第1話 ジモン島奇譚 9
夢を見ていた。・・・・明らかに夢である。そうであることをサラは十分に知っていた。
いつもの見慣れた家の中。小さな家のリビング。エリスが泣いている。ママとパパがいる。二人とも暗い顔をしてサラを見ていた。サラはまだ小さい。6歳くらいだろうか? 怒った顔をして、目に涙をためていた。
「エリスならこんなことはしないのに・・・。」
母親はため息をついた。
サラは割れた花瓶をじっと見ていた。
「本当にしょうがない子だ。」
父親はため息をついていた。
母親は花瓶の欠片を拾い集めはじめた。拾いながら小さな声で歌っている。それがサラには怖かった。
エリスは額から血を流して蹲っていた。
「私が悪いんじゃないモン!」
たまらずにサラが叫んだ。パパもママもエリスもきょとんとしてサラを見つめていた。
「そうとも誰も悪くない。悪くないのさ。」
いつの間に現れたのか、ジルコーニがしわがれた大きな手で頭をなでてくれた。
「そうとも、サラは悪くない。」パパが言った。
「そうよサラは悪くないのよ。」ママが言った。
「サラは悪くない。」エリスが言った。
「悪くない。悪くない。悪くない・・・。」
みんなの声が、呪文のように重なり合っていた。なぜかサラは震えてきた。子供の時のサラが魔物のように見えた。
「 何があったんだっけ・・・? 」サラは考えたが、何も思い出せなかった。
サラはパパとママとエリスが大好きだ。
でも、自分は嫌いだ。だって、エリスじゃないから。パパとママとエリスはサラが好きなのだろうか?
うん、好きに決まっている。好きに決まっている。好きに決まってい・・・・る?
「ゲプラー、あんたシュラミスだけじゃなく、サラにも操られていたのか?」
ホークの口から意味不明の言葉が飛び出した。
「どういう意味だ?」
「あんたサラを操って下僕にしようとしただろう?」
「・・・・・。」
ゲプラーには思い当たるフシがあるようだったが、問いには答えなかった。
ホークは少しだけ眉をひそめた。そして「ふーっ」とため息をついた。
「・・・それじゃ気づいてなかったのか。」
「訳の分からんことを言いよって。わしがシュラミスやあの小娘に操られていただと! 冗談も休み休み言え。それより、よくこのわしに気づいた。それくらいは褒めてやるわい。」
「それは簡単なことさ。」
「何?」
「あれだけの魔法結界を張れる魔法使いが、目の前でサラの姉さんが攫われて行くのを指をくわえて見ているだけとは誰も思わないさ。ドレイクだって気づいていた。」
「・・・・どういう意味だ。」
「あんたの家の事さ。おいらたちを侮って、魔法結界を張りっぱなしにしといただろう。」
「・・・・まさか。その程度の事で・・。」
「だからあんたは詰めが甘いのさ。オイラにはあんたのカラクリも大体想像がついてる。」
ゲプラーの額にうっすらと汗が滲んでいた。
「エリスはあの赤い月より前に攫われていた。皆がエリスだと思っていたのは、シュラミスの幻像だろ? ややこしい真似をして、サラを幸せにしようとでもしたのか?」
「わからん! わからん! 意味が分からん! 寝言は寝てから言うもんじゃ!」
「・・・そうだよな。気づいてないんだもんな。」
仕方ないなとでも言うかのように、ホークの口元がゆがんだ。
「くぅうう。いちいち頭に来るガキだ! わしの究極魔法を見せてやろう! 名付けてアイスダイス!」
『ネーミングだっせ・・・ぇ』ホークの心の声。
ゲプラーは呪文を唱えた。
ゲプラーの目の前に氷の壁が出来たが、それだけではなかった。氷の壁は次々にゲプラーの上下、左右、背後にも現れ、つながり、正六面体となる。
「今度は自分で自分を封印する気なのか?」
「物理攻撃はおろか、魔法攻撃もこの氷の壁が防御する! いかなる攻撃も無駄! 無駄! 無駄ぁ!」
ゲプラーは厚さ30㎝はあろうかという氷の壁に囲まれている。氷は透明ではあるが、内部がぼやけて見えていた。
「さあラグナロクよ! どっからでも攻撃してこい!」
ホークはじっとゲプラーを見ている。
「どうした! 臆したか小僧! 攻撃してみろ、それそれそれ!」
「・・・・・何言ってるか聞こえないんだよねえ・・・。」
氷の壁があまりに厚く、音まで遮断してしまっているようだった。
「何? こ、う、げき。。・・・・呪文で攻撃しろってことかな?」
さっきまではハードボイルドっぽい展開だったのが、台無しである。どうしてこいつの戦いには緊張感が欠けるのであろうか?
「火球弾呪文!」
ホークから放たれた炎の弾は、勢いよくゲプラーのアイスダイスにぶつかって弾けた。しかし、ゲプラーのアイス・・・氷の壁はビクともしなかった。ほんのちょっとへこんだだけで、それも瞬時に再生された。
「ワハハハハハハハ! 恐れ入ったか、ラグナロク! 絶対的な防御! 」
ゲプラーは自分に酔っているようだ。
「あのおっさん、息できンのかな?」
氷の内側は冷えるのだろう、ゲプラーの息で氷がときどき曇る。
「貴様に氷漬けにされたのは、満更無駄でもなかったよ。そしてこの絶対的な防御の中で、悠々と貴様を殺す呪文を唱えられるのだ。今こそ積年の恨みを晴らしてくれる。」そして新たな呪文を唱え始めた。
ユンは高く飛び上がり、カイドーの入った房がついている茎に爪で傷をつける。時間差で落ちてきた房を咥え床におろした。2階席まである闘技場の天井付近から落下させては、中に液体があっても無事ではすむまい。意外に芸の細かいユンであった。
だが、シュラミスもただ黙って見ていた訳ではない。天井が高い闘技場ではあるが、そこを半分も覆っているのはシュラミスの枝である。ユンがいかに素早いとはいえ、シュラミスの方に分はある。シュラミスは枝を触手のように自由に動かすことが出来る。ユンを捕えてしまえば、シュラミスの勝ちだ。
しかし、実際には違った。ユンは空中でも自在に動き回る。しかも時々、反撃して伸びた枝を伐採して行く。床にはいくつもの伐られた枝が散乱していった。
「おっと、あぶねえ。あぶねえ。」
ユンはシュラミスの枝との追いかけっこが次第に面白くなってきた。
「おのれ、ちょこまかと・・・このままでは大切な養分が・・・。」
すでに3つの房は落とされていた。
「ちぃぃ! 枝だけでは捕らえられぬか。」
シュラミスはスゥ・・・っと木の中に飲み込まれた。
いくつかの枝が急に太くなり、そこかしこに花が咲き、みるみるうちに実となった。その実が割れると、中から武装した女性剣士が現れた。その女たちは空中を走りつつ、ユンに向かっていく。おそらくはサラの家に居たエリス同様、幻像であろうと思われた。この幻像は、1階にいたバスコの幻とは違って、霊子をベースにした幻である。バスコはホークに突かれて雲散霧消したのだが、この女剣士どもは物質としての質量があり、物質攻撃可能な幻である。
ユンはその攻撃も躱す。枝の触手による攻撃も衰えたとはいえ、まだ続いている。驚くべき敏捷性と運動能力であった。ユンはそれでも女剣士に噛みついた。少々鬱陶しくなったからだったのだが・・・
「こいつは・・・・・・美味え!」
ユンは小躍りした。久しぶりの食事である。
ユンは物質を食べない。ユンの食べ物は霊子や魔力、精気といった類のものばかりである。基本的にお腹がすくという事は無いが、やはり長期的には食事をしないと弱るようだった。しかも彼は偏食らしく、お気に召さない幽霊などを召上がる事はないらしい。
「まず、食うか!」
ユンの目的は食事へと移行しつつあった。
数体の幻像はユンに食われた。
「なんてやつ!」
いつの間にかシュラミスは枝にその姿を現していた。1体だけではない。10数体もの枝の先に自身の姿を発現させ、枝の触手とは別にユンに攻撃を開始した。1体数十の混戦である。シュラミスは口から黄色い花粉を吐く。毒なのか麻薬なのか分からないが、ユンの動きを止めようと試みているようだ。
「悪いがオレに薬はきかねえよ。」
ユンの白い牙が、シュラミスを嘲笑していた。
バスコの持っている剣はバスタードである。グラディウスよりも細身の両刃の剣で、80センチはあるだろう、そして鍔が大きい。その鍔一方は刀身に沿って長く伸びていて、先が鈎状になっている。サイズは違うが、日本の十手のような感じに見えるのだ。どうやらソードブレーカーも兼ねているらしい。
「両刀使いかと思ってたよ。グフッ・・・。」
バスコがドレイクを見てこう言ったのは、ドレイクの腰にもう一本の古めかしい剣がぶら下がっているからだった。
「こっちは借り物でね。無くすと大変なことになるから、使わないのさ。」
ドレイクはちょっと笑った。
『・・・・・・このオーク、意外に出来る。』
おどけて見せながらも、ドレイクは用心していた。さっきの部下を斬った太刀筋を見る限り、ただの豚ではなさそうである。
ドレイクとバスコは少しづつ間を詰め始めた。
刀身が長く、身長も大きい分だけバスコの方が間合いが長い。
「クエエエエ!」
奇声を発して先に撃ち込んだのはやはりバスコの方だった。
ドレイクは上段からの強靭な攻撃をまともに受けずにギリギリで躱し、体を1回転させてバスコの胴を狙ったが、バスコは振り下ろした勢いのまま、体を回転させてドレイクの頭上を飛び越えた。
『この豚、空も飛ぶのか? 巨体のくせになんて身の軽いやつ!』
ドレイクはバスコの敏捷さに一瞬戸惑ったが、後ろに回ったバスコの次の一撃を防ぐために、反転して袈裟懸けに刃を撃ち込んだ。
バスコも同じく、袈裟懸けに剣を撃ち込む。
ガキィィィーン!
空中で火花が飛び散った!
二つの刃はお互いの顔面間近で衝突していた。こうなれば力比べである。力業で相手の体制を崩したほうが有利となる。
ドレイクの左目の頬骨の辺りから血が滲んできていた。刃と刃の衝突で飛んだ破片が、突き刺さったのだろう。
バスコは驚いていた。いかに強靭な剣士であろうとも、バスコの力に匹敵する人間などいるはずがない。
ドレイクにはバスコの狙いが分かっていた。力比べになった以上、バスコの狙いは鍔で絡めてドレイクの剣を折る事だ。剣を柄まで滑らせようとするバスコ、一瞬でも力の方向が転ずれば、そのまま刃を撃ち込もうとするドレイク!
両者の筋肉は悲鳴を上げていた。
ゲプラーの呪文の詠唱が終わった瞬間、ホークの胸元に魔法力が突然凝縮した。
『何ッ!』
ホークの胸元に突然氷手裏剣が出現! ホークの胸に深々と突き刺さった!
「かはっ・・・・」
ホークは喉元からこみ上げてくる血の流れに抗しきれず、大量の血を吐き、膝をついた。
「ホーク!!」
ドレイクの一瞬のスキをバスコは見逃さなかった。瞬時に剣を滑らせ、ドレイクの剣を鍔で絡めて刃を折った!
「あ~あ、二人とも何やってんだか・・・。」
ユンは最後の房に向かおうとした瞬間、シュラミスの分身たちに囲まれた。
「馬鹿だね、お前がここに来る時を狙っていたのだ!」
分身の手元には火炎弾が出来ていた。その火球をユンに撃つ!
「無駄だ!」
ユンは数個の火炎弾を躱したかに見えたが、火球はユンに触れずとも、ユンの体は大きな炎に包まれ燃え上がった!
シュラミスの吐いた花粉は、樹脂でもあったらしい。しかもユンの体に付着したその樹脂は、揮発性なのか炎を引火させてユンを炎で包んだのだ。
「グオオオオオオオ!」
叫びとともに、炎に包まれたユンはクルクルと落下していった。
文中、《霊子》という表現が出てきますが、これは作者のオリジナル設定です。霊子という表現は漫画【バスタード】天使編で使われたものを参考にしています。内容的にはほぼ同じような解釈だと思われます(実は天使編はほぼ読んでない)が、ありていに言えば霊を形作る分子。ダークマターやエーテルと言った未発見の物質だという設定になっています。