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輪廻する一輪の花  作者: 零夜 純
第一章 日常は儚く脆く 前編
7/11

5 殺戮の狂犬

 突如、立花の右目から頭の中に鳴り響くノイズ。

 葵の頭上に現れた不気味な嘲笑を浮かべる髑髏。

 公園にどこからともなく出現した、黒い犬。


 一気にいろんなことが起こりすぎて、立花は思考が混乱してくる。

 葵も、そんな立花と狂犬にどう対処すればいいのかわからずにいる。


 公園から聞こえる悲鳴は、その数からもただ単に恐怖、というよりも驚きが上回っているかのように思われる。

 人々は、非日常的なそれが、自分に害を及ぼすものなどとは思わないものである。

 自分は助かる、自分は傍観者でしかない。

 そんな考えが、“逃げる”という選択を狭め、遅延させる。


 そうして、膠着(こうちゃく)状態に入りかけた公園は。


 「グルゥァアアアア!!」


 黒犬の、たった一つの行動によって阿鼻叫喚の地獄絵図へと取って代わられた。

 一瞬にして膨れ上がる威圧感、そして漆黒の毛並みをなびかせながら風のように駆け抜けた先には、傍観に徹していた一人の男。

 その男は、黒い犬の大きく開かれた(あぎと)が眼前に迫った時にやっと、己の置かれた状況に気付いた。

 迫り来る、闇の塊。太陽が沈んだことで失われた光がさらにその犬の視認を困難にする。

 そうして気付いた時にはもう、死への扉が開かれていた。

 「ヒイッ――」

 開かれた咥内も、深淵を見せるかのような黒。

 本能的な恐怖を感じ、叫びだし、身をよじろうとするが――


 ――ガブリ


 あっけなく消失する、男の頭部。

 不自然に途切れる断末魔。

空虚な公園に反響するそれが、何度も何度も耳を打つような錯覚を覚える。

しんと静まり返った空間に、出口を見つけた血流が噴出する音が響く。

 気味の悪い音が幾重にも交差し、死への前奏(プレリュード)を奏でる。


 支えを失った体は、ゆっくりと倒れていく。

 吹き出す血で、周囲を赤黒く染めながら。

 大人の頭部を丸呑みした犬――いや、化け物は全身に血を浴びながら悠々と着地すると同時に、興味を失ったかのように死体を踏み越える。


 周りで騒いでいた人々も、物言わぬ死体と同様に静まり返っていた。

彼らにも何が起こったのか、理解できていなかった。

 あまりにも、突然すぎて。

 あまりにも、非日常すぎて。

 次は、自分の番かもしれないと……思いたくはなかったが故に。


 そんなフリーズした人々の思考をまたもや転換したのも、黒き化け物だった。

 それもただ、振り向いただけ。

 公園の端のほうに陣取っていた男を食いちぎり、すべての人間を見渡せるような位置から、恐怖に固まる人々を、一瞥する。

 淀んだ、インクをぶちまけたような黒の双眸が、人々の本能を射抜く。


 刹那。

 「「「「うわああああああああああああああ!!」」」」

 恐怖のたがが外れ、絶叫が幾重にも重なる。

 逃げろ。目の前の恐怖から、一歩でも遠く。死にたくなければ、足を動かせ。

 動物的な本能がそう叫び、皆が一様に公園の出口へと殺到する。

 いまだにショックから動けない立花と、その傍らに寄り添う葵を除いた全員が。


 ――そうして、そこで悲劇が起きる。

 他人を顧みず、本性を現した人間の群れが、我先にと一方向へと走り出したらどうなるか。

 「おい、邪魔だ! どけ!」

 「あんたこそ!」

 「押すんじゃねぇ!」

 押し合いへし合い、転んだものを踏みつけながら、狭い出口へと押し寄せる。

 「ひぃい、逃げろ――」

 そして。他人を押しのけ最初に出口にたどり着いた男は。


 バチッ!!


 見えない壁(・・・・・)によって弾き飛ばされる。

 「はぁ!?――へぶっ」

 男は突然跳ね返され、尻餅をつきかけたところに、後ろから押し寄せる群衆が、男を再度その壁へと押し付ける。

 「おい! なにやってんだ早く出ろ! 俺を殺す気か!」

 「おっさんどけ! ぶっ殺すぞ!」

 「どけって言ってんだよおおおお!!」

 なぜか逃げ道を塞ぐようにしてそびえたつ壁の存在に混乱する暇もなく、後ろから容赦のかけらもない罵声が飛んでくる。

 「通れねえんだよ!!」

 「はぁ!? 何わけわかんねぇ事言ってんだ!」

 「おれだって意味わかんねえよ!」


 後方にいつ襲ってくるかわからない怪物がいるというのに、頭に血が上り争いあう。

 収集の付きようがない混乱が人々の思考を麻痺させ、凶暴にさせていく。

 そうして、乱闘へと発展しかけたその時。


 ――ついに、狂犬が動く。

 鬱陶(うっとう)しい、とでも叫ぶかのように、一塊になった群衆へ向けて乱暴に吠える。

 それにより、さらに狂乱状態になった群衆へ向け黒い犬は足に力を込める。

 体から立ち上る黒煙が深みを増し、大人の胴回りほどもある四肢がさらに太くなる。

化け物の(あぎと)から吐き出される漆黒の気炎が夜風になびく。


 ――次の瞬間。

 大地に亀裂を入れ、粉塵を大きく巻き上げながら、狂犬は地を蹴りだす。

 電灯のわずかな明かりで揺らめく黒。

 瞬きの間に、その怪物はパニックに陥った人々へと肉迫し。


 ぐしゃり。


 骨が砕け、肉が飛び散り、血の雨が降る。

 そんな音とともに、一秒にも満たないほんのわずかな時間で。



 「嘘……」


 いくつもの、命の花が散る。

 何十年も咲き誇り続けた(たくま)しき輝きが。

 一瞬の暴力の嵐によって、無残に引き裂かれ、消えてゆく。


 両親が死んだときと同等、いやそれ以上に凄惨な光景に、葵は目を背ける。

 同時に、立花も我に返ったのか、葵の手を引いて急いで立ち上がる。


 二人の位置からは、出口際の悲劇がよく見えていた。

 しかも、この公園は四方をブロックの塀に囲まれている。

 すなわち――今、この公園に逃げ道など無い。

 「……あの狂犬がこっちに気付いてない今のうちに隠れよう。これだけの騒ぎならそのうち、人が来るはずだ」

 ――ただの人が来て、それでどうなる? あの壁はどうにかなるのか?

 押し寄せる不安を押し殺し、急いで群衆を貪る狂犬から離れる。

 「今のうちにって……」

 ちら、と葵は嬲り殺される群衆を顧みる。

 だが、自分たちが何をしたところで結果は変えられない。

 「……わかった、行こう」

 誰もが、聖人君子にはなれない。葵は、うなずき返す。


 「ぎゃあああああああ、たすけ」


 耳を打つ断末魔を振り切り、二人は出口とは反対の方向へ走っていく。

 立花が葵の手を引き、化け物から逃げる。

 奇しくも、炎の夜とは真逆の位置関係になっている。


 暖かい手、前を行く弟のたくましい背中。

 いつの間にか自分よりも大きな人になっていたんだな、と葵は誇らしく思うと同時に多少の寂しさを感じる。


――どうしよう、どうしようどうしようどうしよう……!!

 一方立花は、不安と焦燥で頭が押しつぶされそうだった。

葵の頭上にいる髑髏は、今もケタケタという笑い声が聞こえてきそうなほどに存在感を示している。

 前回この髑髏を見たときのおじさんは、その後どうなったのかわからない。

 もしかしたら、今も平然と暮らしているのかもしれない。

 ――もしかしたら。

 なんて頼りない言葉だろう、と心の中で笑う立花。

 ――もう、わかっているだろう。

 もう一人の自分が、言い聞かせてくるような錯覚を感じる。

 ――お前は、あれを見たんだろう……?

 違う、違う……。

諦めるように促す声を、必死に否定する。

しかし自分でも認めてしまっているのか、弱々しい否定しか出てこない。


 そう……噛み殺された人々の頭上にも、同様にあざ笑う髑髏が浮かんでいたのを、見てしまった。

 髑髏とあの犬の、直接的な因果関係は見えない。

 だが……共に異常な現象であることから、そう思わずにはいられない。

 あの髑髏に魅入られたものは、――死ぬと。


 「……立花?」

 「ううん、なんでもないよ」

 もう、どのくらいの時間走ったのだろうか。

 いつの間にか、公園の端にある塀までたどり着いてしまっていた。


 「……」

ダメもとで、登れないかとその塀に手を伸ばす。


 ――バチッ!


 立花の指が塀に触れた瞬間……いや、触れる直前(・・)に跳ね返される。

 やはり、四方をこの見えない壁に囲まれているようだ。

 と、すると。


 「……隠れてやり過ごすしかないみたいだね」

 そのことを隣で確認していた葵が同じく呟く。

 いつまで、隠れきればいいのか。

どこに、隠れようか。


 「グルアアアアアアアアアアアアア!!」


そんなことを考えていると、不意に怒号が公園内をこだまする。

 もう、すべての人が食べられてしまったのだろうか。

 立花たちが逃げ出したことに苛立ちを感じているかのようなその雄叫びは、静かに思案する二人を震え上がらせる。

 視界の端をちらつく、葵の髑髏。

――殺させない、方法なんてわからないけど、絶対に!

 必死になって、隠れる場所を探す。


 「あ、あれなんてどう?」


どこまで狂犬が迫っているのかわからないので、ひそひそと話す姉。

 指さす方向には、手入れが行き届いていないのか乱雑に成長した茂みがある。

 四方八方へと草木が生い茂るそのエリアは、大人数人は身を潜められるスペースがある。

 二人は、背後を気にしながらその茂みへともぐりこんでいく。


 隠れ続けること数分。

 息を殺して地に伏せる二人は、周囲を注意深く観察し続ける。

 春は間近と言えど、夜はまだ肌寒い季節。

 小さく肩を震わせた姉に、そっと身を寄せる立花。

 いつになったら、安全と言い切れるのだろうか。

 もしかしたら、もういなくなってしまったのではないか――そう思った時。


 ――ガサッ、と。


 「「……!!」」

足が草を踏み分け、歩く音がする。

 それも……確実に、近づいてきている。


 「グルルルルル……」


 鼻孔を動かし立花たちのにおいをかぎ分けながら、着実にこちらへと足を踏み出してくる。

 「どうする……?」

 「――1,2,3で合図を出したら向こうのほうへ逃げよう」

 狂犬の、異様な速度を目の当たりにした今、あまり気の乗らない作戦だ。

 あれを、たかが人間の走りで振り切れるかどうか、と思うが一か八かにかけるしかない。

 このまま待っていても、そのうち気付かれて噛み殺されてしまう。

 なら……たとえ無謀でもこちらからアクションを起こすべきだ。

 「うん、立花に任せる」

 葵は、そう小さくうなずき返す。


 「行くよ、1……」

化け物は、まだギリギリ見える遠目の位置にいる。

 それでも、緊張で心臓が早鐘を打つ。


 「2……」

 鼓動が握った手から、姉も同じく緊張しているのだと感じ、少し心を落ち着ける。

 そして空いた手でそこにあった小さめの石を握り、ゆっくりと立ち上がる。

 「……」

 立花のことを信用して、何も言わない葵。

 代わりに、繋いだままの手に力を込める。

 

 「……」

 立花は、小石を持った手を大きく振りかぶる。

 そして――走る方向の逆へと、思いっきり投げる。

大きく放物線を描きながら飛んでいくそれは、闇夜に紛れ立花の目には映らなくなる。

だがしかし……数瞬後。


 ――ガサッ


 「グルァッ!」

 遠くの草むらから響いた音に、黒犬は振り返る。

 立花たちから、目をそらすように。


 「3!」

 そして、その瞬間を狙って、立花たちは走り出す。

 茂みから飛び出し、狂犬から逃れるように。


 「グルァァ!!」

 後方から、怒った化け物の声が聞こえる。

 だが、振り返らず走り続け――


 「キャッ」


 つないだ手が、グンと後ろに引かれる。

 まさか、と思い後ろを見ると葵が足を押さえてうずくまっている。


 「……私のことはいいから立花だけ先に逃げて」

 猛スピードで迫ってくる狂犬。

 だが、姉を見捨てるなんて選択肢は、端からない。

 「早く!」

 立ち止まる立花をせかすように、葵が声を出す。

 今にも泣きだしそうな、その瞳に……立花は、覚悟を決める。


 ――もう、二人とも助かる見込みなんて、ない。

 ふらり、と立花は足を()へ進める。


 ――なら、たとえそれが犬死でしかないとしても。

 「立花……?」

 どうして。その言葉を無視し、立花は葵の前に立ちはだかる。


 ――非力な俺でも、最後くらいはせめて、誰かを守って。

 恐怖から笑う膝を、武者震いだと切って捨て、迫りくる闇を見据える。

 「立花ああああああああ!!」




 ――それはまるで脚本家が書いたように、あの日、炎の夜とは真逆の立ち位置だった。

   守るものが守られ。

   守られるものが守り。


 ――そうして。運命の、最後のピースが揃う。

 「グルアアアアアアアアアアア!!」

 大きな咆哮を上げた死は、ずらりと並んだ刃を閃かせ。

 立花へと飛びかかり――


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