願い事
「私」
「そう。ノクリア。言っただろう。会いに無理やり戻って来たと」
少し憧れるように見つめられて鼓動が早まる。
コクリ、とノクリアは頷いた。手に入れてもらったと、思う。
はは、と男は楽しそうに笑った。
「ノクリア。異世界はやはり難しい。ノクリアも私も、正しく向こうでは生きていなかったはずだ。何よりも私は魔王だぞ。だから」
ここで言葉を切り、男は試すようにノクリアを見た。言葉の続きを引き取る事を促しているのだ。
「だから・・・?」
「思い至らないのか。では私が言おう。『ならばこちらで、我々があの世界のように過ごせる場所を生み出せば良いのだ』。だから、まずは人間を殺してしまおう?」
「駄目だ! お願い」
「そうか。本当に駄目か?」
「お願い」
「分かった、叶えてやる」
ノクリアはホッとした。
なんて会話をしている。
男が魔王で、ノクリアはまるで人間の代表者だ。
そうか、事実その通り。
そうか。私たちは、そんな関係なのか。
「泣くな。耐えろ。ノクリア」
労わるように、男は心配した様子でノクリアがにじませてしまった涙をぬぐった。
ノクリアは目線を上げた。
「続けよう。ノクリアが頼むなら仕方ない。人間を殺すのを止めてやろう?」
「・・・ありが、とう」
「キスで許してやる」
「は?」
思わず問い返すと、男が拗ねたような顔をしていた。理解できない。
キスすれば良いのか? と思って従おうとすると、手の平が割り込んだ。
「待て。・・・どうしてそう上からの指示に従順なんだ!」
「だって、あなたの方の立場が上で!」
「私はノクリアが大事で、そのために戻って来た、無理さえしたと、言っただろう!」
男の癇癪に、ノクリアは言葉を失った。
なんだか理不尽に怒られた。
「あなたは、私に何を求めているんだ!」
ノクリアも声を上げた。
そうしてから思い出した。
そうだった! この男は、本当にしてほしいことは言葉できちんと言わないのだ!
ノクリアは困って眉を下げた。
男は苛立って、ソッポを向いている。
ノクリアは男の顔に両手を伸ばし、そっと自分の方に向け直した。
「ごめんなさい。してほしい事を、言って欲しい。私にできることなら、何でもするから」
「・・・」
男は憮然と口を引き締めて、じっとノクリアを見つめた。つまり拗ねていた。
「何を願って欲しいと思っていた? 人を消さずにいてくれてありがとう。でも、だったらどうしたら良い? 私はあなたと一緒にいたい。それは叶えてくれるんだろう?」
「・・・当たり前だ」
「異世界は難しいんだろう? だったら、この世界。魔族と人間は対立している。・・・魔王のあなたと、今のところ人間の中で一番強い私なら、一緒にいても大丈夫か?」
ノクリアが一生懸命、かつ静かに話している内容は、男を落ち着かせたようだ。
「・・・この世界は、いくら強者でも、たとえ魔王が許しても、魔族と人間が共にいる事は許されなかった」
「え?」
「思いもかけない遠方から、壊されて殺された。この世界の事実だ」
男の手が伸びてきてノクリアの頬を包むので、ノクリアはその手に己の手を重ねていた。
男は続けた。
「ならどうすれば良い? 人間も残したまま、ノクリアと一緒にいる方法は?」
「・・・答えは見つけてある?」
「まぁ、なんとかな」
「分かった、考える。少し待って」
「分かった。構わない。私も会いたかった、ノクリア。私の名は覚えてくれているか?」
「・・・忘れてなどいない」
「そうか」
安心したように男は笑った。
「ではノクリア」
と楽しそうに男は言った。
「考えるのは時間がかかりそうだ」
「そうかもしれない」
とノクリアは正直に頷きを返した。答えを出すために、時間をくれるならありがたい。
「なら、食べていいか」
「え?」
ノクリアは目を丸くして驚いた。男は実に嬉しそうだ。
だが、先程、考える時間をくれるように言ったのに。
なのに、食べるというのか・・・?
ノクリアは混乱した。しかし覚悟した。
「わかった」
と答えたら、無性に悲しみが湧き上がってきて泣きそうになった。
一緒に生きるにはどうしたらと、考え始めたところだったのに。ここで終わりなのか。
ノクリアは悲壮な決意を固めたが、男は異常にニヤニヤしてノクリアを眺めている。
どうしてだろう、私はこんなに苦しいのに男はとても嬉しそうだ。
「あぁもう。だから違う意味だ」
と男は言った。でも喰うということはノクリアは死ぬという事だ。
でも、そう望むのなら自由にしてくれて構わない、と変わらず思った。