君は2度寝をしますか? -1日目-
一般的にではあるが、人は日常を計画的に生きている。起床時刻と就寝時刻を含めたルーティーンとも言える行動を、毎日規則正しく行っている。とはいえそれを成す為には機械に頼らざるを得ない事もある。就寝時刻に於いては自らの意志と言えるが、起床時刻に於いては自らの意志のみに任せる事は難しく、機械に頼り、半ば強制的に起こされる日常を送っている。それは平日だけでなく、休日に於いても概ね似たような時間に起床し就寝している。私も御多分に漏れず同様の行動をしているが、それは平日に於いてのみの話である。
私は休日になると2度寝、3度寝をする。寝溜めという意味ではなく2度寝、3度寝をする。余りに寝すぎると2日酔いにも似た頭痛を覚えるという難点もあるが、その行為は無理に起こされる平日から抜け出すかの如く、何にも代え難い程の至福の時であり、まさに休日でしか出来ない行為である。だがそれは時間の無駄遣いと言える行為にも等しく、時折「勿体ないな」と思う事も稀にある。目が覚めては眼を瞑るを繰り返していれば、自ずと太陽は頂点を過ぎ傾き始め、気付けば陽は落ち夕方になっていたと、陽の無い時間に眠りについて起床した時にも陽が落ちていたと、そんな事も稀にある。流石にその状況を目の当たりにすると「勿体無かったな」と、そう後悔する時もある。そんな風に思う休日を、私は幾度となく繰り返している。
とはいえそれはあくまでも休日の話。それにそんな休日の過ごし方をする人は私だけではないだろうし、存外多いのではないかとも思う。そして平日に於いては規則正しく生活をしている事だろうが、そこが少しだけ私とは異なるのだろう。
私は2度寝という至福の感覚を平日に於いても味わいたいが為、目覚まし時計は5分から10分進ませた状態にし、更に起床予定時刻の30分前位に目覚ましが鳴るようにしている。そうして少し早目の時間に目を覚まし再び寝るという、云わば日常的に2度寝するという至福な時を毎朝過ごしている。
そんな私の至福を助けてくれるのがスヌーズ機能である。そう、私は意図的な2度寝3度寝を味わうが為、スヌーズ機能付きの目覚まし時計しか使わない。そしてその時計のベルが鳴ると時刻を確認しないままに停止ボタンを押し、「次にベルが鳴ったら起きよう」と安心して再び眠りにつく。
だがそれはリスクと隣り合わせのタイトロープ。私は時計が鳴った時、これは何度寝だろうかと数えながら停止ボタンを押しているが、寝ぼけた頭ではそれが2度寝だか3度寝だか、若しくはそれ以上なのかが分からなくなる時があり、気付けばスヌーズ機能が切れるほどに寝る、若しくは休日同様深い眠りについてしまう事もある。時刻を確認したその瞬間、目と脳と体が瞬間的に完全覚醒するという感覚を味わった事も1度や2度じゃない。多くは急げば間に合うといった程度の寝坊ではあるが、稀に始業時間を過ぎていたなんて事もあった。その際には精神と肉体の覚醒と同時に全ての力が抜けてゆくという感覚を味わった。どうにもならないという絶望という名の感覚を味わった。そんな絶望の中に於いてまず私がする事、それは会社に遅刻の連絡を入れる事。それは社会人としてのマナー。だが遅れた時間によっては体調不良の連絡を入れる。それは効率的な判断。
私はそんなリスクを負いつつ日常を過ごしている。毎朝タイトロープを渡っている。それは偏に2度寝という何にも代え難い至福の為に。
因みに「夢の続きを」と思って2度寝する事もあるが、残念ながら夢の続きが見れた事は無かった。更に言えば「これは夢だ」と夢の中で気付いた経験も無い。私は夢の中でも理性を保っていた。そして起きた時に「ああ、あれが夢だったなら、あんな事やこんな事もしてよかったなあ」と後悔し、理性的な自分を恨む。そんな風にひどく残念に思う事もしばしばである。
さてさてそれはさておき、最近私は思う事がある。『もう一度鳴るはずだ』と、『その時こそ起きる時だ』と、そう寝ぼけた頭で神に誓う時間を与え安心をもたらすスヌーズ機能が付いた目覚まし時計とは、目を覚まさせる機械であると同時に、再び眠りに就かせる機械なのではないかと、そう思うようになってきた。そのベルは起こす為だけでなく、ハーメルンの笛のようにして眠りに誘うベルなのではないかと、そう思う事が増えてきた。それは単なるこじつけとも言えるが、私はそのスヌーズ機能のお陰で、2度寝3度寝という快楽とも言うべき幸せに至る方法を知ってしまった。それは悪魔のささやきと言っても過言ではないだろう。そう思うと「目覚まし時計」とは未だ発展途上中な機械なのだと、そう思わざるを得ない。
そこでこの手紙を読んでいる君に問いたい。君は1度のベルで起きれますか? 君は2度寝をしますか?
◇
それは今から数十年程前に書かれたと言われる手紙。誰が書いたのかも分からないそんな手紙を、今私は読んでいた。そして読むと同時に驚愕した。過去とはいえ、2度寝をそんな軽い気持ちで出来ていた時代があったのかと、遅刻という事が体調不良という理由で誤魔化せた時代があったのかと、生まれた時代が数十年違うだけで、これ程までに世界が異なるものなのかと驚愕した。
『1分1秒に人生を懸けろ』
私が生きる現代とは、そんな標語を政府が声を大にして言う時代。それをシステマチックに実現した時代。国民全てに対し強制的にそんな標語が適用される時代こそが現代であり、日常の時間は政府によって厳格に制御されている。
『2度寝死 ― Twice Sleep To Die ―』
国民全てを対象とし、二十歳の誕生日になると強制的に体内へと埋め込まれる制御チップ。チップ内には就業カレンダーが書き込まれ、そのカレンダーとリンクして定刻に起床していないと――死んでしまう。
制御チップは就業スケジュール通りに起床しているかどうかを脳波で監視している。もし「起床時」としての脳波が観測できないと「就寝中」と判断され、制御チップから直接、頭の中にアラート音を1分間響かせる。それでも起床時としての脳波が観測できなければ脳神経を焼き切る。焼き切る神経は呼吸を司る神経。話に聞いた所によれば、寝ている間に呼吸が停止するという事で、痛みや苦痛を感じないことが唯一の救いという話である。
正式に仕事を休む際には事前に会社に連絡を入れ、チップ内のスケジュールを書き換える必要がある。この仕組みが導入された事で、翌日が仕事である時にはお酒を飲む機会は減った。というより、自己責任に於いて厳格な自己管理を要するようになった。それ故、深酒は死と同義となった。
残業も厳しく制限された。それは起きれなければ死んでしまう可能性がある為である。扱いとしては『自殺』となるが、亡くなった前日に残業をしていた事実が判明したら、雇用主や依頼主は自殺幇助として起訴された。半ば強制的ともいえるが、結果的に皆が早寝早起をする習慣が付いた。勿論私もそれに漏れず、明日に向けて今日も早く寝る。Zzzz…………………………………
「うはっ! やばい!……………………………………あれ?」
枕もとの目覚まし時計に目をやると、短針は9時を指していた。既に就業開始時刻を過ぎ、遅刻が確定していた。だが私は生きていた。
「……なるほどね。夢ね。夢オチね。そりゃそうだよね。話に無理があるよね」
布団の上で上半身だけを起こした私は、携帯電話を手にとった。
「ゴホッ、ゴホッ、ずびばぜん、だいじょうがばぶいぼんで、ぎょうば、ぎゃずばぜでぐだざい、ゴホッゴホッ」
会社に連絡を入れ終えた私は、自分の体温とほぼ同じ絶妙な温度になっている布団の中へと潜り込み、2度寝と呼ばれる至福の時間を味わう事にした。そして目を瞑ると祈る様にして心の中で呟いた。
『いつかハーレム系の夢が見れますように。そしてそれが夢であると夢の中で気が付きますように』
2021年07月22日 4版 誤字訂正他
2019年11月29日 3版 句読点多すぎた
2019年05月02日 2版 誤字修正
2019年05月02日 初版