何か
「お前、名は何という」
と相手はノクリアに尋ねた。
背と顔と声から、きっと男だとノクリアは思った。ぐっと口を閉じたまま、相手を見つめる。
相手はまた歪んだように笑った。
「愚かだな。これから、お前を守ってやるものを」
妙な事を言う者だ。だが、困ったことにノクリアの緊張は少し緩んだ。
ノクリアが別世界から突然来た身寄りのない者だと、分かってくれているように思えてしまったのだ。
「ネコどもがお前を守ってくれるものか」
「お前は何だ。ノクリア。悪い事は言わない。そいつと関わらない方が良い。今なら、我々が共にいてやろう。その方がずっと良い。こちらに来い」
ノクリアの代わりに、ネコのボスが立ち上がって尋ねた。他のネコたちも、警戒してノクリアたちを見つめている。
「たかが数年生きているだけのイキモノが、何を偉そうに」
相手はまた歪んだように笑った。
思わずノクリアはその顔に手を伸ばした。あまりに、歪みが酷いと思ったのだ。手を添えて、治療してやろうかと。触れた手に、相手は驚いてノクリアを見た。
相手の驚いた顔と、それから触れた感覚に、ノクリアは自分がこちらでは術を使えないのだったと思い出した。
「すまない。つい。何もできなかった」
ノクリアは詫びた。
相手はわずかに眉をしかめたようだった。
ノクリアはネコたちに目を遣った。
「・・・術の使い方を、教えて欲しいのですが」
「教えてやろう。こちらに戻ってくれば」
茶と黒の模様のネコも、ノクリアを招く様に呼びかけた。
「ノクリア」
「ノクリアという名か」
ノクリアの片腕を掴んだままの者は、楽しそうに言った。
「名を、覚えたぞ」
それから、腕をひき、ノクリアをくるりと反転させた。相手とノクリアは向き合った。
ノクリアは抵抗を示した。
「あなたは誰だ。あなたの名は」
「聞く程でもない。お前が知らぬでも良い」
「・・・何か、来ている」
ふと他所を見て、ネコの1匹が呟いた。
腕一本だけなのに動きを抑えられているノクリアは、視線だけで周囲を見やった。
ネコたちは、それぞれ別のところを凝視している。ノクリアには何も見えない宙を見ている。
毛を逆立て始めた。
「ネコにどうこうできるものか」
とノクリアの頭を抱えるように、相手は言った。
ギャァ、と一匹が恐ろしい声を上げた。どうやら威嚇だ。
シャァ、と他のネコも威嚇を始めた。
ネコのボスがグルリと宙を見回し、それからノクリアを見る。
「敵か、エサか」
「それはどういうこー」
ノクリアのボスへの質問は、対峙する男がノクリアの頭を抑えつけたために封じられてしまった。
「黙っていろ。新参者が、調子に乗るな」
まるで守っているようだ、とノクリアは思った。しかも後半は、ノクリアではなく他の誰かへの警告のように思えた。勘違いかもしれないが。
どうしてだ。
狙われているのは、私なのか。異世界からの者は狙われるのか?
この者? 私を守りに現れたのか? なぜ。
ノクリアは思考を巡らし、ハッとした。
・・・ひょっとして、昔に、私と同じように、この世界に交換された者なのでは。
ノクリアは顔を上げようと身じろぎしたが、頭を抑えつけられたままで動けそうもない。
むしろ動きに気付かれて、さらに頭をまるで壺のように抱え込まれた。少し苦しい。
呼吸のために空間を確保しようと腕を相手につけたが、ゆらりと布のような感覚があっただけ。押し返せない。妙だ。
「数が多いが、防げるのか?」
ネコのボスが、せせら笑うようだった。
「下等生物が生意気だ」
とノクリアの頭上から呟きが落ちてくる。
その呟きはしっかりネコたち拾われたようだ。
「我々を馬鹿にして、くたばれば良いさ。あぁ、残念だノクリア。別の世界から、せっかく来たというのにな」
ネコのボスの、憐みあざける声がする。
「待ー」
「黙っていろ!」
苛立ちでまた抑え込まれた。
ヒュゥ、と強い風が吹いた。
バサリと自分の衣服が大きく翻る。
ズン、と肩に酷い重さが乗った。ノクリアは膝をつきそうになったが、つかなかった。傍の者がノクリアを抱え込んでいたからだ。
ギニャァ、とネコたちが鳴き始めた。
シャッと威嚇して、宙に突きを繰り出しているネコもいる。