あるまぞくのはなし
男にとって、一瞬で心を奪われるなど初めての経験だった。
戦場の中で、風の噂には聞いていた人間の強者と出会ったのだ。
ただし彼女は男にとっては数段も格下だった。
衝撃波を一つ放っただけで、人間側の軍勢は一瞬で塵と消えた。
彼女だけが残ったのは、ただ、衝撃波一発よりは強靭だっただけだ。
人間ならば消えるところを残っているので、男は他も連れてその者の様子を確認しに行った。
確実に息を止める必要はあるが、どのような者だったか知る必要もある。
近づけば、息絶えてこそいないが、身動きすらとれず、ただ1体、地に転がっているだけだった。
男は眉を潜めた。周囲も気づいたようだ。
「人間は魔族の能力を取り込んでいます」
傍の者の苦々し気な言葉に、男は頷いた。
本当に、人間などなぜ生まれてきたのだろう。滅ぼすべきこの世の罪だ。
生き残っているたった1体は、人間ではなく、魔族を直感させる姿をしていた。
もう動く事も出来ない様子に、男は一人で向かうと周囲に告げた。
相手は人として戦っているが、その中に濃い魔族の血が流れているのは疑いようもない。
恐らく昔にこのために捕えられ利用され尽くされただろう魔族に、敬意を払いたいと思ったのだ。
それに倒れている1体と男の差は歴然としており、万が一にも男が害される恐れはない。
だからこそ、自らの手で最後の一つを始末しようと。
男が近寄ると、それは敵意を込めて男を見上げた。
皮膚も先ほどの衝撃を受けて破れていたが、庇ったようで瞳は綺麗に輝いていた。
その眼差しに、男は度肝を抜かれて思わず足を止めてしまった。
美しいと、何の損得も無く思っていたのだ。
欲しい、と急激に欲求が湧き上がる。
美しい。自分よりは下だが強い者だ。
あぁ、心を奪われる。
男がそのように思ったことなど、今生に一度も無かった。
男は思うままに提案をした。
この者が欲しい。間違いなく女だ。この者は得難い、美しい、強い、私の妻だ。
そうなって欲しいと切実に思う。
これが恋焦がれるという感情か。強者すぎる者にはなかなか起こりえない感情の一つ。
戦場で奇跡を願う。
そして、その奇跡は叶えられた。
***
男は魔王の側近の一人だった。
婚姻を、男は魔王やその周囲には念のために報告した。
人間側に捕えられた魔族の血を色濃く継いでいる者だ、という偽りない報告によって、結果として婚姻は承認された。妻の手綱を男がとりさえしていれば、まぁ問題なかろう、という判断だった。
これで憂う事は無い。
それに、男は美しい妻を他の者に見せる事は決してしたくなかった。
婚姻が無事承認されたのは、皆が妻を一度も見ていないからだと男は信じていた。
彼女は真実美しい。
魔族の強者の種族、それも昔に血が薄れて消えたという種族の特徴、伝説のように語り継がれる特徴をよく表している。
彼女が男のただ一撃に負けたのは、彼女が結局人の身体に宿された命だからである。
間違いなく人の血肉も混じる彼女は、魔族の血の通りに力を振るう事は出来ない。
それに、彼女は人の中で、魔族の特徴を抑え込まれて生きていた。恐らくは彼女が魔族に近づきすぎるのを嫌ったのだろう。だからこそ彼女の能力は、まだ磨かれる前の原石の状態に留まっている。
だが彼女は真実美しく強くもある。
だから、決して他の者には渡さない。
それに、妻も男に心を奪われている。
まぁ、両想いの夫婦の仲を裂くような不道理など、例え魔王であってもするはずないが。