エリア火山に連れてって! Ⅵ ー エイミーとゲラ ー
ホーク様御一行は・・・今回は出番なし。お笑いもお遊びも無し。
ちょっとハードかもねえ。(ニタニタ)
その年のフラフーツカ地方は寒冷で、シロツメクサの花が咲く時期になっても、雪や雹の降る日が続き、深刻な不作に見舞われていた。
そのフラフーツカ地方の名もない山村の山にその犬は棲んでいた。(名などない野犬であるが、便宜上フシと言う名で呼ぶことにする。)
フシは数日前に出産を終えたばかりであった。いつもの年ならば豊富とは言えないが、狩りに困るほど獲物の数が少ないという事は無かったのだが、今年は違っていた。仲間の犬や狼たちも危険を冒して家畜を襲い、人間によって斃されるという悲劇が繰り返されていた。
フシは他の犬よりも臆病で用心深く、人里に近づくことはなかったが・・・こうまで獲物が少なくなるとは思ってはいなかった。狩場は大体決まっているのだが、おのずと活動範囲を広げざるを得なかった。子供たちを残して、いつもの狩場よりもさらに遠くに行くのは、不安ではあるが仕方が無い。北の岩場には狼のテリトリーがあって、かつて命からがら逃げだしてきた嫌な思い出がある。用心深く地面の臭いを嗅ぎ、聞き耳を立て、ゆっくりと歩む。すると何かが枯れた灌木の陰で動くものを見つけた。ウサギかと思ったが、どうも動きが違う。どうやらそれは動物ではなく魔物のようだった。おそらくその大きさからしてホビットであろう。
フシは今まで魔物を襲ったことはなかった。しかし今は贅沢を言っている時ではなかった。フシはこのホビットを獲物に決めた。
フシは石のように動かず、用心深く移動するホビットの油断を待った。ホビットはキョロキョロとあちこちを見渡し、そろそろと歩き出した。動きは鈍重であるが、反撃されると厄介である。フシはじっと自分の間合いに入るのを待ち、一瞬のスキをついて襲い掛かった。
一撃でホビットに致命傷を負わせたフシ。ホビットは反撃する間も、逃げる間もなく絶命した。ホビットの肉は動物の肉よりも硬く癖が強くて不味かった。しかし・・・とりあえず腹は満ちた。その時、ふと気づいたのである。少し先に死臭が漂っているのを。
普段のフシならその場からゆっくりと姿を消したであろうが、この時はなにか予感めいたものがあったのかもしれない。フシはその死臭の方に向かって歩き出した。
フシの行く手に雪の被った岩場が見えた。どうもその岩場のあたりから臭いがするようだ。フシはさらに用心深く少しずつ近づいた。岩場の陰に狼の巣穴があった。いつものフシならば、腹も満ちたし、狼の巣穴と知って近づいたりはしないのだが、今日は少しばかり違っていた。好奇心という訳ではない。何かに引き寄せられるような気がしたのかもしれない。臭いを嗅ぎながらいつでも逃げられるように少しづつ近づき、そっと巣穴を覗き込むと、そこには一頭の雌の狼が死んでいるのが見えた。フシと同じように子供を産んだばかりで、4匹の子供たちも死んだ母親の乳首を咥えたまま餓死していた。
通常オオカミは一夫一婦制で、群れの仲間が協力して子育てをする。おそらく何らかの理由で仲間が死んだのか、病気で群れについていけず、取り残されていったものと思われた。
フシはその狼の母親をじっと見つめていたが、金毛の狼仔の耳がピクリと動いた。
フシは少し逡巡した後、何を思ったか、その子供を咥えて置くとクンクンと臭いを嗅いだ。その子だけはまだ死んでいなかった。フシはその子を咥えると、のそりと巣穴から出、あたりを見回した。寒風が頬を撫でて行く。子供の体は氷のように冷たく、このままでは長くは持ちそうもなかった。フシは空を見上げていたが、やがて諦め、巣穴へと踵を返す。そして母親の死骸の脇に横たわると、その子供を自分の乳房へと誘い、その体を何度も何度も舐めてやった。子供は弱ってはいたが、フシのぬくもりに少しばかりの元気を取り戻し、フシの乳房にむしゃぶりついた。
フシはこの狼の子供を自分の巣穴に持ち帰り、自分の子供たちと一緒に育てることにした。
フシの子供は6匹いたが、夏までに生き残ったのはその狼の仔ともう2匹だけだった。狼の仔がエイミーであり、フシの子供がゲラである。そしてもう1匹、ゲラの兄のロボがいた。
成長した3匹はとても仲が良かった。とりわけエイミーとゲラはいつも一緒で、本当の姉妹のようだった。やんちゃなエイミーは姉のゲラにじゃれついてはゲラに叱られた。ロボは足の速さならゲラやエイミーよりも抜きんでいたものの、そそっかしいお茶目な子供だった。
ちなみに異種の動物が、異種の動物の子供を育てると言うのは、割とあることなのだと言う。犬が猫を育てたりする話もよく聞くし、狼が人間を育てた話などは書籍にもなった。また、草食動物が肉食動物に襲われたりしているところを、別種の動物が助ける場合もあるのだという。個体の性格にもよるのだろうけれど、動物と言うのは弱肉強食という殺戮の中で生き続けるだけではなく、動物全体としての社会のような物があり、人はそれに気づいていないだけなのかもしれない。
やがて夏がやってきた。そう確かに夏はやっては来ていたが、寒冷なのは変わりがなくて、作物は育ちが悪く、人里は飢饉の様相を呈していた。人里もそうだが、山でもそれは同じだった。狼や野犬は危険を承知で人里に近づいて家畜を襲った。そして生きるために、人々も彼らに立ち向かっていった。柵を作り、罠を仕掛け、捕らえた獣を殺した。
そしてフシたち親子も例外ではなかった。山にいる獲物は少なく、フシたち親子はいつも腹を空かしていた。そして、フシはとうとう人里に降り、家畜を襲う事を決断した。
フシは3匹の子供を連れて、用心深く人里に近づいた。夏だと言うのに風はまだ肌寒い。いつもの年ならば、夜でも暑い日が続く頃なのにだ。新月の今日は曇りで星明りさえ無かった。
フシは慎重に臭いを嗅ぎ、少しでも人間の臭いがする場所は遠回りをして人里へと近づいて行った。例えネズミ1匹でも捕まえることが出来れば、子供たちに食べさせてやれる。その思いが危険を顧みない行動となった。慎重に、いつにもまして慎重に歩を進めるフシ。子供たちもフシに習い、慎重にその後ろをついてゆく。普段は陽気な子供たちが、通夜の晩のように静かだ。
村の西側の小道はいつものように静かだった。
やがてフシの嗅覚は血の臭いを嗅ぎつけた。この臭いは鶏のようだ。臭いを頼りにその方向へと進んでゆくと暗がりの中に一羽の鶏の死骸が見えた。
フシは少し訝しんだ。血の臭いと一緒に微かに鉄の臭いがする。フシの心臓が早鐘を打ち始めた。警戒信号だ。こういう時のフシは無理をしない。少し離れて迂回しようとした矢先に、ロボが飛び出した。余程お腹が空いていたのだろう。
フシが止める間もなく、ロボは鶏の死骸に向かって矢のように飛び出していったのだ。そして、ロボの悲鳴と共に、凶悪な鉄の獣の咢がロボを嚙み砕いていた。
トラバサミである。
フシは本能で後ろに飛退いたが、母親としての本能も彼女に退くなと命令した。フシは二つの本能に翻弄され、無意識のままロボの所に駆け寄った。
だが、それは間違いだったのだ。
トラバサミはひとつではなかった!
もうひとつのトラバサミは容赦なくフシの後ろ脚に嚙みついた。
強烈な痛みがズーンと脳天に突き刺さる。フシは強靭な精神力で鳴き声を殺した。人が来ては万事窮すだからだ。
フシは激痛と戦いながらロボに近づこうとした。
ロボは噛まれた場所が悪かった。子犬だったことも災いした。
ロボは足だけでななく、ギザギザの鉄の咢は彼の内臓にまで食い込んでいた。出血がひどく、鳴き叫ぶことも出来ずに荒い呼吸を繰り返し、悲壮な目でフシを見つめている。時折呼吸の合間に悲鳴のような鳴き声が漏れている。
フシは激痛に耐えながら何とかロボに近づこうとしたが、鉄の咢は鎖につながれていてフシを自由にはしてくれそうもなかった。ロボに近づくことすらできない自分にフシは苛立った。フシはトラバサミに噛みついたが、渾身の力で噛みついても鉄のトラバサミはビクともしなかった。フシの歯が何本か折れ歯ぐきから血が噴き出していた。
トラバサミを外すには両端のバネを同時に押すしかない。しかしただの犬であるフシにその構造が理解できるはずもなかった。ただただ藻掻いた。藻掻けば藻掻くほど鉄の刃は肉に食い込み骨に突き刺さった。気を失いそうになるほどの激痛。出血。骨が軋む気味の悪い音。飛び散った血の臭い。体毛。フシは荒い息をしながら瀕死の息子を見やった。そして大きく息を吐く。そう、もはやロボに近づくことは出来ない。
突然の出来事に動くことも出来なかったゲラとエイミーは、ようやく恐怖の呪縛から解放された。それでも恐る恐るフシに近づこうとした所を、気づいたフシが低いうなり声をあげて牽制した。近づいてはいけない。まだ他にもトラバサミが仕掛けられているかもしれないのだ。
それに気づいた2匹は茂みの下へと身を隠した。
空が白みかけていた。
一刻の猶予もなかった。
泣き叫び、自分の運命や誰かを呪っている暇などないのだ。
フシは何度もトラバサミ噛む。そしてその度に、痛みにのたうち回る。
母親の藻掻き苦しむ様をゲラとエイミーはその五感で感じ、脳裏に刻み込んでゆく。短く長い時間が流れていった。そして次第に弱ってゆく兄のロボ。
息が弱く・・・弱くなってゆく。
やがて里の方から人がやってくる気配を感じた。フシもゲラたちもじっと息を潜める。見つかりませんようにと願うフシたちの願いは一瞬で露と消えた。がさりと茂みを分けて現れたのは村の人間たちである。
人間は一人ではなかった。何人かの男たちが罠の状況を探りに来ていたのだ。彼らは笑みを浮かべ、何かを話している。それが自分たちに対する罵倒の言葉だというのは、言葉が理解できないフシたちにもよくわかった。彼らの憎悪と嘲り、そして凶悪な意思が伝わってきたからだ。
一人の青年がフシを棒で突こうとした。フシはすかさずその棒に噛みつき、その棒を奪った。少し年輩の男がその青年をなじっているようだ。それでも彼らは笑っている。絶対的な優位に立っていることを知っているからだ。
棒を取られた青年は、落ちていた小石を拾うと、フシめがけて投げつけた。
石はフシの太ももに当たった。当たった石とトラバサミの激痛で、たまらずフシは鳴き叫んだ。
男たちは手を叩いて大笑いした。その次に、誰かが何かを叫んだ。人間たちは笑いながら小石を拾うと、立て続けにフシへと投げつけた。あられのようにフシに襲い掛かる小石。フシは全身を血に染めて次第に弱って行く。しかし、その目は茂みに隠れた幼い娘たちに向けられていた。
逃げろ! と言っているのだ。
ゲラは飛び出しそうになっているエイミーの首筋を軽く噛んだ。驚いたエイミーとゲラの視線が合う。そして悟った。
2匹の子犬はそろりそろりと後退する。
一つの石がロボに当たった。
柔らかくぐんにゃりした肉の塊にでも当たったかのような石は、たいして弾まずポトリと落ちた。ロボは軽く目を瞑っただけで、何の反応もなかった。ロボは悲鳴を上げることが出来ないほど弱っていたのだ。最後に発した声は、母親に甘えるようなクーンという、かぼそい一声のみだった。
ゲラとエイミーは駆け出した。
後ろから薄いベールのような罪悪感と恐怖が纏わりついてくる。ロボのクーンという鳴き声が何度も何度も耳の奥で繰り返される。
2匹は人間から逃れようと走った訳ではない。その得体の知れないベールから逃れるように唯々、唯々・・唯々走ったのである。茂みの枝が跳ね、2匹の体を鞭打つ。母と兄の窮地を見捨てて逃げる罰を受けているようだ。涙があふれる。息が苦しい。心臓が口から飛び出しそうになるほど暴れている。爪が割れる。足が痛い。そのすべてが逃げる自分への罰のように感じた。
2匹が茂みから抜けたとたん、目の前に大柄の人間の男が飛び出した!
ゲラが躊躇せずその男の足に噛みついた。あまりに突然の事にエイミーは怯えて動けなくなっていたからだ。噛みつくゲラの目は必死にエイミーを見ていた。早く逃げろと促しているのだ。
男は噛みつかれた足をぼんやりと見つめる。子犬とはいえ渾身の力でゲラは噛みついている。痛くないハズはないのだ。それなのに男はニタニタと笑っていた。そして腰を曲げ、ゲラの首を掴もうとその右腕を伸ばした。
その右腕にエイミーが噛みついた!
エイミーの目からは涙が止めどなく流れ落ちた。
ただ・・・憎い!
それだけの感情が溢れてくる。
憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! 憎い! ただ憎くて憎くて! 憎い! 憎い! 憎い!
ヘラヘラと何かを喋りながら、男は腰を起こす。死に物狂いの形相で噛みつく金毛の狼の仔を不思議そうな顔で眺めている。男の腕と足からは、血が迸り、仔狼と子犬の体毛を赤く赤く濡らしているというのにダ。
痛みを感じないのか?
口元の力が緩んだ瞬間、男は足を蹴り上げた。大きく吹き飛ばされたゲラは木の幹に背中をしたたか打ち付けた。地面に落ちたゲラは、背骨の痛みに気を失いそうになった。それでもゲラは前へ進もうと苔むした土を掴んだ。
掴んだ??????
前足が人間の手のように大きく分かれ、指が伸びている。
吐き気がした!
そして男の腕にぶら下がっているエイミーを見ると・・・・次第にその姿が大きくなり、人間のような姿に変貌してゆく怪異を見た。
なぜ、憎くて憎くて仕方がない人間の姿に自分たちはなっていくのだろう。
恐ろしくて、悔しくて、憎くて、悲しい。意味など知らない涙が流れた。
そして・・ゲラの意識は遠くなっていった。
・・・・・その2日後。
フラフーツカ地方の名もない山村は、この世から消え去った・・。
今回はわざとセリフを抜いてみました。お気づきのようにフシの名は『不滅のあなたに』の主人公の名前ですし、ロボの名前はシートン動物記の『狼王ロボ』の名前です。本当はⅥは襲われた後の話を書くつもりでしたが、ふと閑話休題的にゲラたちの過去の話を少し書いて、尺を埋めようとしたのです。でも、ちょっと書いていくうちになんかノッテ来ちゃいまして、はい。ハードな回になってしまいました。最後に現れる男は、いずれまた登場しますが、ロアの軍団の親玉であります。え? ネタばれしてもいいのかって? いいんです。きっと話はホーク様たち次第で、いくらでも変わっていきますから。




