価値
「愚かな問いだが、特別に答えてやろう」
直接口もききたくないと言ったくせに、男は口を歪ませてイフェルを見下して笑った。
「矯正具や目薬で、その性質とやらを抑え込んでいる状態で惚れたのだ。文句のつけようがどこに? 馬鹿らしいな、他人に嫉妬など醜いばかりだ」
あれ。男がイフェルに対抗心を燃やした。
そしてノクリアといえば、目薬の効果が切れてから態度が変わった癖に、と思い出した。内心拗ねた。
一方、イフェルは歪んだ顔でせせら笑う。
「人間の道具で完璧に目くらましされていたの? 大した魔王ですこと」
ギリ、と男が殺気を放ちだした。
ノクリアはハラハラとした。イフェルは、どうしたいのか。まさか、殺されたいの? どうしよう。
そんな気がしてきた。きっと、自棄になっている。ノクリアにさえ、捨てられて。
怖くて、ノクリアの体が震える。どうして良いのか分からない。イフェルを追い込んだのは自分だ。
「お願い。お願い、イフェルを、殺さないで。お願い」
再び涙がこみ上げる。ノクリアは泣きながら自分を抱えている男の胸元をぎゅっと掴んで懇願した。
「お願い、お願い。ごめんなさい、お願い」
男が動揺してノクリアを見た。
「殺せばいいじゃないの。魔王なんでしょ。馬鹿なんじゃないの」
とイフェルは言った。きっと本心で、死のうとしている。
「イフェル。嫌だ。ごめんなさい、私の我儘です、でも、嫌だ、他の人が死んでも、イフェルだけは、死なないで、」
震えながら、イフェルにも訴える。
ハァ、と男が深いため息をついた。
「この私の妻が、このように言っている」
と低い不機嫌な声で、イフェルたちに告げた。
告げられた方は無言でいる。イフェルを捕らえている3人の人間は、顔色を失くして動けないでいる。
「お願い。お願い。私の我儘です。どうか聞いて」
本心からノクリアは訴えた。
「あぁ、もう。本当に」
男が心からのため息で、何かを諦めてくれた。
「分かった。泣くな。分かったから。お前の我儘なら聞いてやる」
「馬鹿じゃないの」
とイフェルが信じられないように呟いた。
けれどノクリアは安心して笑んだ。絶対に約束は守ってくれると信じている。
ノクリアは手の中の犬を片手で守りながら、残る片腕を男の首に回した。
「ありがとう。大好き。ありがとう」
男は無言でノクリアの頭を撫でて、しばらくしてから、
「分かったから、もう泣くな?」
と心配したようにノクリアに告げた。
***
「この様子は皆で見ているわけだが、とにかくそいつを妻が大事に思っている。むしろ、危害を与えるな。害して良いのは、私だけだ」
と男は何かを決めて、言い渡した。
それから、気づいたようにニヤリと笑った。
「そうだ。その女を、人間の代表者、王にしろ。それぐらいの価値を持ってもらわないと困る」
言葉にノクリアは耳を疑い、男の首元から顔を上げて表情を確認した。
実に悪い笑顔だった。
驚いて振り返れば、イフェルたちもポカンとしている。
男は楽しそうに企むようにノクリアを見た。
「そうだろう? お前が大事に思っている者だ。どうして底辺の人間に煩わされなければならないのか。王という地位があるなら、まぁ、仕方ないそうしてやるかぐらいは納得してやろう」
「ま、無理を、なんて大罪を」
イフェルが顔を青ざめさせて必死になったが、男が一瞥して威圧した。あっという間にイフェルは気後れしてものが言えなくなった。格が違いすぎる。
「そちらの言葉など必要ない。人間どもが。本来このように見る必要もない、一瞬で灰になればいいものを、ノクリアが泣くから止めてやるだけだ。私は真実を言っている。人間など、黙って死に絶えれば良いものを」
紛れもない憎悪が立ち昇り、ノクリアは息を飲んだ。
彼も人間を嫌っている。
そうだ、男も、懇意の者を多く失っているのだ。カレンリュイの夫となった人以外にも、きっとたくさん。
フン、と男は鼻息を荒くした。
それからノクリアには笑って見せた。
「犬、戻ったぞ」
「え、あ」
ノクリアの手の中で、犬が動き出していた。
こんな中で、単純にノクリアはホッとした。




