変化
男が息を飲んだのが分かった。
ノクリアが見上げると、さらにまた息を飲んだ。
それから男は破顔した。魔族らしくなくあまりにも晴れやかに。人間でもこんなに嬉しそうな顔を見たのは初めてだと、ノクリアは思った。
「ノクリア。私もだ。お前が好きだ」
声に喜びが滲んでいた。
「ノクリアはそういう目では見ていないのだと、思っても、いた」
男が嬉しそうに手の平で顔を包む。
男の態度が変わったのが分かった。今までは、指の背で触れるのがほとんどだったのに。
心を許してくれたのかと思うと、心がムズムズとした。顔にますます熱が集まるのが分かる。
俯いてしまったのを、またチラと見上げる。
どうしてだか気恥ずかしさが優ってまともに顔が見れない。
これが好きとか恋なのか。
などと思うのは、自分を落ち着かせるための思考なのだろう。
「魔族だが、構わないな?」
と男は優し気に尋ねてきた。喜びで顔が晴れやかなままだ。
「好きだ。いつも守ってくれている。食料も。眠る場所も」
正直に頷き答えてから、相手が魔族だという考えが膨らんでノクリアの顔は曇る。
人間と魔族は敵だ。お互いを滅ぼそうと全力で動いているのに。
私は何をしているのか。いや、私たち、か。
「戦う間柄だというのに」
ノクリアの言葉は震えてしまった。
男はノクリアの頭を撫でてきた。いつもは犬の姿を撫でてやっているのに逆転したらしい。
「ノクリア」
「あなたも、事あるごとに愚かだと、人間を蔑む。私は人間だ」
「知っている。それでも好きになる」
優しい言葉に、ノクリアの本音がボロボロと零れる。基本的にノクリアは嘘がつけない。黙るか真実を話すかだ。
「私の、目が魔族のものでなければ、態度も変わらなかったくせに」
「・・・だが、その目で生まれたのがノクリアだろう」
見上げると、男は宥めるように穏やかに笑んでいる。余裕があるようでなんだか不公平だと思ってしまった。
拗ねた気分が筒抜けになったのか、男は穏やかに、言い聞かせるようにしてきた。
「正直に答えよう。その目だから扱いが変わってしまった。認める。人間は愚かで滅べば良いと、思っているのも事実だ。だが、その目だからノクリアだろう? 目を好んだわけではない。その目を持つノクリアが好きだ」
「私が、人間どおりの姿ならば、優しくしてくれなかった」
「それは事実かもしれないが。だがその目を持たないノクリアはいない。・・・すまない。私が、人間だったら、良かったな」
男の言葉にノクリアは驚いた。顔を上げて見つめる。
「人間を罵っているくせに」
「人間は魔族を忌み嫌う。私が人間であれば、ノクリアは喜んだのかと、考えてしまう」
ノクリアはまじまじと魔族を見た。
そこまで思ってくれているのか?
ノクリアはそこまでは思えていない。この男のために、自分が魔族であればよかった、などと。
驚いているノクリアの頭を、男は優しく引き寄せて抱き寄せた。
「ノクリアの瞳に魔族の血が残っているように。魔族と人間も婚姻を結んだ時代もあったと聞く」
何を言い始めるのか、と思うが、抱きしめられてノクリアは動悸を覚えた。今まで抱きしめられても、こんなにドキドキすることはなかったのに。
「大切にする。まずは生き延びなければな」
と男は笑い、抱き寄せたまま、ノクリアの頭頂にキスをしたようだ。
カァとまた自分が赤くなるのが分かった。
もぞりと動いて顔を見合わせる。
呆けているノクリアに、男はおかしそうに楽しそうに笑った。
「どう思っているのか当ててやろうか。魔族の癖に変な奴だ、などと思っているのだろう」
そんな事思っていなかった。
ノクリアは目を丸くして口を開こうとした。
男はまた楽しそうに笑った。
「魔族の方が、人間より情に厚いのだぞ」
嘘だ、と思うがその方が嘘のような気がする。実際、男の方が自分より愛情深い気がするからだ。ノクリアは笑顔に見入りながら、気が付けば頷いてしまっていた。
「苦しいなら、鼻で呼吸を」
男が笑いながら、顔を近づけてきた。
魔族などには見えない。むしろ人間よりも人間らしい。
ノクリアは瞬く。キスをしていた。
軽く息を吸われて、フゥと吹き込まれる。
苦しくなったので鼻で呼吸という言葉を脳内で反復する。苦労する。
一度離されてからもう一度。
なんだか今までとは様子が違う、気がする。お互いが好きだと言い合っただけなのに。
離れた時、相手は今までとは違い、とても幸せそうだった。
そんな顔を見せられて、嬉しくならないはずがない。