第七話 彼女が描くもの
まだまだ話は続きます。
彼との再会から数日、翔子は周囲に何でもないように振舞いながらも、陰鬱な日々を過ごしていた。
翔子の人生を支えていたものがロックなのであれば、それはあの仮面バンドが奏でた轟音と共に音を立てて崩れ去った。
ロックとは何であったのか? それに突き動かされていた自分は何であったのか? 答えはどこにもない。
「おい、翔子、翔子ってば!」
「え・・!? どうしたの茉希?」
いつものように、部室でセッションしようとしていた翔子たち。何やら考え込み、いつまで経っても演奏を始めない翔子は、茉希の大きな声でふと我に返る。
「どうしたのじゃねーよ! ボーっとしちまって、この前から変だぞ!」
「・・・あのバンドのせい?」
「ごめん、本当に何でもないの、気にしないで。」
誤魔化す翔子を訝し気な目で見つめる茉希と杏奈。ずっと一緒にいる二人は、翔子の変化を顕著に感じていた。
そんな三人の元へ部長の晴斗から声が掛かる。何やら見慣れない女子を連れている。
「翔子、お前に客だぞ。」
「私に? この子が?」
「初めまして、高岡 翔子さん♪」
ウェーブのかかったロングヘアにヒッピーみたいなヘアバンド、かわいいが何だかラブアンドピースな感じの少し変わった少女だ。
その少女は大きな瞳をクリクリさせ、愛嬌たっぷりに翔子へ挨拶をした。
「私に何の用かしら?」
「あたし、矢須 汐里、美術部二年生よ。あなたに絵のモデルになって欲しいの♪」
「はい? モデルって、何で私が?」
翔子は驚いたのもあったが、結構露骨に嫌そうな顔をする。しかし汐里は全く動じない。
「特に理由はないの、あなたを描いてみたくなっただけ♪」
「ごめんなさい、あまり気分が乗らないわ・・・。」
丁重に断る翔子だが、それでも汐里は笑顔のまま諦める様子はない。
「う~ん、じゃあゲームをしましょ♪」
「ゲーム?」
「あたしが勝ったら、モデルになって! あなたが勝ったら諦めるわ♪」
「ちょっと、何勝手に決めてんのよ。そんなことして私に何のメリットがあるのよ!?」
汐里の傍若無人な態度にイラッとする翔子。しかし段々彼女のペースに呑まれていく。
「ゲームの内容はあなたが決めていいわ♪ あなたの得意なもので。」
「だから私は!」
「それとも~、それでもあたしに勝つ自信がないってことなのかな?」
翔子の頭の中で何かがちぎれる音がした。正直今はこの前の彼とのことで頭は一杯で、こんなどこの馬の骨とも知れないヒッピー女に構っている余裕はない。翔子は不敵に微笑み、汐里の目を見つめる。
「・・いいわ。ただし、あなたに勝たせるつもりないから。」
「何でもいいよ。あたし負けないもん♪」
満面の笑みを浮かべる汐里に、翔子は更に気分を乱される。
翔子は怖い顔をして、部室の奥にいた真人を呼びつける。
「真人、ちょっと来てもらえる!」
「え、え!? どうしたの?」
真人は只ならぬ翔子の剣幕に、少し恐怖しながら彼女たちの元へ歩み寄った。
「悪いんだけど、適当に何かの曲のギターリフを弾いてくれない?」
「え? 何でいきなり?」
「そこのヒッピーに身の程を知ってもらうわ!」
翔子の考えたゲームはこうだ。真人がギターリフを弾いて、その曲が何の曲か分かった段階で手を上げて答える、単純なクイズである。全5問で、先に3問正解した方の勝ちだ。
もちろん、軽音部でロックをこよなく愛する翔子にとっては、大人げなさすぎる勝負であった。が、とにかくこの目の前のヒッピー女の鼻っ柱をへし折ってやりたい。
「ふ~ん、中々面白そうじゃない♪」
「吠え面かかないでよ。さあ、真人、初めて!」
「う・・うん。」
真人は緊張した面持ちでギターに手をかける。
シーンとした部室で皆が注目する中、弦がストロークされ、2秒くらいで翔子が手を上げた。
「簡単簡単、 ニルヴァーナのスメルズ・ライク・ティーン・スピリットでしょ?」
「せ・・正解!」
「わぁー! 高岡さん早い!」
得意げに顔を上げる翔子。部員たちからも歓声が上がる。
汐里はまだまだ余裕そうな感じであった。
「う~ん、あたしもちょっと本気出さないとかな♪」
「もう遅いわよ。真人、次頼むわ!」
真人は再びギターに手をかけ、何かの曲のメロディーを奏でる。
「はいはーい! 次は私の番ね!」
「早! こんなんで分かるわけ・・・。」
汐里も先程の翔子と同じように、数秒で手を上げて真人の演奏を止める。
さすがの翔子も、まだ何の曲かは判別できていない。部員たちもまさかこのタイミングで彼女が答えを出せるなど思ってもみない。
「ずばり・・スウェードのビューティフル・ワンズね♪」
「う・・うん。当たり!」
「やったー!」
「嘘でしょ!?」
無邪気に喜ぶ汐里。真人も翔子も目を見開いて驚き、軽音部員たちも騒然とする。
「ま・・まあ、ビギナーズラックって奴ね。真人、次お願い!」
「あ、ううん。」
翔子にとってこんなゲームなどやる意味はなかった。ロック好きである自分が絶対に負けないゲームを考えたはずだったのだから。
しかしこのラブアンドピースを絵に描いたようなヒッピー少女は、翔子の予想の遥か斜め先を行っていた。
「はーい! 分かっちゃった!」
「ぐ・・そんなにまぐれは続かないわ!」
「え~と♪ ジャムのザッツ・エンターテイメント!」
「う・・・正解!」
またもや数音で汐里は答えを出す。
これではこんな出来レースを考えた意味がないと、焦る翔子。正にサマーオブラブ。汐里の独壇場であった。
このヒッピー少女、頭の中お花畑と見せかけて、とんだ食わせ者だ。
そして、真人は運命の4曲目を弾きだす。皆が固唾を呑んで見守る。
「これで最後ね!」
「え、ちょっと待って!」
「か~んたん♪ イギー・ポップで、ザ・パッセンジャーね!」
「あ・・その・・・正解です。」
「わ~い♪ やったー!」
その瞬間、翔子の敗北が決定した。両手を上げて天真爛漫に喜ぶ汐里を見つめて、翔子は呆然と立ち尽くす。
茉希や杏奈たちも動揺を隠せない様子だ。
「信じられねー、ロック馬鹿の翔子が負けた・・・。」
「・・・ヒッピー恐るべし。」
「じゃあ、決まりね♪ 早速行きましょう♪」
「ま、待って、まだ準備が!」
躊躇する翔子の手を掴み、汐里は廊下へと駆け出した。
あの翔子を振り回す汐里に誰もが愕然とし、飛び出していく二人の後姿を見つめていた。
★
翔子は汐里に無理矢理連れられ、着の身着のまま校舎の四階奥にある美術室に辿り着く。負けたのだから仕方がない。
壁際にはモデル用の彫刻、至る所にイーゼルが並べられ、美術部員たちはキャンバスに絵を描いている。
そこに現れたのは、学校中の憧れの的であり、正に美の女神。皆翔子に注目する。
「あ、あれ高岡さんじゃん?」
「矢須の奴本当に連れて来やがった。やっぱ何するかわかんねーな、あいつ。」
「真近で見ると超美人!」
「仲良くなるチャンス!」
美術部員たちの好奇の目が注がれる中、見かねた汐里が声を出す。
「ちょっと、あたしのお客さんなんだからね! じろじろ見ないでくれる! 特に男子!」
汐里の発言で、皆慌てて翔子の方から目を逸らした。
「さ、行きましょ♪ 高岡さん!」
「う・・うん。」
慣れない環境に戸惑う翔子。汐里は気にせず、皆から少し離れたところに翔子を座らせ、自身のイーゼルにキャンバスを置いた。
椅子に腰かけ、得意げに翔子に向かって鉛筆をかざし、微笑む汐里。
「物憂げな美少女。やっぱり思った通り、絵になるわ♪」
「そ・・そう?」
「でも少し緊張しすぎかな。お喋りでもしましょ♪」
汐里はデッサンを始めるが、描きながら翔子の緊張をほぐそうと会話を切り出す。
当の翔子もこの謎のヒッピー少女に興味がわいていたところだ。
「矢須さんだったかしら? ロック詳しいのね。」
「汐里でいいよ! そうね、ロックは昔から大好きだから♪」
「私も翔子でいいわ。そんなに好きなのに、汐里はロックバンドとかやらないの?」
翔子は不思議そうに問いかける。満面の笑みでキャンバスから顔を覘かせる汐里。
「何もギターをかき鳴らすのだけがロックじゃないでしょ?」
「・・え?」
「あたしのステージはこれ♪ だからあたしは、描きたいものを描くの! それってロックでしょ?」
「・・・!」
汐里の自由奔放さに思わず笑みが零れる翔子。翔子と形は違えど、彼女の生き方は正にロックであった。
不思議と心開かれていく翔子は、汐里に今の自分の悩みを打ち明けてみる。
「昔ね、ロックは無敵の魔法だって行ってくれた人がいたの。だからどんなに辛くても、私はそれを信じて生きてきた。」
「素敵なお話ね♪」
「だけど今になって、本人からそれは子供の夢だったって言われちゃったの。ロックは魔法なんかじゃないって・・・。」
俯いて儚げに笑う翔子を見て、汐里は表情を変えて徐に立ち上がった。
「ハードロック、グラムロック、パンク、メタル・・・誕生してからこの半世紀あまりで、ロックは目まぐるしく変化してきたわ。翔子は何故だと思う?」
「不完全なものだから・・・かしら?」
「そうね、確かにロックは万能ではないわ。でも不完全だからこそ何にでも変わる余地があった。だからロックは美しいんだと思うの♪」
「不完全だから美しい?」
「だって、完璧過ぎるものなんてつまらないじゃない♪」
その胡散臭いヒッピーみたいな見た目と異なり、汐里の言葉には何とも言えない重みがあった。
翔子は何かがのしかかっていたような体の重みが、スーッと抜けていくような感覚を覚えた。
「でも忘れないで。彼が何と言おうと、翔子が信じている限り、ロックはいつでも共にあるわ!」
「ありがとう汐里・・・。何だか少し吹っ切れた気がする。あなた、宗教の教祖様になれるわね。」
「それじゃあ、翔子が信者第一号ね♪」
「考えとくわ。」
彼女らしくない真面目な顔から一転、二人は皮肉めいた冗談を交える。
汐里は興味深げに、少しニヤッとして翔子の元へ歩み寄ってきた。
「それより~♪ そんな辛気臭いことばっか考えてないで、翔子も恋でもしてみたら?」
「な・・私は別に・・・。」
「で、軽音部では誰が翔子の好みかな♪ イケメンの部長さん?」
「晴斗はただの幼馴染だし!」
急に下世話な話をし出した汐里に、翔子は顔を赤らめる。本当に彼女の言動は、自由奔放で予想がつかない。
「じゃあ、以外にも今日ギターを弾いてくれた眼鏡の子だったりして♪」
「真人もただの友達!」
「あたし結構あの子タイプかも。翔子が大丈夫なら付き合っちゃお~かな♪」
「もう、勝手にしなさいよ!」
先程とは違って、こういうお道化た態度の汐里は鬱陶しい。確かに、今の翔子にとってはそれどころではなかったのだが。
「運命の人っていうのは、案外すぐ近くにいたりするのよ♪ 気付かないと、あっという間に乗り遅れちゃうんだから♪」
「はいはい、覚えておくわ。」
十数年後、翔子はこの時の汐里の言葉を深く噛みしめることになるのだが、まだまだ若い翔子にとって実感のわかないことであった。
そんなたわいもない会話をしているうちに、日は傾いていく。気付けば、最終下校時間まであと少しだ。
「翔子、今日はありがと。あたし片して行くから、また明日ね♪」
「うん、私も部室に荷物置いたままだから、じゃあね!」
翔子は慌てながら、美術室を飛び出す。汐里は腕組をしてクスッと笑った。
「全く・・・完璧な外見と強いようで脆い心。あなたは美しいわ♪」
自由奔放なヒッピー少女、矢須 汐里との出会いによって、翔子は今までの人生、そしてロックと正面から向き合うこととなる。
翔子の心の闇は晴れたわけではないが、それでも彼女はもう一度前へと進むことを選ぶ。その先に何が待っていようとも。
先日ようやくブックマークを1件頂けました。励みになります。ていうか、抱きしめたい気持ちで一杯です。ありがとうございます。