だが、そこから皮肉気にゆがんだ俺とは違ってどこか涼しげながら柔和な雰囲気をまとっており、年齢不相応な早熟さが見える。
襟足が伸びたやや長めのサラサラな髪は黒みがかったオレンジ色で、俺の短めなダークゴールドの髪色をわずかに遺伝したことがうかがえる。
そして、主張が控えめな黄白色の優しげなたれ目と、濃度が高めな琥珀色をした俺の切れ長なつり目が視線を交換する。
「ウォルか。また喧嘩したらしいが、かけっこはセシリーの方が早かったぞ?」
「む……わかってるくせに」
速度を緩めた息子をからかうと、非難がましい半眼と嘆息を向けられる。
同時に飛来する娘の跳び蹴りを躱し、すれ違いざまに足首を捕獲して明後日の方角へブン投げた。
「はて、何のことだか?」
「泣いてた『いじめられっ子』と、セシリーがケガをさせた『いじめっ子』を家までおくってたこと。後始末はいつもぼくがやってるんだよ……」
予想通りの経緯を聞かされ、再び表れたウォルの不満顔に笑いがこみ上がる。
そして、明後日から帰還し俺の右腕側へ回ってきた娘には、鍬をブン回して襲撃を牽制。
「すまんすまん。だがまあ、子ども同士の仲裁役もすっかり板に付いたな?」
「うれしくないよ……ケガさせないようにするの、大変なんだから」
「なっ……んだ、ってぇっ!?」
ちょうど男の急所を蹴り上げようとした我が子の暴挙を止めた瞬間、セシリーはウォルの何気ない発言に声を荒らげだした。
即座に目の色を変えて反転すると、標的を完全に父親から兄に変える。
「あたしあいてじゃ、けがもしないってことかぁ!?」
「っと! ――まぁ! そう、だけどっ!!」
「――なまいきだぞ! ウォルのくせに!!」
そのまま兄妹同士の殴り合いに発展したので、温まってきた戦意をほぐしながら高みの見物に移る。
そのまんま小さな獣のような動きのセシリーとは違い、どこか武術めいた独自の体捌きで軽くあしらうウォルの動きは、とても洗練されていて無駄がない。
前世の武術を教えたわけでも、セシリーのように組み手で手ほどきをしたわけでもないのに、ウォルはいつの間にか『人間の体』と『動かし方』を熟知していた。
『身体強化』も何度か見せただけで使えるようになっていたし、親の贔屓目抜きにしても『天才』だな。
……まあ、年上の男の子ばかりに喧嘩を売る、子ども社会にとっては『天災』のようなセシリーの相手を毎日していれば、嫌でも護身技術は身につくか。
「――ガウス~! ウォル~! セシリ~!」
っと、今日は寂れた畑って場所に見合わず、来客が多い。
そちらへ視線を向ければ、間延びした声のイメージにそぐわないのんびりした歩調と笑顔で近づいてくる女性がいた。
「どうした、ティリア?」
「そろそろお夕飯の時間だから、呼びにきたの。ウォルとセシリーもいたのは、うれしい偶然ね」
「……もうそんな時間か」
致死率の高そうな取っ組み合いから意識を外せば、沈みかけた太陽によって茜色に染まった空が目についた。
今日の仕事はここまでと近くの地面に鍬を刺し、俺の歩幅だと半歩分の距離にあった夕暮れよりも鮮やかなオレンジ色の髪へ手を伸ばす。
「わざわざ呼びにきてくれたのか。ありがとう、ティリア」
「ふふ、ガウスはお父さんになっても世話がかかるんだから。んっ、くすぐったいよ~」
普段は髪紐で結わうティリアには珍しく、さらりと流れたままにした長髪がどこか新鮮で、手櫛の指がなかなか離れてくれない。
結婚してそろそろ七年くらいになるはずだが、ティリアは相変わらず少女のような笑顔を俺に向けている。
言葉では俺をたしなめ身をよじらせながら、しかしその場から逃れることも手で払いのけることもせず、無防備に受け入れてくれている。
片腕を失ってからも俺を見捨てず、こうしてそばにいてくれた『妻』へのいとおしさが募り、自然と頬が緩んでいた。
「……そうだな。いつもティリアには、苦労をかける」
「本当だよ、もう少ししっかりしなきゃね?」
髪の感触を楽しんでいた指で、そっとティリアの頬を包み込む。
大人になってからも、年上目線で接してくるのは変わらない。
ただ、その扱いにもはや不満は持っておらず、むしろ安心感さえ覚えるようになったのはいつからだっただろうか?
『魔力事故』から奇跡的に一命を取り留めた俺は、右腕とともに労働力としての価値を失った。その上、村にも家族にも見切りをつけられ、村人とのコミュニケーションを怠っていたことで孤立をより深めていた。
自暴自棄で素直になれず、差し出された善意を邪険にした時期があってもなお、ティリアだけは俺を見捨てず残った手を引っ張ってくれた。
何度もつながれた左手の温もりが、次第に俺を変えていった。煩わしさが気恥ずかしさに、やがて胸が高鳴るようになって、ティリアの唯一を望むようになった。
そんな恩人であり最愛の人が、今も俺の手を受け入れ優しく包んでくれている――。
「――ぉわぁっ!?」
唐突に背後から上がった悲鳴に振り返り、こちらへ飛んでくるセシリーの背中を受け止めた。
……様子からして、ウォルに巴投げの要領で投げ飛ばされたらしい。
「気は済んだか、セシリー? いい加減、自分を省みたらどうだ? 俺みたいに大けがを負ってからじゃ遅いんだぞ?」
「うるさーい! もういっかい! つぎはあたしがウォルをぶちのめすから!!」
「こら、セシリー! 相手が誰であっても、乱暴なことはしちゃダメって言ったでしょ!!」
「げぇっ?! お、おかあさん……」
俺の経験則から出た忠告もセシリーにとって火に油だったようだが、ティリアの一喝は効果覿面であっという間に娘の戦意を鎮火する。
日頃から叱られ続けた条件反射か、すっかり萎縮したセシリーをティリアに預け、今度は服の汚れを落としていたウォルを抱きかかえた。
「ウォルは今回もご苦労だったな。毎回セシリーを傷つけないよう気を使うのは大変だろう?」
「っと。本当だよ……日に日につよくなっていって、相手するだけで手いっぱいだし」
俺の服をつかんで前腕に腰かけ、唇をとがらせながら抗議するウォルの不満げな顔に笑みを返す。
「兄貴の威厳を保つのも苦労するな」
「ひとごとだからって……そう思うなら、次からは父さんがとめてよ」
答えをはぐらかされたと気づいたウォルはさらにジト目を追加させたが、あえて気づかない振りをして歩き出す。
「またこんなに傷を作って、男の子とケンカしたんでしょ!? セシリーは女の子なんだから、跡が残ったら大変なんだよ!?」
「うぅぅ……」
そして、お説教をしながら手製の傷薬をセシリーに塗るティリアへ近寄り、俺は自分に与えられた幸せを噛みしめた。
子どもの頃に立てた『村を出る』という目標がかなっていれば、決してなかった景色に目尻が下がる。
すべてを見下し、自分を過大評価したままの俺が、村の外へ出たところで成功していたかどうかはわからない。
ただ、『IFの俺』が同じ年齢に達したとしても、今ここにある幸せを味わえなかったことは間違いない。
そして、『村で生きる』選択を下した俺が、家族との日常を手放すような真似をしないこともまた、間違いない。
「そこまでにしておけ。続きは帰ってからでもいいだろう?」
「む~、それもそうだね」
「――えぇっ!? まだつづくの!?」
「当たり前でしょ! まだまだ言い足りないことがいっぱいあるんだからね!!」
俺たちの存在を思い出したティリアは、塗り薬の臭いに包まれたセシリーの手をがっちりつかんで立ち上がった。
「それじゃあガウス、帰ろっか」
満面の笑顔で告げるティリアとは対照的に、がっくり肩を落として引きずられるように歩き出したセシリーの小さな背中に、悪いと思いながらもまたもや笑みが深くなる。
「あぁ、帰ろう。俺たちの家に」
俺はというと、さっきから視線で『降ろせ』と訴えるウォルを無視し、日に日に重くなる息子の体を抱え直した。
前世もひっくるめた人生の中で、今が一番充足していると断言できる。
大した力もなければ、裕福な土地もなく、村人からの人望もない。
それでも俺には、愛する妻がいて、愛しい子どもが二人もいて、帰ってもいい家がある。
どうしようもない俺にはもったいないほどの幸福を、ティリアに与えてもらった。
俺は幸せ者だ。
不満なんて思いつきもしない。
……でも、一つだけ。
たった一つだけ、贅沢なわがままをこぼしていいのなら。
――ウォルとセシリーを『両腕』で抱き上げてやれたなら、何も言うことはなかったのに、な。
『左腕』と比べて細く小さくなった右肩が、存在しない『右腕』を軽やかに揺らす。
ぶら下がる後悔は、『左腕』の何倍も重かった。
はい、というわけで『転生チートで掴んだ幸福』、いかがだったでしょうか?
読者のみなさまが憧れるようなハッピーエンドになっていたのなら幸いです。
『転生チート』を利用して主人公の利き腕を吹っ飛ばし、『なろう』で約束された力も金も名声も取り上げてみたところ、最後に主人公が『掴んだ』のはそれでも『幸福』でした。
成功を重ねるだけの人生が幸せとは限りません。
腕を一本ぶっ飛ばすほどの挫折が、思わぬ幸せを運んでくることもあるのです。
なのでみなさんも、未来を悲観し来世に一点張りして自殺狙うより、腕を一本もぎ取るくらい(の覚悟)でよしとしませんか?
失った物は大きいかもしれませんが、これから拾い上げる物が心の隙間を埋めてくれるかもしれません。
『人間万事塞翁が馬』、ですよ。