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魔芒の月  作者: 弐兎月 冬夜
42/63

魔滅の刃 ミナイの村編 其の参

 二人はミナイの村をぶらぶらと歩いている。

 とは言っても、散策しているわけではない。宿で軽い朝食を済ませた後、ギルドで登録を済ませるべく宿を出たのである。二人に並走して塀の上を歩くポッターの姿もあった。

「おめえ、昨日はどこに行ってたんだよ。結構心配したんだぜ。」

「ちょっと野暮用ですぢゃ。」

 朝帰りと言う訳ではなかったが、昨日は夜更けに帰って来たポッターだった。

「あちこち探し回りましたのぢゃ。」

 ポッターの声にちょっとだけ拗ねたような響きが聞こえる。

「悪りぃ悪りぃ。こっちも何かと忙しくてさー。」

 会食の後、プラムの行動は素早かった。

 プラムは店の者に(ことずけ)を頼み、一人の商人を店に呼んできてもらった。それがあのロイだったのである。ロイはエストロと細かい打ち合わせを重ね、魔石を集めるべく早朝から旅立った筈である。

 また、プラムに頼んで鍛冶屋を紹介してもらい、鍛冶屋の親方にタタンバを会わせ、住み込みで雇ってもらえるように話を付けたり、なんやかんやでいつの間にか夜は更け、宿屋でベッドに寝転んだ頃には、一度は思い出したポッターの事をすっかり忘れてしまっていたのである。

 そして朝起きると、ポッターがマッシの胸の上で丸くなっていたという次第だった。

「昨日のあのオヤジ、面白かったなあ。」

 鍛冶屋の親方は気さくな男で、タタンバを預かる事を承知すると、「一杯やらねえか?」と自家製の酒を振舞ってくれたのである。話は止めどなく続き、鍛冶屋を出る頃にはさすがのマッシも脚が笑っていた。

「それにしてもプラムさんは、どうして仕事を受けさせたいんだろうな。」

「台所事情もあるのだろう。」

「・・・そうは見えなかったがなあ。」

「冒険者が減り、魔石が減ったと言っていただろう。当然魔道具を必要とするものもいなくなる。見た目は普通の暮らしぶりだが、内情は苦しいのだろう。」

「なるほどな。だけど、俺には他にも理由があるような・・」

「待て。」

 突然エストロがマッシを制止した。

「葬列だ。」

  数人の喪服の男たちに担がれた棺が前から向かって来るのが見えた。二人は道の端に寄り、葬列を黙とうで見送る。ギース教の紋章が入った布が棺にかけられている所を見ると、おそらくは賞金稼ぎか冒険者の遺体だろう。ここミナイは多神教の民族だ。ギース教を認めない訳ではなかったが、なぜか数ある神々と融和し、独特の宗教観を持つに至っている。


「ところで、俺はあんたに一つ聞きたいことがある。」

 再び歩きながら、マッシがエストロに訊ねた。

「答えられる事なら答える。」

「何て言うかなー。あんたは高利貸しだろう。しかも悪名高い。それがここじゃミナイの民に都合のいい条件をすんなり飲んでる。なぜだ?」

 エストロを知っているカブールの街の人々なら、きっと誰もが同様の疑問を持つ事だろう。マッシもエストロの存在くらいは噂で知っていた。それがここに来て篤志家のような行動をとっている。それが不思議でならなかった。

「私は何も変わらんよ。噂通りの男だ。ただ・・ここの民は東海の末裔だ。私の血にも東の民の血が混じっている。それだけの事だ。」

 東海の民とは、はるか東の地の異民族の事である。今でも東海の民はエウロパで大なり小なり差別と偏見を持たれている。それはラグナロクのいた時代よりも前からずっと続いてきた根深いものなのだ。そう言われて見れば、確かにエストロにもその特徴が見て取れる。

「ふーん。なんでかねえ。」

「何がだ?」

「人間ってヤツは、どうしてそんな事にこだわるんだろうな。と思ってさ。」

「悲しい事ですが、それが生き物です。ぢゃ。」

「ここだな。」

 目の前のギルドの看板を見逃すところだった。

 

 ギルドは仕事の斡旋所だったり相互扶助の場だったりする場所だ。ここに登録することで、国を越えて様々な恩恵を受けることが出来る。基本的にはエウロパ全土に展開している組合のような物で、主にギース教が取り仕切っている場所が多いが、王侯貴族や大商人などもスポンサーとなり運営されている場所もある。冒険者や賞金稼ぎなどが主に登録するのだけれども、普通の職工なども仕事の口を求めて登録している場合もある。 


 ギルドのドアを開けて中に入ると、中の空気がやけに重い。先ほどの葬列が関係しているに違いなかった。

 ミナイのギルドは他のギルドとは少しばかり作りが違っていた。フロアの中央に鉄製の檻があり、その中心に公共瞬間移動魔法陣(パブリックゲート)彫刻(レリーフ)されている。ミナイ特有の作りらしく、冒険者たちがギリアンの魔窟に入るのが前提となっている。ギリアンの魔窟で緊急脱出用の簡易瞬間移動魔法陣(インスタントゲート)(お一人様使い捨て)を使った場合、必ずここに戻ってくるのだ。その為、ミナイでは瞬間移動魔法陣(ゲート)の使用が禁止されている。


「登録したいのだが。」

エストロが受付の女性に話しかけると、女性は無言のまま一枚の紙とペンを差し出した。エストロはその紙に名前を書き、血判を押す。登録はしていなくともやり方くらいは知っているからだが、それにしても不愛想な受付嬢だった。

 受付嬢はその紙に目を通し、金属製のカードをカウンターに乗せた。

「これは身分証になります。そちらの方も登録なさいますか?」

「俺は一応ギルドに登録している。」

マッシは首にかけてある自分の身分証を受付嬢に見せる。ギース教の身分証(アイテム)とはまた別の物である。

「ギリアンの魔窟に入るなら、こちらの誓約書にご署名願います。」

 2枚の誓約書には細かい字で禁止事項や魔窟内での死亡の際にギルドは一切の責任を負わないと言うような事が書かれている。

「そのつもりだが、もう一つ頼みたいことがある。魔法使いを斡旋して欲しい。」

「承知しました。少々お待ちください。」

 受付嬢は隣にいたもう一人の男に誰かを呼んでくるように伝えた。男は緩慢な動作でカウンターを出ると、椅子に座っている若い男に耳打ちした。その男は真新しい神官のような服装で、いかにもルーキーと言った感じの男だった。

「やあ、魔法使いを探してるんだって。じゃあ、僕が同行してあげるよ。僕はデイチィ。君たちは運がいい。僕はこう見えてもコールレアンを首席で卒業した魔法使いだよ。僕が居れば魔物なんて怖くないさ。僕のワンパンチ・・いや攻撃魔法で一発さ。」

 ニヤニヤと笑うデイチィの頭はすっかり禿げあがっていた。

 (使い物になるのか・・こいつ・・)

 (コールレアンも墜ちたな・・)

エストロとマッシはお互いに目配せした。

それを察したのか、受付嬢は間髪を入れずにこう言った。

「今ここにいるフリーの魔法使いはデイチィさんだけです。ご不満なら他のパーティーと一緒に行動を共にする事をお勧めいたします。」

「僕はお買い得だよ。」

フン! と胸を張るデイチィに不安を覚えたが、ざっと見まわしても大したパーティーはなさそうだった。確かにプラムが嘆くわけである。

「では彼に頼もう。」

「ふふん。僕の足手まといにならないように気をつけてね。」

「・・ところでディチィ。どうしてこんなにみんな沈んでいるんだ?」

 デイチィは胸を張って答えた。

「昨日、ギリアンの魔窟でバケモノが出たからさ。」



「あのう。お嬢様。」

「どうしたんだ、パイン?」

「奥さまのお膳を下げたいのですが・・そのお・・。私の他に誰も居なくて・・。」

 パインと呼ばれた小女は今にも泣きそうな顔をしている。

 コバチの母のトキワは、ギリアンの魔窟で瀕死の重傷を負って記憶を失っている。それで、今は離れの建物で養生しているのだが、少女の姿を見ると逆上して暴れ出すのである。

「プラムはどうした?」

「ギルドで葬式が出たので・・・」

「まさか。あれがまた・・・」

 コバチはちょっとだけ考え込んだ。

「どうしたらいいでしょう?」

 パインはすがるような目でコバチを見つめる。

「・・いいよ。私が行く。お母様の容態も見ておきたいしな。お前はお勝手で待っていな。」

「ありがとうございます!」

 パインは飛ぶように走り去っていった。

 コバチは読みかけの本をたたむと、ゆったりとした動作で立ち上がり廊下に出た。昨日に引き続いて天気がいい。ギシギシと床を鳴らして廊下を歩いてゆくと、離れに行く渡り廊下がある。離れは八角形の形をしていて、周りがすべて障子戸で囲まれていた。桜の咲く季節には障子をすべて開け放ち、使用人をすべて集めて桜を愛で、ここで酒宴を開くのが慣例となっている。だが今はその建物からは華やかな雰囲気など微塵も感じられず、ただ重い空気が淀んでいるような感じすら受ける。

「母上、ご気分は如何ですか?」

 コバチが障子戸の前から声を掛けても中からの返事は無かった。

「失礼します。」

 コバチが障子戸を開けて中に入ると、いつものようにベッドに腰かけ虚空を見つめている母の姿があった。思った通り食事にはほとんど手を付けていない。

「母上。少しは召し上がらないとお体に障ります。」

 その言葉に反応したのか、トキワは片目でギラリと娘を睨む。

血膿が浮いた包帯に彼女の顔の右半面は包まれている。右手の包帯の隙間から出ている素肌は醜く爛れ、皮膚がたるんでいた。

「・・・・分かりました。では膳を下げます。」

 コバチはトキワのお膳を持って離れから出た。お勝手にいたパインに膳を渡すと部屋へ戻ろうと廊下を歩く。すると、部屋の前でプラムが正座して待っていた。

「どうしたんだ、プラム?」

「お嬢様。お話がございます。」

「話なら後だ。私はこれから工房へ籠る。ヒジャクと一緒に構想を練るから。」

 コバチは何事も無かったように障子を開けて部屋に入りかけると、思い出したように言った。

「そうだ。五日後に召集をかけてくれ。バルタンに話を付けて、ジョーとザラブに工房に来るよう伝えてくれないか。」

「お嬢様。いったいどうしたのです? 昨日はあんなに・・」

「どうもしないさ。受けた仕事をこなすだけだ。」

 そう言うと、コバチは障子をそっと閉めた。




 ギリアンの魔窟の入り口には20数個の遺跡が残っている。遺跡とは言っても下層民の住居跡だ。泥で作られたドーム型の家だが、雨風はしのげる。

 ミナイのギルドでは冒険者たちに、ここを無料で提供しているのだ。宿屋住まいにも金がかかるからで、冒険者の多くはここをベースキャンプにしてギリアンに潜る。またミナイの方でもここに冒険者を置くことでギリアンの魔窟から抜け出そうとする魔物をけん制する狙いもある。

 エストロたちは村で必要な装備や生活品、食料などを仕入れてここまでやって来た。3人分の荷物なので、ロバを借りて来たのだが、ロバを貸してくれたオヤジが言うには「ギリアンで放してくれれば、勝手に帰って来る。」と。それでも心配していたのだが、ロバは時々草を食み乍ら来た道をノロノロと帰って行った。

「だーから僕の言った通りだったでしょ。」

 ドヤ顔でデイチィが言った。

(殴ってやろうか、こいつ・・・。)

 最初からぶん殴っては一緒に魔窟に入る訳にも行くまいと、マッシは我慢に我慢を重ねている。

ギルドを出てからずっとこの調子でしゃべり続けているデイチィに、エストロもマッシもうんざりしていた。最初は自慢話から、ミナイの村に留まらず、パリスの街の食い物屋がどーたらこーたらまくし立てる。もしここにSNSがあったら、きっとグルメリポートを常に呟き続けていたに違いない。

「あれ?」

 マッシの指さす方向にポッターがいた。

ポッターはロバの背に乗り、大あくびをして大きく伸びをしていた。

「そう言えば野暮用があるとか言ってたな。」

「彼女でも出来たんじゃないだろうな?」

「まさかあー、ポッターはケットシーなんでしょ、エストロさん。」

「それにしてもよくこれだけの物を作ったものだな。」

 聞こえたのか聞こえなかったのか、エストロはデイチィを無視して感嘆の声を上げた。

 彼らの正面には巨大な門がある。ただ、建造物はデカいが入り口は異常に小さい。万一魔物にここを破られた場合の用心だろうが、それよりもエストロが驚いているのは、ギリアンの魔窟全域に張り巡らされた魔法柵である。鉄製の格子で出来た魔法柵は上空まで覆っている。都を守るために城壁を作り、外敵の侵入を防ぐのが一般的な城壁都市の作りであるのに、ここは穴に鳥かごのような覆いをかけている。半径1kmと言っていたから全周にすれば約6kmの範囲を鉄格子で覆った訳である。

「コールレアンの城壁もデカいが、ここは壮観だな。」

 マッシも驚きを隠せない。

「ムフフ。ここはおよそ100年かけて作られたのさ。先人は凄いね!」

「まず、ベースを決めよう。」

 デイチィを無視して、エストロはギリアンの住居跡を見回した。

思った通り、門の近くにベースを構える冒険者はまずいない。当たり前の事だが、万一の事があれば最初に犠牲になるからだ。

「そこにしよう。」

マッシは無造作に一番近い大きめの住居跡に目印のランタンを吊り下げる。

「まった、まった! ダメだよ。もう、これだから初心者は困るんだよ。いいですかぁ、こんな門の真ん前をベースにしたら、魔物が門を破った時に最初に襲われるじゃないですかぁー。」

「承知の上だよ。なあ。」

「そうだな。君の言う事にも一理あるが、ここなら門にも近いし、帰って来てからの治療も早くできる。私もここでいい。君は別の所にいてもいいが、どうする?」

「ボ・・僕もここでいい。」

 デイチィはどもりながら答えた。

「さすがコールレアンを首席で卒業した魔法使いだ。それならここに決めよう。」

 泥で作られた家の中は思ったより広く、中央のフロアだけではなく円周上に個室があった。台所やトイレは無いが、煮炊きできるように竈はあるし、男ばかりだから用を足すなら外でやればいい。冒険者たちが長年使って来たであろう家の中はそれなりに改造もされていて使い勝手を良くしているようだった。

「僕はこの部屋を使わせてもらうよ。」

 デイチィは門の方角の反対側の部屋を選んで早速入り込んだ。壁越しにぶつくさ言っている声がしたが、エストロとマッシは気にする様子も無く、それぞれ自分の寝具と個人の道具を選んだ部屋へと運び込んだ。


 エストロとマッシは装備を固めると、すぐに部屋から出てきた。

「随分物々しいな。」

エストロがマッシを見て笑う。マッシはいつものブロードソードを腰に下げてはいるが、その他にもメイスを2本とモーニングスターまで持っていた。

「まあ、今日は様子見だから深く潜らんだろうが、俺は初めてだからな。剣以外の物も持ってってみようかとね。」

 洞窟(ダンジョン)で戦う場合、長い剣は邪魔になることもある。それに、大量の魔物を相手にした場合、バックアップがカイドーたちでない以上、剣だけで戦うのは危険だからだ。剣の殺傷力は高いが、血糊などで使えなくなるからである。

「遅いな。大魔法使い様は。」

 着いたらすぐに潜るというのは、道々決めてきたことだった。

 エストロが粗末な木製のドアをノックして開けると、デイチィがベッドに寝転んでいた。

「支度は済んだのか?」

「え? もう行くんですかぁ? もうちょっと休みしましょうよぉ。」

「日のあるうちに帰って来る。今日は小手調べだと言ったはずだ。」

 デイチィはエストロを睨んで抵抗したが、意思が固い事を知ると・・

「分かりました、分かりましたよぉ。でも僕の体調がベストでなくても責任は取れませんからね。」

 デイチィは渋々立ち上がると、派手な帽子をつけて、派手な装飾の付いた杖を掴んだ。


 門番の2人の兵士に身分証を見せると、門番の兵士は注意事項と禁止事項を示し復唱するように言う。初めての冒険者には必ず復唱させるらしい。

 重い扉が悲鳴のような音を立てて開くと薄暗い細い道が暗闇を抱えていた。その細長い通路は所々に魚油のランプが吊るされていていたが、地下に降りる階段は真っ暗である。マッシは松明に火を灯し、慎重に降りて行った。やがて階段が途切れると、左右にごつごつした岩肌の通路が現れた。マッシは松明の火を掲げて辺りを照らす。

「思った通りと言うべきかな?」

 通路はマッシの予想通り2人が並んで歩く程度の幅しかない。天井は低く、通路の壁はごつごつしていて、むき出しの岩が物陰を作っていた。マッシの予想通り、ブロードソードを使うには不向きな場所のようだ。

光覇眩惑呪文(ボコノワル)は使えるか?」

「使えるに決まってるでしょ。」

 そう言うとデイチィは杖を暗闇に向けて呪文の詠唱を始めた。

全詠唱(コンプリート)かよ・・。)

光覇眩惑呪文(ボコノワル)!!」

 杖の先がカメラのフラッシュのように一瞬激しく光り輝いて・・・消えた。

確かに光覇眩惑呪文(ボコノワル)の基本はこれである。杖の先を激しく光り輝やかせて敵の目を眩ませるのだ。

「あのなあ・・・」

エストロがマッシの肩を掴んでゆっくりと首を振った。

「どうです。驚いたでしょ、これが光覇眩惑呪文(ボコノワル)です。」

どうやら()()()()()()()()()に対して、実演してくれたようである。

「松明の灯りで進むとしよう。」

「ちょ・・。」

「その方が訓練になるかもしれない。」

 もちろん先頭はマッシである。もしここにシュセが居たなら、暗闇でも動き回れて索敵も出来、後からついて来る仲間を誘導してくれる。一緒にいる時は当たり前の行動だと思っていた事が、こんなにありがたい事だったんだと、マッシはつくづく実感した。

 マッシは左手に松明を持ち、右手に短いメイスを持ち、松明の灯りを頼りに暗い洞窟を進んで行った。後ろでは相変わらずデイチィが喋りまくっている。ここは敵地なのにだ。マッシは二人を置いて行きたい衝動に耐えつつ、前に進んだ。

 その時、マッシの右足が何かを踏んだ。

一瞬グンニャリとして、次の瞬間足が突き抜けてひんやりとした感触が踝に感じる。

マッシは慌てて叫んだ。

「下がれぇー!!」

マッシは驚くべき速さで踵を返すと、ぼんやりしているデイチィの襟首をつかんで後方へ駆けた。

「な、な、な、何をするんですかあ!!」

 息を荒くしながらマッシは自分の右足を照らした。鎧の靴が少し(ただ)れている。

「スライムか?」

「ああ。松明じゃよく見えなかった。」

 もしここに、カイドーとグラが居れば、<ツイン・ツインズ>のように光覇眩惑呪文(ボコノワル)浄化青光呪文(キュアノワル)を使って洞窟を進むことが出来ただろう。二人のありがたみをつくづく実感したマッシだった。

「スライムなんて、最弱魔物じゃないですかー。どーして逃げるんですかー!」

「バカヤロー! スライムってのはな、動きも遅いし、浄化青光呪文(キュアノワル)で逃げちまうような最弱の魔物だがよ。斬っても叩いてもダメージを受けねえ! そのくせ、いったん纏わりついたら体液で消化し始めるんだ。大量に集まれば、人間を丸ごと飲み込んで窒息死させてゆっくり食うンだよ! そんな事も知らねえのか!!」

 マッシはデイチィにとうとう切れた。

「ま、そういう訳で君の出番だ。」

 エストロはあくまでクールだ。

「え?」

「炎系の呪文で倒すか、浄化青光呪文(キュアノワル)で追い払ってくれ。」

「分かりました。分かりましたよー。」

 まったく、人使いが荒いとボヤキつつ、火炎弾呪文(フィラ)の呪文を唱え始めた。

 呪文が終わると、杖の先から、野球ボール大の炎の球が発射され、洞窟内をゆっくりと照らしながら彼方へと消えて行った。

(ひょっとして、これならサラでも首席で卒業できるんじゃねえか・・・。)

 マッシは虚空に消える火炎弾を呆然と見送ってそう思うのだった。



 先ほどまでの晴天が嘘のように雲が広がり始め、あっという間にしとしとと雨が降り始めた。湿った空気が気温によって(もや)を発生させ、村は薄く(けぶ)っていた。

 雨だれの音が激しくなってくると、離れの障子戸がすぅーっと開いて冷たい風が吹き込まれた。それでもトキワは微動だにしない。虚空の一点を片目でじっと見つめていた。

 すると障子戸の隙間から一匹の猫がそろりと顔をのぞかせる。クンクンとあたりの臭いを嗅いでは室内を見回す。その猫はゆっくりと室内に入ると、やはりまたあちこちの臭いを嗅いで回り、やがてトキワのいるベッドの下にやって来た。

 猫の瞳にトキワの姿が映っている。

 トキワは寝間着こそ着てはいるが、全身に血の染みついた包帯を巻かれている。プラムたちは包帯を替えたいのだが、よほど機嫌のよいときでないと暴れてしまうのでなかなか替える事が出来ないでいた。トキワは食事もロクにとることが無く、やせ細ったミイラのような魔物じみた姿になっているのが哀れで仕方なかった。トキワの傷は巨大な獣の爪で体中を抉られ、酸に焼かれていた。ミナイの魔法医師もその惨状に顔を(しか)め、もう元の姿に戻ることは出来ないだろうと言った。知ってか知らずか、トキワ自身もぼんやりと虚空を見つめるだけで、生気と言ったものが失われていた。

 早晩彼女は死ぬだろう。

それは時が確実に現実とするに違いなかった。


 その猫はトキワを見上げ、しばらくしてベッドの上にぴょんと飛び乗る。それでもトキワの視線は動かない。

 猫は正座しているトキワの膝に前脚をかけ、恐る恐るトキワの顔色を伺っている。そしてトキワが動く様子のない事を確かめると、大胆にも膝の上に乗って香箱座りをした。

 すると、トキワのやつれた顔がゆっくりと下を向いた。左目の目じりが少しだけ動く。微笑もうとしているのだ。そして包帯の無い左手でその猫の背にそっと手を置く。猫の体温の暖かさがトキワの手の平に伝わり、手の力が抜けていくのが猫にも伝わっていった。

強催眠呪文(クオテナ)。」

 突然猫が呪文を唱えると、トキワは崩れるようにベッドに横たわった。

 バタリと倒れる音が合図だったかのように障子戸がまた大きく開き、プラムとコバチが入って来た。

「手早くやりましょう。ぢゃ。」

二人は無言で肯くと、トキワの衣服を脱がせ、血膿の付いた包帯を剝がし始めた。包帯が乾いてピリピリと音を立てる。トキワが「うっ。」と小声を発した。

痛緩和呪文(モルヒル)。」

ポッターはトキワの額に前脚を乗せて追加呪文を掛ける。血が固まって包帯に糊のようにくっついているのだ。瘡蓋(かさぶた)が剥がれて新たな血が染みて来る。それをプラムは泣きそうな顔で拭く。

「これは酷いですね。ぢゃ。」

 トキワの右半身は火傷のように爛れて黒ずんだ色をしている。皮膚が爛れているだけでなく、生気を失ってブヨブヨとたるんで膿が至る所に出来ていた。

「どうして、こんな・・・。」

 プラムは嗚咽を押さえきれずにいた。

「大丈夫です。ええ、きっと治ります。時間をかけてゆっくりとですが・・・ぢゃ。」



 ギリアンの魔窟の入り口から出て来た4人は満身創痍だった。

日のあるうちに戻る予定だったが、ゴブリンの群れに囲まれ逃げ出すのに苦労したためだった。一歩間違えば全滅していたかもしれない。それでも助かったのはピノアのお陰だった。

 デイチィは右足を負傷して血まみれとなり、ピノアに肩を借りている。顔は涙と鼻水でびしょぬれになっていたが、降りしきる雨がそれを流していた。また、エストロとマッシも負傷して血まみれとなっている。二人は互いに肩を組み、よろよろとベースに向かうと家に灯りが灯っていた。ドアを開けると、ポッターがチョコンと座っていて4人を出迎えてくれた。

「よぉ。すげえ、久しぶりの感じだ。」

 マッシが血と雨で濡れた恐ろしい形相で笑った。

「も。もうぅう嫌です。もう、行きたくないですぅ!」

 デイチィが泣きべそをかいて床に崩れた。

「たくう。しっかりしてくださいよおー。男でしょ、貴方はァ。」

「ギリアンの魔窟を舐めていた。最初から組み立て直さないと・・・」

 エストロは折れた剣を床に放り投げた。珍しく苛立っている。

「とにかく傷の手当てをしましょう。ぢゃ。」

 ポッターは傷の酷いマッシから手当てを始めた。


  その夜・・。


 部屋の一つのドアが開くと、デイチィが辺りを伺いながらこっそりと出て来た。両手に荷物を抱えている。玄関のドアに手を掛けたところで、暗闇の中から彼を呼ぶ声が聞こえた。

「出て行くのか? デイチィ。」

デイチィは素っ頓狂な叫び声を上げ、ドアから飛び出すとぬかるみに滑って派手に転んだ。

「ぼ、ぼ、僕は悪くない! 悪いのはあんた達だ! 僕は絶対悪くない!」

「誰もそんな事ぁ、言ってねえよ。」

 マッシがランタンを持って現れると少しだけ周りが明るくなった。エストロの足元にポッターもいた。

「僕は悪くない! あの時だってあんたがゴブリンを仕留めなかったから僕が怪我をしたんだ! そうだろう! 僕は悪くない! 大体今日は様子見じゃないか! それを奥へ行こうとするからこうなるんだ! 全部お前たちのせいだ! 僕は悪くない!!」

「・・・なあ、デイチィ君。我々は目的があってギリアンに入る。君にそれが無いならもう消えろ。我々には必要ない。」

「必要ないだと! 僕の力を当てにしてたくせに! 泣きべそかいても知らないぞ!」

「・・消えろ。もうたくさんだ。」

 エストロは家の中へと入って行った。

「じゃあな。」

 マッシもエストロに続いた。

入り口のドアが静かに閉められると、デイチィは悪態をつきながらヨロヨロと立ち上がった。泥だらけの荷物を抱え、足を引きずりながら雨の夜道を村の方へと歩いて行った。


「さて、これからどうしますのぢゃ?」

 ランタンの仄かな灯りの中で、エストロは座り込んで爪を噛んでいた。

 マッシは壁にもたれて腕組みをしている。

「やはり僕が行きましょうか? ぢゃ。」

 マッシの顔が明るくなったが、エストロは即座に「駄目だ。」と否定した。

「これは私の修行だ。助けてもらって深く潜っても意味はない。」

「あーあ。カイドーたちが居ればなあ。」

「・・・それはいい考えかもしれませんね。ぢゃ。」

 エストロもマッシの顔を見た。

「では僕が、マッシさんのお仲間に援軍をお願いしに行ってきましょう。ぢゃ。」

「大丈夫か、ポッター?」

「なーに。任せておいてくれ。ぢゃ。」

 ポッターはいたずらっ子のように片目を瞑った。

 前に食事の話をしましたが、今度は尾籠ながらトイレの話です。

ギリアンの遺跡の家にトイレがあることにしようかどうか、けっこう悩みました。というのも参考としている時代背景が中世ヨーロッパだったからです。いろんな物語にトイレの話を書く人はあまりいません(筆者の知る限りでは読んだことない)が、物の本によれば中世のヨーロッパではトイレと言う概念そのものがなかったそうで、やんごとなき高貴な女性のお方も御付きの次女に便壺を持たせていたそうで、排尿や排便はその壺にして、どこかに捨てていたらしいのですね。食事にしてもそうなんですけど、ナイフやフォークが出てくるのはずっと後で、テーブルマナーなんかあったもんじゃなかったらしいです。テーブルクロスは手拭き替わりに敷かれてあったそうで、手づかみで食べた料理を拭う物ですから衛生的には非常に悪かった時代な訳です。さっきの便壺についても、平民の方々は平気で道に便を捨てていたようで、ウンチがついた靴で室内に入り、ベッドで寝ていたのだろうと思う訳です(外人は靴を履いたまま寝るのではないかと筆者が思っているだけか?)

 ですからコレラやチフスなどの疫病が蔓延し、相当の方がお亡くなりになったらしいですな。そんな訳でトイレの無い住居なんだろうなあ。と思っている訳なのです。別にあってもいいんですけど、今後もトイレについて書くことはたぶんないでしょうしね。

 さて、実はその4までは仕上がっております。そして困ったことに少しづつキャラが増えてまいりました。このままでいくと水滸伝とか、三国志みたいに途方もない数の人物が出て来るハメになるかもしれません。そして、なんか書くつもりの無かった展開になってきています。張ってなかった事象が伏線みたいになってしまった部分もありますので、こういう所もお楽しみいただければと思います。

 そういう訳で、4はまた時間を置いてUPしますけど、その間に別の話を書いておこうかと思うのですが・・・けっこうこの話の先が詰まり気味なんです。実に困りました。時間も無いし、睡眠不足の春になってしまうのでしょうか・・・。

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