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魔芒の月  作者: 弐兎月 冬夜
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魔滅の刃 ミナイの村編 其の弐拾弐 < 唱 死 >

 (私は守られるだけの脆弱(ひよわ)な魔物じゃない。)


 ビショウにはゲラのような力も無ければ、素早い動きが出来る訳でもない。

 ビショウにはニコのような索敵能力も無ければ、飛行することも出来ない。

 ビショウにはワーラウのような眷属もいなければ、鋭い爪も機動力も無い。


 ビショウはゲラたちと行動を共にする際、直接攻撃に出る事は無いのである。

もっぱらビショウは相手を眠らせたり、幻影で相手を攪乱するだけの補助的能力しか持たないのだから当然と言えば当然なのだ。魔物としては非力であり、特殊な能力と言えば唄しかない。


 ビショウの持つセイレーンの唄には3つある。

 一つは対象を眠らせる<微睡(まどろみ)の唄>。

 二つには対象に幻覚を見せ混乱させる<幻影(まぼろし)の唄>。

この二つの唄は彼女の歌声が届く範囲での自分を含まぬ非特定の生き物全てに作用する。ただし、生理的に聴覚を失った生き物には作用しない。

 けれど、最後の<死の唄>のみは違う。


   ”死の唄”

 それは、自分を含む不特定多数の生物全般に効果のある歌である。

 その歌は聞く者を死に至らしめる。微睡と幻影の唄は聴覚の無い者には効かぬが、死の唄だけは別で、セイレーンの歌声が届く範囲にいるものすべてに作用し、楽曲の終わりには死の静寂が訪れる。それは歌う者も例外ではなく、歌の終止符と共に自らの命の炎も消し去るのである。


(私は役立たずの魔物じゃない。)

 彼女にはセイレーンとしての誇りがある。

「役立たず!」などと、彼女が言われることはない。それでも攻撃に参加できない彼女には負い目がある。配下の魔物たちにも見下されているように感じる。

 いつか・・いつか・・彼女は下唇を嚙みながらそう思う。

今回も戦闘から外された彼女は、もしエイミーが死ぬようなことがあれば、自分も命を賭けて敵を討つ。人間にさえも虐げられた彼女にとっては文字通り最後のチャンス。

『きっと見返してやる。』

そのつもりでエイミーたちの後を尾行(つけ)てきていたのだ。


 ビショウの澄んだ声は広大な闘技場(コロシアム)に響き渡り、そこに生存する人間も魔物もすべてを死に誘う。最終楽章を歌い尽くせば、闘技場は行ける存在を否定し、死の世界となるのだ。

 耐えがたい苦しみは誰にも平等に襲い掛かり、誰もが慈悲の死を願う。

 最終楽章までは歌い手すらも地獄の苦しみを伴うが、そんなものは構うものか。

 ビショウの口からは鮮血が零れ落ち、脂汗が全身を伝う。目の血管は充血し、止めどなく流れる涙には薄く血が混じる。

 並みの精神力では無しえないセイレーンの最後の一撃なのだ。


『舐めるなよ、人間ども。エイミー・・・すべて・・すべて死ぬがいい・・。』

『私が、私こそが最強! 見たか、人間ども! エイミー!!』

 唄によって精神に異常を来たしている。

 その苦渋に歪むビショウの顔に微笑が零れた。


 あと少し。あと少しで最終楽章に突入するその時。


  ゴボッ!


 その音と共にビショウの口から大量の血が噴き出ると、彼女の歌声は止まった。

震える眼差しが自分の胸にくぎ付けとなる。すると、彼女の二つの乳房の間からキラキラと光る刃が生えていた。


『そんな・・・私の唄を聞かずに・・私を・・』


 ビショウはテラスから落ちて地面に激突した。即死である。

そのテラスには、薄汚れた鎧に身を包んだ一人の騎士が突き出した剣を手に棒のように立っていた。



「く・・何だったんだ、今のは。」

 口や耳から血を流して倒れていたカイドーたちが意識を取り戻した。

「・・噂に聞くセイレーンの死の唄ってヤツか・・。」

「くそ。何だってんだ・・・」

 ふらふらと立ち上がるマッシとローツは毒づく。

 そんな彼らの耳に、次に聞こえて来たのは乾いた拍手の音だった。


「誰だ!」

 薄暗い観客席にいた一人の観客がゆっくりと立ち上がり、そしてフワリと宙を飛び、四人の前に降り立った。

 マッシとローツは武器を構えて身構えた。

(新手かもしれない・・。)

「いやあ、参りましたね。僕ももう少しで死んでしまう所でした。・・・おやおや。せっかく助けてあげたのに武器を向けられるとは・・ね。」

 寓話に出て来る死神のような風貌のその男は、痩せこけた腕でガウンのフードを取り払った。

「あんたが助けてくれたのか。」

 剣を降ろして近づこうとするマッシをエストロが制止した。

「そいつに近づくな!」

 その声は悲痛に満ちていて、常に冷静なエストロらしからぬ恐怖が滲んでいた。しかも顔が青ざめ、ウルミーを持つ手がブルブルと震えている。どんな魔物を相手にしても、ほとんど取り乱すことのないエストロが取り乱しているのだ。

「どうしたんだ、エストロ? この人は俺たちを助けてくれたんだぜ。」

「違う! そうじゃない!」

 エストロは上ずった声で否定した。

「落ち着きなさい、エストロ。君に危害を加えたりはしないよ。だって君は僕の可愛い甥っ子なのだからね。」

 その場にいた3人が死神のような男とエストロを見比べた。

「甥っ子・・って、お前の叔父さんなのか、エストロ?」

「・・・・そうだ。マー家最強、最悪の魔人・・カロン・マー。」

「お初にお目にかかる。」

 右手を胸に抑え恭しく頭を下げるカロン。青ざめた顔の唇が少し吊り上がっていた、。

「お前の叔父さんに何をそんなに警戒してるんだ?」

 能天気なマッシは不思議そうに二人を見比べた。

「そいつは・・そいつは・・・」

「殺し屋だからな。」

 カイドーの目が暗く沈んでいた。

「殺し屋?」

「そうだ。暗黒街の殺し屋。<死霊魔術師(ネクロマンサー)カロン>。」

「そして死体収集家(コープス・コレクター)・・だ。」

 カロンはニヤニヤしている。

「強くなったね、エストロ。そしてカイドー。君たちも僕のコレクションに加えたいよ。」

「わしらの殺害依頼を受けているのか?」

「ああ。受けてはいるよ。」

 カロンは悪びれることなく答えた。

その場の空気が一変した。しかし、カロンからは殺気が発せられていない。


「最初はね。そのつもりだったのだよ。けれど、ここへ来てちょっとね。気が変わった。」

「騙されるな!」

 エストロは微塵も緊張を解いてはいない。

万全の状態でも勝てるかどうかわからない叔父を相手に、満身創痍のメンバーが束になってかかってもヤツに勝てる見込みなど無いのだ。

「僕の事を甘く見てるのかね、エストロ。君たちが既にギース教に改宗したことは分かっている。僕には君たちを殺す理由がなくなっただろう。」

「それは嘘じゃろう。依頼の出所が違う。違うか?」

 緊張を解きそうになったローツとマッシの獲物を握る手に力が込められた。

「そう。そのとおりだ。さすがだねカイドー。」

 カロンは世間話でもするように穏やかだ。

「そいつは、誰だ?」

「聞いても僕が答えると思うかい、カイドー?」

 カロンの表情に微塵の変化も無い。

「・・わしらを駒にする気か?」

「そう! それはかなり悩んだよ、カイドー。うれしいなあ、僕の気持ちを理解してくれてる人がいるなんて・・。だけどね、僕の結論は君たちを殺さない。君たちにはもっと伸びしろがあるし、それまで待てばもっと楽しい駒が手に入るからね。そしてね、そこの二人。君たちもそうだよ。」

 視線の先のマッシの背にゾクリと冷たい物が走った。

 やっと分かった。きっと、この男は殺気など出さずとも人を殺せる男なのだ。リンゴの皮でも向くように人間にナイフを突き立てたる事が出来る男なのだ。

「ひとつ取引と行こうじゃないか。」

 カロンはまっすぐにカイドーを見つめた。

「僕はここで君たちを殺さない。その代わり君たちに手助けを頼みたい。」

「頼み?」

「そうだよ。君たちはこの下に何があるか知っているかい?」

 コバチには墓場があるとしか聞いていなかった。

「ダンジョンの中では結構暇でね。君たちが来るまで、いろいろとお話を聞いていたんだよ。」

「誰に?」

「もちろん、ここの住人達にさ。」

 そう、カロンは死霊魔術師(ネクロマンサー)である。死者と会話をする事も可能であった。

「この下には墓場がある。そこに究極ともいえる不死の墓守がいると聞いたのだよ。その墓守は死人でありながら、意思と自己再生能力を持っているというのだ。残念ながら僕の死人たちは意思も無く、自分を再生する事が出来ない。いわば使い捨てだね。どんなに強力な武人の死体でも、壊されてしまえば肉体を再生する事は出来ないんだ。だからレアな死体は出すのが惜しくてね。けれど、その墓守を手に入れられれば、僕の収集物(コレクション)は数を増して行くことが出来るだろう。」

 夢でも見るようにカロンはうっとりと上を見上げた。

「わしらの手助けが必要なのか?」

「ん~。分からないのさ。ただ、これだけは言える。彼の言う事には10層では死体は浄化されると言うんだ。僕の死体(コレクション)を出して浄化されてしまったら元も子もないだろう?」



 死霊魔術師(カロン)の扱う死体には魂魄は残らない。疑似的な魂魄を入れて操る。そこには生前の能力はあるが、意思は無いという状態が出来上がる訳だ。死体は物体だから愚者の小箱から長期に出しておけば腐りもするし、破損しても治らない。

 細胞には記憶領域があるとする説がある。

脳以外の細胞にもメモリーが残るという説だ。

 例えば、臓器移植により嗜好が変化するなどの現象から、脳以外の細胞にも何らかのメモリーが残されているのではないかという説である。

 心とは何か? 記憶とは何か? 魂魄とは何か? 性格とは何か?

いずれも明確な答えの出ていない現象ではあるが、概ねそれを管理しているのは脳と言う存在だろう。死体は物体であり、性格や心は無い。カロンはそこにある種のメモリー(疑似魂魄)を魔法で入れてやることによって己の操り人形とする。疑似魂魄は生前の記憶にアクセスし、それを利用して死体を生前の状態に戻すことが出来た。これを使い魔とすることによって、カロンにはいくつかのメリットが生まれる。

 ひとつには生体である魔物を繭化し愚者の小箱に入れる事によって生まれる自身の魔力消費を削減できること。これによって他のマー一族の召喚士のように魔法が使えなくなるというデメリットが無くなる。

 二つ目には同じ理由で小箱に入れることが出来る容量が大きく増える事。

 三つ目には従属の契約が無く、使い魔を思いのままに操れる事。


 しかし、所詮は死体である。

従属した魔物と違って、成長する事は無い。死体は新しい記憶を書き加える事は無いのだ。

よって、死んだ時点での強さは残るが、それ以上の強さにはならないのである。それゆえにカロンは強者の死体を欲する。

 それに、彼は死体の収集者という変態である。

 特殊な結界が施された墓場であれば、繭化を解いた瞬間に自分の入れた疑似魂魄が浄化され、死体が使い物にならなくなる恐れは十分にあった。

 墓場にいる墓守がどのような()()なのかはカロンにも分からない。それでもそれを自分のコレクションにしたいという願望は強烈な物だった。

 それに、死者からの話を信じれば、その死体は強力な不死者とも言える訳で、非常に興味の枠存在でもある。一種の呪いのような物であろうが、それを自分の手駒に施すことが出来れば、再生の効かない死体たちを出し惜しみする事も無くなるだろう。

 カロンにとっては喉から手が出るほどの個体なのである。


 カイドーは少しの間、考えていた。

「よかろう。それではわしらの()()という事じゃな。」

 カロンはちょっとだけ怯んだように見えたけれど、少しばかりの微笑みを浮かべた。


 つまりはこういう事だ。

10層に行くにはカイドーたちの手助けが必要だ。この場で彼らを殺すことは無いだろう。疑似魂魄が使えるかどうかはまだ分からないのである。だがそれが事実なら、無防備に近いカロンをカイドーたちが襲うという事も考えられるわけだ。一見、マウントを取ったカロンの申し出だが、実はそうではないとカイドーはカロンに念押ししたのである。


「ま、いいでしょう。出直すことも出来るんですがね。その恩は僕が買いましょう。では・・。」

 そう言うとカロンは低く笑いながら先頭に立って歩き出した。


  **********


 死体だけが残る静寂の闘技場の空間が歪み、一人の男が現れた。

  カオスだ。

「ふーん。塵も残さず逝ってしまったか・・。」

 魔法陣と魔法陣の間の結界空間で焼き尽くす灼炎牢獄地獄呪文(プリズ=フレオン)にやられた者は死の痕跡すらも残らない。

 カオスは散歩でもするように闘技場を歩き回る。

 人間の死体も、魔物の死体も。飛び散った血や砕けた武具を見てもなんの感慨も無さそうだった。

 カオスはゲラの死骸のを見下ろしてポツンと呟いた。

「所詮はこの程度か・・・」

 そして何を思ったか、悪戯っ子のように微笑むと、空間を歪ませゲラの死骸を消し去ったのである。

「ま、ちょっとした嫌がらせかな・・。」

 ほくそ笑みながら、カオスは再び空間を歪ませると、どこかへと消えて行ったのである。

 音楽が人体に及ぼす影響という物はいまだにどんなシステムなのかはわかっていない。音楽を聴いてリラックスできたり、興奮したり、勇気を貰ったり、共感して感動したりと言うようなことは、誰しもが経験したことだろう。

 キューブリックの『時計仕掛けのオレンジ』のなかでもサイコパスの主人公が歌を歌いながら暴行を加えるシーンには寒気がするような強烈なシーンだったのだけれど、例えばアウシュビッツなどでも似たような事があったと記録されているそうだ。

 人間は音楽で凶暴にもなれるのである。

音楽は人の心を癒して欲しい物だと切に思う。


 

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