消し去る
ノクリアは、術を解除した。
空気が小さく弾ける音がして、すぐに服が窮屈になる。身動きしにくくて苦しい。
「ちょっとだけ動かしてやるから、それで良いだろう」
と男が壁に告げたようで、自らでは服が引っ張られて動きづらいノクリアを抱え直して、壁に向けてくれる。
「 ・・ アリ リア 」
と、声が聞こえた。
「やはりか。この子は、別の子だがな。きっと似ている」
と男が答えた。
「私の妻だぞ」
と男は偉そうに付け加えた。
部屋の空気が、少し震えた。
男はフッと勝ち誇ったように鼻息を荒くした。
「見ろ、私についた契約印を。・・・ノクリア、出してくれ」
と急に頼むので理解が追いつかないながら、ノクリアは男の服の胸元をゆるめて、左胸についている印を表に出してやった。
そして、ノクリア自身は首を傾げた。何をしているのだろう。
「・・・チ」
と低く不機嫌そうな一声が聞こえて、男はまた勝ち誇ったようにフッと鼻息を鳴らす。
「では、可愛いノクリア」
と男は機嫌よく声をノクリアにかけてきてから、数秒ノクリアを見つめ、それからフッと泣きそうになった。
「あいつを、消してやって欲しい。明かりをつけただけで、消えてしまうから」
「・・・分かった」
じっと見つめ返して、ノクリアは答えた。
ノクリアは、壁を向いた。
大きな体だ。壁一面に打ち付けられていて、骨と組織が点在している。完全に体が消失しているところもある。なのに、会話できるほどの意思が、ここに留まっている。
恐ろしいほどの強者。
それが捕らえられて、こんな風に。
「灯りを、つけます」
「・・・ あ ぁ 」
と嬉しそうに、声がした。面食らう。喜んでいるのが分かったからだ。
ノクリアは術を使った。
『発動:明光』
パァ、と部屋に明かりが灯される。
ノクリアも急な明かりに目を細めた。眩しい。今は魔族の眼だ。白くて眩む。
グッと光に耐えるように目をつぶってしまったのを、男がノクリアの目を手で覆ってくれた。
「成功した。消えた。・・・ありがとう」
と、礼まで言われた。
眩しくて男に顔をうずめるようにしながら、ノクリアは正直に言った。
「何も、大したことはしていない。本当に」
「あぁ。そうだな」
と男が言った。
***
眩しくて目が開けられないので、ノクリアはずっと抱えられて男に目を覆われていた。
矯正具の術はかけなおしたので、身体のふくらみは元に戻した。
だが目薬は持ってこなかった。半日で戻るはずだったからだ。常備するべきなのに、日々使わなくなったから軽視してしまった。猛省だ。
視覚以外で状況を判断せざるを得ない中、わんわん、がふがふ、と犬ががっついて食っている音がする。
どうも、壁のあれまで食べている気がするが、言葉に出して尋ねる勇気が今もてない。
屋敷に戻って、視力も取り戻してからきちんと男に確認しよう。
男はノクリアを抱えて、元の部屋に戻ったようだ。
イフェルたちもまだいるのだろう、
「では人間の王の代替わりを皆にきちんと見せてやらねば、なぁ?」
などと発言している。
ヒィッ
とイフェルが恐怖に息を飲む声が聞こえたが、状態がよく見えないので、発言しにくい。
王座のところに戻ろうと男が愉快そうに言う。どうやら移動するようだ。
***
「さて」
と、恐らく玉座に座り直したらしい男が言った。
「私の妻への行いだが、あれは、お前たちの意思だろう。なぁ、そこの、王よ?」
イフェルの事かと思ったら、答えた声は、きちんと人間の王の男のものだ。
「我々ではない、あの者の暴走なのだ! どうか慈悲を! せめてあの者だけに罰を!」
「はん」
と男は馬鹿にした声を出した。
「良く言う。そう行動するように意図し、動かしたのは見ればわかる。ところで私は温厚な方だとは思うのだが、妻をあれほど苦しめ泣かしたのを、激怒せずにいられると思うか?」
確かに、話しながら、男は再び怒りを取り戻しているようだった。思い出して余計にはらわたが煮えて来ているようだ。
「詫びよう! それに、あれにはよくよく、良いきかせる! だが決して我々の総意ではないのだ!」
「嘘ばかりだ。心底人間どもはろくでもない。妻が頼まなければもうお前たちはこの世にいないのだがな」
男は本気で言っていた。演技などではなく、本心なのだ。
「だが! 考えてもみてください、その方を産み育てたのは、我々です! その方は人間なのです!」
と、王を庇うように、一人が声を上げた。
「知らんな」
と男は冷たく言った。
「生まれ育ちで惚れたわけではない」
「その方を守っていたのです!」
「人間ども。今、死ぬか?」
と男は言った。
「そもそも、ノクリアだから、懇願してきただけだ。他の性格なら、滅ぼしてくれと逆に頼むかもしれないところをな」




