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魔芒の月  作者: 弐兎月 冬夜
52/63

魔滅の刃 ミナイの村編 其の壱拾参

 夕日の光で、その男は赤く染まっているように見えた。


 男は黒いコートと幅広の帽子を被り、首から小さめのショルダーバックのような物をぶら下げていて、帽子からはもじゃもじゃの長い髪が肩まで伸びていた。

 体つきはと言うと長身だがやせ細り、夕日の紅い光が無ければ死人のように冷たい皮膚の色をしている。眼窩と両頬はこそげ落としたように落ちくぼんでいて、杖の代わりに大鎌でも持っていれば、寓話に出てくる死神を誰もが連想したことだろう。


 男の側には血まみれの武装した戦士が一人佇んでいる。

 その戦士の顔も又、死人のソレであった。

 手には血まみれの剣が握られており、その足元には二人の旅人と思しき男女が血まみれで倒れている。この死体の腰に金属製の筒がぶら下げられていて、その筒を男は取り上げると、蓋を開いて中を覗いた。

「やっぱり、(ストリクス)でしょうかねえ。商売の邪魔をされては困りますねえ。」

 男は二人の死骸を見て、大きく首を傾げた。

「う~ん。やっぱり要りませんかね・・。」

 と、呟くと

 戦士に命じて二人の死骸を崖下に突き落とさせた。

「さて・・行くとしましょうか。帰納(ミクラス)。」

 男の呪文に戦士は繭化し、首から下げられたショルダーバックへと納められた。

そしてミナイの村の方向を向く。

「やれやれ・・。遠いなあ。」

 男はフラフラとミナイの村へと向かって歩き始めた。


  ********


 ― 第7層 ー



 カイドーたちはエイミーからの期限を数日残して第7層をクリアした。後は8層をクリアして9層に瞬間移動魔法陣(ゲート)を作るだけである。

 今は第7層から8層に降りる階段を用心深く下っているところだ。

この階段は今までと違って穴の外周をおよそ1周するほど長い螺旋階段になっていた。今までと違い、7層から8層を繋ぐ階段はここしかない。

「ここは王族だけが住める居住区の階層なんだ。」

カイドーが言う通り、貴族や富裕層はその上の階に住み、9層には娯楽の為か処刑場なのか、闘技場があるという。今は失われているが、恐らく瞬間移動魔法陣(ゲート)は8層を素通りする構造になっていたのだろう。

 そして最下層の10層には墓地があるという。そこには無数の武具が卒塔婆のように散乱していて”武器墓場(ソードセメタリー)”と呼ばれていた。勿論、今までそこに行った者は数えるほどである。


 最初の頃こそカイドーたちも5層まで来るのに時間がかかっていたが、エイミーとの邂逅以来、そのスピードも格段にレベルアップした。同じく、彼らのレベルもグングンと伸びて行ったのである。

 特にエストロは光牙龍(クォリンガー)2頭を従魔にしてから飛躍的に伸びた。5層から7層を探索する間に、上級の魔物や精霊をいくつか従魔に出来たのも大きい。

 そしてベニーの加入でパーティーの戦闘力は格段に上がった。

ベニーが常に先陣を切ることで、他のメンバーに余裕が生まれ、脅威にも冷静に対処できることになったのが大きい。もし彼女がコールレアンの騒動の時に、後衛に回って市民の保護に回らなければ、南風(サザンウインド)は今も健在だっただろう。


 なぜ、ベニーが後衛に回って市民の保護に専従したのか?

 それには訳があった。


 ひとつには骨の種(ボーンシード)から生まれた骸骨兵との戦いは、彼女の武器(杖術)と魔法属性とは相性が悪かった。

 もうひとつはベニーの体調がすぐれなかったせいもある。彼女はこの時懐妊していた。少なくとも南風のメンバーの誰もがそう信じていた。だからマルコはベニーの出撃を許さなかったのである。

 ただ・・それは単に体調が悪かっただけかもしれない。食欲がなく、嘔吐を繰り返す彼女を見て、誰もが()()()だろうと思っていた。当の本人も月のモノが長らく無かった事から、妊娠していたと信じていた。

 しかしそれは騒動が終わった後、久しくご無沙汰していた月のモノが来て、ただの幻想だったと分かった時のベニーの落胆は酷い物だった。

 もしかしたら本当に妊娠していて、騒動の後の月のモノは流産だったかもしれないと思うと、さらに彼女は苛まれた。


 いずれにせよ、彼女の前には暗澹たる現実しか残らない。

 だから彼女は忘れたかった。戦いの場で命を懸けている瞬間が、唯一の救いと言えた。



 8層の入り口はやけに明るく、ちょっとした広場になっていた。

円形の広場を真っ二つに区切る形で、光のカーテンのような物がオーロラのようにゆらゆらと揺れている。

 そして、カイドーはその手前で立ち止まると、後ろに続く3人を制した。

「どうしたんだ、カイドー?」

「ここからは儂一人で行く。」

 皆は思わずカイドーの顔を覗いた。その顔はいつもの好々爺したジジイ顔ではなくなっていた。深い皺が更に深く刻まれ、眼は暗澹たる光が沈んでいる。

「どうしたんだ、カイドー?」

 マッシが再び同じセリフを吐いた。

「前にも言ったように、儂はギリアンの魔窟の経験者じゃ。そして最終的に8層をクリアせずに全階層制覇を諦めた。」

「なら、みんなでクリアしようじゃないか。なあ。」

 エストロとベニーも頷く。

「8層に魔物は出ない。」

「じゃ、なんで・・・」

 と言いかけたマッシの肩をエストロが掴む。腰を折るなという意味だ。

「ここに魔物は出ない。ただ・・王宮独特の防御機構(セキュリティ)が施されている。王族関係者以外の者がここに入ると・・・」

 カイドーは口ごもった。

「・・・入った者の一番戦いたくない相手が出て来る。」

「へっ、意味が解らねえな。ドラゴンとかが出て来るなら分かるけどよ。」

「それもあるじゃろう。いっぱしの冒険者なら、誰でも九死に一生を得るという経験はつきものだしな。だが、例えばベニー。お前、マルコが襲ってきたらマルコを殺せるかね?」

「えっ?」とベニーは絶句した。

「話し合いは通じんし、相手はゴーレムなどではない。ホムンクルスのような奴だ。たとえ打ち勝てたとしても、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。仲間だったり、肉親だったり、出会った最強モンスターだったりする。力あるものは自分の知る限りの強さも持ってる。それがお前さんたちに出来るかね?」

 さすがにマッシも黙り込んだ。

「ここは体だけでなく、精神を苛まれるのだ。」

 カイドーはそう言うと、指を傷つけ、地面に血を垂らし呪文を唱える。そうしてそこに瞬間移動魔法陣(ゲート)をこしらえた。

「儂は泣き虫でな。泣き顔を見られたくはない。もし耐えられなくなったらここへ戻って来る。3時間して戻ってこなければ、その時はお主らで考えてくれ。ある程度のマップも頭には入っておるしの。」

「分かった。カイドー殿に託すとしよう。」

 そしてエストロは小さな手帳のような物をカイドーへ渡した。これはコバチに貰った自動書記地図(オートマッピング)という魔道具である。歩いた場所を正確に地図に記す事が出来、2度目からは迷わずに済む。

「儂と一緒に来れば、おそらく皆は絶望するだろう。」

 そう一言・・

カイドーは小さく呟いて光のカーテンを潜って行った。


 カイドーは急ぐ。

出来うるなら防御機構(セキュリティ)が発動する前に9層に降りる階段を見つけなければならない。さすがにここは冒険者もほとんど入らないから、王族の調度品や宝もたくさんある。だが、そんなものに構っている暇はないのだ。幸いここは昼のように明るく、足元を気にしなくてもよい。

 しかし、そうは問屋が卸さなかった。

入って10分もしないうちに、通路の影からカイドーの一番恐れる人物が姿を現したからだ。

「ふーぃ。やっぱりお主か・・・。」

 そいつはニタリと気味の悪い笑顔を浮かべた。

   そして・・カイドーも。


 2時間が経過した。


 1時間以上続いていた爆音が途絶えてから久しい。

 エストロもマッシも焦れ始めていた。

8層で戦闘が始まったのは確実だ。しかし、今はシンと静まり返っている。カイドーが戻ってくる気配は無く、彼の安否が気がかりなのだ。

 座り込んだ3人の中で、ベニーがふいに立ち上がった。

「まさか、行くのか。ベニー?」

 エストロの問いにベニーは無言で肯いた。

 すると、マッシも立ち上がった。

「やっぱ、最初から一緒に行くべきだった。」

「待て。カイドーは3時間待てと言った。まだ時間はある。」

「手遅れになったらどうするのよ!」

「そうだぜ! 呑気にこんな所で待ってられるか!」

 エストロは苦笑した。言われて見れば、この二人がよく2時間も待ち続けられたものだ。

そしてエストロも立ち上がった。

「なんだ。お前も行くのか?」

「迷っている。」

「それなら待ってろよ。俺とベニーがカイドーを助けに行ってくる。」

「まあ待て。もしカイドーが破れていたなら、今から行っても間に合わん。それは分かっているだろう。」

 二人は渋々俯いた。

「カイドーは経験者だ。ここで全階層制覇を諦めたと言っただろう。」

「ああ。悔しかっただろうな。」

「私もそう思う。だから彼は対策を練っていただろうと思うのだ。この沈黙が、カイドーの死によるものか、あるいはその対策が功を奏した物かは分からん。」

「だから・・・」

「要するに邪魔だったんだよ、私たちは。何者が出て来るにせよ、我らにも防衛機構(セキュリティ)が働くとすれば、未知の相手が増えるという事だろう。それを避けたかったんじゃないかな?」

「つまり、行けばカイドーの邪魔をするという事?」

「そうなる可能性は5分だ。戦闘が治まっている今は、カイドーが死んだか、あるいはうまく行って9層への階段を探している最中か・・だ?」

 「ふん!」 と言って、マッシが再び座り込んだ。

「行かないの、マッシ?」

「俺はカイドーを信じてる。それだけだ。」

 やれやれと言った顔で、ベニーも腰を下ろすと、エストロもまた、腰を下ろす。

 しばらくして瞬間移動魔法陣(ゲート)が淡く光り、そこから満身創痍のカイドーが現れた。

「カイドー! 大丈夫か!!」

 3人は瞬間移動魔法陣(ゲート)の上で倒れこんだカイドーに駆け寄った。

「まあ、なんとか・・こいつらのお陰で・・・な。」

 カイドーはニッコリと笑うと、沈黙している愚弄王リーの魔導書(アレイスター)をそっと撫でた。


********


― 第9層 ー


 カイドーが瞬間移動魔法陣(ゲート)をこしらえた場所は通路だった。8層への入り口のように階段を後ろにして少しばかり広めのスペースがあり、光のカーテンがその広場を分断していた。

 4人は辺りを見回し、一直線に伸びる通路の奥を見据えたが、先は暗がりで見えない。

 だからと言って暗がりという訳ではない。8層のような真昼の明るさには程遠いのだけれど、ぼんやりと通路を照らす光で十分に周りが見えた。

「ここから先は、儂も行ったことが無い。十分に注意してくれ。」

 ベニーはコクリと頷くと、慎重に歩を進める。

 シュセよりも索敵能力は低いが、彼女もダンジョンでは大抵先陣を切る強者である。

真っ直ぐな通路は思ったより短かった。その通路の先には王族専用の観覧席があった。見事な装飾がなされたその観覧席は、一般の席とは少し離れた場所にあり、下には降りられぬ構造になっていた。

 そして、その観覧席から見た光景は巨大な闘技場である。

 天井は驚くほど高く、空中戦も可能な高さ。

 すり鉢状の観覧席は3万人程度は収容できるほどの広さで、闘技場本体は煉瓦のようなものが敷き詰められていた。

 そしてそこは・・観客が誰一人いなくなった今でも、輝くほどの照明で真昼のような明るさを保っていた。

「驚いたな。未だにこれほどの魔法効果が現存しているとは。」

「なんで、これだけのものを・・・」

 マッシの言わんとする事は分かる。現代でも真似のできない構造物と魔法を駆使出来た民族がどうして突然消え失せたのか?


 エストロもマッシもその広大な空間を眺めていると、突然ベニーが観覧席から飛び降りた。

そして観客席を矢のように駆け抜け、闘技場へと降り立つ。険しい表情のベニーは闘技場のある一点を見つめている。それに気づいたマッシとエストロが後を追って観覧席から飛び降りた。

 彼らの視線の先には1匹のハーピーが浮かんでいた。

「遅かったじゃないか。エイミー様は待ちくたびれているよ。」

 ワールゥは尖った牙をむき出しにして笑っていた。

「あの魔物の眷属か!」

 エストロもマッシもエイミーの恐ろしさは十分承知している。その眷属らしきワールゥにも気を抜くつもりは無い。

「おっと。今ここでお前らとやりあう気はないよ。私はただここであんたたちを待っていただけだからねえ。」

ワールゥは大きく羽ばたくと更に高さを取る。そして、同じように空中に浮かぶカイドーと対峙した。

「三日後だ。いいね。精々たくさんの人間を連れて来るんだ。殺し足りないとエイミー様はお怒りになるかもしれないよ。」

「悪いが、期待には添えられんな。儂らがお前らを討伐するからな。」

「クックックックッ。人間風情が笑わせるねえ。」

「人間を舐めない事じゃ。」

「じゃあ、三日後。この時間に。楽しみにしてるよ。」

 ワールゥは高笑いを残して通路の一つに消えて行く。

 地上の3人は悔しそうにその行く先を見送ったのである。


********


 ー 三日後、ギリアンの魔窟前 ー


 カイドーは反対したが、バルタンの説得で名うての冒険者たち20数名が同行する事になった。カイドーたち4人の他はコバチとローツが同行し、ポッターはケイと一緒にミナイの村の守り手として残ることになった。約束は口実で、エイミーがこちらに現れないとも限らないからだ。

「ローツ。くれぐれもカイドーの邪魔にならんようにな。」

「てぇえっつ! 余計なお世話だってんだよ、ケイ!」

 ふてくされるローツにベニーが肩を叩いた。

「大丈夫。期待してるよ、ローツさん!」


「どうした? まだふてくされているのか、カイドー。」

 大人数で行く事を反対していたカイドーの顔はいまだに厳しい。

「うむ。寄せ集めの兵では、ヤツの思うつぼなのではないかと思っての。」

「そうかもしれないな。けれど、奴らがどれだけの魔物を連れて来るか分からない以上、戦力は多い程いい。少なくとも雑魚にやられる羽目になるのは避けたいからな。」

「私は貴方が行く事の方が心配だ。」

「心配は無用。私にはヒジャクがついているからな。」

 そう言うコバチの目は静かな怒りを湛えていた。


********


「じゃあ、行くぜ! お前たち!」

ゲラの声にワールゥ、ニコ、ビショウが立ち上がった。

「お姉さま。」

「うっ・・なんだ。エイミー。」

「ビショウも連れて行くつもりなの?」

「え・・ああ。仲間だしな。」

 エイミーはキッとビショウを見据えた。

「ビショウ。お前はここで私の帰りを待っていなさい。」

「そんな、エイミー様!」

「相手を眠らせるだけのお前に出番はないわ。」

「そんな事はありません! 私も必ずお役に立って見せます! ですから!!」

 ビショウが派手に後ろに吹き飛んだ。

「私の命令が聞けないの?」

「・・い・・いえ・・そのような事は・・。」

「じゃあ、お留守番してなさい。」

 エイミーの言葉は穏やかだが、反駁を許さぬ響きが込められていた。

 エイミーはそのまま振り向くと、後ろを見ずに立ち去って行った。


 そして、悔しそうに俯くビショウが一人残されたのである。





*** おまけ ***

 ーネイズ家のその後ー


 グリフィンが亡くなった二日後の事。

 葬儀が住んだ直後に、再び不幸がネイズ家を襲った。

長男のマシューが城の塔から転落して死んだ。塔の中には有名な荒くれ者の男が死んでいるのが見つかり、多額の金貨が散らばっていた。

 その事から色んな憶測が流れた。

マシューがグリフィンを暗殺した黒幕というのが大方の噂だったのだが、アランは箝口令をしき、マシューの死は事故死としてカタがつけられた。


 その数日後の事である。

頭を抱え、困憊しているアランの執務室にカイドーが現れた。

「・・・なんだ。お前か・・悪いが一人にしておいてくれないか。」

 アランの言葉にカイドーは意にも解さぬ風で、アランの正面の椅子に腰を下ろした。

「帰れ。私は今・・」

「分かっている。しかし、私の話も聞いておくべきだぞ、アラン。」

 カイドーの目は静かにアランを見据えた。

「グラをコールレアンに送れ。話は私がつけておく。」

「・・なに? どういう意味だ、カイドー!」

 剣を抜いたアランは、その切っ先をカイドーに向けた。

 しかしカイドーは揺るがなかった。

「・・・グラの命が危ないと言っているのだ。アラン。」

「何?」

「そして、サイリーに家督を譲れ。それでこの騒動は収まる。」

 剣の切っ先がガタガタと震え出した。

「ま・・まさか・・。」

 カイドーはアランを見据えたまま少しだけ肯いた。

あっけにとられた顔をして、アランは崩れるように膝をついた。

「まさか・・サイリーが・・・フランシーヌが・・まさか・・。」

 アランはうわごとのようにその言葉を何度も繰り返した。


 そう。グリフィンを暗殺したのは一緒に狩りに出掛けたサイリーである。

 ネイズ家は貴族の中でも裕福で、中央の権力にも近い。普通の貴族の4男坊のサイリーは普通の貴族として暮らすには野心がありすぎた。それに4男坊では小さな領地すら分け与えられる事も無い。要するにサイリーは名前ばかりの貴族であり、家の中でも厄介者。独立しようにも、もとですらないのだ。

 フランシーヌも最初は少女のようにサイリーとの結婚に浮かれていた。

 けれど、生活が、その苦しさが、

彼女を徐々に蝕んで行ったのである。


 どちらが先に言い出した事かは分からない。


 それでもネイズ家乗っ取りをたくらんだのは二人だった。


 長男と次男が死に、残された継承権はいまだ未婚のグラに譲られた。アランは早急にグラを嫁がせ、後継者を決めようとしていた矢先だったのである。

 しかし、その話が進めば、グラにも危険が迫ってくるのは明白だった。


 権力闘争に明け暮れていた彼ら貴族にとって、こんな話はザラに転がっている。自分だけがそんな目に合わないと思っているだけだ。アランは一瞬、怒りに燃え、立ち上がろうとしたが、カイドーに止められた。

「証拠はない。証拠はないんだよ、アラン。」

 アランはすがるような目でカイドーを見た。

「それに、この事が公になれば、一番困るのは君だ。」

 確かにその通りだ。

 戦争の無い平和な時代と言ってしまえばそれまでだが、その代わり王は部下の報奨を奪ったもので還元する事が困難になった。仕方なく実の無い爵位だけがバラ撒かれたのである。

 そうすると、領地も持たぬ貧乏貴族だけがやたらに増え、誰もが名のある裕福な貴族の没落を望んでいる。誰rもが裕福な貴族を没落させようと聞き耳を立てている。それゆえ、スキャンダルはご法度なのだ。

 万が一、これが王の耳にでも入ることになれば、あの冷酷な王は側近の誰かにネイズ家の領地を分け与えるだろう。言わずもがなだが、それはネイズ家の没落を意味し、アラン・ネイズの平民落ちの可能性をも示していた。

 アランはがっくりと肩を落とした。


 翌日、グラのコールレアン修道院行きが発表された。

 コールレアンにはカイドーの旧知もいる。グラにとっては安全な場所だと言えよう。修道士になれば、サイリーもそれ以上のちょっかいは出すまいと思われた。

 それに、同じくして家督をフランシーヌに譲るという発表もなされた。

 これで・・・グラと同じく、アランの身の安全も守られたのである。


 カイドーは去り際、ネイズ家の城を振り返って見ていた。

(アランよ。お前もただの人だったな・・・。)

「カイドー様。馬車を出してもよろしゅうございますか?」

「ああ。もうここには用は無い。」

 御者が馬に鞭を入れると、馬車はゆるゆると動き出した。


 この後、カイドーは宮廷魔導士の役目を返上し、野に下ったのである。

 

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