密談
たぶん6話目
男はノクリアを改めて抱きしめた。それから胸に顔をうずめて匂いを嗅いだ。
「あぁ、本当にノクリアだ。お願いがあるのだが、矯正具を外しても良いか」
「嫌だ」
「ノクリアは私への生贄だぞ」
「聞いてない。知らない。嫌だ」
「嫌なのか?」
と縋るように尋ねられてノクリアはひるんだ。少し言い淀みながらも真実を告げる。
「自分の身体は、嫌いなんだ・・・動きにくいし・・・」
「私は好きだ。なぁ、ノクリア」
男が真剣にノクリアを見上げている。まだ胸のあたりで匂いを嗅いでいるからだ。
「随分良いように使われていたな。衝突があると駆り出されたのは全てノクリアだった」
なぜ知っている。ノクリアは口をつぐんだ。
じっと男が待つので、ノクリアは本音を吐いた。
「あなたが仕組んだ?」
「いや。報告を集めて把握しただけだ」
「・・・どうして、魔族はまだ人間に向かうのだ。大人しくしていてくれれば」
「魔族が人間を忌み嫌うのは当たり前だ。それにノクリア。人間は、ノクリアすら粗末にした。目を覚ませ。人間に縛られるな」
男は確認するように言葉にした。
「人間には、イフェルみたいな人もいる」
「それだが! イフェルは国の名だと言っただろう! ノクリアはイフェルのものだと、なのに国の名でなくあの女のことかっ」
「え、いや・・・国の名だが」
キョトン、と顔を見つめたが男は不満そうにノクリアの言葉を待っている。
「イフ『ィ』ルが国の名で、イフ『ェ』ルが私の保護者の名前だ」
「紛らわしい!」
と切り捨てながら、男はどこかホッとした。
「だが、国名に似た名前の人は多いぞ?」
「関係ない。で、尋ねるが、ノクリアは誰のものだ」
「・・・」
返事を迫る様子に、男が求める回答は察したが、ノクリアは少し困惑した。
「国のものでもあの女のものでも無いのなら、私のものになれば良い」
酷く真剣に訴えるので、ノクリアは微笑んだ。男はほっと表情を和らげた。
「・・・あなたは強者だろう。あなたは間違いなく、今、人間を全て滅ぼすことができる。その意味で、全てあなたのものだろう。魔王を名乗ったからには、魔族の頂点に立ったのだろうから」
ノクリアが男の頭を大切に抱えると、男は愉快そうに笑い声をあげた。
「私に会いたかったな? ノクリア」
「・・・勿論。でも会えないと思っていた。あなたは向こうに残されてしまった」
「色々喰って、力をつけて、戻ってきてやった。お前を追いかけてきたよ、ノクリア」
と男は白状した。
ノクリアはカァと照れた。鼓動が早まる。嬉しいと思ってしまう。もう自分は人類の裏切り者だ。間違いようもない。
「あんな風に日々過ごされて、それで最後の言葉と様子があれだ。どれだけ焦がれさせたか自覚してもらいたいものだぞ」
と男はノクリアの位置をずらして、真正面に覗き込んだ。
「まさか、ネコは食べていないだろう」
ふと心配になりノクリアは確認する。
「もちろんだ」
との答えに安心した。
目の前の男に触れる。
本物だ。
会話もかみ合っている。偽物では決してない。
「会えてよかった。会いたかった」
とノクリアは白状した。
「そうか」
と男は満足そうに目を細めて笑った。
「もう無理だと思っていた。まさか、こんな風に」
「そうか」
「私は、あの日々が特別だった。いっそ向こうに戻りたかったと願ったほど。平和とはああいう暮らしだ。確かに魔族から逃れなくてはならなかったが、でも、向こうが良かった」
「私がいたからだろう?」
男の穏やかな確認にコクリと頷く。
「もう私は自分が何者か分からない。自分が何を願うのかもわからないんだ」
「それは、少し困るな。当てが外れる」
男の言葉に驚いてノクリアは顔を上げた。
男は首を傾げてノクリアを観察していた。ノクリアはその様子に、息を飲んだ。
男は、ノクリアに何かを期待している。
なのに、ノクリアは応えることができないかも、しれない。
男はノクリアの髪を撫でた。
「なぁ。私は魔族の頂点に立った。私が王だ」
その通りだ。コクリ、とノクリアは頷いた。どこか血の気が引いているのを自覚している。