交換
ドン、と急に体が重くなった。
えっ
突然、ノクリアは、身体のバランスが取れなくなった。ぐらりと傾ぐ。
ガシャーン!
派手な音、そして自らは肩から落ちた。
・・・落ちた?
私は倒れたのか。
カラカラカラカラ・・・
何かが回っている音がする。
ノクリアは慌てて身を起こし、身体を引きずるようにして、カラカラと音を出す車輪のついたものから、少し離れた。
それから、固唾を飲んで、周囲を見回す。
見慣れない建物。ここは外のようだ。
薄暗い・・・夜なのか? それとも朝方なのか?
それから、これは・・・。
ノクリアは未だに音を出している車輪を眺める。
それから、痛む肩に手を遣った。
異世界。
間違いないないと、ノクリアは思った。
ならば、術は成功したのだ。
自分は、勇者と置き換えられる存在。つまり、直前まで勇者がここにいたのだ。
「ふ、はは、ふふふ、は、くくく」
嬉しくて一人、ノクリアは密やかに笑う。
成功だ。成功した。
自分も、その一端を正しく担った。
ふ、ふふふ
少し笑って、それから気を引き締める。
肩は痛いが、大したことはない。治してしまえば良い。
ノクリアは、術の詠唱のために口を開いた。
『発動:癒し』
ノクリアは、違和感に瞬きした。
再度、唱える。
『発動:癒し』
「発動・・・いや待て、『発動:光灯』」
ノクリアは、真顔のまま、光るべき己の手のひらを見つめた。何も起こらない。肩も痛いままだ。
ということは。
聡明なノクリアは結論を持った。
この世界では、術は使えない、のか。
ふぅ。
ため息をついてから、不安になる。
まさか。なんという事だ。
術が使えない世界から、勇者を招いたというのか。
それで、魔王を倒せるというのか?
覚悟していたはずなのに、ドクリとノクリアの心臓が嫌な音を立てる。
もし、勇者が向こうの世界で死んでしまえば。
ノクリアは残されたままになる。
異世界で死んだ勇者と同じ様に、ノクリアもこちらで死ぬ以外ない。
「お願いします。皆。イフェル。どうか、助けを」
ノクリアは、祈った。
けれど、大丈夫だ、とも己に言い聞かせるようにする。
皆がノクリアと勇者が交換だと知っている。
だからこそ。向こうの世界は、勇者に最善と全力を尽くすのだ。
世界のために。そして、ノクリアを戻すために。ノクリアは、勇者の世界に対して差し出された人質なのだから。
そうだ。だからこそ。
それでも、勇者が死んでしまったのなら。もう文句が言えるはずもない。
皆が手を尽くしても、その結果だというのだから。
知っている。分かっている。分かっていて、この使命を負っている。
ギュッと目を閉じて、ノクリアは己に使命をしみこませる。
***
「お前、何だ?」
立ち尽くしていたノクリアは、足元から聞こえた声に、目を開けた。
「私は。ノクリアだ」
と答えると、再び問われた。
「人間か?」
「人だ」
と返す。
「お前、タクマをどこへやった?」
じっと大きな目で見つめられている。茶色と黒の模様のネコだ。
「タクマとは」
確信があったが、ノクリアは尋ねてみた。
「人間だ。この時間、いつも自転車でこの道を行く」
「・・・答えるには、あなたが何者かを知りたい」
慎重になったノクリアに、ネコはギラリと瞳を煌めかせた。
「その自転車は脇に避けといたらどうだ。そのままでは人間が騒ぐ」
「自転車、とはこれのことか」
車輪を持っているものを指差すと、ネコは耳をピクリと動かした。それからニィ、と笑う。
「お前。世界を超えて来たんだろう」
「どうして、知っている」
ネコは得意げに、歩みだした。
「タクマの自転車、きちんとしておけ。それからついてこい。ボスに会わせよう」
「あなたは、何者なんだ」
初めて持つために手間取りはしたが、『自転車』を道の脇に寄せて、ノクリアは案内するネコについていく事にした。