第1話 ジモン島奇譚 2
甲板から陸地に伸びる橋板の上に、一人の少年が飛び乗り、大きく伸びをした。
「久しぶりの陸地だあ・・・」
空には雲一つ無く、世界はいたって平穏。
ニャーニャー鳴く海鳥が少しばかり煩いくらいか。
船の舳先の方に人だかりがしていた。
「どうだ、腹の具合は?」
「やっぱり駄目です、船長! 亀裂が入ってまさぁー! 1日2日どころか1週間はかかるかもしれやせんぜ。」
水夫の言葉に、集まった人々は一様に落胆している様子だった。
本来であれば寄港する予定になかった港である。航行中に海龍と接触し、船腹にダメージを受けた船は、本来の航路を外れて、緊急避難として小さな島に寄港したのである。
「なんとかならんかね、船長! 私は3日後の夜にはシュブールにいなきゃならんのだよ!」
一人の商人風の男が船長に向かって言った。
「何ともならんね。沈没してもいいなら、船は売ってやるよ。」
「カブールまでは100キロくれぇーだ。泳いでいきな。」
船長の言葉を受けて、水夫が付け加えた。
「冗談言っちゃいかんよ。泳いで行けるくらいなら、船になんか乗りはしないよ。お願いだ。本当に困ってるんだよ。」
「どうにもならんね。そんなに急いでるんなら、魔法使いにでも頼めはいいだろう。」
船乗りたちは大笑いした。
商人は諦めたのか、重い足取りで街の方へと向かって行った。船の周りに集まっていた人々も船が航行不能と知り、我先にと宿を探すようだ。小さな島で、宿も少ないから、当然早い者勝ちとなる。のんびりしている者たちは、早々に野宿を決め込んだ者たちだろう。
「ま、魔法使いはここにもいるけどね~。」
少年は、誰ともなしにつぶやいた。
「ホーク。いつまでそこにいるつもりだ。さっさと降りろよ。」
少年の後ろにいた大柄な男が、ホークの尻を蹴飛ばした。
「どわぁああ!」
少年は危うく海に落ちるかと思われたが、絶妙なバランスを保ちながらなんとか陸地にたどり着いた。
「児童虐待だ! 危ないだろうが、ドレイク!」
「なぁ~にが、児童だ。子供ってのはもっと可愛げがあるんだよ。クソガキ!」
大きな荷物を背負ったドレイクは、スタスタとホークのそばを通り抜けた。
「ユン! 船は出ないんだ。俺たちも降りてさっさと休もうぜ。」
ドレイクは振り返って、甲板に声をかけた。
さっきまでホークが立っていた場所に、男が一人、立っていた。
ユン・・・と呼ばれた男は、フードのある黒いクロークを着ていた。目の部分だけを隠した錫でできた仮面を付けているのだが、フードの隙間から見える男の顔は、仮面を付けていてもはっきりとわかるほどの美男子である。
「イマ、イク。」
ユンは緩やかに、橋板を歩く。まるで実体のないような動きではあるが優雅ですらある。
「な~んかさ、揺れてない?」
「船に乗ってたからだろ。すぐに治るさ。行くぞ。」
ユンが二人に合流すると、ドレイクは町に向かって歩き始めた。
「宿に泊まるの?」
「いや。野宿だ。場所もそうだが、食料くらいは買っていきたい。」
3人はのんびりとした様子で、町へと向かった。
およそ2か月ほど前、エグラン王国に未曽有の災厄が訪れた。
北の町ターリーフが一夜にして壊滅したのだ。近隣の村から逃げてきた村人の情報によると、深夜に突然の轟音と火柱で目が覚めた彼らは、しばらくは何が起こったのか分からなかったらしい。ただターリーフの町が燃えているのが分かっただけである。何が起こっているのかわからないが尋常な火災でないことだけは誰もが想像できた。村の男たちが数人、武器を持ちターリーフへと向かった。ところがものの数分もたたぬうちに逃げ帰って来たのである。
ターリーフの町は魔物の軍団に襲われていた。ターリーフの町には少しだが軍隊も駐屯していた。しかし、防戦一方というより、なすが儘に蹂躙されていたらしい。
急報を受けた、かの地の領主スターンバインは、手持ちの軍勢100を従え、ターリーフへ向かったが、すでにターリーフは廃墟と化していた。動くものは誰一人なく、老人や女子供どころか、家畜などの動物たちまで殺されていた。まるで生きている者を忌み嫌うかのような徹底した殺戮だった。瓦礫とドス黒い血の跡、焦げた臭いと立ち上る煙。破壊しつくされた町の中央の広場に一本の旗が風になびいていた。
髑髏にしっぽを咥えあった2匹の蛇の文様。
誰もが震えた・・・・・・。伝説のあの戦禍を思い出したのである。
今では伝説にしか過ぎないが、250年ほど前、世界の各地で”カオス”と呼ばれた魔物の軍勢に世界は滅びかけた。・・・・と言われている。その時、カオスが使っていたのがこの旗だったと言われていた。
人々は魔法と剣を駆使して彼らと戦った。幾人かの英雄が現れたが、その中に強大な魔法力を持ち、無慈悲なカオスの軍勢さえも恐れさせたのが、ラグナロクという魔法使いだった。口伝えによる伝承によれば、ラグナロクは10人の弟子と10の秘宝にもってカオスを撃退したと言われ、ラグナロク自身も生還はしたものの、魔法力を使い果たし、戦いの怪我が元で死んだと伝えられている。
カオスの旗は彼らの戦線布告に違いなかった。
スターンバインが王都へ急使を派遣してから1か月。エグラン国はカオスと戦い、そして勝利した。
・・・・いや、正確にはカオスが自ら撤退したと言っていい。
軍勢の要の師団長が倒されたとはいえ、奴らにはまだ余力があった。一時は国の半分ほどの領土を壊滅させ、その犠牲者は数10数万にも上り、エグラン王国は間違いなく滅びかけたのだ。 彼らカオスにとって、この2か月ほどの闘争は、単なる小手調べに過ぎなかったのだろう。
その時、カオスの師団長と戦って倒したのがホークたち3人である。
そしてこの二人はエグランの新女王から命を受け、各地に散らばって失われてしまったという伝説の八つの秘宝を探し出す旅に出たのだ。
エグラン王国はカオスの撤退に人心地着いたが、危機は去っていはいない。いつまた彼らが襲ってくるか分からないのだ。エグランは島国であり、隣接する国家は東の大陸のフリーシア王国だけである。
さほど仲の良い国ではないが、不可侵条約を結んでおり、同盟国といってよい。エグラン危急の時に真っ先に救援に駆け付けることはなかったが、だからと言って滅亡するのをぼんやり見ていたわけでもない。エグランの状況を確認するために特使団が送り込まれ、救援の兵500と物資が送り込まれた。
エグランでは、その返礼と今後の対策のために、特使団が組まれ、明日には出航する予定だったのである。
ホークたちもその特使団とともにフリーシア王国へ渡るはずだったが、ドレイクが定期連絡船で先行すると言い出したのである。
定期連絡船とは言っても、交易物資のついでに何人かの客を乗せる船だったのだが、今のエグランから出る船はほぼ難民船と言ってよかった。物資そのものはほとんどなく、人だけが乗っている。ただし船に乗れるだけの裕福な階層の人たちだけだが・・・。
「だーからぁ、無理しないで特使の船に乗せてもらえばよかったじゃん。」
「うっせー。ああいうのは面倒で嫌なんだよ。」
「おめえこそ、魔法でビューンとフリーシアに運んでくれれば、苦労しないで済むんだろうが。」
「飛行呪文は効率が悪いんだよ。おいらだけならともかく、ドレイクは途中でドボンさ。」
「なろ・・・ナマ言いやがって。」
10も離れているのに、ホークはタメ口を利く。しかしドレイクもそれを気にした様子はなかった。
ホークは町に1件だけある宿屋の近くでふと足を止めた。
4人組のパーティーと少女の話してる会話を耳に挟んだからである。
「船に乗っていた人に聞きました。あなたたちが海龍を追っ払ったんでしょう。」
「お嬢ちゃん。どこで聞いたか知らねえが、よぉ~く知ってるじゃねえか! まさしく海龍は俺たちが追っ払ったのよ。世界一の賞金稼ぎカイドー様のパーティーが乗ってるってなもんで、さすがの海龍も恐れをなして逃げちまったのさあ!」
長身のひょうきんそうな男が得意げに言って大笑いした。しかし少女はクスリともせず、
「お願いがあります。私もパーティーに入れてください。少しだけですが、魔法も使えます!」
真剣な眼差しを4人に向けた。
4人組は少しはにかんだ様な笑みを浮かべた。
「・・・悪いがお嬢ちゃん。うちは新規募集はやってねえんだ。勇者ごっこは他を当たってくれ。」
「ごっこじゃありません。私と一緒に、この島に棲む魔物を退治して欲しいんです。」
「嬢ちゃん、いい加減にしてくれ。俺たちは暇じゃねえんだ!」
「まて、マッシ。」
4人組のリーダーであろう老人がマッシを制した。
「お嬢さん、この島に大物の魔物でも棲んでいるというのかね?」
「はい。この町の南に外れにある【剣の城】と呼ばれる住処にいるんです。」
「シュセ、マッシ。情報を集めるのだ。エグランでは大した稼ぎにもならなかったから、少し稼いでいこうじゃないか。」
「分かりました。じゃあ俺たちはいつものように。」と、言うと、二人はそれぞれ違う方向に歩き出した。
「じゃあ、行ってくれるんですね!」
「悪いがわしらは4人一組で行動する。誰が増えても邪魔なだけじゃ。」
老人は冷たく言い放った。
「でも!・・・」
「仲間を探すなら、そこにいる奴らにでも声をかけてみたらよかろう。腰にさした剣は伊達ではなかろうて。」とホークたちを見た。
少女もホークたちを見る。
『あちゃ~。ありがちな展開・・・・。』ホークの口からつぶやきが漏れる。
「ごめんなさい。うちのリーダーは頑固なの。でも本当の事なの。魔物は私たちが倒してあげるから、お家で待ってて。」
4人組の女、おそらく防御魔法を得意とする回復職の女だろう。軽くウインクを少女に送ると、背を向けて歩き出した。
そこには少女とホークたちが残された。
ホークたちを胡散臭いと感じたのか、少女は軽くため息をつくとホークたちに近づいてきた。
「あの~。もしかして剣士ですか?」
さっきとだいぶ態度が違う。
「まあ・・・そうだけど。」
ドレイクはそれでもにこやかに答える。
「さっきの話、聞いていたでしょ?」
「ああ。」
「じゃあ、お願い! 私と一緒に魔物退治に行って!」
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「ダメって言うよね。分かってるわ。全然強くなさそうだもんあなたたち。ボーっとしてるし、子供連れだし、きっと正義よりも自分の命の方が大切なタイプよね。」
言われ放題である。初対面なのに・・・・。
「わはははは!」
ドレイクは豪快に笑った。
「面白いな、嬢ちゃん。俺たちで良かったら、その話、詳しく教えてくれないか?」
「ドレイク!」
ホークは窘めたが、ドレイクは意に介さぬ風であった。
少女は一瞬、キツネにつままれたような顔をしたが、突然その瞳から大粒の涙をこぼした。
「姉さんを・・・・姉を助けたいんです。」