黒い霧の男
本日2話目
ノクリアは目を覚ました。
辺りを見回すと見慣れない景色で、キョトンとした。
ここは、どこだっただろうか。
周辺で風が動いたような気がして、見れば、黒い渦ができている。
のんきに首を傾げているうちに、ノクリアはぼんやりと、そうだ、異世界に来たのだったと思い出した。
『発動:水球』
いつもの通り、水を呼び出そうとして、失敗する。
『発動:水球』
「発動・・・おかしいな。『発動:水球』」
「それぐらいにしておけ。また呼び寄せるぞ」
ため息をついて、周囲の空気が揺れた。
黒い空気が流れるのを見つめていると、それは人の姿になった。
ノクリアは首を傾げ、数秒後に思い出した。
「・・・あぁ。昨日の・・・。そうか」
異世界だ。
術も、使えないのだった。
ため息を少しつく。それから周囲を見回す。
少し離れて、黒猫がこちらを首だけを上げて眺めていた。
他にはいない。昨日はあれだけのネコがいたのに。ボスもいなくなっていた。
「ネコは?」
「さぁな」
と、明らかに男の姿で、そっけなく傍の者が答えた。
ノクリアは改めてその者を見た。
少しだけ考えてから、ノクリアは尋ねた。
「あなたは・・・私のような、人なのか?」
質問に、男は不可解な顔をした。ノクリアは焦った。
「失礼、言い直そう。あなたは、昔に、私と同じように、勇者と交代でこちらに来られた方なのか?」
そうでなければ、ノクリアをこのように扱う事が理解できない。
男は、にや、と馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「さて。可愛いお嬢様」
などと男は言った。笑顔なのに、信用できないうさん臭さが漂うのはどうしてだろう。
「さっさとここを離れるぞ」
「え」
思いがけない提案にノクリアは瞬く。
男は、ノクリアの耳に顔を近づけて耳打ちした。
「ネコたちがお前を敵と決めたぞ。うかうかしていては、危険だろう?」
「なぜだ。術も教えてくれると言っていたのに」
男は呆れたように肩をすくめて見せたが、妙に演技がかっていた。
「さぁな。ネコとは気まぐれな生き物だ。そういうものだろう」
「だが、術が使えないと困るのだ」
話しているノクリアの口を、男は表情を失くして手でふさいだ。
「術など。使う場所などない」
「だ、もうぅあ」
話せない。
ノクリアが口をふさぐ手を外そうと強く手をかけると、あっさり外された。
「水などどうすれば良いのだ」
ノクリアが責めるように尋ねる。
「・・・そうだな」
と、男は今度は目を細める。
「落ちている金を拾って、店で水を買うと良い」
「落ちている金? この世界では、金は落ちているものなのか」
「さぁな」
妙に態度が冷たい。
ノクリアは訝しんだ。
「・・・あなたは何者なんだ」
男は、明らかにノクリアを馬鹿にした笑みを向けた。
チラと後方の黒猫に視線をやってみたが、黒猫はただジィとノクリアたちを遠くから見つめているだけだ。
「・・・移動するとして、どこに向かうのか」
尋ねながら、ノクリアは迷った。
単独で動いた方が、良いのだろうか?
男のような存在について、向こうではなにも聞いていなかった。つまり、誰も把握していないはず。
男がガバリと、ノクリアを迎えるように抱き込んだ。
驚いているうちに、男は言った。
「世話になったな」
向こうの黒猫に告げたようだった。
「え、待て、私も礼を」
そう声を上げるのに、ノクリアを抱えたまま、男はズリ、と一歩道へと動いた。
急に寒さを感じて、違和感を持った。抱えられたまま周囲を見る。
人気はない。ネコもいない。
この世界は、人が少ないのだろうか。
ノクリアを動かすように、男は移動する。
ポツリと、
「重い」
と静かな本音の声が上から零れ落ちてきて、ノクリアは地味にショックを受けた。
だったら抱えるのを止めれば良いのに、と思うのに、話すのを察したらしく、先にまた口を手でふさがれた。
私は、この者についていって良いのか?
と真面目にノクリアは考える。
これは、一種の誘拐では無いのだろうか。と、ふとそんな可能性に気が付いた。
ピタリ、と男の動きが止まった。
なんだろう。わからない。
ここが目的地とは思えない。数歩しか動いていないからだ。
ノクリアが男を見上げると、男はやたら不機嫌そうに飽きたようにノクリアを見た。
それから、不機嫌な顔が近づいてきた。
口を覆っていた手が外れ、その指がノクリアの顎を持ち下唇に触れた。
良く分からないでいるうちに、ノクリアはキスをされていた。