正しく降り立つ
「あなたは、どうなるんだ」
危機感だけはきちんと感じ取れて、ノクリアは相手を掴んだ。何も変わらないように思えるのに、すでにいつもの半分だというのか。信じられない。
「陽動は、負けて消えるだろう。だが、半分あれば、ノクリアを本来の場所に降ろしてやれる。すまない、無事でいてくれ。勝手で済まないが、本体の場所に来て欲しい。傍に来てくれれば、たとえ封印されたままでも、ノクリアぐらいは守ってやれる。・・・きっと声も何も出せないが。それでも私なのだから」
そこまで言って、男は顔を歪ませた。
ノクリアを抱き寄せて、ふと笑う。
「いつもと違う」
と男は言う。
もぞりと動いて顔を見ようとしたが、抱きしめられていて見れなかった。
「こっちが本当の姿か。前のままで十分魅力的だったが。あぁ、手放すのが惜しいよ。頼むから、生きていてくれ。他のものになど喰われるな」
「喰われるものか。私は、生き延びなくてはならない」
ノクリアの返事に、男はまた笑った。
「やはり声が違う。こっちの声も良い」
魔族に近い声なのだろうか。ノクリアは不安になるが、確かめる余裕は無いような気もして問えないでいる。
「あぁ、私は本当になんてことをした」
男は悔やんだ。
「もう少しで、せめて、たどり着けたのに。頼む、決して捕まらないでくれ」
男が動いたので、やっと顔を見ることができた。
「捕まらない。約束する」
ノクリアの言葉に、男は悔し気に泣きそうになった。
ノクリアは男の背を抱きしめた。
「大丈夫だ。きちんと生き延びて、あなたの本体のところに行く。それで良いんだろう。あなたの本当の姿を見る・・・あぁ、おあいこだな」
余裕ぶってノクリアが笑ってみると、おかしそうに男は薄く笑ってくれた。
「言っておくが、決して私は大ナマズではないぞ。こちらで暴れて戦った結果そのように見えただけなのだから」
「分かった」
「封印の姿も、私本来の姿では無い」
「分かった。では封印を解いたら、本当の姿をみせてくれ」
「今と変わりがないんだがな」
「そうなのか?」
少し驚いたのを、男はどこか眩しそうに見返してきた。
「ノクリア。私の名を教えておく。口には出さない方が良い。一度しか言わないから、覚えてくれないか」
「分かった」
真剣に願うように言うので、ノクリアは素直にうなずいた。
耳元で、小さく囁かれた。
『ルディゼド』
思わず復唱しそうになったのを、男がノクリアの口を手で抑えて止めた。
それから、悲しそうに笑った。
「あぁ、向こうの半分がもう消えそうだ。本当に、すまない。元気でいてくれ」
「なにを、まるで今生の別れのように・・・」
慌てて話すノクリアの口元を、男はまた軽く指で押さえて止めてしまった。
「良いか。すまない。愛していた」
男は告げるまま、ノクリアにキスをした。
そして、強く息を吹き込まれた。
グッと空気の塊が入ってきてノクリアは咳き込みそうになった。それを男は抑えつけて許さなかった。
パリン、とどこかで何かが割れた音がした。
次の瞬間、ドン、と身体に急に圧力がかかった。
思わずよろめいて、膝をつきそうになり・・・ノクリアははっと目を上げた。
目の前に、男の姿の欠片も無く。
代わりに、他に誰もいなかったはずなのに。大勢の人たちが前の道に溢れかえっていた。
無意識のうちにノクリアは天を見つめ・・・それからまた目の前の光景を見つめた。
いつもより、身体が重い。
きっと、術を解かれたからではない。
世界に厚みを感じた。質量も。
きっと、これが本来の異世界。やっと、本来の場所に降り立ったのだと、理解できた。
***
この場所は、あまりにも騒がしい。
大勢の人が行き交い、鉄でできた箱が動いて人を運んでいる。
人々があまりにも変わった服装で、しかも皆がバラバラの衣装で驚いた。色も形式も統一されていない。
並んで歩いているくせに、違う様相をしている。
いや、同じ様式の服もあるようだ。色は違うが、形式は似ている。きっと所属しているところが同じなのに違いない。
犬が鎖でつながれて、人と並んで歩いている。とても小さいので驚いた。
こちらの世界の犬が小さいのか、それとも小さいのを好んでいるのかも分からない。
建物の中で、箱が上下に移動している。他の場所では、明るい光が灯されている。
ノクリアは世界を見つめる。
この世界は、ノクリアに注目していないように思えて、安心した。