試験
ノクリアの吐いた息に、男は抱きしめている力を少し強めてきた。
それから男は言った。
「ノクリア。食べて良いか」
「どうぞ」
答えたら、男は驚いたように顔を上げてノクリアを見た。
何かを言いかけて、若干眉がしかめられる。
「・・・意味を理解していないな」
「いや?」
ノクリアは首を傾げた。なのに男は残念なものを見るような目をした。
「死ぬつもりで言っただろう。死んでどうする。やっと私が来たところに」
「でも・・・それが望みなら、そうすれば良いと思って」
男の言葉に戸惑いながらも正直に答える。
しばし、共に見つめ合う。男は複雑な表情だった。
「・・・ではノクリア。死ぬ前に願いを叶えてやる。私は魔族の王だ。この世界で突出した力を持つ。叶えられることなら何でも叶えてやるから、言ってみろ」
「・・・まるで試験だ」
「試験と分かっているならきちんと答えろ」
男に叱られた。
ノクリアは少しひるんだが、男は真顔でじっと見つめたままだ。
男は、やはりノクリアに何かを期待している。
ノクリアには期待に応えられる言葉を出せる自信が全くなかった。
「正直に言ったら、あなたは怒りそうだ」
「なんだ」
正直な吐露に男は眉をしかめた。
ノクリアの躊躇う様子に、男は次にため息を吐いた。
「怒らないから、言ってみろ」
「・・・」
どうしてこんないたたまれない空気に。
ノクリアはなんだか泣きそうに思いながら、しかし正直に言った。
「・・・私は、逃れたい。誰にも言えなかったが、もう、どこかに行きたい。あの異世界が良い。あなたも一緒に。・・・駄目?」
勇気を出してソロソロと男の顔を見る。男は妙な顔をしていた。微妙に喜んでいるような。
「そうか」
男は優しくノクリアを引き寄せた。驚いた。及第点だったのだろうか。
「分かった。それで良い。ただ、ノクリア。異世界で生きていくのは難しい」
「そうだろうか。あなたが、いてくれれば」
ノクリアは必死で願い出た。男がいてくれれば、前のように過ごせるはずでは。
男は急に上機嫌だ。また胸の匂いを嗅ぎだした。本性が犬なのだろうか。
「駄目? あなたは魔王にもなったし、むこうに戻るのはもう嫌?」
「ふふん。どうしたものか」
ニヤニヤと笑うのでノクリアは焦れた。
「どうしたら叶えてくれる」
確かに我ながら一生懸命だ。
でも叶えてくれるかもしれない。
ノクリアは、ひょっとして矯正具の術を解除すれば良いのだろうかと思い至った。自分の願いをかなえてもらうためには、相手の願いを聞く必要がある。交渉の基本を失念していた。
「なぁ、ではあなたが先ほど希望した・・・」
と訴え続けるのを、男は今度は声を出して笑った。
「必死。可愛いな」
本当に笑っているので、ノクリアは戸惑った。しかも可愛い事は言っていない。
ノクリアに擦り寄って、男は言った。
「人間を全て殺してやろうか」
ノクリアは驚いた。
「止めてくれ!」
「どうして」
「だって、イフェルが・・・。あなたは、魔王だが・・・」
言葉が弱まる。
ノクリアにどうこう言える権利はない。ノクリアは弱者で、男は絶対的な強者なのだから。
「イフェルはそんなに大切か? それすら、人間の策略で刷り込みではないのか。ノクリアは人間にとって強者の一人だ。人間は強者を利用するあらゆる手段を使っている」
「イフェルは違う、ずっと親代わりで、姉で、ずっと、イフェルがいたから今まで・・・!」
「分かった。仕方ない。諦めよう」
男はつまらなさそうにため息をついた。
それからノクリアの顔を確認して、指で頬を撫でた。
「そんな顔をするな。壊してほしくないのなら、仕方ない。全て消すつもりでいたのだがな」
「どうして、」
消すなどと。
分かっている。結局魔族と人間だからだ。
「・・・あなたは。魔王になって、人間を全て消したかった?」
ノクリアは確認した。男はその言葉をノクリアに期待していたのか。
「あなたが強者だ。皆、従う他ない。だけど、許されるなら。お願い、イフェルが生きてる。殺さないで」
「大丈夫だ、いきなり消し炭にしたりしない」
全く安心できない回答だった。ノクリアに覆す権利などないのだが。
ノクリアは苦痛による呻きを飲み込んだ。
「魔王になった。ノクリア。一番欲しいものはノクリアだ。手に入ったと思うか?」
え、と言葉に顔を上げる。
とても穏やかな顔で見つめられていた。




