会話
男はしばらく無言でノクリアを抱きしめていたが、目を伏せがちにスッと離れた。
この男は魔族なのだろう、おそらく。
とノクリアは思った。
瞳が魔族のものだと分かって態度を変えたのには、それしか理由が思いつかなかった。
本来の瞳のままにノクリアが見つめていると、男は視線に気づいて自嘲し口の端を曲げた。
「事情を教えてくれるのだろう?」
少し慎重に尋ねたのは、男が言葉を翻す危険を恐れたからだ。
ノクリアの問いに男はまた少し目を伏せ、何かを話そうとして迷ったようだ。その後でノクリアの瞳をしっかりと見返してきた。
「良いだろう。知っていた方が良い」
男は立ち上がり、スィと手を差し出した。差し出してから、男は自分の行動にためらいを覚えたようで指がピクリと動いた。
ノクリアは行動の不可解さに少し首を傾げ、しかし一人で立ち上がれるので手は取らずに立ち上がる。
男が気まずそうに顔をしかめたので、詫びておく。
「すまない。そういう気遣いに慣れていない」
「そうか」
と男は言った。
***
男と並んで、また道を歩く。
良い天気だ。穏やかな風が時折後ろから前に通り過ぎている。
もう日は輝いている。
なのに、何にも会わない。さすがに違和感があった。
ノクリアは並ぶ男をチラと見る。
約束通りに事情を教えてくれると言ったまま、男は静かだ。ただし考え事をしているのだろう。黙々と歩きながらも、目を伏せる。
なお、方角は男が指示した。
行く当てもないので、とりあえず話を聞くためにもノクリアは従っている。
「・・・この場所は、エサ場だ」
やっと口を開いた男が、ポツリと言った。
意味が分からないので、ノクリアは歩くまま男を見上げる。男もこちらを向いたのでまた視線があった。
男の表情は静かなままだ。それから、周囲を見るようにして男は前方を向き直す。
「お前は、正しくは、異世界にきちんと降り立てていない」
意味が分からないので、ノクリアは首を傾げるようにする。ノクリアの疑問は、言葉にしなくても男の想像の範囲なのだろう、すぐに言葉が続けられた。
「例え話だが。蜘蛛が網を張るのは分かるだろう。ノクリア」
「あぁ、分かる」
「網に囚われる虫は、向こう側に行きたかっただけだ。網があるので、引っかかる。それを蜘蛛が喰らう」
「そう、だな」
「お前は網にかかった虫だよ。行こうと思った場所に、正しく届いてなどいないのだ」
「・・・本来の勇者のいる世界とは別のところに私がいるという事か?」
「タクマとやらが、お前の代わりに向こうに行った。つまりこの世界が目的の場所だ。ただし、お前がきちんと降り立てていない。目的の場所の、ほんの少し手前の、我々の網に、お前はかかってしまったのだ」
ノクリアは瞬いた。
我々、と男が言ったからだ。
男はどこか優し気にノクリアに教えた。
「やはり愚かだから気づきもしないか? この場所には、お前と私、他には、アレらと、ネコ。他に何か生きているものに会った事は?」
「ない」
「本当の場所に、お前が辿り着いていないから。網を張ったもの、それを知る私、網の隙間を見ることのできるもの、そしてお前に気づいた者しか、お前は会えない。・・・もうお前は捉えられている。生きていくのは、まず無理だ。私が生かそうとしない限りは」
ノクリアは少し呆けた顔をしていたらしい。
男は憐れんだ顔をノクリアに向けた。
「愚かしいな」
と男は労わるように、一人ごちた。
ためらいながらそっと手を伸ばしてくる。身構えたが、そっと慎重に追ってきてノクリアの頬を指の背でなでた。
「どうして、人間の方が魔族より優れていると勘違いをしている? 人間の術が魔族より優れている事など何一つない。時期こそ掴めないでいるだけで、術自体が何を行うのか、魔族に分からないとでも。そんなのだから、滅びれば良いのだ。人が消えた方がよほど平和だ」
勝手に語られる言葉にノクリアはムッとした。
男の手をパシッと追い払う。
「冗談ではない。魔族など世の悪でしかない。滅びれば良いのは、お前たちだ」
男はノクリアに文句を言い返そうとしたようだが、ふと何かに気付いた。
「私が魔族だと、話したか」
「・・・今更だ。それしかないだろう」
苦々しい。
「そうか」
と、言った男の顔は、魔族らしくなく穏やかだった。




